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残飯養豚から輸入飼料養豚へ



                  家畜の飼育と私たちの暮らし(7)

                 ☆残飯養豚から輸入飼料養豚へ

 豚、これは役畜としての用途はまったくなく、まさに肉豚つまり用畜だった。
 この豚には、子どものころの私はほとんど縁がなかった。私の生家をはじめ付近の農家は飼っていなかったからである(註1)。でも豚は知っていた。だけどどこで見たことがあるのかよく覚えていない。もしかすると絵本とか雑誌等の絵や写真で見て知っているだけだったかもしれない。また、友だちと悪口を言い合うさいに豚と言う言葉をお互いに使っていたような記憶もある。豚に関してはその程度の知識で、ましてやその飼育に関してはまったく知らなかった。
 その飼育の一端を私がはっきり認識したのは中学のときだった。
 町の中を年老いた夫婦がリヤカーに残飯を入れた桶をいくつか積んで重そうに引っ張っている、その姿を学校の帰り道にときどき見かけた。何のためにそんなことをしているのだろうと不思議だった。あるとき友だちが教えてくれた、あの人の家では豚を何頭か飼っており、残飯は豚の餌にするために各家庭から集めているのだと。豚は残飯を食うのだという話は聞いてはいたのだが、そのとき初めてそれを実感した。
 豚の飼育を直接見たのは大学に入ったばかりの1954年である。
 入学当初の半年間、仙台の町はずれで魚屋をやっている家に下宿したのだが、そこの家では豚を一頭飼っていた。自分の店の魚の残渣物と私たち下宿人を含む家族の残飯、近隣の農家からもらってくるのであろう野菜屑などを大きなドラム缶に入れ、下から火を燃やして煮立て、それを餌にして裏の小さな小屋にいる豚に食べさせていたのである。生まれて初めて豚と同居したことになるが、餌を煮て衛生的にまた食べやすくして餌にしていることに納得したものだった。
 なお、この豚は自分で子豚を買ってきて育てていたのか、前に述べたような豚小作(註2)だったのかはわからない。
 こういう残飯や野菜残渣等による豚の飼育が宮城県内の農家のなかにけっこうあることを知ったのはさらに後のことだった。

 こうした残飯養豚、それをもう一度改めて認識したのがそれから7~8年後、結婚して現在住んでいるところに引っ越してからである。バケツに生ゴミを入れて裏口においておくと、養豚業者が二日に一度ずつ家々を回ってきて小型トラックに積んだ大きな桶に入れて持って行ってくれるのである。何頭飼っているのかわからないが、こうやって少量ずつ集めて歩くのが大変、そんなに規模を大きくできないだろう。
 そう思っていたら、何十頭と飼っている大規模経営(1~2頭飼いが普通だった当時としてはだが)もあることを知った。そうなのである、市内には食品産業(食品製造業、食品販売業、外食産業)や旅館、病院等から大量に出る食品廃棄物があり、それを活用すればかなりの頭数を飼育できるはずなのである。考えて見たら私が前に住んでいた学生寮の食堂の生ゴミ、これも大量に出たはず、これをどう処理したか考えもしなかったが、これもきっと豚のお腹に入っていたのだろう。しかも豚肉の需要はある。したがって都市部に残飯利用の大規模経営があっていいはずだったのである。
 この都会の残飯養豚は、人間と豚と共同して農水産物を無駄なく食べるということからしてきわめてけっこうなことだし、餌代も運搬費くらいでほとんどかからないのでこれまたけっこう、まさにエコであった。

 農家の豚の飼育も同様だった。残飯と人間の食用にならない野菜くず等の副産物・廃棄物を豚の餌とした。
 飼料化される農産廃棄物として有名だったのが鹿児島のサツマイモの蔓だった。大量に出る蔓を捨てずに豚に食べさせたのである。これも非常に合理的であるが、このことを知ったのは豚にヨークシャーとバークシャーという品種があるということを学んだときである。ヨークは白豚、バークは黒豚とのこと、そのとき黒い豚がいることを初めて知った。黒豚の主産地は鹿児島とのこと、東北では見られなかったからである。そしてサツマイモの蔓を食べさせていること、これも薩摩ならではと納得したものだった。

 このように残飯・廃棄物利用の養豚はきわめて合理的なのだが問題もあった。
 まず、農家の場合には自分の家1戸の残飯・廃棄物であるから1~2頭飼いが限度であることだ。
 それを解決するために都市部などに行って残飯を集めて与えることが考えられるが、集められる残飯の量に飼育頭数は制限され、さらにそれを煮て食べさせるのに手間がかかり、そんなに多くの頭数を飼えない。
 もっと大きな問題は残飯の質である。栄養のかたよりは避けられず、豚の脂肪が多くなり過ぎてしまうのである。その典型が料理屋の残飯で、大量に出るので集めるのに楽なのだが、天ぷら油などが入っているので脂肪の柔らかい「水豚」になってしまい、安くしか売れなくなってしまう。
 60年代後半からはさらに大きな問題が出てきた。家庭の生ごみにプラスチックの袋等が混入するようになったことである。この排除作業が大変になってきた。やがて排除しきれなくなった。
 こうしたなかで残飯に依存するこれまでのような養豚を継続するわけにはいかなくなった。
 そこでまず取り組んだのが飼料作物を栽培して豚に与えることだった。前に述べたように、自給飼料を基礎にして残飯養豚の1~2頭飼いの限界を克服して規模拡大を図ろうとする動きがみられるようになったのである(註3)。そしてそれは戦後民主化の成果による経済復興、それにともなう畜産物需要の復活、拡大に応えるものであった。
 しかしその努力は実を結ばなかった。そんな努力、めんどうなことはしなくともすむようになったからである。

 60年代、トウモロコシや麦、マイロなどの飼料用穀物の輸入が本格的に始まり、もっと手っ取り早く、土地も労力も使わずに必要な餌を安く手に入れられるようになった。つまり、低価格の上に栄養たっぷりの飼料を豚の成長過程に適合するように配合して給与でき、短期間で成長させ、しかも肉質のいい豚をつくることができるようになったのである。そして飼料作物をわざわざつくるなどという手間がいらず、しかも飼料作物をつくる土地に制限されることなく飼育頭数を増やすことができる。それで養豚農家は一斉に輸入飼料に依存するようになり、飼育規模を拡大するようになった。
  同時に、大型で生育の早い品種の導入が進んだ。養豚農家の調査に行くとよくランドレースとか大ヨークとかの名前を聞いたものだが、これまでのヨーク、バークにこだわらない改良品種を導入するようになったのである。
 またデンマーク式豚舎(註3)など豚の飼育に適合した豚舎の導入も進んだ。
 政府はこうした動きを補助金等を出して推奨した。こうしたなかで日本の養豚はこれまでの残飯・零細養豚から一気に脱却し、輸入飼料依存・大規模養豚へと転化した。
 そしていまは食品大企業や大手商社などの直営による巨大経営も成立している。

 もしかするとここで疑問を感じた方もいるかもしれない。それでは残飯養豚は完全に姿を消してしまったのか。大量に出るようになっている業務用の食品廃棄物はゴミとして処分されているのか、もったいないではないかと。
 たしかにそのとおり、私もそう思う。そこでまた畜産研究者のKT君に聞いてみた。そしたら今も残飯養豚をやっている経営があるという。たとえば仙台市の場合、病院・学校給食センター・食堂等から出る厨芥類を回収し、豚の飼料として利用している経営が現在七つあるそうである。一戸平均300頭弱で大きい経営とはいえないが、厨芥類を豚に適する飼料にするためにさまざま工夫しながらがんばっているのだろう。
 ゴミ減量、リサイクル、飼料自給等々から考えてこれは推奨すべきこと、ぜひともがんばってもらいたいものである。また、家庭から出る厨芥類も含めて飼料として活用していくことを考えるべきではなかろうか。そのためには事業者や家庭の協力や行政の支援が必要となろう(註4)。

 さて話を戻そう。
 今述べた養豚の輸入飼料依存・大規模経営の成立等の動きは養鶏においても同様であった。先にも述べたように零細採卵鶏飼育から輸入飼料依存の大規模飼育へと転化したのである。採卵鶏と肉用鶏飼育への分化をともないながらであったが。
 これに対し牛はちょっと違った。輸入飼料依存は肉牛の肥育過程においてのみ進展しただけだった。前にも述べたが、粗飼料と運動が必要な肉牛の育成と乳牛の飼育に関しては輸入濃厚飼料にのみ依存するわけにいかなかったからである(註5)。それで、搾乳牛と肉用牛、肉用牛の育成部門と繁殖部門の分化をともないながら、かつてとは比較にならない大規模飼育が見られるようになった。
 こうしたなかで豚も鶏も牛もその飼育頭羽数はかつて考えられなかったほどに大幅に増大し、卵、肉、牛乳等の畜産物は消費者に豊富に安価で供給されるようになった。
 (次回は26日金曜掲載とする)

(註)
1.これは山形内陸が牛耕地帯だったせいだと私は考えている。
  このことに関しては下記の記事で述べているので参照されたい。
  12年3月26日掲載・本稿第三部「☆地域に誇りをもたない風潮」(3段落)
2.11年3月11日掲載・本稿第一部「☆「循環型」だった農業」(2段落)参照
3.11年8月1日掲載・本稿第二部「☆平坦部への施設型畜産の普及」(3段落)参照

4.さきほど述べた残飯養豚経営7戸に対しては仙台市が薬品等の購入費の一部として合計30万円の助成金を出しているとのこと、その多少はここでは問わないが、いずれにせよ行政としてもっと積極的に支援していく必要があろう。
5.11年7月4日掲載・本稿第二部「☆大家畜生産の発展」(2段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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