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続・貴重品だった肉・卵・乳の大衆食品化



                 家畜の飼育と私たちの暮らし(10)

              ☆続・貴重品だった肉・卵・乳の大衆食品化

  (前回からの続き)
 肉と同じくかつて貴重品だった卵のコーナーを見ると、本当にたくさんの、それもいろんな種類の卵が並んでいる。かつてのように大中小で区分けされた卵だけではない(今は大きさではなく重量でLMS等に分けているそうだが)、白、赤、さくらなど殻の色の異なる卵や卵黄の色の異なる卵、さらにはヨード卵等々より取り見取りである。それどころか安売りの目玉商品にさえなり、目玉焼き、だし巻き卵、オムレツ、卵かけご飯等々かつてのご馳走は普通食、いや簡便食・安価食になってしまった。
 世の中変わったものだ。

 鶏卵のわきにウズラの卵も並んでいる。
 ウズラをはっきり認識したのは私に子どもが生まれてからではなかったかと思う。家内が子どもの幼稚園のお弁当に入れてやったり、料理に使ったりしていたからである。それ以前私がどの程度認識していたかまったく記憶がない。また飼っているところを見たこともない。
 卵の小ささからして小さい鳥だろう、褐色のまだら模様をしている卵の殻の色は野鳥の卵と似ていて野生的な感じがすることからして野鳥に近いのだろう、そんな想像をしていた。
 そうなんだそうである、実際に400年前までは野生種だったとのことである。しかも日本の野生のウズラを家畜化したものだという。畜産研究者のKT君に言わせるとウズラは「日本で家禽化された唯一の種」なのだそうである。
 そもそもウズラは、夏は北海道・東北、冬は関東以西から九州で過ごす渡り鳥で(註1)、それを日本人は狩猟の対象とし、その肉を食べていたらしい。やがてその鳴き声がいいということから籠で飼育するようになり、鳴き声の長さの競争をしたりしているうちに卵や肉を食べるようになり、やがてそれを目的として飼育するようになったとのことだ。
 なお、肉も食べるのだが、私はまだ食べたことがないし、店で売っているのを見たこともない。ウズラの産地は名古屋周辺とのこと、それもあってお目にかからないのかもしれないが、いつか食べて見たい。そういえば最近は卵も食べていない。しばらくぶりで食べてみようか。

 牛乳、乳製品もたくさん並ぶ。メーカーの異なる品質の異なる多様な牛乳、ヨーグルト、数えるのが大変なほどさまざまな種類のまたメーカーのバター、チーズ等の乳製品(その多くが外国産の原料を使っているようだが)が棚にひしめく。

 牛乳、子どものころに飲んだことがあるのかどうか記憶にない。山羊の乳を毎日飲んでいたので、少なくとも生家では飲んだことはないと思う。飲むようになったのは大学に入ってから、お腹が空いたとき、そして小遣いがまだあるときに、10円のコッペパンと一本10円の牛乳をたまに生協や寮の売店から買って食べ、飲んだものだった。
 なお、そのころ初めてヨーグルトというものがあることを知った。たしか一本12円で牛乳より高かったが、懐が温かいときには牛乳のかわりに買って食べた。当時はかなり酸っぱかったが、乳を発酵させたもので身体にいいのだということで我慢して食べたものだった。
 結婚して子どもが生まれてからは生協から毎日牛乳を共同購入するようになった。ちょうどその頃の60年代後半、生家で山羊の飼育をやめ、牛乳を買って飲むようになっていた。生家ばかりでなく、ほとんどの農家がそうなった。
 また学校給食では毎日のように牛乳を出すようになった。輸入脱脂粉乳入り、インチキ牛乳等々いろいろ問題はあったが、さまざまな運動の展開のなかでやがてまともな国産牛乳が飲めるようになった。
 しかし、かわりに山羊の乳が姿を消した、それがさびしい。よその国ではかなり飲まれているらしいのに。

 バター、これも子どものころ食べた記憶はない。初めて食べたのはいつだったかも覚えていない。覚えているのは大学の寮生活でマーガリンを安いバターだと思ってコッペパンに塗って食べていたことだ。寮の食事の休みの日、腹が減っているのに金がなくてパンも買えず、残っていたマーガリンをそのまま食べ、おいしいと思いながら餓えをしのいだこともあった。
 まともにバターを食べたのは大学3年の農場実習でバター製造の実習があった時ではなかったろうか。白い牛乳を機械で撹拌しているうちに黄色の塊ができ、徐々に大きくなっていくのを不思議に思って見たものだったが、最後に機械からバターを取った時に回転槽のまわりにくっついて残っていたバターを手ですくってなめ、これが本物のバターなのかと感激したものだった。でも、そのときはバターが特にうまいとは思わなかった。たまたま長期入院した大学4年のとき当時恋人だった家内が本物のバターで焼いてくれた目玉焼き、このとき生まれて初めてバターはうまいと感じたのだが、当時はやはりマーガリンを使うのが普通だった。
 なお、この実習のときに初めて脱脂粉乳と言うものを知り、また飲んだ。宿舎の食事のときにいつも出されたのだが、それなりにおいしかった。
 やがてマーガリンはバターではない、大豆など植物油脂からつくられたものだということが知られるようになったが、どこの家庭でもバターの代わりとしてマーガリンをけっこういろんなものに使っていた。でもやはりバターにはかなわない、しかもマーガリンに含まれる飽和脂肪酸が身体によくないとも言われるようになる、一方外国からバターが安く輸入されるようになる、そんなことでマーガリンはあまり食べられなくなった。

 チーズ、初めて食べたのはやはり大学に入ってからである。最初食べたときは特別うまいとも思わなかったのだが、何回か食べているうちに舌が慣れてきたのだろう、うまいと思うようになってきた。そしてチーズとはこういう味がするものなのだと思っていた。
 ただわからなかったのは外国の絵本や漫画で見る穴のあいたチーズである。ネズミの大好物らしいが、食べたことはないし、そもそも直接見たこともない。そのうち仲間からこんなことを教わった。
 今日本人の食べているチーズはプロセスチーズというもので、それは発酵のプロセスのあるところで加熱・溶解して発酵を止めさせたもの、だから日本人は食えるが、本物のチーズは食べられたものではないのだと。つまり本物のチーズ(ナチュラルチーズ)はさらに白カビや青カビを植え付けるなどして熟成させたもの(つまり腐らせたもの・牛乳の漬物)で、日本人はその外観、臭い、味等からしてとてもじゃないが食えたものではない、外国人がたくあんの匂いや味がたまらなくいやだ、食えないと言うのと同じなのだともいう。となると、好き嫌いの激しい、とくに臭いに敏感な私などはとてもじゃないが食えないだろう、こう思って過ごしてきた。
 しかしである、それから何十年か経ってからのことだが、何かの機会にゴーダチーズや白カビの生えたカマンベールチーズを食べさせられたら、何と食べられるではないか。しかもうまいとも思う。私の舌がいかに洋風化してしまったのかと我ながら驚いたものだった。

 ハム、ベーコン、ソーセージ、名前を聞いたことがあるというだけだった。その違いもわからなかった。戦後は魚肉ソーセージがソーセージだとばかり思っていた。
 畜産物に対し、本当に私たち戦中戦後育った子どもたち、とくに農村部の子どもたちは無知だつた。しかも当時は食品や農畜産物に対する法律は未整備だった。そんなこともあってかなりの畜産物のまがいものが出回った。前に述べた色物牛乳(註2)などがその典型だった。それに気が付かないほどみんなは無知だった。
 今はそんなことがなくなってきた。家内などは網走にいる間にソーセージの作り方を覚え、孫といっしょに庭でつくったりすることもできるようになった。畜産農家が工夫をして独自のハムやソーセージをつくって消費者に売るというようなことも多くみられるようになってきた。

 いい世の中になったものだと思う。かつて食べたいと思っても食べられなかったもの、まったく知らなかったおいしいものなどがこれだけ豊富に安く供給されるようになったのである。そしてそれが戦後の日本人の体格をよくし、健康にし、長寿を可能にする一因ともなってきた。

 しかし、と考えてしまう。こんなに畜産物を食べて飲んでいいのだろうかと。とくに肉にはひっかかる、そんなに食べていいのだろうか。
 前にも述べたような日本の風土条件(註3)から日本人は穀菜食、魚食民族だったからなおのことだ。もちろん肉食をしなかったわけではない。豊かな林野を利用した狩猟があった。家畜も食べた。肉食禁止令が出されても牡丹とか紅葉とか柏とかの名前をつけてあるいは薬として食べてきた。しかし必要な量を食べることはできなかった。
 禁止令のなくなった明治以降肉は食べられるようになったが、主食・穀物の生産すらままならない政治経済、農業技術の状況の下では畜産に十分に力をいれることはできず、ここに国民の食生活の問題があった。
 戦後、そうした諸問題を解決し、穀菜食、魚食、肉食バランスよくとれるようにしよう、そのために畜産をまた肉食を振興しよう、こうして努力してきた。そしてその成果が実り、豊富に畜産物を食べられるようになってきた。これはきわめてけっこうなことである。
 しかし、今あまりにも肉偏重、肉の摂り過ぎになっていないか、そして穀菜食や魚食を減らしていないか。それが国民の健康にとって本当にいいのか、このことを改めて考えるべき時期にきているのではなかろうか。
 海に囲まれているのに水産物をあまり食べなくなり、水に恵まれ、田畑に恵まれているのに米や野菜等の農産物を食べなくなる、これは自然の摂理に反していないだろうか。

 それだけではない、輸入肉にこれだけ依存していいかも問題となる。並べられている畜産物とくに加工品、半調理品の原料の畜産物の大半が外国産なのだ。
 輸入肉の場合まず問題となるのは国民の健康だ。どんな餌で育てられているのか、抗生物質やホルモン入りの餌で育てられていないか、食品としての加工・調理の過程で問題のある添加物等が入れられていないか、衛生管理がきちんとなされているのか等が疑問となる。
 また途上国の低賃金長時間労働を利用して自国民が食べたくとも食べられない飢餓輸出をさせておいて、日本人は肥満で薬を飲む、こんなことでいいのだろうか。
 それなら国産の肉は問題ないのか。
 外国産肉に比べるとたしかに安全性の面では問題が少ない。しかし日本の肉畜は外国からの輸入穀物で育てられている。要するに今日本人の食べている肉の中身は外国産、水分のみ国産なのである(卵もほとんどがそうなのだが)。いうまでもなくこれは食糧問題、環境問題を引き起こしている。
 そんなめんどうなことを考えなくとも今がよければいいではないか。これだけ安く手に入り、たくさん食べられる、昔から考えたら天国だ。この幸せを素直に享受したらいいではないか。
 しかし本当にこれでいいのか。いつまでその幸せが続くのか。次世代のことを考えると、地球の未来を考えるとそういうわけにはいかないのではなかろうか。

 肉食は人間が人間となって以来やってきたことである。生き物を殺して食べることは人間の性(さが)でありやめるわけにはいかないし、やめるべきでもない。罪深い業(ごう)として受け止めるより他ない。だからといって肉を過食して、殺生をし過ぎてさらに罪を重ねることはない。また肉食を通じて他国の人々を苦しめたり、地球環境破壊を促進したりして罪を重ねてもならないのではなかろうか。

 牛乳、牛から分けてもらって私たちがごちそうになっているわけだが、その餌の大半は国内自給なので、肥育牛や豚、鶏のような飼料輸入の問題は少なく、畜産公害の問題も相対的に少ない。またEU諸国並みの規模拡大も進み、コスト低下も図られている。そのために消費者は安全安心で環境にも優しい牛乳を安い値段で飲むことが可能になっている。
 しかし酪農家の多くは今赤字で苦しんでいる。量販店による安売り強要、価格政策等の酪農振興政策の後退、牛肉自由化による子牛や廃牛価格の低落等により、生産者の手取り価格・収入は低迷し、コストを償わなくなっているのである。当然のことながら、こんな赤字経営では若者が酪農をやるわけはない。現に後継者不足で酪農をやめる経営が増えており、このままいけば牛乳不足になるのではないか、最近の国産バター、チーズの不足はその前兆なのではないかと心配されている状況になっている。
 そんなことでいいのだろうか。
 これから畜産物を買う時、食べる時、飲む時、そうしたこともぜひ考えてもらいたいものだ。

 さきほど階下に下りて行ったら家内が何かぼそぼそぼやいている。この前買ってきた料理の本を明晩の食事の参考にしようと思って見ていたら肉料理がほとんど、魚を使った料理は本当に少ない、これではコレステロールが溜まり過ぎてしまうというのである。そうかもしれない。そこで年寄り向けの料理の本を探してみようかと言うことになったが、はたして本屋さんにあるだろうか。

(註)
1.今も野生種はいるが、2012年に環境省レッドリストに記載され、現在は狩猟が禁止されているとのことである。
2.11年5月20日掲載・本項第二部「☆選択的赤字拡大」(4段落)参照
3.12年10月18日掲載・本稿第五部「☆『雨ニモマケズ』から見た気象」(1~4段落)、
  12年12月3日掲載・本稿第五部「☆国土の狭さと農林漁業」(3~4段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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