Entries

馬力大会・闘牛・闘鶏、乗馬

 

                   家畜の飼育と私たちの暮らし(13)

                   ☆馬力大会・闘牛・闘鶏、乗馬

 馬力大会(輓馬大会と呼ぶところもある)なるものが東北の何ヶ所かでときたま開催される。青森県外ヶ浜、浪岡、七戸、六戸、六ヶ所、中泊、岩手県遠野、宮城県涌谷などかつての馬産地、馬耕地帯、林業地帯で開かれているようであり、遠野で開催されるのは東北大会だそうである。
 これは前回述べた輓曳(ばんえい)競馬だ。ただ違うのは、公営ではなくまたいわゆる競馬ではないこと、したがって馬券を売買するなどの賭け事がなされないことだ。
 東北各地から輓馬(ばんば)愛好家が集まって輓馬競争をするのである。馬たちが昔やったように車やそりなどをひいて速さと力の強さを競い、それをみんなが見て応援し、また楽しむだけ、そういう人たちの入場料と有志の寄付金で運営され、継続されている。
 それだけに金はないし、みんなにも知られておらず、愛好家だけの集まりになっており、観客も競馬のように多くはない。当然、開催される会場、回数も限られることになる。

 実は私も行ってみたことがない。後で新聞記事などで大会があったのを知るだけだ。探して見にいけばいいのかもしれないが、あまり見たいとも思わないで過ごしてきた。その昔生家で飼っていた牛が重い車を引っ張って歩くのがかわいそうでたまらなかったことを思い出してしまうからだ。
 しかし、牛馬が苦役から解放されたとたん不要物として世の中から姿を消してしまう、それはもっとかわいそうである。昔、こうやって人間の暮らしを支えてきたのだということを人間に伝え残していく、同時に競争をして人間を楽しませる、そしてその仕事で自分たちも子孫を残し、馬産をこの国に残していく。そのためにも今後馬力大会の開催を盛んにして継続してもらいたいものだ。近くで開催されたら私も見に行ってみようと思っている。もちろん私一人観客が増えたってどうしようもない。政策的な援助も含めてみんなの力で何とかもっと盛んにしていけないだろうか。そして駄馬を残していく、馬産地を再構築して行くことが考えられないだろうか。

 この馬力大会、つまり馬同士を闘わせるということで思い起こすのは、牛同士を闘わせる闘牛大会である。これも賭け事なしでも生き延びている。
 ちょっと話が牛に戻ってしまうが、いうまでもなく日本の闘牛はスペインの闘牛とは異なる。
 スペインの闘牛はおとなしい牛を凶暴にさせて人間と闘わせ、最終的には殺すというもの、牛にかわいそう、失礼にあたる、だから私はきらいである(といってもその成立にはそれなりの理由があり、歴史もあって文化にもなっているのでやめろなどというつもりはない、今後どうするかを決めるのはそれをこれまで維持してきたスペインの人々である)。
 それに対して日本の闘牛はまさに力比べ、押し相撲である。とはいっても私は直接見たことはない。そもそも私の生家のある山形では聞いたこともなかった。役牛飼育地帯だったにもかかわらずである。
 その存在を初めて知ったのは、1948年、私が中学生だったころ毎日新聞に連載されていた獅子文六の小説『てんやわんや』(註1)でだった。四国の宇和島の闘牛の場面がそこに出てきたのである。これには驚いたが、後に全国各地にあることを知った。近くでは牛の主産地岩手県の久慈市、遠くは沖縄まであるとのことである。
 今から10年前の中越地震のとき大きな被害を受けた新潟県山古志村(現・長岡市)にもあることを知った。避難のさいに牛を置き去りにせざるを得なかったというニュースを見たときである。後に製作された映画『マリと子犬の物語』(註2)でその闘牛大会を見たが、「牛の角突き」と呼ぶとのこと、まさにその名は体を表している。スペインの闘牛と間違われないようにこの「角突き」を日本の闘牛の共通の呼び名として使った方がいいと思うのだが。山古志では千年の歴史があるとのことだったが、いずれの地域についてもそもそもは役牛飼育地帯の農家の遊び、もしくは祈りの行事として始めたものだろう。
 この牛の勝負は賭けの対象となっていない。にもかかわらず今まで生き延びてきた。ということは競馬も今のような賭けの対象にしなくとも生き延びる道もあることを示しているのではなかろうか。
 なお、闘牛用の牛というのはとくにいない。品種は黒毛和種もしくは日本短角種とのことだが、山古志の牛は岩手久慈と同じく日本短角種、産地の岩手南部地方から子牛を入れているためとのこと、こんな縁があるとは知らなかった。
 したがって闘牛用の牛はイコール肉用牛で、廃牛にするときは肉として売られ、飼い主にはそれなりの収入が入る。とはいっても、闘牛にするために投じた費用からすると赤字だろう。
 やはりこれも輓馬と同じように政策的な援助をしていく必要がある。こうした伝統行事は文化財でもあるからだ。また地域をはじめとする多くの人たちの力でもっと盛んにしていく必要があろう。そして、牛は単においしい肉を供給するだけではない、力は非常に強くかつては農耕に運搬に大きな役割を果たしてきたのだと言うことを多くの人に知ってもらう、こんなことを考えてもいいのではなかろうか。

 ふと思い出した、闘鶏というのもあったはずだ。前に書いたシャモ(註3)、漢字で軍鶏と書くことからわかるように、これはそもそも闘わせるために飼育しているものである。ただし私は闘っているところを見たことがない。江戸時代、闘鶏が賭博の手段とされたため禁止され、明治もそれが引き継がれたとのことなので、そのせいなのか、たまたま私が見なかっただけなのかわからない。にもかかわらず軍鶏が飼育されていたのは、肉がきわめておいしく、また体格の良さから肉の量も多いからだったようである。今でも飼育されているところがあり、東北でいうと青森、秋田で飼われているそうだが、私は幼いころ以来見ていない。闘鶏をさせるさせないは別としてこれも保存してもらいたいものだ。
 それでまた思い出した、前に述べたチャボ、これもずっと見ていないが、調べて見たら天然記念物に指定され、観賞用、愛玩用として飼育されているようである。しばらくぶりで見てみたいものだ。

 話を牛と馬に戻そう。
 輓馬用の馬、闘牛用の和牛の飼育は今ともに愛好家によって維持されている。それがいつまで続くのかが心配だ。
 とくに馬が心配だ。牛と違い肉としての価値が低いからだ。このまま行ったら日本の農林業、運送を支えてきた伝統的な馬がいなくなってしまう。不要になった、無駄だと切り捨てたら、絶滅したら、二度と戻らない。
 今日本在来種の8種、青森の寒立馬などについては文化財として指定を受けて保護されているとのことだが、輓馬や流鏑馬(註3)、騎馬打鞠(註4)、福島の相馬野馬追、岩手のチャグチャグ馬コ等の伝統行事に使われている馬、日本在来種と外国種の混血馬なのだそうだが、こうした馬いわゆる駄馬すべてを保護の対象にしてもらいたいものだ。昔の時代を描く映画やテレビに出演する馬や牛がいなくなり、バーチャルでごまかさざるを得なくなる、これでは迫力も何も出てこない、何とも寂しいではないか。
 遺伝資源、文化財として国で保護し、遺していく必要があろう。世界でも有数のGDPを誇る国、それぐらいの金は出せるはずだ。

 和牛は肉として売れるのでいわゆる駄馬ほど絶滅の心配はないが、和牛のうち黒毛種のみ重視して、たとえば粗食に耐え、脂身が少ないという特質をもつ日本短角種をはじめそれぞれ特徴のある褐毛和種、無角種を軽視し、それを衰退させるなどということもあってはならないであろう。

 網走の近郊の海岸沿いに観光牧場があり、そこで乗馬体験をさせてくれる。
 それを利用して、私の勤めていた農大オホーツクキャンパスでは新入生全員に乗馬体験をさせることにしている。学生は初めての体験、大きな馬を怖がりながらもみんな喜ぶ。馬と人間の長いつきあい、それが学生諸君の遺伝子に刻まれているのだろう。約10分、馬に乗って周囲の林野を散策するのだが、その姿を写真に撮って家族に送りたいから撮ってくれと学生に頼まれ、カメラをたくさん預けられてパチパチ撮らされている教員もいる。何ともほほえましい。
 なかには、後に乗馬部に入ってその牧場に通い、馬の飼育を手伝ったりする学生もいる。家畜と人間の昔からの関係が断ち切られている今、そうした若者の姿を見るのは本当にうれしい。
 収穫祭(大学祭)のとき、この乗馬部の諸君が来場者に乗馬体験をさせてくれる(一回200円とられるが)。大人ばかりでなく子どもも喜んで乗っている。私の孫も幼かった頃ここで乗馬の初体験をした。全国の子どもたちにこうした体験をしてもらいたいものだ。
 東北大時代の教え子に学生時代に乗馬部に入って馬術競技や馬の飼育に携わったものが何人かいる。子どもの頃とくに馬と関わったことがないにもかかわらずだ。
 馬に乗りたい、馬と遊びたいというのは人間の本性なのかもしれない。

 伝統的な馬産、馬と人間とのつきあい、何とかしてこの国に残したい。そして多くの人に馬に乗ってもらいたい。
 できれば乗用馬を持ってもらいたいが、一般庶民にはそんなことは難しい。
 もちろん私などできるわけはない。ましてや私は牛派、馬を飼うなら牛を飼いたい。何度も本稿にご登場いただいたNK君が大学院生の頃、修士論文を通してくれたら生家で飼っている乳牛一頭をくれると私に言ったのだが(彼に言わせるとその逆で、一頭くれたら通してやると私が彼に話を持ちかけたのだそうだが)、いまだにその約束を果たしてくれていない。それどころかいっしょに飲むときの支払いは私の方が多い、もはや学界で重きをなす中堅研究者になっているのにいまだに教え子なのである(もちろん最近は、私の年金暮らしを気の毒がってか、ご馳走してくれるが)。
 冗談はさておき、せめて夏休みに北海道の観光牧場に行って、休日には近くの乗馬クラブなどに行って、大人も子どもも乗馬や馬の世話を楽しんでもらいたい。そんなことが容易にできるような社会になり、馬を、乗馬を、そして輓馬を遺し、馬産を復活させてもらいたいものだ。
 こうして乗馬に親しむ人口が増えれば、馬術競技に関心をもつ人口も増え、そのなかからオリンピックで活躍する日本の選手や馬が多く生まれ、私たちをさらに楽しませてくれるようになる、そんなことは夢物語だろうか。

(註)
1.11年2月25日掲載・本稿第一部「☆抑圧からの開放感」(3段落)参照
2.監督:猪股隆一 原作:桑原眞ニ・大野一興 配給:東宝 2007年
3.私の故郷山形市の八幡神社の祭りでは戦前流鏑馬がやられていたが、戦時中中止されたままになってしまった。今私の住む仙台の家のすぐ近くの大崎八幡神社の祭りでは今も実施されている。これからも何とか残してもらいたいものである。
4.騎馬武者が紅白二軍に分かれ、各武者はそれぞれ先に網のついた棒を手に持ち、それで紅白の毬をすくい上げ、 自分の陣地に投げ入れ、その数を競う競技。山形の豊烈神社で祭りのときにやっていたが、今はどうなっているだろうか。八戸など各地の神社で今もやられているところがあるそうだが。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR