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路上の牛馬糞―昔の糞尿公害(?)―



                    家畜の飼育と私たちの暮らし(17)

                   ☆路上の牛馬糞―昔の糞尿公害(?)―

 牛馬車は、前にも述べたように、農工商業、庶民の暮らしすべてに関わるきわめて重要な輸送手段だった(註1)。そして牛馬はその動力だった。
 問題はこの動力機関である牛馬の廃棄物である。自動車のように排気ガスは出さないが、糞尿という廃棄物を出す。動物であるかぎりそれは当然のことなのだが、便意・尿意を催したからと言って人間のように公衆便所に走るわけにはいかない。そもそもそんなものがあるわけはない。かつては人間の公衆便所もなかったのだ。糞尿ができるような場所まで待てといっても言葉が通じるわけでもない。やっていいところ悪いところなどわかるわけもない。牛馬のお尻に糞尿をさせる容れ物をつけるわけにもいかない(バケツは当て字で馬穴と書くのでその名の通りバケツを後ろにつけたらなどという冗談もあったが)。したがってところきらわず糞尿を垂れ流すことになる。仕事中であれ、休憩中であれ、したくなればやりたいところで糞尿をする。まさに生理現象、止められない。飼い主が一々拾って歩くような暇もない。したがってかつてはよく道路の真ん中に馬糞、牛糞が落ちていた。

 馬糞(私たちはマンクソと呼んでいた)は黄色いまんじゅうが5~6個積み重なった形をしており、寒いときなどはその糞か
ほかほかと湯気が立ち、できあがったばかりの饅頭だといってもおかしくないほどだった。しかも馬糞はそれほどきつい臭いがしないからなおのことだ。それで私たち子どもは、できたてほやほやの馬糞を見ると、それを指さしながらよく笑い合ったものだった。
 「ほら饅頭が落ちてるぞ」
 狐に化かされて饅頭をご馳走になったらそれは実は馬糞だったなどという話をよく聞いたものだが、さもありなん、だまされるのもやむを得ないと思ったものだった。
 これに対して牛糞は茶褐色、水気が多く、びしゃっとしている。臭いも馬糞よりはある。こっちはさすがに食べようなどと言う冗談は出てこない。しかし、豚や鶏の糞から見ると臭くない。

 こうした馬糞、牛糞が町の中、村の中を問わず道路に落ちていた。夏になるとその糞にハエがたかるなどきれいなものではなかったが、みんなそれほど気にしなかった。道路に面したお店の人が客を気にして掃除をして片付けたり、民家の玄関前に落ちている場合などさすがに目立つのでその家の人が拾って捨てたり、庭畑をつくっている人が堆肥にするために拾う(註2)くらいである。こうして拾っても、土に糞が若干くっついてとれない場合がある。その時には水をかけて洗い流す。こうしてきれいにするが、それ以外は放置しておかれる。とくに人家の少ないところの道路、逆に人馬の往来の激しい主要道路、直接店や家の迷惑にならない大きな通りなどではそのまま放って置かれる。
 だから道端に牛馬糞が落ちているのは当たり前の風景だった。誰も何とも思わず、みんな無関心だった。といっても、間違って糞を踏んづけてしまったりしたら大変である。だから糞を見つけたら踏まないように注意して避けて通ったものだった。しかしたまたま見逃してしまい、間違って踏んだりすることがある。それは本人の不注意、あきらめるより他ない。履物の底にくっついた糞を電信柱や木の幹にあるいは道路の土にこすって落としたり、川に行って流したり、ともかく大変である。なかなかとれないと泣きたくなってしまったものだった。
 こうして糞は車や人に踏まれたり、乾燥して土と同化してしまったり、風で飛ばされたり、雨に流されたりしてやがてどこにいったかわからなくなってしまう。

 垂れ流した尿などはみんなほとんど気にしない。放っておけばやがて道路の土に沁みこんであるいは乾燥してなくなってしまうし、そのうち雨が降るとその水で流されてしまうし、履物にくっついたりもしないからだ。ただし牛馬が尿をするときにその近くにいたら大変だ。何しろすさまじい量、はねあがって私たちのズボンや足にひっかかってしまう。君子危うきに近寄らず、ともかく後ろにはいない方がいい。馬の場合などは子どものころはましてや近寄らなかった。いや近寄れなかったと言っていいだろう。おしっこばかりでなく後ろ足で蹴られる危険性があるというからである。

 雪国での冬の路上の糞についてちょっとだけ触れておきたい。
 いうまでもなく冬垂れ流された牛馬糞は路上の真っ白な雪の上に落ちる。最初は湯気をたてているが、やがて冷え、その上に雪が積もると見えなくなる。そしてその雪の中で凍る。さらにその上に雪が積もり、やがてまったく見えなくなる。その上を人が通り、そりや車が通る。糞は雪の中で潰されるが、上に雪があるのでその下の糞は見えず、誰も気が付かない。こうして糞は飛ばされも流されもせず、また片付けられもせず、雪の中に埋もれる。路上はまさに銀世界、その下に糞があるなどとは誰も思わない、
 2月の末から3月、表面の白い雪が解けてくる。すると黄色い雪がのぞきはじめる。その下には固く凍った糞があるのだが、さらに気温が上がってくるとそれが雪の中から一斉に表面に顔をだし、はっきりその姿を見せるようになる。ぺっちゃんこに潰れた形でだが。当然のことながら簡単に乾かない。取り除くのも難しい。下の方が凍っているからだ。だから、さらに暖かくなって雪解け水に溶け出し、いっしょに下水路などに流れ出るのを待つより他ない。それでも一部は道路に残る。やがてそれが乾いてくる。そこに春先の強風がくると、どこかに吹き飛ばしてくれる。その途中われわれの口と鼻にその一部が土ぼこりといっしょに入っている可能性があるのだが、見えないのでとくに気にもならない。
 こんなこともかつての雪国の町の春先の暮らしの一部だった。

 いうまでもないが、牛馬はいつも糞尿を路上で垂れ流しているわけではない。だから道路が今述べたようにいつも汚いわけではない。ちょっと過剰に表現しただけである。
 そもそも牛馬車は今の車のようにひっきりなしに走っていたわけではなく、本当にたまに歩いているだけだった。農耕用の牛馬の場合は、人糞尿の汲み取りのために週何回か一時間程度町の中の道路を歩くだけ、また出来秋などに収穫物をお得意先や市場に大量に運ばなければならないときに使うだけである。田畑の道路を通るのも往復一時間くらいだ。その間に絶えず糞尿を垂れ流しするわけではない。本当にたまにしかしない。冬期間は農作業をあまりしないので外に出歩く機会も少ない。
 後は畜舎の中で飼われているのだから、当然糞尿は畜舎でする。山羊、羊、ウサギも同様である(前節で述べたようにたまには道路でやるが)。畜舎に敷いた敷き藁の上に糞尿をするのである。何日か糞尿をして敷き藁が汚れてきたらそれを舎外に出して発酵させて堆厩肥にし、また新しい敷き藁を畜舎に敷く。こうして牛馬、山羊等の糞尿の大半は堆厩肥となって、つまり肥料ならびに土壌改良剤として田畑に返された。また繋牧・放牧されるときは草地に糞尿をして肥料として土に返し、土を復元した。だから牛馬、山羊等は、役畜・用畜としてばかりでなく、糞畜としてもきわめて大事にされた(註2)。
 ただし、彼らが道路に垂れ流した糞尿は田畑に戻ることはなかった。そしてそれは不衛生だった。それをちょっとオーバーに今書いたのだが、やはりそれは公衆衛生に対する害という意味では公害といえるのかもしれなかった。

 これに対し、豚と鶏はこうした問題は起こさなかった。役畜ではないので牛馬のように路上を歩くこともなく舎飼いされており、当然糞尿は畜舎内でなされるからである(註3)。そしてそれは堆肥にして田畑に返された。
 問題はその臭いだ。牛馬と比較してすごくきつい。これは餌のせいらしい。つまり豚・鶏ともに雑食性動物、したがって草食動物の牛馬よりも臭くなるらしい。とくに臭いのは鶏の糞だ。乾燥しておらず湿っている場合などは強烈である。穀物や動物性の澱粉・蛋白質の飼料が与えられるかららしい。もう一つ問題となるのは豚や鶏の騒音だ。とくに豚は腹が減ると騒ぎだす。
 これらは一種の公害だ。
 しかし、その代わりに鶏糞、豚糞ともに肥料としての効果はきわめて強く、牛馬糞より即効性がある。とくに鶏糞の肥効は高く、即効性の有機質肥料として貴重なものである。豚糞も牛糞より肥効が高いらしい。
 しかも鶏や豚の身体は小さいので1~2頭・羽飼いならその出す糞の量は大家畜のように多くないからそれほど臭わない。何とか我慢できる。
 また農村部ではどこの家でも家畜を飼っていたのでお互いさまである。町場の人もそれが普通、この家畜のおかげで農作物が食べられるのだ、少々の臭いや騒音は我慢するのが当たり前だと思っていた。
 だから誰も迷惑だなどと考えず、ましてや公害だなどと認識していなかった。家畜は役畜・用畜・糞畜として人間が生きていくうえで不可欠のものとしてかつてはみんな認識していた(註2)。そして都市農村問わず家畜と接していた。だから家畜の糞尿は厄介者どころか貴重品であると認識されていた。しかも少頭数飼育である。だから家畜糞尿それ自体、それに付随する悪臭・害虫発生等々は迷惑だとは思いつつも「公害」とは認識されなかった。
 1960年代になると、路上での牛馬の糞尿問題は消滅した。自動車の普及が進み、農業の機械化が進んだために役畜としての馬は姿を消し、牛は役畜としてではなく肉や乳など食用を主目的としてつまり用畜として飼育されるようになったために、道路を歩く牛馬の姿は見られなくなり、それとともに糞尿が路上に落ちてるなどということがなくなったからである。

 なお、この路上糞尿は法律で禁止されているのか、それで減ったのかと畜産研究者のKT君に聞いたら、道路交通法では牛馬車や牛馬そりは軽車両で、糞尿を垂れ流しても道交法違反にならない(犬ぞりも軽車両、しかし犬の糞はだめらしい)、ただし条例によって禁止または規制されているところがあるとのことである。とするとやはり役畜としての牛馬がいなくなったことが原因となって路上糞尿という公害がまったくなくなったということができよう。

 しかし、かわりに自動車の排気ガスが撒き散らかされるという深刻な公害問題が起き、さらにこれまで考えもしなかつた新たな畜産公害が大きな問題として登場するようになった。
 この畜産公害には家畜が糞畜として飼育されなくなったこと、多頭化の進展と飼料の輸入に大きな原因があった。

(註)
1.12年5月18日掲載・本稿第四部「☆戦前戦後の大八車、牛馬車」参照
2.11年3月11日掲載・本稿第一部「☆「循環型」だった農業」(1~3段落)参照
3.1~2羽を庭などで放し飼いをする庭先養鶏の場合は庭先に糞尿することになるが。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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