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ハトポッポとドバト



               家畜の飼育と私たちの暮らし(24)

                 ☆ハトポッポとドバト

 私にとってのハトはまず歌だった。あまりなじみのない鳥だったのだが、国民学校(小学校)一年の音楽の教科書『ウタノホン』に『ハトポッポ』の歌が載っており、それを歌わされたからである。
   「ポッポッポ ハトポッポ
    マメガホシイカ ソラヤルゾ
    ミンナデイッシヨニ タベニコイ」
 といっても、歌自体は学校に入る前から知っていた。そもそもこの歌は明治から小学校の音楽の教科書に載っていたとのこと(註1)、まわりの大人も子どももみんながよく歌っていたからである。
 そればかりでなく、ハトは大正から昭和の初めのころ、私の両親が小学生のころの1年の国語の教科書にも載っていた。しかもトップの頁にである。私が子どものころ生家の籾戸のなかで見つけた国語の教科書(父か叔父たちのいずれかが使ったのだろう)は次の字から始まっていたのである。
   「ハナ ハト マメ マス」(註2)
 ところで、なぜ国語の教科書がこの言葉から始まるのか、もっとも重要な一番最初の字がなぜこの字なのか、私たちの使った新しい教科書とはまるっきり違うがどうしてなのか、子どものころから疑問だった。
  「ハナ」は子どもたちも好き、だからこれを最初に出すのはわかるが、次になぜ「ハト」が出てくるのか、これがよくわからない。
 その後の「マメ」、これはハトとのかかわりで出したのだろう。ハトに子どもたちがマメをやる挿絵が教科書のその頁にあるからである。
 しかし、子どものころ私たちはハトにマメをやったことはなかった。絵本などでマメをやっている絵を見ていたのでそうした地域もあるのだろうとは思っていた。しかし私がそれを体験したのは後に述べるように戦後かなり経ってから、だから当時は不思議に思って見たものだった。私にとってハトは他の鳥と同じく田畑の豆類・野菜・稲などの実を食べる悪い鳥だったし、マメは私たちの大事な食料、それをハトに食わせるほどのゆとりをみんな持っていなかったからである。だから私たちの音楽の教科書の「マメガホシイカ ソラヤルゾ」もよくわからなかった。このような疑問を持たせるハトを教科書のトップに出し、しかもそのごちそうとしてのマメを載せるというのがわからなかった。
 もちろん、マメは重要な作物なので、これを最初に出してその字を子どもに教えると言うことは考えられる。しかし、そうした視点で言うなら、コメの方がもっと重要な作物であり、マメのかわりにコメの字を出して教えてしかるべきである。
 次に出てくる「マス」、昔はどこの家にもあった重要な計量器であり、マメの量を量るのにも用いるからここでその字を教えることにしたのだろうが、それならやはりマメはコメでもいいはずである。コメもマスで量ったからである。にもかかわらずなぜマメなのか。
 ともかくなぜハナハトマメマスだったのか私にはわからない。先生方の中にも疑問をもっていた人もいたのではなかろうか。一体当時の文部省はどう教えるように先生を指導したのだろうか、非常に不思議に思う。
 これに対して、私たちのつまり国民学校一年の国語の教科書『ヨミカタ』の最初は前にも述べたように「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」だった(註3)が、これはよくわかる。
 後で教えなければならない「アイウエオ」の最初のアを出し、その次の文字のイ、ア行の隣のカ、サを出す、初めて習う言葉として教え方としてこれは論理的である。また日の丸とのかかわりで赤と朝日を一番最初に出す、これは当時の日本の軍国主義教育という面からなのだが、その善し悪しは別にして、ともかく筋が通っている。
 しかし、「ハナ ハト マメ」は言葉としても文としても論理的ではない。
 こんな風に評価したのだが、ふと気が付いたことがある。ハナ ハト マメ マスの字はすべて二画だということである。書きやすいし、覚えやすい。こういう簡単な字から入って複雑な字を教えていく。こういう教育的配慮があったのではなかろうか。早く字が読めるようになり、書けるようになる、こういう文字の読み書き能力をいかに高めるかという視点から教科書がつくられた、こう考えるべきではなかろうか。
 これに対して「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」は文章から入る。字を覚えるのはもちろんだが、単に識字力(読み書き力)をつけるだけでなく、文章力、日本語力をつけさせる。こういうように変わったのではなかろうか(註4)。
 つまらない疑問で話を変な方向に持って行き、教育学者でもないのに教科書評価論を書いてしまったが、ハトにとってはこうして教科書に載せてもらってよかったろう。ハトは人懐っこい、優しいというイメージを定着させたからである。野良バトのなかには子どもから豆をもらって得をしたものもいるかもしれない。

 やがて私たちは、ハトは通信手段、いわゆる伝書鳩として使われる、それどころか戦争で大活躍するすごい鳥である、これは新聞、ラジオやさまざまな本で、また授業で知らされることになる。ハトには方角を知る能力、帰巣本能がある、それでそれを利用して伝言を書いた紙などをハトの脚に結び付けて遠隔地から届けさせるのだというのである。今のように情報通信技術の発展していない時代、これは私たち子どもにとってすごいことだった。しかもこの伝書鳩が軍事通信用として戦場の最前線でも使われているということは軍国少年だった私たちにとっては尊敬に値することだった。
 近所にこのハトを十数羽飼育している人がおり、軍用として高く売った、迷子になった伝書鳩がときどき迷い込んで来るので羽数が増えるのだそうだなどという話を聞いたことがあるが、私の生家はもちろん近隣の農家は全然飼育していかった。牛や山羊、ウサギ、鶏だけで手がいっぱいだったからだろう。だから私には生家の裏の寺の木々で「デデッポッポウ」と鳴くキジバト(=ヤマバト、野生のハト)の方が伝書鳩などの飼いバト(=カワラバト)よりも親しみをもっていた。

 戦後、いうまでもなく軍用鳩の需要はなくなった。しかも自分の食糧すら手に入れられない時代、ハトを飼育しているような状況ではなくなってきた。
 そのころ私たち子どもの間でハトの肉は食べられる、捕まえて食べたらうまかったそうだという噂がとんだ。ウッソーである。私などは信じなかった。それまで食べるなどという話は聞いたことがないし、食べられるとは考えもしなかった。食べたとしても飢餓の時代だからやむを得ずなのだろうなどと私は考えていた。伝書鳩を飼っている人たちが食べたという話も聞いたこともなかった。
 大人になってからである、中国やフランスでは普通に食べている、食用として飼育している国もあると聞いたのは。これには驚いたが、ハトは食用でも飼育されたのであり、用畜だったのである。
 しかし、洋物好きの日本人もこれは今も真似していない。これはさきほど述べたつくられた鳩のイメージからもきており、用畜としてのハトの飼育は日本にはなかったと言っていいのではなかろうか。
 だから戦後の食糧難の時期も食用にしたために羽数が減ったとかはなかったのではなかろうか。逆に、食用にするために羽数が増えたということもなかったろうが。

 もう一つ、ヨーロッパのことでいえば、ハトは愛玩用としても飼育されてきた。色や姿形を楽しんできたとのことである。しかしわが国ではこうした目的での飼育はそんなになく、それとの関わりでハトの数が減らないとか増えるとかはなかったようである。

 にもかかわらず、戦後、飼いバトはそれほど減らなかった。通信手段の乏しい時代、やはり伝書鳩は欠かせなかったからである。とくに報道機関などにハトは不可欠だった。一刻も早く記事やフィルムを届けるための重要な通信手段としてハトを利用したのである。新聞社の屋上に鳩舎がおかれ何百羽も飼われていたなどという話を聞いたこともある。そしてそれがハトを生き延びさせた。
 もう一方で、ハトは平和のシンボルとされるようになり、またスポーツ大会やさまざまな記念行事のとき主催者がそれを祝って多くのハトを放すイベントをやるようになった。こうして一斉に放たれて群れ飛ぶ姿、また手品の道具として使われるハトの姿は、多くの人々を楽しませ、戦後の平和を実感させたものだった。それでハトのイメージはさらに高まった。そして戦後の混乱がおさまるころから徐々に飼育が増えるようになり、それに対応して鳩レース(遠距離の地からハトを放し、飼い主の所に帰るまでの速さを競い合う)が全国規模で開催されるようになった。
 こうしたなかで六〇年代後半には若者層を中心に鳩ブームが巻き起こった。レース鳩としてハトを飼育するようになったのである。しかもレースに出して入賞すると金にもなった。勝ったハトは二倍三倍の高値で売れるのである。それがまた飼育熱を高めた。通信手段が発達し、もはや伝書鳩の時代ではなくなってきたのに、レース鳩としての飼育ブームが起きたのである。
 私の家の近くでも屋根の上にあるいは庭先につくられたハト小屋がたくさん見られるようになり、小学生から大人まで、飼育に夢中になっていた。運動のためか訓練のためかときどき放たれて飛ぶハトの群れがよく空を舞っていたものだった。
 しかしそのころからハトは嫌われるようにもなってきた。

 増えてきた飼いバトのなかに迷子になるものが現れ、またブームの衰退により一部の飼いバトは飼育が放棄され、それらのハトが神社仏閣や公園などに群れるようになってきた。つまり「野良バト」が増えてきたのである。
 ところでこの野良バトという言葉は同じように飼育が放棄された犬猫を野良犬、野良猫と呼んでいるので使ってみたのだが、正式には「ドバト」と呼ばれているとのことである(なお、今まで言ってきたハト=飼いバトは正式にはカワラバト種である、それから仙台ではドバトのことを「のっつぉ」と呼んでいるらしい)。ただ一般的にはハトと呼ばれているので特に区別する必要のないかぎりそう呼ぶことにする。
 いうまでもなくこうした野良バト=ドバトは今まで人に餌をもらっていたものだから、餌をくれと寄ってくる。他の小鳥のように人を恐れないので愛らしい。それでドバトに自分の家から餌をもってきて与える人も現れるようになった。公園に遊びにきた子どもたちも餌をやりたがる。それを狙って餌を売る人も出てきた。子どもたちはそれを買って喜んで餌をやる。お年寄りも、若い男女二人もそうする。ますますドバトは集まってくる。苦労しないで餌がもらえる、ドバトにとってはこんないいことはないからだ。
 私の勤務先の近くでいえば県庁前の公園がその集合場所だった。
 しかもいいことに巣になる住居は周囲のビルのベランダや隙間にたくさんある。こういうところには外敵がいないから安心だ。たとえば私の勤務していた農学部の研究棟の非常用のベランダに巣をつくる。そして朝になると県庁前広場にご出勤である。公園の芝生をついばんでいると、みんなが可愛いいと餌を与えてくれる。栄養たっぷりで住宅に恵まれているのだから当然卵をたくさん産む。畜産の研究者に聞くと、ハトは人間に似て繁殖の季節性があまりなくほぼ年中発情しており (番いになると浮気をしないところが人間と違うところらしいが)、年に何回も産卵するのでどんどん増える。
 そこで問題となってきたのが糞公害だった。私どももその被害者だった。夏休みと冬休みの直前の2回、研究室の教職員学生みんなで大掃除をするとき、研究室(6階)の窓から外に出てベランダの掃除もするのだが、暗室や書庫など人のあまり出入りしない部屋のベランダの上につくった巣の下には山のように糞が貯まっている。その掃除が大変、臭い上になかなか取れない。しかも糞に含まれるさまざまな菌が人間にアレルギー等々大変な病気を引き起こすと同僚の畜産研究者は警告する。とにかく大迷惑だ。それを防ぐために、ネットを張ってハトが近寄れないようにするなどいろいろと苦労したものだった。
 いうまでもないが、私のところだけでなく市内のあちこちで糞公害が問題になってきた。鳩の住まいとなったマンションなどでは糞で窓が開けられないとか、洗濯物が汚されて干せなくなったとか、それに加えて鳴き声や羽音による騒音・安眠妨害なども問題になってきた。神社仏閣に住みついて糞で重要文化財などの建造物を汚し、それを防ぐために金網で覆って景観を悪くせざるを得なくなったりもしていた。駅構内では乗客の衣服が糞の投下で汚されたりもした。
 これは当然のことだった。何しろ人間が餌を与えて増やしたものが人間の家屋に居をかまえ、人間の領域で生活するものだからである。ツバメも家屋に巣をつくるが、餌は自分で空中で捕るなど活動領域は人間とツバメは異なるし、人間に迷惑をかけるのはほんの一時期、それも限られた場所、避けようとすれば避けられるので、その質は決定的に異なる。
 また、前に述べた糞尿公害ともその質を異にする。前の公害は飼育している家畜が問題を引き起こすのだから、飼育者の工夫努力で解決することができる。ところが今述べたドバトの場合、家畜だったものが家畜でなくなることにより、つまり野生化したことにより引き起こされた糞公害なので簡単には解決できない。しかもそれは人間の餌やり、住まいの供給で拍車をかけられており、これがさらに問題を複雑にする。
 こうしたなかでハト公害は社会問題にまで発展した。そして愛されたハトは害鳥、憎まれ鳥になってしまった。
 この根本原因はドバトが増えすぎたことによる。そしてそれは餌が豊富で、住まいが供給されていることによる。そこで各地で展開されたのが、餌やり・餌販売の禁止もしくは自粛であり、またドバトの巣作りの防止だった。これはかなりの効果をあげ、一時期のような深刻な問題ではなくなってきたが、完全な解決にはいたっていない。

 このような家畜の逃亡や飼い主の飼育放棄、野生化、その結果として引き起こされるさまざまな問題のうちの糞尿公害については野良犬、野良ネコを例にして前に述べたところでもあるが(註5)、家畜の野生化の引き起こすさらに大きな問題は自然生態系のかく乱だった。
 それを次に見ていきたいが、そのためにはそもそも家畜とは何で、その野生化とはどういうことなのか、また野生動物とは何なのかをはっきりしておく必要があるので、次回はそこから論議を始め、家畜と野生動物の関連について話を展開することにしたい。

(註)
1.作詞不詳 作曲不詳 『尋常小学唱歌』第一学年用 1911(明44)年初出
2.正確に言えば、1頁目にハナ、2頁目がハト マメ マスだったのだが、一般的にその年代の教科書はハナハトマメ教科書と総称されているので、いっしょにしてここでは取り扱う。なお、いうまでもないこととは思うが、戦前はまずカタカナから習った。
3.1941(昭16)年改訂教科書。
  11年2月9日掲載・本稿第一部「☆国民学校、そして疎開」(1段落)参照
4.この考え方は私たちより前の1932(昭7)年改訂教科書から採用されたのではなかろうか。この改訂国語教科書の一番最初の「サイタ サイタ サクラガ サイタ」も同じく文から始まるからである。教育方針はそのころ変更されたのだろう。
5.12年8月1日掲載・本稿第四部「☆猫の堕落、糞害、ペットフード」(4段落)参照

(追記)
 この記事を読んだAH君(高校・大学と私の同期で医師をしており、先月30日掲載の本稿記事にも登場してもらった)からメールがあり、彼は小学生の頃空気銃と仕掛けで鳩を捕まえて焼き鳥にして食べていたという。初めて聞いたが、今度会ったとき、何と野蛮なと冷やかしながら、どんな仕掛けで捕まえたか、だれがさばいたか、どんな味だったか、聞いてみようと思っている。
 また、彼の患者にクリプトコッカス症という重症患者がおり、それは鳩の糞にいるカビが空中に舞い上がりそれを吸うとヒトの脳が侵される病気とのこと、難病で、副作用の強い点滴で3カ月も治療が必要だったとのことである。それで思い出した、かつて同僚の畜産研究者から注意されたのは、その病気だった。皆さんにもぜひ気を付けていただきたい。


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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