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ノウサギ、因幡の白兎



                家畜と野生動物(3)

               ☆ノウサギ、因幡の白兎

 戦前も戦後も、最近の大震災の後も多くの人が口ずさんだ歌『故郷』(註1)、私も大好きだった。もちろん今も好きである。ただし、この歌詞に描かれている故郷は私の子どものころの故郷とちょっと違っている。
 まず歌の冒頭の「兎追いし かの山」だが、私の故郷ではウサギを追うなどということはなかった。家で飼っているウサギが逃げ出したのを追いかけたことはあるが、何しろ遅くて子どもでも簡単に捕まえることができ、とくに印象に残るようなものではなく、故郷を思い起こさせるようなものでもないのである。
 そもそも「かの山」の山は近くになく、つまりウサギを追えるような山はなく、住んでいるところは平地、私の生家の北側半分は家々が密集し、南側半分は一面の田畑だった。だからまた、ウサギなどおらず、野生動物と言えば野ネズミ、モグラ、イタチ、フクロウ、スズメ、カラスくらいなもの、追って捕まえる対象にはならず、狩猟は遊びとならなかった(註2)。もちろん、追って捕まえようとした動物はある。チョウチョウやセミ、バッタなどがそうだが、ウサギやコブナと同じように人間が食べられるもので捕まえたものといえばイナゴだった。これは遊びでもあり、仕事でもあった(註3)。
  「小鮒釣りし かの川」、これは二、三度しか体験していない。川と言えば田んぼのなかを流れる本当に小さな川で、釣りをするような川はなく、捕ろうとすれば網ですくって捕ったものだし(註4)、それもコブナはめったに捕れないのでドジョウを捕るのが主目的であった。
 したがって私の故郷ということでいえば、あの歌の最初の歌詞は次のようになる。
   「イナゴ追いし かの田んぼ
    ドジョウ捕りし かの川」
 だけど、その後半の歌詞はそのままぴったりだ。
   「夢は今も めぐりて
    忘れがたき 故郷」
 私の故郷の田畑はすべて宅地化してかつての故郷の景色はもはや私が見る夢の中にしかなくなっているからである。

 それはそれとしてこの歌のウサギの話に戻るが、子どもがウサギを追うということが私にはよくわからなかった。猟師がウサギを捕まえる、これは本などで見て知っているが、そんなに簡単に子どもが捕まえられるわけはない。たまたま見つけて追いかけただけのことを歌っているのではないか。だから「ウサギ追いし」は遊びではなかったのかもしれない。山で見かけて追いかけたことがあるという程度なのだろう、こう考えていた。
 ところがである、子どものころ捕まえて食べたものだという話をつい最近聞いた。前に登場してもらった仙台の居酒屋の亭主Aさん(註5)からである。

 仙台駅の西口に降り立つと真正面に小高い丘(青葉山)があり、そこに仙台城址がある。その左手に八木山という丘陵があるが、その南側の麓の道路脇に並ぶ住宅街(註6)で育ったAさん、子どものころ(50年代)よくその山に行って遊んだと言う。その遊びの一つにウサギ捕りがあった。
 冬、雪のある山に近所の遊び仲間数人と針金を持って遊びに行く。雪の上にウサギの足跡がついているのを見つける。その跡をおっかけて行くとブナの木などのウロにつくった巣がみつかり、そこからウサギがよく行き来する通り道がわかる。その通り道に罠をしかける。まずその道の両脇に生えている木の枝二本を下の方に折り曲げ、その先端を罠にする針金で結んで輪っかをつくり、通り道のところに仕掛けておく。そこをウサギが通ると、枝が跳ね上って針金がウサギの首もしくは胴体を締め付け、捕まるようにしているのだそうである(うまく説明できないが)。
 翌日行ってみる。うまく罠にはまっていれば、そこから外して早速それをみんなでさばく。毛皮と肉が離れやすく、子どもでも簡単にナイフで毛皮がむけるのだそうである(なお、中学の理科の解剖実験の対象はウサギだったと言う、慣れているものだから簡単にやれたそうだが、私たちの場合はカエルだった)。
 こうしてむいたウサギの肉はみんなで分ける。一応平等だそうだが、やはり指揮者のガキ大将が若干多い。それをみんなそれぞれ家に持って帰る。するとお母さんがカレーライスをつくってその肉を入れてくれたという。肉などお金がなくて買えない時代、非常に貴重な稼ぎだった。なお、肉は脂身が少なく、さっぱりしていて鶏肉と似ているのだそうだ。前にあまりうまくないらしいという話(註7) をしたが、そうでもなさそうである。
 なお、毛皮は着物の洗濯のさいに使う張り板にぴんと伸ばして張りつけて乾かす。完全に乾いたころ、近くの店に持って行って売る。それを買ってくれる店はたくさんあった。このお金もみんなで分け、小遣いにしたという。
 こうしてけっこう捕まえたものだったが、夏はあまり捕まえられない。足跡や通り道が藪になっていてよくわからないので罠が仕掛けられないし、見つけて追いかけても簡単に捕まらないのだそうである。それでもたまに見つけると皆で追い掛け、捕まえたこともあるという。まさに「兎追いし かの山」だったわけだ。
 ときどきは罠にテンやイタチがかかっていたりすることがある、テンは凶暴で罠から外すのが大変だった、ただしその毛皮は金になった、罠にかかったウサギがテンやイタチに食われてしまっていることもあり、そのときはがっかりしたものだ、Aさんはこんな話もしてくれた。
 このように罠を仕掛けてあるいは追いかけて捕まえること、これは子どもたちにとっては遊びだった。ウサギは子どもたちの遊びの対象だったわけである。
 同時にウサギは狩猟の対象だった。そして食糧を手に入れ、小遣いを自分で稼ぎ、親の手助けをした。ウサギ追いは子どもたちの手伝い、労働であり、また自然の勉強でもあった。それで生きる知恵を得たのである。
 なお、ノウサギは畑作物を食べたり、植林地の幼木や木の枝や樹皮を食べたりする等の食害を与えるので害獣、食害防止という点でも子どもたちの遊びは手伝いになったと言えよう。

 このようにまさに「兎追いし かの山」の故郷はあった。私はあの歌詞は作詞者の単なる言葉の遊びかと思っていたのだがそうではなかった。しかも郊外とはいえAさんの家は仙台の町の中、町の子どもたちがウサギを追って遊んでいたのであり、いかに自然に恵まれていたか、自然を遊び道具にしていたかがわかる。
 しかし、Aさんたちの遊んだこの八木山、高度経済成長期に切り崩され、裸にされて今は一面住宅地になっている。まさに町の中になり、「兎追いし あの山」はAさんたちの夢の中でめぐるしかなくなってしまった。

 でもこれは都市近郊の特殊性、農山村では山は残っているので今も子どもたちはウサギを追って遊んでいるかもしれない。しかし農山村には子どもたちがいなくなっている。「あの山」を故郷と思う人たちがいなくなっている。つまり『故郷』の歌が自分の故郷の歌ではない人たちが多数派になっている。そうなると『故郷』の歌はやがて歌われなくなるのだろうか。

 話は変わるが、私が小さいころ不思議に思っていたことがある。ウサギの毛が夏になると茶色になり、冬になると白色になるとよく本に書いてあることである。しかもそのウサギの目は赤くなくて黒い。だけど、家で飼っているウサギは夏も白で一年中変わらないし、目は赤い。どうしてなのだろうか。家で飼っているためにキツネやワシなどに襲われることはないので夏は保護色の茶色に変える必要はない、それで一年中白のままでいるのかなどと最初は思っていた。
 いつごろ何でだったろうか、それがそうではないことを知った。家で飼っているのはイエウサギ(カイウサギとも呼ばれる)と言うものであり、色が変わるのは野生種のノウサギだった。つまり種類が違ったのである。
 さらに正確にいえばノウサギは「ニホンノウサギ」という日本の固有種であり、これに対し私たちが飼育していたイエウサギは明治に輸入されたもので、アナウサギが先祖であり、突然変異で色素をなくした全身白色のウサギ(しかも目の赤い)を交配させて固定した「日本白色種」という品種のウサギなのだそうである。
 これで一応納得したのだがまた疑問が出てきた。それでは『因幡の白兎』の神話に出てくる白いウサギは何ものなのか、目は黒かったのか、赤かったのかと。
 因幡の白兎は隠岐の島に住んでいたわけだが、もしかすると隠岐の島のウサギは本州にいるノウサギと違って白色種だったのではなかろうか。そこで調べて見たら、隠岐の島にはオキノウサギという独自の種がいるという。しかしそれはニホンノウサギの亜種、やはり目は黒、冬にしか毛は白くならない。
 そうすると、神話に出てくるシロウサギはたまたま先天的な色素欠乏だっただけなのか。あるいはワニザメを騙した時期がたまたま寒い季節だったために毛が白くなっていたのか。この後者がもっとも考えられることだろう。
 しかし、昔から日本のウサギは白くて目が赤いものだと子どもの頃考えていた私、これではちょっとがっかりである。それでも、白ウサギ=イエウサギは日本でつくられたもの、ま、これでいいとするか。

 ところで、オキノウサギという亜種があると今言ったが、それ以外にキュウシュウノウサギ、サドノウサギ、さらにトウホクノウサギがあるとのこと、つまりニホンノウサギには四つの亜種があるとのことである。Aさんたちが子どもの頃捕まえたのは「トウホクノウサギ」だったということになる。
 このニホンノウサギ以外に、北海道にはエゾユキウサギ、エゾナキウサギ、奄美大島と徳之島にはアマミノクロウサギという種がいるとのこと、こんなに多様な種が日本にいるとは思わなかった。
 このうち有名なのはアマミノクロウサギ、島に人間が持ち込んだイヌ、ネコ、マングースによる捕食と開発による生息域の破壊で生息数が減少し、今は特別天然記念物、国内希少野生動植物種に指定されている。
 またニホンノウサギではサドノウサギが準絶滅危惧種に指定されているとのことだが、他の亜種も地域により絶滅が危惧されているとか、トウホクノウサギは大丈夫なのかちょっと心配になる。

 ノウサギは害獣ではあっても、イタチ、キツネなどの肉食獣や絶滅の恐れのあるイヌワシやオオタカなどの猛禽類の餌となるなどして生態系の中で重要な役割を担っているとのこと、やはりその保存を図っていくことが必要であろう。
 そして「兎追いし かの山」を、自然豊かな故郷を、子孫に残していく必要があるのではなかろうか。

(追記)
 この草稿を書きあげた翌日(一昨日)から2日間、「遠野物語」で有名な岩手県遠野市に行ってきた。中国農業研究の第一人者として活躍している東京在住の研究者IA君の奥さんA子さんの実家が遠野にあり、そこに招待されたのである。本当にしばらくぶりの遠野、いろいろとなつかしく案内していただいたが、そのさいA子さんの友人Yさんとそのお兄さんとお会いして幼いころ(60年代)の遠野のいろいろな話を聞かせていただいた。そこで子どものウサギ捕りの話が出てきた。そしたら何と、さきほど書いた仙台のAさんの話に出てきたわなとほぼおなじもので子どもたちがウサギを捕まえたものだとのことだった。やはりさっぱりしてうまい肉だったという。また、学校行事として生徒たち全員が出て兎狩りをしているところもあったとの話だった。山の上の方からみんなでウサギを追い、下で網をもって待ち受け、捕まえるのだそうである。そのウサギをどう処理したのか、それはわからないとのことだった。その他いろいろな話を聞かせてもらったが、それについてはまた後でときどき触れさせていただきたい。

(註)
1.作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一 『尋常小学唱歌』6年 1914(大3)年
2.生家の庭でスズメ捕りを一度だけ試したが、下記の記事に書いたようにもちろん失敗だった。
  13年5月13日掲載・本稿第五部「☆渡り鳥、七草たたき、燕雀」(4段落)
3.10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(1段落)、
  13年5月16日掲載・第五部「☆コクゾウムシ、バッタ、セミ」(2段落)参照
4.10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(1段落)五九頁、
  11年5月16日掲載・本稿第二部「☆稲作発展の影にあったもの」(4段落)参照 
5.14年10月26日掲載・本稿第七部「☆戦後の養鶏と卵の記憶」(5段落)参照
6.何たる偶然、私の学生時代の一年半を過ごした寮はここにあった。
7.15年2月16日掲載・本稿第七部「☆競り市、羊・山羊・ウサギ」(9段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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