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キツネとタヌキの今昔



                 家畜と野生動物(5)

                ☆キツネとタヌキの今昔

 前々回の本稿の記事でミンクの養殖について述べたが、わが国にはキツネの養殖もあった。ミンクとほぼ同じ時期の明治に始まり、同じく北海道が中心で、東北でも毛皮をとるためにかなり飼育されたと言う。
 しかし、子どものころ(昭和初期)の私はキツネの毛皮など見たことがなかった。生家では誰も使っていなかったし、近隣でも見たことはなかった。もちろんまったく知らないわけではなく、キツネの襟巻きは知っていた。金縁のめがねをかけ、高級な和服を着た金持ちのオクサマがキツネの襟巻きをしてシャナリシャナリと歩く、あるいは高級なコートを着た紳士がキツネの襟巻きをして歩く、金持ちを皮肉ったこんな漫画や挿絵などで見ていたからである。日本ではキツネの襟巻は金持ちの象徴だった。といっても昔からそうだったわけではなさそうで、防寒のために山村や寒冷地では衣類として使っており、お金持ちがキツネの襟巻きなど毛皮を使うようになったのは明治以降日本の毛皮が外国に輸出されるようになってから、つまり外国人が毛皮を身に付けるのを真似しようとしてからのようである。
 実は、日本は明治期から戦後の一時期にかけてキツネ、タヌキ、イタチ、カワウソ、テン等の毛皮の輸出大国だった。キツネに関して言うと北海道、東北産のものが良質とされ、さかんに輸出されたという。自然豊かな発展途上国は最初は大体どこでも欧米をはじめとする先進資本主義国に毛皮を供給する役目を果たすのであるが、明治の日本もそうだったようである。まさに狩猟は外貨稼ぎに大いに役立ったわけだが、狩猟では捕獲量に限界があり、乱獲問題もある(ニホンカワウソの絶滅などはその典型例だ)。それで外国の養殖に学んで日本でも始めることになった。キツネ、タヌキ、イタチなどの養殖も始めたが、キツネがもっとも飼育しやすいということでその養殖が盛んになったらしい。なお、キツネの養殖にさいしてはより高価な毛皮のとれる銀狐などの外来種・交配種をカナダなどから輸入、増殖して飼育したとのことである。つまりキツネは家畜化したのである。
 しかし網走ではキツネ飼育の話はまったく聞かなかった。また、東北でも見たことがない。1970年ころまでは毛皮が盛んに輸出されていたのにである。
 タヌキなどは世界の市場で大きな割合を占めていたらしい。筆先などにタヌキの毛が使われることは知っていたが、その毛皮にそんなに人気があったとはまったく知らなかった。毛皮など縁がなく、まったく関心をもっていなかったからであるが、私の不勉強でもあった。
 もちろん今は飼育されていない。ミンクのところで述べたように、80年代以降外国から安く輸入されるようになったからである。今キツネをはじめとする毛皮はほとんど外国からの輸入で、とくに中国からの輸入が多いとのことである。発展途上国が毛皮の輸出国になるという法則性は今も貫いているのだろう。

 そこでまた心配になってきた。養殖中に逃げ出したり、飼育中止にともない放置されたりした外来種のキツネが山野に入り、日本のキツネ(ホンドギツネ、キタキツネ)と交雑したり、生態系を乱したりしていないかということである。
 早速例のKT君に聞いたら、ホンドギツネもキタキツネもアカギツネの亜種(地方種)であり、養殖キツネも同じアカギツネ種、当然交雑はしているだろうとのことである。
 そうすると、私が何回か網走周辺のあちこちで見かけた野生のキタキツネは純粋なキタキツネなのか交雑種だったのか疑問になる。しかし、尻尾の先が白かったことからして純粋のキタキツネだったのだろうと思っている(というより、思いたいのだが)。

 ところで、毛皮をとった後の肉はどうしたのだろうか。食べたのだろうか。
 『かちかち山』にタヌキ汁の話が出ており、『あんたがたどこさ』ではタヌキを「鉄砲でうってさ にてさ やいてさ くってさ」とあるから食べていたのだろうと思うが、キツネの肉を食べるという話は聞いたことがない。キツネを飼っているところに行くと独特のいやな臭いがするが、そのせいであまり食べないのではなかろうか。などと考えていたら、タヌキの肉も臭みが強いそうでいろいろ工夫しないと食べられないらしい。キツネもタヌキもイノシシなどのように喜んで食べられることはなかったようである。
 何度となく農山村調査に行きながら、そういうことを聞いたことがなかった。そもそも私たちの研究対象ではなく、調査項目に入っていなかったのだからしかたがないが、そうしたさまざまな話を聞いてメモしておけばよかったと後悔している。ということで、つい最近岩手県の遠野に行ったとき農家の方に聞いてみた(註1)。そしたらキツネの肉はなぜか知らないが食べたことはない、タヌキの肉は癖があってまずく、アナグマは癖がないが、ともにジンギスカンにして食べたとのことだった。当然毛皮は襦袢や襟巻きなどに利用したという。

 こんな話は町場近くに育った子どもの私たちは知らなかったが、キツネとタヌキはなじみ深かった。本や話でよく聞いていたからである。
 タヌキなどは『證誠寺の狸囃し』、『あんたがたどこさ』、さらには「たんたんたぬきの キンタマは」で歌われている。ここでちょっと不思議になった、キツネの歌は聞いた覚えも歌った覚えもないのである。
 いずれにせよ私たちはキツネはずる賢い、こわい、タヌキはひょうきん者、 愛嬌があるというイメージをもっている。もちろんキツネやタヌキは人を化かすということは人の口や本等からよく知っている。
 ただし、私の場合、生家の近くで聞くのはキツネから化かされたという話だけ、タヌキに化かされたとか会ったという話は聞いたことがない。どうしてなのかわからない。もしかして、生家の周辺にはタヌキはあまりおらず、キツネがかなり棲息していたことを示しているのだろうか(註2)。

 祖父がこんな話をしたことがある。
 夜中に近くの野道を歩いていると誰かが後をつけてくる。誰だろうと思って後ろを振り返ると誰もいない。後ろの足音もぴたりと止まっている。それでまた歩き始める、するとまたヒタヒタヒタヒタと足音が聞こえてくる。自分の足音に合わせているようだ。また立ち止まって後ろをみる、足音はピタリとやみ、他の物音も一切なく、まさに静寂そのものである。提灯で照らしてみるが、何と言っても暗い光、よく見えないが、だれもいそうもない。一体何だろうと思いながらまた歩き始める。やはり誰かがついてくる、また振り返って見ても闇が広がるだけ、だんだん怖くなってくる。とうとうたまらなくなり、大きな叫び声を出して町の灯をめがけて走り出す。ようやく家に到着、それでこの話をすると、それはキツネに化かされたのだとみんなに笑われたものだという。
 しかし、と祖父はいう。あれはキツネがだましているわけではない。キツネが歩くとき足音は立てないが、尻尾をときどきひきずるので地面に尻尾が軽くぶつかり、音がする。それが、暗い道でこわいこわいと思っている人間には足音に聞こえる。それで人間が止まると、当然のことながらキツネも止まる、細い一本道、わきをすり抜けて先に立つわけにもいかないからだ。また人間が歩き始める、当然自分も歩き出す。同じ方向に行こうと思っているのだから当然のことだ。また人間が止まる、キツネもまた止まる。その繰り返しのうちに人間はお化けだと思って逃げ出す。こういうことなのだからキツネが悪いわけではない、人間の怖いと思う心が悪いのだと。その後に祖父が付け加える、とはいってももしかして本当にキツネが人間にいたずらしているのかもしれないが、こう言って笑ったものだった。

 もちろん私の生まれた頃はキツネを近くで見たなどと言う話はもう聞かなくなっていた。明治以降、県庁所在地となって以降の山形の市街地の拡張が進められていたからである(もちろん戦後の高度経済成長以降の開発とは比較にならないが)。
 しかし近くの山、村山盆地を取り巻く山々にはキツネがたくさんいたようである。山形市の西部に白鷹丘陵が連なっているが、その中腹の集落に嫁いでいる私の祖母の妹からこんな話を聞いたことがある。冬の夜中、毎晩のように近くの山の頂きからギャオーー ギャオーーというキツネの遠吠えが響き渡ると。キツネはコンコンではないのかと言ったら、笑いながら、あのギャオーが遠くで聞くとコーンと聞こえるのだ、それでキツネはコンコンとなったのだろうという。なるほどと納得したものだった。
 この話を聞いたのはもう何十年も前のこと、今こうしたキツネの子孫はどうなっているだろうか。今でもあの西の山でひっそりと生きているだろうか。まさかオオカミみたいに絶滅したなどと言うことがないことを願うのだが。

 ところで、このようにキツネの話はいろいろ聞いたが、タヌキの話は聞いたことがない(註3)。近くにいなかったのだろうか。私の知識が足りないだけなのだろうか。どうもよくわからない。きっと山形周辺の山々にもおり、私が聞いていないだけなのだろう。
 高度経済成長期の仙台で、町のど真ん中にタヌキが出没する、餌をもらいに庭に来る、棲みついたなどという話を聞いているからだ。仙台の西には低い山々があり(註4)、そこに数多くの鳥獣が棲んでおり、ときどきそれが町のなかに出没するのである。とくにそこの開発の進展で住処と餌を失った鳥獣が町にそれを求めて出てくるようだが、きっとタヌキもそれで出没するのだろう。
 それにしてはキツネが町に出没するという話は聞いたことがない。でもキツネは仙台の西の山々にいることはいるという。だけどあまり姿を見せないらしい。タヌキは平気で人間の前に姿を現し、人間社会の近くに棲んで平気なのだが、キツネは人間にはなつかず、人間の住むところには近づかないのだそうである。キツネはタヌキに比べて誇り高く、まさにひとり高い境地に超然としている「孤高」の動物なのだだろう。

 知床に行ったときのことである。知床五湖からの帰り道、ウトロに車で向かう途中、遠くにいる前の車が突然スピードを緩めた。そしてのろのろ運転している。どうしたのだろうと近づいてみると、何とその車のわきをキタキツネが歩いているではないか。小学生だった孫は初めて見る、当然家内はスピードを落とし、孫はじっくり見ながら車の窓から写真を何枚も撮っていた。そのとき思い出した、さっき立ち寄った知床自然センターのなかに、キツネを始め動物に餌をやらないでくれと書いたチラシが貼ってあった。餌をやると人間は餌をくれるものと近くに寄って来るようになり、自動車事故を起こしたりするからだという。なるほど、こういうことか、餌を求めてキタキツネが道路を歩いているのだと納得した。
 その後も知床に行くと道端にキツネが出てきた。きっと観光客は喜んだことだろう。
 網走を去る年の秋、最後になるだろうから知床に行って見ようと家内とドライブした。いつもキタキツネと出会う道路を走っていたら、何とキツネが道路の真ん中で死んでいるではないか。交通事故である。きっと餌ねだりで道路に飛び出し、自動車にぶつかってしまったのだろう。いつも見るキツネだったのか、別のキツネだったかわからない。何ともいいようのない気持ちだった。

 「孤高」、これは「狐高」、つまり人間にべたつかない誇り高いキツネの生き様からきたのではないかとも考えてしまうのだが(もちろんそれは私の素人考え、孤と狐の字が似ていることからいうだけ、特別な根拠はない)、この狐の気高い精神が人間の差し出す餌の誘惑についつい負けて狂わされ、安易な道を選んで命を落としてしまう、人間が悪いのか、「孤高」の精神を忘れたキツネが悪いのか、現代のキツネは堕落したのか、わからない。私がキツネならキツネを怒るかもしれないが、人間としての私はやはり誘惑の手を差し伸べる人間を批判すべきなのだろう。

(註)
1.15年5月11日掲載・本稿第七部「☆ノウサギ、因幡の白兎」(追記)参照
2.13年5月1日掲載・本稿第五部「☆森に棲む野生哺乳動物と人間」(1段落)参照
3.キツネつきとかキツネを祀るとかの信仰がらみの話はよく聞くが、タヌキについては聞いたことがない、なぜなのか、これもよくわからない。少し考えてみたい、調べてみたいと思っている。
4.15年5月11日掲載・本稿第七部「☆ノウサギ、因幡の白兎」(3段落)参照
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コメント

[C63]

お祖父さんのキツネの話から新美南吉の世界がホントだったと確かめられました。
  • 2015-05-27 03:51
  • Shusaku Ito
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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