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最近の野生動物と人間



                 家畜と野生動物(6)

                ☆最近の野生動物と人間

 去年の初夏のこと、網走に在住しているかつての同僚WMさんから、前年に続いてまたもヒグマが街のなかに出没したとのメールがきた。
 ヒグマは、市街地の西端の住宅地で能取湖の方から歩いてくるところをまず目撃され、網走刑務所を見学した後その門前を流れる網走川にかかる鏡橋を渡り、そのさいヒグマが自分の顔を川に映したかどうかは不明だが(ちょっとこの説明を筆者からさせていただく、クマが渡った鏡橋は囚人が収容される時と出所する時に自分の顔を川に映したところと言われているが、クマもそれを知っていたかどうかというWMさんのギャグである)、その後押しボタンを押して手を挙げて横断歩道を渡り(これまた筆者註、仙台の街に出没するツキノワグマは横断歩道を手を上げて渡ると私が教えたことに対する網走・WMさんの対抗心?から言っていると思われる)(註1)、台町を通って(私が数年前に住んでいた町、私に敬意を表して通ったのかもしれない・筆者註)街に繰り出し、さらに天都山(流氷館があり、オホーツク海、知床半島、網走湖等を一望できる観光地・筆者註)を登るなどいろいろ見学してみたけど、餌は少ないし、夜はパトカーの赤色灯がチカチカ落ち着かないしで、結局海岸通りを通って棲み処と思われる能取湖の近くに帰っていったようだというのである。その間、小学校は臨時休校、警察官はたくさん出動、市役所の職員は夜の呼び出しに備えて酒も飲めず等々、大変だったそうである。
 これに対して私はこう返事をした。
 さすが網走、町の中心部でヒグマがお散歩とは、自然の豊かさを示すものと思ってがまんしよう。これを機会に狩猟免許をとって(女性に今流行りつつあるそうだ)いつも猟銃を持ち歩き、自分の身を護る(アメリカの真似、後をついて歩くのが何でも好きな日本、銃携帯も真似しよう)と同時にジビエで大儲けしよう、さらに野生動物の狩猟・飼育から流通・加工、食卓までの研究の第一人者となり、誰もやっていない「ジビエ経済学」を新たな学問体系として立ち上げよう。また東京農大オホーツクキャンパスで野生動物の狩猟、その処理、肉や毛皮の流通販売、料理等々を学び、実習する授業科目を新設し、単位をやることも考えていいのではないか、全国初の試み、大学の宣伝にもなるだろう。
 こんな冗談を書いたのだが、そうは言っても私にはジビエ=狩猟肉について語る資格はない。野生鳥獣を捕まえたこと、その肉を食べたことなど小さいころはまったくなかったし、その後も食べる機会はきわめて少なかったからである。
 前にも書いたが、私の生家のある地域は、森林の少ない平坦地帯であることに加えて都市近郊地帯であるため、狩猟対象となる野生動物はほとんどいなかったからである。
 もちろん、周辺の山間部の農林家の方が山菜等山の産物をかついでよく売りに来たが、野生鳥獣の肉や毛皮を売りに来たのを見たことはない。生家ではもちろん周辺の家でも毛皮の衣服や敷物等を見たことがないのできっと売りに来なかったのではなかろうか。肉などは日持ちもしないことから売りたいと思っても売るわけにはいかず、そもそも山の民の狩猟は基本的に自給用だったのではなかろうか。そういうことだからだろう、私の生家の地域では野生の鳥獣肉を食べる機会に恵まれなかった、こう考えられるのである。
 ましてやイノシシやシカの肉は食べられなかった。食肉が禁止された江戸時代でもイノシシの肉を「牡丹(ぼたん)」あるいは「山くじら」と称して、シカの肉は「紅葉(もみじ)」と呼んで食べたものだと言うのだが、イノシシもシカ(ホンシュウジカ)もそもそも山形県内には棲息していないので、食べたくとも食べられないのである。
 だから、イノシシは絵本などで、猪突猛進という言葉で知っているだけ、見たことがなかった。山奥に住んでいるのだろうと想像するだけである。シカも同じで、絵や写真、物語で知っている程度、動物園もないから直接見たこともない。ただ人間が餌をやっている奈良の写真などを見ると、ハトのように優しい動物なのだろうと想像するだけである。だからイノシシもシカもその肉が食べられるなど考えもしなかった。
 もちろんクマの肉を食べるなどということも知らなかった。ただしクマの毛皮と富山の薬売りが持ってくる「熊の胆(い)」は知っていた。クマから「い」(最初はクマの胃だと思っていた)を切り取る、皮をはぐわけだから、当然クマは殺されるだろうとは思っていたが、その後の肉を食べるなどとは考えもしなかった。「熊の胆(い)」はきわめて高価、それだけによく効くがすさまじく苦い(これで「良薬口に苦し」を実感したのだが)、さすがクマさんなどと思う程度だった。
 クマの肉が食べられるということを知ったのはいつだったろうか、高校のときの漢文の授業で、熊掌(ゆうしよう)という言葉が出てきて、これはクマの肉の中でも絶品なのだそうだなどという話を聞いたときにはクマ肉が食べられるということは知っていた。しかし一生食べることはないだろう、でもいつかは食べて見たいものだと思っていた。
 もう一つ、昔から食べたいと思っていたのはカモの肉である。『鴨とり権兵衛』の昔話に出て来るし、「鴨が葱を背負ってくる」、「カモネギ」の言葉もよく出てくるが、このことは鴨肉がかなりうまいものだということを示しているからである。にもかかわらず食べたことがなかった。カモを見たこともなかった。カモが生息するあるいは渡ってくるのに適する大きな川や沼が近くにないせいなのか、よくわからない。
 こうして野生動物の肉はずっと食べない、いや食べる機会に恵まれないで来たのだが、1980年代以降ようやく食べることができた。

 まずクマの肉だった。山形県南部の小国町のある集落の座談会に出席したとき、終了後の懇親会で熊鍋をごちそうしてくれたのである。一度こうなると続くもので、その3~4年後、前にも述べたが(註2)山形県北部の最上町の農家の青年OKさんからクマの肉をいただき、家で鍋にしてごちそうになった。少し硬かったけれどもうまかった。とくに脂身は何ともいえずおいしく、熊掌(ゆうしよう)もかくありなんと思ったものだった。
 それから鴨である。秋田県若美町(現男鹿市)の農家で八郎潟残存湖周辺での鴨撃ちを趣味にしているONさんが肉を送ってくれたので早速鴨鍋にしてごちそうになった。私にとっては念願がかなったわけだが、ONさん、毎年鴨撃ちをしているうちに右耳がよく聞こえなくなったとのこと、趣味もほどほどにしてもらいたいと奥さんは口説いていた。さらにその数年後つくばの試験場に勤めていた後輩のKK君も鴨撃ちの趣味があるとのことでわが家に送ってくれ、家内は二度目の鴨鍋つくりとなった。
 さらにエゾシカである。このことについても前に書いたので省略するが(註2)、いうまでもなくエゾシカは網走にきてからのことである。
 しかし網走で食べた鳥獣はこれだけ、さすがにヒグマは食べる機会がなかったし、トドも食べられなかった。
 それより気になるのは、ホンシュウジカとイノシシの肉はいまだに食べていないことである。
 でもそのうち食べる機会が出て来るかもしれない。足が短く雪が苦手なため、豪雪地帯には分布しないとされてきたイノシシも、前々節で述べたように宮城県北にまで足を延ばしてきているし、岩手、宮城の三陸沿岸の一部地域にのみ生息していたホンシュウジカは最近は青森県でも目撃されるようになったとのこと、やがて私たちも手に入れやすくなるかもしれないからである。それ以外の野生動物の出没も増えているので、それも食べる機会が出てくるかもしれない。
 しかし、それを喜んでいいのか悲しんでいいのか迷うところである。それは、自然生態系が変化しつつあることを意味し、農林業被害、人身被害など野生動物と人とのあつれきの拡大も意味しているからである。
 しかもその原因は地球温暖化による気象変動にあり、人間のゴミ放置や餌やりにあり、さらに過疎化の進展にある。それに追い打ちをかけているのが原発事故問題である。いうまでもなくそのいずれも人為的原因である。
 とすると、この問題は人間が解決しなければならないことになる。具体的には農林漁業を中心とする地域産業の振興により農山漁村の過疎化、農林地の荒廃に歯止めをかける、自然生態系に関する人間の理解を深める等々、さまざまな施策の展開と人々の取り組みが必要となろう。

 その昔、山村に住む人たち、近くに山のある地域の人たちは、子どもまで含めて、狩猟をしてきた。獲りすぎ等々いろいろ問題もあったが、狩猟は地域の生態系をまもり、また衣や食の文化をつくりあげてきた。ところが過疎化の進展、衣食住の生活様式の変化等々によって、その狩猟が今消滅しつつある。それが地域の生態系のバランスを崩し、地域の文化を消滅させている。そうなると、新たな時代に対応した狩猟の復活、さきほど述べたジビエ産業の導入、こうしたことも考える必要があるのではなかろうか。狩猟により森林・環境・生態系を保全して地域の農業や生活をまもると同時に、それで得た肉を処理・加工・販売し、外国の購入飼料や輸入肉に依存し過ぎている現在の食のあり方を変えながら、過疎からの脱却を図る一助にするのである。
 最近、狩猟に関心を示す若者が増えてきており、「狩りギャル」と呼ばれる若い女性の狩猟者も生まれているとのことだが、こうした動きをさらに推奨し、狩猟免許所持者の高齢化と減少に歯止めをかけると同時に日本の自然、農林漁業に関心を持ち、さらには農山漁村に住もうとする若者をつくっていくこと、そのための政策的な支援体制を構築していくことも考えていいのではなかろうか。

(註)
1.11年6月1日掲載・本稿第二部「☆開発の進展」(6段落)参照
2.13年5月1日掲載・本稿第五部「☆森に棲む野生哺乳動物と人間」(3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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