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キジバト、キジ、カラス



                家畜と野生動物(7)

               ☆キジバト、キジ、カラス

 わが家の庭にさまざまな鳥が飛んでくる。開発を免れている山林が近くにあり、古い神社やお寺の木々があり、川も近くにあり、しかもわが家が大きな通りに面しておらず、車もあまり通らない静かな住宅街にあるからなのだろう。
 数年前からではなかろうか、一羽のハトがあらわれるようになった。毎年春先になるとどこからか飛んできて庭のあちこちをゆっくり散歩しながら花壇など庭の土をつっついて何か食べている。とくに餌があるわけはないと思うのだが、草花の種とか動き始めた虫などを捕って食べているのかもしれない。私が庭に出るとあわてて飛んでいくが、またすぐ戻ってくる。30分くらい日向ぼっこをしながら(そんな風に見える)ゆっくり庭を散歩し、やがてどこかに飛んでいく。
 そのうち番いで来るようになった。独身から脱却したからなのか、前からのつれあいをここは安心だからと連れてくるようになったのかよくわからないが、仲良く庭を歩いたり、庭木の枝に留まったりしている。
 ふと気が付いた、家に来るハトはいつも見慣れていたハトと羽根の色がちょっと違う。つまり公園に集まったり、私のもと勤務先の研究棟に住みついていたハト(註1)のあの青っぽい派手派手の色ではなく、茶色のきわめて地味な色で、しかもちょっと小ぶりである。
 もしかするとこれは野生のハト、キジバト=ヤマバトではないか。早速図鑑等で調べてみた。やはりそうだった。そして私の子どもの頃デデッポッポウと呼んでいた鳥であることも再確認した。

 私の山形の生家の裏に菩提寺があり、そこに小さな林があった。夜になるとそこからホーホーとふくろうの声が聞こえ、昼にはデデッポッポウと鳴く声がときどき聞こえた。お墓のところにある薄暗い林から聞こえてくるので、この鳴き声は何とも寂しく聞こえたものだった。
 しかしその姿を見たことがなかった。一度だけフクロウを近くの神社の林で見かけたことがあるが、デデッポッポウはなかった。見てもわからなかったろう、私の頭のなかではデデッポッポウと鳩ポッポのハトとは結びついていなかったからである。デデッポッポウはフクロウに近い鳥で山か林のなかなどさびしいところにしかいない、人の前には姿を現さないものと思っていたのである。
 やがていつのころからかデデッポッポウはキジバト=ヤマバトのことだと知るようになったが、そのころには開発の進んだ生家の近くではデデッポッポウの声が聞こえなくなっていた。また仙台でも聞くことがなかった。ただ、仙台の今住んでいるところに移ってきたころ、まだ近くに山林が多かったころにたまに声を聴くことがあり、なつかしく思ったものだったが、やがて開発が進む中で聞こえなくなってしまった。
 そしてその姿を見ることなく70歳を過ぎてしまった。そのころになってようやく見ることができたのである。何とまあ私もついているのだろう、もしかするとわが家の庭の雰囲気がよかったからではないか、住んでいる私たちの優しさがわかったからキジバトが来るようになったのではないか。
 などと考えようとしていたら、最近のキジバトは街の中にも営巣するようになり、あまり人間を恐れなくなっているとのこと、どうもそのせいでわが家の庭に来ているらしく、あまり喜べることではなさそうだ。キジバトが飼いバト・ドバト(=カワラバト)と似てきただけのことらしい。つまり、一方では前に述べたようにカワラバトが飼育放棄されて街をうろつく野良バト=ドバトとなり、さらには山野に出て野生化して野バト化する(註2)ようになっており、他方で野生のキジバト=ヤマバトが街に住むようになり、人間を怖がらなくなるなどドバトに近づきつつあるのである。「ヤマバト」の「マチバト」化、何とまあ奇妙な現象が起きているのだろう。
 それでもまだ救われる、キジバトと飼いバト・ドバト(=カワラバト)は属が違うので、つまり血縁関係が遠いので交雑することはないからだ。しかしやはり何かおかしい。デデッポッポウを見ることができるようになったなどと単純に喜んでいるわけにもいかない。やはりヤマバトは山に帰すべきだ。
 だから私は家に来たヤマバトに絶対に餌は与えない。かわいいのでついつい与えたくなってしまうのだが。いつか山に帰ってもらいたいからだ。といいながら、たまには庭に遊びに来て顔を見せてもらいたいなどとも思う、人間というものはわがままなものだ。

 ところで、日本古来のキジバトは昔から狩猟鳥として肉が食べられてきたとのことである。となると、まさにジビエとして、狩猟人口の拡大と合わせて、その普及に努めることも必要となろう。もちろん鳥獣保護法の規定の範囲のもとでだが。それと同時にドバトを食べることに対する抵抗感をなくすことも必要となろう。日本人のフランス好きを利用して宣伝すればドバトのジビエ化も可能なのではなかろうか(ただ、ドバトは狩猟鳥になっていないので限度はあろうが)。
 でも、昔のイメージのある私はあまり食べたいと思わない。もちろん絶対に食べたくないというほどでもない。ただし、同じキジでも、キジバトでなく「キジ」なら食べてみたいと思う。

 キジ、私の生まれ育った環境からしてもちろん子どもの頃は見たことがなかった。でもよく知っていた。他の鳥の名前は知らなくともキジは知っていた。私ばかりでなく全国の子どもがそうだったのではなかろうか。小学一年の国語の教科書の最後の方にモモタロウ(正確に言えば「モモタラウ」)の話があり、そこにキジが出て来るからである。鬼退治に行くモモタロウからキビダンゴをもらって家来になったキジは空から鬼が島のようすをさぐり、鬼の目を突っついてたたかい、イヌ、サルといっしょに鬼をやっつけるのである。もちろん、学校に入る前から絵本やお話でキジのことは知っていたし、鳴き声はケーンケーンということも知っていた。しかもその姿形は優美、クジャクに似てきわめてカラフルであることも知っていた。どこでだったろうか、その剥製や飾り物の尾羽を見たことがあった。しかし生きている姿を見たことはなかった。大人になってから動物園で見たのが初めてだった。もちろん食べたことなどあるわけがなかった。

 70年代のある年の秋晩く、岩手の北上山地に行ったときのことである(どこだったか思い出せない、その田んぼと周囲の山野の風景ははっきり覚えているのだが)、稲刈りの終わった山あいの狭い田んぼのなかに一坪くらいの刈り残しがあった。何のためにそんなことをするのかと同行してくれた県の職員の方に聞いたら、キジを捕まえるためだという。
 秋晩く、その刈り残しのコメを食べるためにキジがやってきて稲の中に入る、中で夢中になって食べているところを捕まえるのだという。なるほど、伸びた稲の中に入っていたら突然逃げ出そうにも大きい体だから稲のなかからなかなか抜け出せず、飛び立とうにも羽根をひろげられない、一方人間の側からすれば狭い面積のなかだからとくに追っかけたりしなくともよく、簡単に捕まえられるというわけだ。うまいことを考えるものである。
 それで、ここにキジがいるということがわかったが、単にそれだけ、食べることはもちろんキジを見ることもなかった。
 それが何と仙台の街近くで見ることができた。仙台城のある青葉山、ここは東北大の理工系学部や宮教大の敷地として70年代以降開発され、自然が残り少なくなっているところなのだが、大学構内の道路をとことこと横断しているのを見かけたのである。それは80年代のこと、東北地方に生息するのは「キタキジ」という種だというから、きっとそれなのだろう(註3)。野生のキジを見たのは後にも先にもこの一回だけ、もう一度見て見たい、できればそれも青葉山でなどと考えているのだが、今はさらに開発が進んで棲むところがなくなりつつあるのでもういなくなったかもしれない。
 いうまでもなくキジは日本の国鳥、これが絶滅の危機に陥るなどということだけは避けてもらいたいものだ。
 それでもキジは狩猟が許されているという。それならやはりキジ肉を食べて見たい。日本人が昔から狩猟の対象として食べてきたもの、しかもその肉はかなりおいしいと聞く。一度でいいから食べてカモと比較してみたい。
 これに対して絶対に食べたいと思わないのはカラスの肉である。

 カラスはスズメ、ツバメと並んでもっともなじみのある鳥である。ともに私たちの暮らしとかかわりをもっているし、小さいころからしょっちゅう見ている鳥だったからだ。
 しかし、スズメ、ツバメにくらべて(註4)、カラスはあまり好かれなかった。子どものころの教科書にあった「八咫烏」の神話で吉兆を示す鳥として教えられたにもかかわらずである。
 真っ黒できれいではなかったからだろうか。鳴き声もいいとは言えない。農作物やその種子を食べたりもする。さらに生ゴミや動物の死骸をついばんでいるところをよく見かけ、当然人間にとってはあまり気持ちのいいものではない。
 こうしたことからだろう、誰かが亡くなった時、そういえばあのときカラスが鳴き騒いでいた、カラスが知らせたのだろうなどと近所の人が噂をしあうのをよく聞いたものだった。それで、カラスが泣き騒いでいると何か不吉なことが起きるのではないか、起きたのではないかなどと私たち子どもも不安を感じたりしたものだった。
 もう一方で、「カラスが鳴くから かーえろ」と夕方遊び疲れた子どもたちが声をあわせて歌い、みんな家に帰る合図としたり、「髪は烏の濡れ羽色」などと黒髪を誉めるときに大人が使っているのを聞いたり、私などは風呂に入ってすぐに上がってしまうことからよく家族から「烏の行水」と言われるなど、いつもは何も感じなかった。
 それどころか私たち世代は、戦後の一時期ではあったが、カラスに非常にいいイメージをもったものだった。映画『二十四の瞳』(註5)のなかでくり返し『七つの子』(註6)のメロディが流されたからである。
    「からすなぜなくの からすは山に
    かわいい七つの 子があるからよ」
 この歌は大正デモクラシーの時代につくられたものであり、一応知ってはいたが、とくにいい歌などとは思わずに過ごしてきた。しかし、『二十四の瞳』で高峰秀子の女先生と12人の子どもたちがいっしょに歌う『七つの子』は私たちの子ども時代を思い起こさせ、戦後かつての教え子と女先生が戦争で帰ってこなかった同級生などを思い出しながらいっしょに歌うシーンでは私たちもいっしょに涙したものだった。こうしたストーリーが瀬戸内に浮かぶ小豆島を舞台に淡々と描かれる。そんなことで小豆島は私たちに忘れられない島となった(奇しくも東京農大でのゼミの教え子に小豆島出身者がおり、農協に就職した彼のいる島に彼の後輩のゼミ学生を連れて研修旅行にいくなど、さまざま小豆島と縁を結ぶことになった)。こんなこともあって『七つの子』の歌が再び脚光を浴びることになり、改めて大流行したのである。その後田中裕子主演で再映画化されるなどしているが、私は見ていない。ただ、そのときのロケに使ったオープンセットなどを中心とする大正、昭和初期の島の人々の暮らしが残されている「二十四の瞳映画村」はなつかしく見ている。
 それはそれとして、この歌はカラスの子を「かわいい」と歌ってくれ、映画はその歌をリバイバルさせてくれ、カラスのイメージアップを図ってくれたということができよう。
 ところが、80年代になって子どもたちの人気テレビ番組だった『八時だョ 全員集合』の中で「カラスなぜ鳴くの カラスの勝手でしょー」との替え歌を歌ったものだから子どもたちに大流行り、またカラスのイメージは下がってしまった。
 ましてやちょうどそのころから都市でのゴミ処理が大きな問題となり、それに対応してカラスが増え、いろいろと問題を起こしたものだから、ますますイメージは落ちてしまい、まさに邪魔者になってしまった。

 網走に住んでいた時のことである。農大のオホーツクキャンパスに行く途中に市のゴミ処理場があった。その道路わきの電柱の電線に夕方になると何羽かのカラスがいつも留まっているのを通勤の途中でよく見たものだが、ある先生がこんなことを言っていた。
 正月などのゴミ収集のない日になると、そこの電線が真っ黒になるほどびっしりとカラスが留まっている。こんなにいたのかと思うほどだ。いつもは町に出て餌を漁っているのでそんなにいない。カラスの餌となる大量の生ゴミの排出、それもカラスの破りやすいポリ袋に入れて路上に出すものだからかっこうの餌になっている。また港などには魚が上がるので、そのおこぼれもある。ところが正月はすべて休みになる。それでカラスはみんなゴミ処理場に行く。焼却ではなくて埋め立てなので何かゴミが落ちている可能性があるからだ。それにしてもあのカラスの止まっている電線を見ると何か気持ち悪くなる。さらに怖くもなる。ヒッチコックの映画『鳥』を思い出してしまう。
 こう教えてくれたのだが、私は盆正月には仙台に帰っていたのでそこまですさまじい数のカラスを見たことはない。それでも土日つまりゴミ収集の休みの日に用事があって大学に行くと、処理場の電線にかなりのカラスがいて怖くなるときがあった。
 そもそもカラスは強い。トビなどは猛禽類であるにもかかわらずカラスにかなわない。仙台にいるとき勤務先の農学部周辺を縄張りにしているらしいカラス2羽に大きなトビが襲われて逃げ惑っているのを見たり、網走の借家の窓からやはりカラスに追われるトビを何度か見ている。あれを見ると人間はかないそうもないと思ってしまう。カラスと同じく人間の住むところにいるスズメの数が減っているのはカラスがその巣を襲って雛を食べているからではないかなどと考えてもしまう。
 ともかく怖い。実際にカラスが人間に悪さをしていることが問題となっている。不吉な鳥、ゴミを漁る汚い鳥としてそもそも評判が悪いところにそれなのだからますます評判は落ちる。しかしこのように評判を悪くし、その数を増やしたのは、そもそもゴミをまき散らした人間である。とくに以前から町に住んでいるハシボソガラスに加えて本来山に住むハシブトガラスが街に進出しているとのこと、これまた生態系をこわしている。とすると狩猟鳥として許可もされているカラスを狩猟の対象にして数を減らしてもらうことも必要となる。
 しかし問題はその肉の処理だ。肉を食用にする地域・文化もあるとのことでともかく食べられるのだが、今は食肉として出してもだれも食べようとはしないのではなかろうか。私にもかなりの抵抗感がある。
 とすると、やはりごみ処理をきちんとする等、カラスが増えないような対策をとるというまさに基本的なことをきちんとやり、その補助手段として狩猟等々の対策を考えていく必要があろう。まったくの素人考えなのだが。
 (当初は今回で「家畜と野生動物」についての話を終わらせるつもりでいたのだが、ちょっと補足したいことができたので、次回も書かせていただく)

(註)
1.15年4月20日掲載・本稿第七部「☆ハトポッポとドバト」参照
2 15年4月27日掲載・本稿第七部「☆家畜と野生化―野良畜と野畜―」(4段落)参照
3.日本には、東北地方に生息するキタキジ以外に、本州・四国にトウカイキジ、紀伊半島などにシマキジ、九州にキュウシュウキジの亜種が棲息しているそうである。
4.13年5月1、9、13、16、20、23日掲載・本稿第五部「野生動物・雑感(1)~(6)」参照
5.主演:高峰秀子、監督・脚本:木下惠介、製作:松竹、1954(昭29)年
6.作詞:野口雨情、作曲:本居長世 1921(大10)年
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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