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きな粉、食卓の大豆

  

                  マメ・思いつくまま(4)(5)

                   ☆きな粉とこうせん

 大豆を炒るということに関連して思いつくものにきな粉がある。
 大豆を炒って挽いた粉、これがきな粉なのであるが、戦時中祖母や母が石臼の穴に少しずつ豆を入れながらごろごろ挽いていたのはこのきな粉ではなかったかと思う。手間暇がかなりかかり、本当に少しずつしかできない。だからだろう、その時期以外あまり石臼を挽く姿を見ていない。その前後つまり戦中戦後の物不足時代以外は近所の八百屋から買っていたのではないかと思う。
 いうまでもなくきな粉は、それに砂糖を入れて餅につけ、つまりきな粉餅にして食べる。しかし、それをどういうときに食べたのか、ひな祭りの時に食べたような気がするが、それ以外にいつ頃食べたのか、はっきり覚えていない。
 家内は正月にもきな粉餅を食べたと言うが、宮城県では正月にいろいろな種類の餅を食べる習慣があるようなのでそうなのかもしれない。家内の弟嫁は仙台市西部の山村に実家があるが、そこでもやはりきな粉餅を食べ、さらに麦芽でつくった飴を餅につけて食べ、その飴餅の上にきな粉をまぶしても食べたという。しかし、私の山形の生家では、正月は搗きたての餅を雑煮、あんこ餅、納豆餅にして食べるだけだったので間違いなく食べていない。いずれにせよ、餅は何かのお祝いや行事の時つくものだから、そのときにきな粉餅を食べたのだろう。
 私たち子どもにとっては、きな粉餅の餅よりもきな粉の方が好きだった。甘いものが不足していた時代、きな粉の香ばしさと甘さ、それに砂糖の甘さ、これはたまらなかった。できたらきな粉だけを食べたい。しかしそんなことは許されない。その大事なきな粉が餅を食べ終わった後の皿に残る。これは何とももったいない。そこで皿に口をつけてきな粉をすくいとろうとする。しかしうまく全部とれない。それで皿の底をなめる(行儀が悪いと怒られたものだったが)。すると唾液できな粉が固まって皿の底にくっついて残ってしまう。それを舌で何とかなめてとろうとするが不思議なものでなかなかはがせない。そこで箸でごしごし削り取ってそれをなめる。しかしそのときにはあのさらさらした触感、香ばしさはない。がっかりである。こんな思いをよくしたものだった。

 あるとき、庭で雪遊びをしていた小学生の孫二人が縁側の戸を開けて叫んだ。
 「おばあちゃん、きな粉ちょうだい」
 家内が不思議に思って聞いた
 「どうするの」
 「雪にきな粉をかけて食べるの」
 きな粉餅の大好きな二人、雪にかけて食べたらさぞやおいしいだろうと考えたのだろう。家内が笑いながら前日きな粉餅をつくるのに使ったきな粉の残りを皿に入れてもってきた。雪など水分のあるものを入れたらきな粉が濡れて固まってしまうのでおいしい氷水(こおりすい)=かき氷にはならないはずなのだが。
 新雪をお椀に取り、それに皿のきな粉を振りかけて食べていた。聞いてみた、
 「どう?おいしい?」
 「うん、おいしい」
 とは言ったものの、やはりあまりうまくなかったのだろう、そのときの一度だけで後はやろうとしなくなったから。

 なお、きな粉はわらび餅、くず餅の上にかけても食べる。夏、冷えた透明・半透明の餅の上に黄色いきな粉が載る、これはうまかった。さらにその上に黒蜜がかけられている、こんな贅沢は戦後味わったものだが、こうした伝統的な和菓子を遺しておいてもらいたいものである(本物のわらび粉、くず粉でできた餅であればそれにこしたことはないが)。

 きな粉のことを書いていてふと思い出した、「こうせん」というものがあったと。
 きな粉と同じく粉で、砂糖が入っているのも同じ、その香ばしさも舌触りも味もきな粉とよく似ており、色が灰色がかっていることときな粉よりもちょっとざらざらしている感じがすることが違うだけである(こうせんについては子どものころの記憶だから間違っているかもしれないが)。だから小さいころはきな粉との差がよくわからなかった。
 後でわかったことだが、こうせんは原料が大麦、したがってデンプン質主体、これに対してきな粉は大豆、タンパク質主体、このように異なる。しかしそれを炒って挽いて粉にしたという点では同じ、それで似ていると思ったのだろう。
 ただ違うのはきなこは餅につけて食べるもの(こうせんをつけて食べた記憶はない)、こうせんは一銭店屋(子ども向けの駄菓子屋)で新聞紙でつくった小さな四角の袋に入ったものを小遣い銭で買って食べるもの、つまりおやつであるということだった。

 なお、こうせんは「香煎」と書き、「はったい粉」とか「麦こがし」ともよばれているようである。それを熱湯や水で溶いて飲むところもあるらしいが、私は飲んだことがない。また、こうせんには麦だけでなく米を煎って粉にしたものもあるとのことだが、私はそのどちらを食べていたのかわからない。麦だろうとは思うのだが。

 こうせん、もう何年食べていないだろうか。お菓子などに使われているらしいので知らないうちに食べているかもしれないが、いつかまともにこうせんだけを食べて見たいものだ。
 また脱線してしまった、話を大豆に戻そう。

                   ☆食卓の大豆

 節分のときに大豆が店頭に並ぶと前に言ったが、もう一度、年末にも店頭に並ぶ。いうまでもなくこれはお正月のおせち料理の一つとして数の子豆をつくるためだ。しかし、大豆それ自体としてよりも煮豆つまりゆでた大豆(普通は青豆を使う)で売られている方が最近は多い。乾燥した大豆を水に一晩浸けてゆでるのが面倒だからなのだろう、多くの人は煮豆を買っているようだ。家内も最近は煮豆を買う。それと食べやすい大きさに切った数の子を混ぜて元旦の食卓に並べる。「マメで達者で皺のよるまで長生きを」ということで豆、子どもがたくさん生まれるようにということで数の子、縁起物としてお正月には欠かせないものだからである。
 私はこれが好きである。といっても豆ではない。好きなのは数の子であり、あの歯ごたえと味はたまらない。数の子に少々残っている塩味をおかずにして豆を食べると豆の甘味がひきたてられて何とか食べられるので少々食べるという程度である。できれはときどきおかずとして数の子だけを食べたいのだが、高価だし、店頭にもめったに並ばないので正月の楽しみにするより他ないのが残念である。戦前、私の幼いころの数の子は安かったのだが。
 それでも、正月、節分のときだけであっても大豆が表に出てくるのはまだ日本の伝統が残っていることを示すものとうれしくなる。
 大豆それ自体がほぼそのままの形で主役として売られ、食べられるのはこの正月と節分のときぐらいだから、大豆にとってもうれしいだろう。
 もちろん他のときに食べないわけではない。たとえばニンジンやゴボウ等の煮付けのなかに煮豆を入れて食べたりする。家内などは酢で味付けした酢大豆を自分でつくって健康食品だと言って時々食べている。しかし私はそうした大豆をうまいとは思わない。同じ豆でも後に述べる枝豆とはまるっきり味が違って食べる気がしない。
 なお、大豆を水に浸して軟らかくした大豆をすりつぶし、それを味噌汁に入れ、さらに野菜等を具としてそれに入れた「ごじる」を祖母が冬になると身体が温まるからとよくつくってくれたものだが、あまりうまいとは思わなかった。
 そもそも大豆は栄養はたっぷりでもそれ自体はあまりうまいものではないのではなかろうか。だから大豆の形をそのまま残して食べる料理というのは多くないのではなかろうか。
 東北大で同僚だった栄養学の専門家OK君にかつてそんなことを聞いたら次のような話をしてくれた。大豆には独特の苦味、渋み、えぐみがある(これは大豆に含まれるサポニンが原因なのだそうだ)、しかし大豆は身体に非常にいい(大豆に含まれる良質のタンパク質はもちろんのことだが、サポニンにも抗酸化作用、動脈硬化や肥満などの予防作用があるのだそうだ)、それでいかに大豆を上手に食べるかが人間の課題だった、そして人間(とくに原産地のアジア人)はその課題に対応していろいろな大豆食品を生みだしてきたのだと。なるほど、お惣菜として大豆それ自体を食べるということがあまりない、私もあまり食べたいとは思わないというのはそれと関係があるのだ、そんな納得をしたものだった。

 そんなある日の朝、食卓に座ったら、ご飯、わかめと豆腐の味噌汁、軽くあぶって醤油をかけた油揚げ(目刺しを買うのを忘れたのでタンパク質食品としてと家内が私の大好きなこれを出してくれたもの)、ネギ入りの納豆(家内は健康のためにとこの頃よくこれを食べる、かつては好きではないとあまり食べなかったのだが)、昨夜の残り物のサトイモと牛肉の煮付けがちょっぴり、食用菊とホウレンソウのお浸し、キウリとダイコンの糠漬けが並んでいた。
 これを見てふと思った、何と大豆とかかわりのある食品が多いことかと。
 豆腐、味噌、醤油、油揚げ、納豆、日常的に食卓にあがるのであまり考えなかったが、これはすべて大豆からできた食品ではないか。油揚げを揚げた油も大豆油かもしれないし、牛肉もその油を絞った残りかす=大豆粕を飼料としているだろう。こうしてよくよく考えて見たら私たちのとくに日本人の食事は大豆なしにはなりたたない。和食であれば大豆食品のいずれかが必ずある。私のようなご飯派はお目にかからない日はない。なかには大豆からできていると見ただけではもちろん食べてもわからなくなっている食品となっているものもあるので、日常的には大豆のありがたみをあまり感じないのだが、私たちは大豆に何とお世話になっていることだろう。

 お正月にはいま触れた納豆を餅につけて、つまり納豆餅を食べる。また納豆は豆の形を残している。そこでこの納豆からまずみてみよう。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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