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おから、豆乳、豆腐、油揚げ



                    マメ・思いつくまま(7)

                  ☆おから、豆乳、豆腐、油揚げ

 納豆は貧乏食だったと前回述べたが、もう一つ、同じく大豆を素材とする貧乏食として「おから」(私たちは「豆腐から」と呼んでいた)があった。
 いうまでもなくおからは豆腐を製造するために大豆から豆乳を絞った後に残る搾りかすである。したがっておからは豆腐製造にとっては不要な物、価値のないものである。しかし、おからには多くの栄養分が含まれており、食材にもなる。そこで価値をもつことになるが、当然その価格はきわめて安い。こうしたことからおからは貧乏人にはぴったりの食材だった。
 ただし、納豆のように醤油だけあれば食べられるというような簡便食ではない。それなりの料理をすることが必要となる。
 子どもの頃の私の生家では、少量の油でおからをいため、それにニンジン、ゴボウなどのささがき、油揚げを入れ、醤油等で味をつけて食べたが、これはおいしかった。
 今も生協の店舗でときどきおからを買い、そうやっておかずにしている。それ以外の料理はしたことがない。ただ、イワシの酢漬けをおからに漬け込んだ「卯の花漬け」を生協で売っているので、これは買って食べる。
 この程度だからおからを食べる回数は少ない。他の消費者も同じなのではなかろうか。豆腐とそれを素材とする豆腐製品があれだけたくさん生協の棚に並んでいるのにおからは本当に少ないし、お惣菜としてたまに卯の花が並ぶが、これも量が多いとはいえないからである。
 聞くところによると、現在はおからの食品としての需要が供給を大きく下回り、売れ残りのうちの一部が家畜の飼料に向けられるだけ、ほとんどが廃棄されているとのことである。
 このことは、一方では豆腐(+おから)が大量に生産されるようになったこと、つまり豆腐を買える人が増えたことを示すものである。他方で、貧乏食としておからを食べなければならない人が減ったことを示すものでもある。つまりおからしか食べられないような貧乏人が昔より減ったことを示すものであり、喜ぶべきことなのだろう。
 しかし、喜んでばかりもいられないのではなかろうか。
 外食、中食、外国農産物・食品の普及のなかで家庭料理的な日本的なおからが食べられなくなったことによるとも思われるからである。もう一つ、豆腐の製造販売がかつての小さな豆腐屋さんではなくなり、大規模な工場でなされるようになったので大量におからが出る、しかしおからは品質の劣化が早く日持ちがしない、それでそのすべてを処理できず、つまり過剰になり、それでほとんどが廃棄、ということになっているのではなかろうか。
 しかし廃棄物になるのは何とももったいない。いろいろと努力はされているようだが、何とか活用ができないだろうか。
 さて、主産物である豆腐の前にその副産物のおからの話をしてしまったが、話を本筋に戻そう。

 いうまでもなく豆腐は大豆を水に浸してすりつぶし、水を加えて煮つめた汁を漉してできた汁からつくられる(その濾した残り粕がおからである)のだが、その濾した汁は白濁していて母乳や牛乳の色に似ており、しかも大豆の持つ成分のほとんどを含んでいるので栄養分に富んでいる。それでその汁は「豆乳」と呼ばれるようになったとのことである。
 ところが私はこの豆乳と言う言葉を知らなかった。私がまともにその言葉を知ったのは1980年前後の豆乳ブームのころからではなかったかと思う。豆乳が高たんぱく低カロリー健康食品として注目され、店で売り出されるようになったのである。
 これに対し、私の家内は豆乳のことをよく知っていた。それどころか子どものころは飲まされていたという。家内が幼いころ育てられた本家の祖父母が戦前豆腐屋もいとなんでいたので、身体の弱かった家内はよく飲まされたらしい。前に述べたように私は山羊の乳で育ったのだが、家内は豆乳で育ったのである。そこで聞いてみた、うまかったか、砂糖を入れて飲んだのかと。そしたら砂糖を入れたかどうか記憶はない、うまいと思ったことはないがまずいと思ったこともないという。
 そこでその話を前々回登場してもらった栄養学者OK君にしたとき、次のような話をしてくれた。その昔は豆腐屋に豆乳を買いに来る人もいたものだ、とくに病人のいる家とか赤子がいて母乳の足りない家とかがそうで、栄養価が高い豆乳を飲ませようとしたのだと。
 それを聞いたらまた疑問になった、そんなに栄養があるなら豆乳をもっとみんな飲んでしかるべきだったのではないか、なぜ今頃ブームになったのかと。
 そしたら彼は次のように説明してくれた。前々回述べたことの繰り返しになるが、大豆にはサポニンという栄養成分が含まれている。しかしそれには青臭さ、渋み、えぐみがある。それをどう除去して食べやすくするかが人間の課題でさまざまな加工の仕方、食べ方を開発してきたのだが、豆乳にはそのサポニンがそのまま含まれるためにきわめて飲みにくかった。それであまり飲まれなかったのだが、1970年代に初めて近代的な豆乳の脱臭法が確立されたので、豆乳として販売されるようになり、それでブームとなったのだと。
 早速買って飲んで見た。家内も飲んで見て、そういえばこんな味だったと言う。でも私にとっては飲めないと言うものでもないけれどうまいと思うものでもなかった。そう思ったのは私ばかりではなかったのではなかろうか。それもあったのだろう、ブームはあっという間に廃れてしまった。
 しかし21世紀近くになって再びブームが到来した。格段に飲みやすい豆乳の製造に成功したのだという。そんなことで今食品売り場に大量に並んでいるが、気になるのはやはりその原料の大豆のほとんどが国産ではないこと、それに飲みたいと思うほどの味でもないことである。それなら他の国産の大豆製品から植物蛋白をとった方がいい、あるいは国産の牛乳を飲んだ方がいい。そんなことから私は飲んでいない。

 ところで、この豆乳ににがりを入れる前に加熱をするのだが、そうすると表面に薄い膜が張ってくるのだそうである。牛乳や山羊の乳を温めると膜ができるのと同じらしい。私たちは小さい頃山羊の乳の膜が食べたくて争って箸ですくって食べたものだが、同じように豆乳の膜も食べられたらしい。家内の弟は子どもの頃この豆乳の膜が本当においしく感じたものだったという。この膜が「湯葉」なのだそうである。
 私がこの湯葉の存在を知ったのはかなり大人になってからである。どこでだったか覚えていないが、だしのきいた汁をかけた黄色い薄い膜のようなものが巻かれて出された。何だかわからずに食べたのだが、何とも上品な味、聞くと羽黒山で修行している山伏などが食べたもので、湯葉というものだと教えられた。それ以後たまに食べるが、まだ自宅では食べたことがない。最近はスーパーなどでも売っているとのことだが、どうしても食べたいとは思わない。しかし、加熱した豆乳の上にできたばかりの湯葉、これだけは一度すくって食べてみたいものである。

 さて、この豆乳ににがりなどの凝固剤を加えて固めてつくったものが豆腐となるわけだが、私の生家では近くにある豆腐屋さんから豆腐を買っていたので、その製造過程を直接見て知っているわけではない。豆腐屋さんに豆腐を買いに行く頃はすでに豆腐はできあがっていたからなおのことである。
 子どものころ、祖母に言いつけられて朝早く近くの豆腐屋さんに豆腐を買いに行く。店に入ると豆を潰す(のだろう)機械のうるさい音はすでにやんでいて、四角の大きな水桶のなかにたっぷり水が満たされ、そのなかに大きな長い豆腐がたくさん入っている。注文すると、豆腐屋さんはその長い豆腐をすくいあげ、大きな包丁で一丁切り分け、経木に包み、さらに新聞紙でくるんでくれる。今の一丁とちがって大きく、また当時の豆腐は今のように水っぽくなくて固かったような気がする。
 買ってきた豆腐はまず味噌汁の具だった。熱々の汁を吸い、さいの目に切られた豆腐だけを口の中に残して舌の上で転がし、その舌触りを楽しみながら潰し、味噌の塩味で引き立てられた豆腐の甘さを味わいながら飲みこむ。大好きだった。自家産の季節ごとの同じ野菜が何度も汁の実となって出てきてあきているところに豆腐汁、だからますますうまく感じたのだろう。
 この豆腐汁に千切りにした油揚げを入れたのはさらに大好き、さっぱりした豆腐と脂分のある油揚げ、この対照がいい、油分に餓えていたからなおのことだ。わかめと豆腐の味噌汁もいい。わかめだけ、豆腐だけの味噌汁とはまた味が違う。だけど、金がかかるからだろう、油揚げやわかめが豆腐といっしょに入る回数は少なかった。
 それから豆腐のすまし汁、豆腐が平切りで大きく、豆腐を食べたという実感があり、醤油とだしの汁の味も何ともいえず、大好きだった。さいの目ではなく平切りにしたのは汁の薄味を豆腐にしみこませるためだったのではないかと考えるのだか、どうなのだろうか。これもおいしかった。
 豆腐が主役ではないが、納豆汁(註1)、間引きした大根の葉が主体の山形風けんちん汁(註2)は、豆腐なしではそのうまさが出ない。

 いうまでもないが、豆腐は今述べたお汁以外にもさまざまな料理に使われる。しかし私が物心ついてから戦後にかけての時期の豆腐料理の思い出はこれだけしかない。
 戦後、豆腐の田楽を食べたとき、そういえば幼いころいろりの火であぶって味噌をつけて食べたこと、ただ味噌が何か変な味(後でわかったのだが山椒の味のようだ)なので味噌を除いて食べたことがあることを思い出した程度である。
 また豆腐関連食品についていえば、はっきりした覚えがあるのは油揚げ、がんもどきと凍み豆腐だけである。

 豆腐屋さんに豆腐を買いに行って中を見回すと、大きな鉄の鍋があり、焦げ茶色の液体が入っている。まだ冷たそうな油である。そこに豆腐屋のご主人は油揚げくらいの大きさに薄く細長く切った豆腐を入れる。そして鍋の下から熱する。そのうち、豆腐が沈んだり浮かんだりするようになる。やがて薄茶色になってジュージュー泡立ちながら浮きあがる。その熱さが顔に伝わってくる。すると豆腐屋のご主人は大きなざるのようなものでそれをすくって網の上にあげる。油揚げの出来上がりである。いい匂いがする。油ものに餓えていた時代、あのまま食べたらさぞかしうまいだろうなと思わずつばを飲み込む。
 こんなことを見たり考えたりしながら豆腐を買ったものだが、油揚げも買って来いといわれたときはうれしかった。油揚げは大好きだったからである。味噌汁の具にしても、煮物にしても、何にしてもうまかった。戦中戦後は、てんぷらと並んで脂肪分を供給してくれる貴重なおかずだった。油揚げ一枚、そのまま一人で食べてみたかった。稲荷ずしなどはぜいたくな食べ物だった。
 豆腐と油揚げの二つの味を同時に味わえる厚揚げ、これもうまかった。煮物に入っているがんもどき、豆腐の味わいはもう薄くなっているが、煮物の中からがんもだけとって食べて祖母から怒られたりしたものだった。しかし戦中戦後はなかなか食べられなかった。

 ところで、今述べたように私は油揚げをつくる過程を見ていた。
 昔は店に行くとそうした「つくる過程」がよく見られたものだった。下駄屋さんに行くと下駄をつくっているのが見えたし、靴屋さんに行くと靴をつくっており、鍛冶屋さんはふいごで火を熾しながら蹄鉄を打っていた。魚屋さんでは魚をおろし、肉屋さんでは肉を切っていた。そうした過程を経てわれわれの手元にくることがわかる、だからそのありがたみが何となくわかるような気がしたものだったが、今はどうなのだろうか。
 それでも私は豆腐をつくる過程は見たことはなかった。豆腐は豆腐屋さんから買うものであり、しかも豆腐作りは朝暗いうちから始まり、豆腐屋さんが店を開くころは終わっているからである。
 しかし、農家の子弟のなかには豆腐製造の過程を知っているもの、自ら体験しているものがいた。私の生家の地域にはいなかったが。

(註)
1.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆食の地域性」(1段落)参照
2.上記註1であげた記事の3段落でけんちん汁に簡単に触れているが、私の生家では春の茎立ち菜や間引きしたダイコンの葉などを茹でて豆腐といっしょに油で炒め、醤油で味付けしたものをけんちん汁と言っていた。最近は仙台の生協でも茎立ちや間引きダイコンの葉を売るようになったので、他の人たちはどうやって食べているかわからないが、わが家ではけんちん汁にして楽しんでいる。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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