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豆腐・凍み豆腐の自給生産、寄せ豆腐




                   マメ・思いつくまま(8)(9)

                 ☆豆腐と凍み豆腐の自給生産

 豆腐は豆腐屋さんがつくるものだとばかり思って私は過ごしてきた。しかしそうではなかった。私の大学院時代(1960年前後)、宮城県北の農家調査に行ったときに初めて、自分の家で作った大豆を原料として豆腐を製造し、自給している農家があることを知った。このことについては前に述べた(註1)ので省略するが、もちろんかなり手間暇がかかるので農繁期などにはなかなかつくれない。だから冬の農閑期ということになる。とくに冬、寒くて凍りそうな時期に豆腐をよけいにつくり、それを凍み豆腐にし、保存食にして暖かい季節にも豆腐成分を食べられるようにした。

 家内の弟嫁の実家(仙台市北西部の奥深い山村)では、近所の農家と3戸共同で豆を挽く大きな石臼を所有し、旧の正月になると持ち回りで利用し、それぞれ自家で生産した豆を使ってお互いに手伝いあいながら豆腐作りをしたものだという。
 できあがった豆腐の大半は凍み豆腐にする。旧正月の頃はもっとも寒い時期、凍み豆腐づくりにはもってこいである。そしそれを一年間食べる保存食とし、ときどき出しては食べるのである。
 残りの豆腐は沢の冷たい水の中に入れておき、なくなるまで毎日食べる。豆腐を食べるのはこの時期だけ、それで最初は喜んで食べるが、後では飽きてきて豆腐の顔を見るのもいやになるという。弟嫁の姉などはそれで豆腐が嫌いになり、大人になってからも絶対に豆腐は食べなかったという。

 これに対して、本稿第五部の記事などで前に何度か登場していただいた北上山地の岩手県葛巻町の農家Nさん(註2)の集落ではどこの家でも1ヶ月に一度くらい豆腐を作ったものだという。
 まず、大豆を水に1日浸し、それを臼ですりつぶし、トナガマという大きな釜(註3)で煮て、綿の袋で濾す。それににがり(町の商店でも買えたし、売りにも来ていた)を入れて豆腐の型枠(4丁分とれた)に注ぐ。こうして豆腐ができあがると、親戚などにおすそ分けした。逆に親戚が豆腐をつくるとおすそ分けしてくれる。だいたい毎日のように集落のどこかの世帯が豆腐を作るので、このおすそ分けで豆腐をけっこう食べたものだのことである。
 油揚げはつくらなかったが、凍み豆腐はつくった。寒に入る頃、豆腐を外に出して凍らしてから、お湯に浸けて水分を抜き、縄で縛って1ヶ月以上干して凍み豆腐をつくり、保存しておいて、夏場に豆腐が切れたころ(昨年つくった大豆がそろそろなくなり、豆腐づくりができなくなるころ)に食べたとのことである。
 さすがヒエ―ムギ―大豆の二年三作をしていた大豆の主産地である。山間畑作地帯のために米は食べられなかったが、豆腐については贅沢に(当時としてはだが)食べていたようである。
 なお、この豆腐作りでできるおから(「キラズ」と呼んでいたと言う)はもちろんおかずにして、というより主食として食べた、醤油がなかったので味噌と和えて食べたが、結構美味しかったという。また、にがりで豆乳から豆腐を分離する際に出る水は、栄養分があるけれどもおかずにはならないので、牛にやっていたという。この地域は米がまともに食べられず、醤油など買えなかった地帯であり、また牛馬産地帯であったからである。

 宮城県南の小さな町で戦前豆腐屋をしていた家内の本家でも当然凍み豆腐をつくった。真冬、明日は晴れて気温が低くなり、氷が張りそうだというような晩、いつもよりよけいに豆を仕込み、翌日はたくさん豆腐をつくる。そしてよく水を切って豆腐を適当な大きさに薄く切り、竹を編んでつくった平らな四角の大きなざる(家内はその名前を忘れたと言う)の上に並べ、夜になると外に出して凍らせる。翌朝、その凍った豆腐を稲わらで数個ずつ結んで連ね、それを竹竿に吊るして干す。するとまた夜に凍り、昼は陽の光で溶ける、これを何日か繰り返すと、水分は完全に抜けてスポンジのようになり、つまり乾物となり、凍み豆腐が完成となる。
 ところで、最初に竹ざるで一晩凍らせた豆腐のなかに端っこが折れてしまったり、割れてしまったりして、わらに吊るせなくなったものもできる。これはもう使い物にはならない。だからといって捨てるのはもったいない。そこでこれはその朝のご飯の味噌汁の具になる。この味噌汁がおいしかった、今でも忘れられない、もう一度食べて見たいと家内は言う。そうかもしれない、半分豆腐・半分凍み豆腐、両方のいい味、舌触りを味わうことができるのだから。私も食べてみたいものである。しかし、今は機械でつくるなど製法が違うのでもうそんな屑豆腐はできないようだが。

 この凍み豆腐、これを私の子どものころの生家では買って台所の近くにおいてある米櫃のところの壁に焼き麩などといっしょに並べてぶら下げて保存しておき、使う時にそこから外して台所に持ってきて水に浸し、味噌汁や煮物にして食べたものだった。
 しかし、私がいつも豆腐を買いに行く豆腐屋さんから凍み豆腐を買った記憶はない。そもそも豆腐屋さんで凍み豆腐をつくっているのを見たことがない。生家のある山形市内は湿った雪がいつも降り、風もあまり吹かず、氷がガチガチ張ったりしないので、凍み豆腐の生産は難しかったのではなかろうか。八百屋さんで凍み豆腐を買った記憶があるから、きっとどこか凍りやすい地帯から仕入れていたのではなかろうか。
 この逆に宮城県の冬は雪があまり降らず、乾燥していて冷たい風が吹く、それで凍み豆腐の名産地として今もなおその名を誇っているのだろう。

 わらに吊るした凍み豆腐、もう売っていない。農家の豆腐・凍み豆腐の自給生産も見られなくなった。そうなったのは60年代後半以降ではなかったろうか。
 凍み豆腐の味噌汁、きわめて単純だが、子どものころから好きだった。今ももちろん好きである。しかし、戦中戦後は凍み豆腐はもちろん普通の豆腐、油揚げもなかなか食べられなかった。


                  ☆寄せ豆腐、ゆし豆腐

 戦後の混乱もおさまり、豊富に豆腐が供給されるようになるなかで、豆腐はさまざまな形で食べられるようになった。夏には冷奴、冬には湯豆腐、豆腐の味を通じて季節を堪能できるぜいたくもできるようになった。すき焼き、寄せ鍋等々さまざまな鍋に入れられ、他の具の味をしみこませつつ自分の味を主張する豆腐(油揚げや凍み豆腐もそうだが)を楽しむことができるようになった。それだけではない、マーボー豆腐、豆腐チャンプルーなども家庭で簡単にできるようになった。
 そして今や豆腐、油揚げ、凍み豆腐はスーパー等の棚にいつもたくさん並んでいる、いい時代になったものだ。
 また同じ豆腐でもさまざまな種類のものが並ぶようになった。
 たとえば焦げ目のついた豆腐、つまり焼き豆腐である。これを戦後煮物や炒め物に入れて食べさせられたが、普通の豆腐よりは固く崩れにくいので食べ応えがある、そういえばこんなものを幼いころ食べた記憶があると思ったことがあるから、脳裏の片隅に残っていたのだろう。しかし、それ以外は子どものころの記憶にない。だから、それ以外の豆腐があるとは思わなかった。
 それがそうではない、さまざまな種類の豆腐があると認識したのは、戦後少し食糧事情がよくなったころの夏、近くに新しくできた豆腐屋さんが「寄せ豆腐」を売り出したと宣伝し始めたときからだった。
 寄せ豆腐ってどんなものだろうと豆腐屋の店先をのぞくと、冷たい水の入った水槽のなかにアルミ椀に入れた柔らかそうな豆腐がいくつか入っていた。いわゆる四角の豆腐の形はしていないがなぜなのか、なぜお椀に入っているのか、水の中に入れておくのか、どんな味がするのだろうかと見ていた。
 夏休みのある暑い日の昼、それを買って来いと祖母からいわれ、喜んで買いに行った。持って行った鍋にアルミ椀のまま入れてくれ、後でお椀を返してくれるようにと言われたが、なるほど、豆腐は手の上にのせるなどできないくらい柔らかくてすぐ崩れてしまう。これを冷奴のように醤油と生姜で食べた。圧搾しない、水分をとっていない豆腐だかららしいのだが、柔らかくなめらかで口当たりがよく、また甘く、何とも上品な味、それを冷たくして食べるのだから夏の日などはたまらない、感激したものだった。戦前食べたことのある大人たちはなつかしそうに食べていた。
 戦後のいつ頃からだったろうか、くるみ豆腐、ごま豆腐、卵豆腐などが出回るようになった。何と贅沢な豆腐、感激したものだった。お祭りや法事などのとき以外めったに食べられなかったが。

 沖縄に調査に行ったときのことである。食堂で定食を頼んだら、白い柔らかいものがたっぷり入っている味噌汁がついてきた。飲んで見たら何ともうまい。豆腐の味がするが豆腐のように固くなく、半ば溶けかかっている。何だろうと思って同行してくれていた沖縄の大学の研究者に聞いてみたら「ゆし豆腐」の味噌汁だという。
 そこでまた聞いた、ゆし豆腐とは何かと。にがりを加えて固まりかけた豆乳を、普通の豆腐のように型に入れて水分を絞ったり、固めたりせず、柔らかい状態で食べる豆腐だという。待てよ、それは「寄せ豆腐」のことではないか。そういえば、沖縄の言葉はアイウエオのオがウ、エがイになると聞いている。とするとヨセはユシになる。そうか、ユシ豆腐は共通語でいえばヨセ豆腐のことなのか、これで納得したが、何ともうまかった。だからといって、こちらに帰って寄せ豆腐の味噌汁を食べようとは思わない。やはり沖縄で食べたい。
 もう一つ、沖縄で食べたい豆腐といえばスクガラス豆腐である。スクという小魚の塩辛をひと口大の四角に切った豆腐の上に並べたものをいうのだが、酒のつまみには最高である。もちろんご飯のおかずにしてもうまい。スクガラスの塩辛さと豆腐の甘味が絶妙なバランスで、沖縄に行けば必ず夜の泡盛のおつまみとして注文する。
 かなり前のことになるが、このことを前に本稿に登場してもらった栄養学者のOK君に話したら、そのうまさはスクガラスのせいでもあるが、そもそも沖縄の豆腐の作り方が大豆を絞るさいに加熱しないなど昔風で、固くて味が凝縮していることにもよるのだと教えてくれた。たしかにそうかもしれない、沖縄の豆腐はこちらとはちょっと違う。沖縄では「島豆腐」と呼んでいるが、こうした別の名前をつける気持ちはよくわかる。豆腐チャンプルーなどはわが家でいくらやっても島豆腐並みの味は出ない。
 でも、沖縄に行ったときスクガラスの瓶詰を買ってきて、こちらの豆腐の上にあげて食べても、島豆腐ほどでないにしても、やはりうまい。これはお薦めである。
 しかし、沖縄名物だという「豆腐餻(よう)」は食べられない。豆腐を麹と泡盛で発酵させたもので東洋のチーズとも呼ばれているとのこと、酒好きの人にはたまらない味だという。だから酒飲みの私も好きなはずだと勧められるのだが、どうしてもだめである。

 私も家内も豆腐は大好き、健康にもいいということで、よく豆腐を食べる。国産大豆を使った豆腐を選び、生協の家庭班を通じてあるいはストアで購入しているが、昔よりも豆腐一丁の大きさが小さくなったのではないか、滑らかに柔らかになったが水っぽくなりすぎたのではないか、昔の布目のついた固い豆腐がなつかしい、たまに食べて見たいなどと二人でつぶやきながら、さまざまな豆腐料理をおいしくいただいている。

(註)
1.11年5月23日掲載・本稿第二部「☆自給生産の壊滅」(1段落)参照
2.13年3月4日掲載・本稿第五部「☆五穀・雑穀、ヒエ、アワ、キビ」、
  13年3月8日掲載・  同 上 「☆地頭・雇い・名子」、
  13年3月11日掲載・  同 上 「☆雑穀作から酪農へ、そして今は」、
  13年3月14日掲載・  同 上 「☆ソバ、救荒作物・主食、金次郎」参照
3.「トナガマ」は本稿の下記掲載記事で述べた「やだ釜」と同じものとのことである。
  13年3月11日掲載・本稿第五部「☆雑穀作から酪農へ、そして今は」(7段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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