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味噌のお握り、おでん




               マメ・思いつくまま(12)

               ☆味噌のお握り、おでん

 さて、味噌汁とご飯の相性がいいという話をしてきたが、そもそも味噌とご飯の相性がいいからそうなるのだろう。それを身を以って感じたのは子どものころ食べた味噌お握りだった(註1)。
 かつて農家の夕食は遅かった。暗くなるまで働き、それから晩ご飯となるからだ。当然のことながら子どもたちは腹が減ってしまう。だからといってお菓子などおやつはめったに食べられず、我慢させられることになる。それでもどうしてもお腹がすいてだめということになると、たまにではあるが、祖母が残り飯で小さなおにぎりをつくり、味噌を上につけてくれる。味噌お握りである。表面の味噌の塩味、中身の冷たい甘いご飯、この絶妙なバランスがかぶりつくたびに空いたお腹のなかに入っていく、本当にうまかった。
 という話をすると家内は言う、家内を育ててくれた本家の祖母は生味噌は身体に悪いとそんな風にして食べさせてくれなかった、食べさせるときは味噌お握りを焼いてくれたと。この焼きおにぎり、これは生味噌のお握りとはまた違った味がする。カリカリと焼け焦げた表面の味噌とご飯の味、中身の温められたご飯の味とが絶妙にからみあう。
 しかし、それは家内の育てられた本家が非農家で家族数が少なく、可愛い幼い孫は一人だけだからできたもの、私の家ではそんな焼いて食べさせるなどの暇は祖母にはなかった。何しろ十人以上の家族のご飯の支度をはじめとする家事、屋敷内の畑の管理等々があり、幼子から小学校までの子どもの数も多かったからだ。そもそも味噌お握りをつくってもらうこともめったになかった。いつもは腹が減ろうがどうしようが放っておかれた。
 祖母や母が味噌お握りを焼くのは誰かが遠出をするときに途中で食べる弁当としてだった。焼いたのは保存のためだったろうが、焼き味噌お握りは冷たくなってもうまかった。疲れた身体に味噌味が染み渡った。食べ終わった時に飲む冷たい水も格別だった。

 こうした幼い頃を思い出してだろうか、孫に味噌お握りの味を覚えておいてもらいたいからだろうか、家内はときどき夕食後少量余ったご飯を小さな味噌お握りにして皿に載せ、食卓の上においておく。すると、テレビを見たり遊んだり、お風呂に入ったりして小腹の空いた孫や私が手を出して食べる。
 おやつやインスタントものがあふれている時代にこんなことをするのは時代遅れなのかもしれないが、私は好きである。

 このようにご飯に味噌をつけて食べる、つまり味噌に何にも手を加えないで味噌の味をそのまま生かして料理の素材を食べるということでは、キュウリなど生の野菜に味噌をつけて食べるということがある。もちろん主体は野菜であり、味噌はまさに調味料、ただその味噌に何も手を加えずそのまま食べるという点では味噌お握りと同じである。
 もぎたてのキュウリに味噌をつけて食べるのはこれまた絶品である。子どものころ、初物のキウリの青い匂いを嗅ぎながら味噌をつけ、パリッと音を立ててかじると、キウリの淡泊な甘味が味噌の塩味に引き立てられて口のなかに冷たくひろがる、この瞬間が何ともいえず好きだった。もう夏だ、夏が来た、それを改めて実感する瞬間でもあったからだ。
 夏の暑い日、冷たいビールもしくは冷酒のおつまみとして、細く切ったキュウリ、ウド、ニンジン、ダイコンを生のまま透明のコップに入れ、気分のおもむくままにそこから手でとって味噌をつけて食べる。これはたまらない。
 なお、このように味噌おにぎりや野菜に味噌をつけて食べるという料理は今は料理屋でも出すが、その味噌には砂糖など他の調味料が加えられている場合がある。それはそれでおいしいが、私はやはり生味噌、つまり味噌そのものあるいはちょっと焼いただけの、つまり本来の味の方が好きである。

 味噌をつけて食べるものに他に何があるか、子どもの頃の私がこう聞かれたら、きっと「おでん」と答えたに違いない。
 そうすると今の若い人たちは奇妙に思うかもしれない。そして言うだろう、おでんに味噌をつけて食べるなど聞いたことがない、あのおでんに味噌をつけて食べたってうまいはずはないと。確かにそのとおりである、私の言うおでんは、一般に言われているおでん、つまり醤油味のだし汁でダイコン、豆腐、がんもどき、こんにゃく、ちくわなどを煮込んだいわゆるおでんとは違うのである。子どもの頃の私たちにとっておでんといえば串に刺した三角形の薄いこんにゃく(註2)であり、それをお湯で温め、それにこれまた温かい甘味噌だれをつけたものだった。このおでんは家庭でもご飯のおかずとしてつくったが、お祭りには必ずそのおでんを売る屋台が出た。私たちはお小遣いでそれを買い、お湯で熱く煮られているおでんをふうふう冷ましながら、また甘味噌が垂れ落ちないようにしながら食べたものだった。また、屋台をひいて売りにも来た。私の息子が幼いころだから60年代後半ころ、毎日のように昼過ぎになると家の前の道路を屋台を引いてチリンチリンとカネを鳴らしながら売りに来て、息子にいつも一串10円で買わされたものだったと家内がよく思い出している。なお、このおでん売りの屋台は寒い時期だけ、暖かい時期は団子売りに変わり、やはり一串10円だった。
 そのころはいわゆる「おでん」も私は知っていた。戦後の焼け跡がまだ残る道路わきにずらっと並んだ屋台でおでんを出すようになっていたし、おでんを専門に出す料理屋などもできていたからである。だからこうしたおでんと区別して、こんにゃくのおでんは「味噌おでん」と言うようになっていた。
 いつ頃からだろうか、この屋台を引くおじいさんの姿は見えなくなった。でもたまに近くの神社の祭りでおでんの屋台を見かけた。
 なお、この味噌おでんを知らない方(みんなご存じなのかもしれないが)は、その甘味噌だれがふろふき大根の上にのせる味噌だれと似ているので、それを熱いこんにゃくの上につけて食べるのだと考えていただければいいだろう。
 このふろふき大根以外にも煮たり焼いたりしたナスなどの野菜に甘味噌だれをかけてあるいはつけて食べる。ここでも味噌は大きな役割を果たしている。

 ところで、「おでん」という言葉は「田楽」から来たもので、田楽には串に刺して焼く「焼き田楽」と「煮込み田楽」とがあり、このうちの煮込み田楽がおでんと呼ばれるようになり、田楽は焼き田楽を指すようになったとのことである。
 味噌に砂糖など他の調味料を加えて豆腐やナスなどにつけて焼いて食べる田楽、これはこれで本当にうまい。一方、私の今言ったこんにゃくの味噌おでん、これはこんにゃくを串に刺すこと、煮込むこと、それに味噌をつけること等からして、「焼き田楽」と「煮込み田楽」との中間にあるもので、きわめて貴重な存在と言える。
 最近この味噌おでんの屋台をお祭りでずっと見ていないが、もうなくなったのだろうか。本当にたまにだが、家内がおかずに出してくれるが。

(註)
1.お握りについては別の視点から下記掲載記事のなかで述べているので参照されたい。
  13年8月5日掲載・本稿第六部「☆お握り、弁当」
2.長四角の場合もある。


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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