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醤油と私たちの食



               マメ・思いつくまま(14)

               ☆醤油と私たちの食

 味噌といえば醤油だが、醤油もいうまでもなく私たち日本人に不可欠の調味料、しかもともに大豆からつくられたものである。
 私の生家の場合、味噌は自家製だったが、醤油は買っていた。なぜだかわからないが、周辺の農家もみんなそうだった。一升瓶を持って八百屋に行くと、八百屋さんが大きな醤油樽から枡(ます)で量りながら瓶に入れてくれ、それを落とさないように大事に抱えて家に帰る、これは子どもの仕事だった(註1)。
 この醤油瓶から祖母や母が食材の入っている鍋釜などの煮物や汁物に直接入れて、あるいは醤油差しに入れてそこから家族員がそれぞれ食材につけあるいはかけて、味付けをしたものだった。

 子どものころの食事時、生家の大きな食卓の上には必ずガラスの「醤油差し」が真ん中にでんとおかれた。もちろんそれは私の家だけではない。醤油を入れて少量ずつ注げるように作られた容器である醤油差しが日本の家庭の食卓に、和食堂のテーブルの上に必ずといっていいほどおかれていた。ということは、それだけ醤油をつけてあるいはかけて食べる料理が多かったことを示すものだった。
 生家の場合、まず畑から採ってきたばかりの野菜をゆでた「お浸し」にみんなそれぞれ醤油差しからかけてあるいは小皿などに注いだ醤油をつけて食べた。
 漬物にした野菜にも醤油をかけた。浅漬け等、ちょっと塩味が薄い場合にかけるのである。祖父や父は十分に漬かったと思うような漬物にも醤油をかけた。塩味にちょっと醤油をたらすと味がよくなるということもあったろうが、機械化以前は本当に重労働、塩分を身体が要求したからなのだろう。
 生の野菜に醤油をつけてあるいはかけても食べた。キャベツや大根、ミョウガの千切りに醤油をかけて食べる、大根、ナガイモをすりおろし、醤油を入れてかきまぜて「大根おろし」、「とろろ」として食べる(ヤマイモは味噌で食べる場合があるが)などがその典型だが、私がもっとも好きだったのは「だし」だった。といってもお分かりにならない方が多いと思うので、ちょっと説明させてもらう。

 これまでも繰り返し述べてきたように私の生家は山形市近郊の野菜作農家であるが、当然のことながらネギもかなり栽培した。まず春先、よく耕した畑に苗床をつくってネギの種を散播する。やがて芽を出したネギはぐんぐん伸びて、7月ころ30㌢くらいの細ネギとなる。それを苗として、20㌢くらいの深さの溝を掘った本圃(註2)に定植をし、下部が白く、上部が緑の太いネギに育てて秋に収穫し、販売する。もちろんその一部は自分の家でも食べるが。
 このネギの定植(=植え替え)の時、成長のいい苗だけを植え、残りの悪い苗は捨てる。つまり間引きをする。しかしこの細ネギを捨てるのはもったいない。食べようと思えば食べられるからだ。そこでその間引きした細ネギを、家に持って帰る。
 ちょうどこのネギの植え替えの時期はキュウリやナスの収穫期でもある。そこで畑から採ってきたキュウリとナスと、今の細ネギを細かく刻んで、混ぜ合わせる。それにシソの葉やミョウガを刻んで入れてもよい。そしてそれをそのまま大きな深皿に入れて食卓に出し、それに適当に醤油をかける。家族はそれぞれ好きなだけ匙ですくってご飯の上にかけて食べる。
 ネギ、ナス、キュウリのそれぞれ異なる独自の味が絶妙にからみあい、さらにシソやミョウガの味も加わり(子どものころの私はこれが苦手だったが、今はこれが必需品である)、醤油はそれらを引き立て、調和させる。それをかけたご飯はさらにうまくなり、食欲もわく。これは夏の楽しみの一つだった。これを山形では「だし」と呼ぶ(出し汁のだしとはまるっきり違う、なぜそんな名前で呼ぶのかわからない)のだが、まさに季節の料理だった。
 今はこの「だし」がほぼ年中仙台の生協ストアで売られている。ご親切にもすべて刻んである。これでは鮮度が落ちるのではないか、自分で買って刻んで食べた方がうまいのではないかと思うのだが、それはそれとして、山形の食文化が仙台にも根付いたようである。しかもほぼ年中店に出ている。西日本でのみ栽培されていた「葉ねぎ(青葱)」も東北で栽培されて年中店頭に並べられるようになり(東日本は太ネギ・白ネギ、西日本は細ネギ・青ネギの生産・消費地域だったのだが、1980年代ころからではなかったろうか、東でも細ネギ・青ネギが生産販売されるようになってきた)、間引きしたときにだけ食べるということではなくなってきたからだろう。しかも最近は一年中ナス、キュウリ、シソ、ミョウガが店頭にある。それでいつでも食べようと思ったら食べられ、また売られるようになったのだろう。
 その売られている「だし」を見るたび、地域固有だった食の全国共通化、食の季節性の喪失をしみじみ感じる。もちろん、それが悪いことだなどと言うつもりはまったくないのだが、ちょっとさびしく思うこともあり、何とも複雑である(註3)。

 なお、かつては今ほど生野菜を食べなかった。寄生虫の問題があったからである。今はそれがなくなったことと、栄養分が煮ることで減ったりしない、カロリーが少ないので痩せるなどということから、レタス(かつてはチシャと言った)をはじめ野菜を生で醤油をつけてあるいはかけて食べることが増えている。もちろんソースやサラダオイル等で食べる場合も増えているが。
 こうして生で野菜を食べるとがさばるのであまり量を食べない、野菜の需要を増やすためには生でなくかつてのように煮て食べるように勧めればよい、などとかつて青果市場の人が笑いながら言っていたが、なるほどと思ったものだった。

 生野菜だけではなく、生の魚を食べるさい、つまり刺身にしたときには醤油をつけて食べる。いうまでもないが、醤油なしでは刺身はあり得ない。ということは握り寿司も醤油なしではありえないことになる。
 生魚だけでもない、焼き魚にも醤油をつけて食べる。
 焼肉にもそうだ。ニンニクと生姜を摺って入れた醤油に焼肉をつけて食べるのは私の大好物である。
 ざるそば・ざるうどん、冷やしそうめんなどは出し醤油のたれなしでは存立しえない。そんなことをあげたらきりがないのだが、醤油と同じく大豆製品である納豆、冷奴、湯豆腐も醤油をつけ、あるいはかけて食べる。
 刺身、握り寿司、そば・うどん、納豆、豆腐などは日本の食文化を代表するもの、これは醤油あってのもの、つまり醤油は味噌と並んで日本の食文化を支える調味料なのである。

 もう少し醤油はつける、かけるについての話をさせてもらいたいのだが、子どものころや独身時代、よくご飯に醤油をかけて食べたものだった。もちろん、醤油でといた生卵をご飯にかけて、あるいは納豆に醤油をご飯にかけて食べられるなら、それにこしたことはない。しかし、生卵などめったに食べられない子ども時代、納豆などおかずがお金がなくてなかなか買えない独身時代、だけどご飯は食べたい、そこで醤油の登場となる。それをかけるだけで、おかずなしで、十分にご飯が食べられるからである。それどころかご飯がうまい。味噌汁かけと同じように、醤油かけでもってもご飯の味を純粋に味わうことができる(私が勝手にそう思っているだけなのかもしれないが)。しかも、醤油をかけると卵かけご飯や納豆かけご飯と味が似ていて、それを食べているような気にもなる。醤油の味や風味が最も純粋に味わうことができると言った方がいいのかもしれない。それなら醤油をなめればいいではないかと思われるかもしれないが、それではしょっぱいだけ、ご飯の味があるから醤油の味が浮き立つのである。
 なお、こんな贅沢はめったにできなかったが、海苔を手で細かく割いてご飯の上にふりかけ、それに醤油をかけて食べる、海苔の香り・うまさと醤油、ご飯の味がぴったり、これはうまかった。

 前節で味噌お握りの話をしたが、醤油お握り、これもうまい。しかし醤油は液体、おにぎりがくずれてしまう。そこで醤油をつけるとすぐに焼く。こうするとこわれない。しかも醤油の焼けた味と匂い、これがまた何ともいい。
 孫が3~4歳のころ、たまに朝飯を残す。家内にしてみると孫には全部食べさせたいし、残ったご飯ももったいない。そこで残ったご飯をフライパンに入れてせんべいのように平らに焼き、その上に醤油をつける。それを皿に載せておくと匂いにつられてか孫たちは手を伸ばして食べる。
 あるとき孫が家内に言っていた、「おばあちゃん、『カリカリご飯』つくってちょうだい」、なるほどうまく命名したものである、表面がカリカリになっていることはたしか、家内は「はい、はい」と笑いながらつくってやっていた。それから「カリカリご飯」はわが家の共通語になった。
 もう一つ、ついでに言うと、私の娘と息子が小さいころ、家内が何かで忙しいとき朝の残りご飯をバターと醤油で炒めて昼飯とする。子どもたちはそれが大好き、「今日のお昼は『バタショウゴ』にしてちょうだい」と時々注文する。バター、醤油、ご飯を縮めて命名したのである。これは孫にも引き継がれ、今もわが家の共通語となっている。

 切り餅を焼いて醤油をつけて食べる、これは私たちの子ども時代の冬の楽しみだった。お菓子も何もないころはましてや、いつも炭の熾きている火鉢に網を渡し、餅を持ってきて焼き、小皿に注いだ醤油をつけて食べた。うまかった。
 さらにうまい食べ方がある。餅がある程度焼けたら網から箸でとり、小皿の醤油をそれにつけ、また網の上に載せる。餅につけた醤油がぽたりと炭火の上に落ちてジューッと音がし、醤油のこげた匂いが立ち上る。さらに、餅につけた醤油が焼けて、それがまた匂う。何ともいえない香ばしさ、食欲はぐんと増し、口の中に入れたときの餅はまた一味違う。これが冬の楽しみだった。
 今は焼いた餅に醤油をつけ、それを海苔でまいて食べる。これは私の大好物、海苔生産の技術向上でこんな贅沢もできるようになった。
 手作りせんべい屋さんから流れて来る焼けた醤油の匂い、それをかぐと、子どものころの餅焼きを思い出し、ついつい誘惑に負けて醤油せんべいを買ってしまう。そして歩きながら熱々のを一枚食べる、やはり醤油はそしてせんべい・米は日本人の味なのだなと改めて確認しながら。

 いうまでもないが、醤油は食材につける・かけるだけのものではない。汁物、煮物、漬物等々さまざまな食材の味付け、色付け、香り付けに用いられており、天丼、牛丼、すき焼き、うなぎ、天ぷら、中華そば等々、醤油なしに成り立たない料理の種類は数えきれない。説明の必要もないのでもうやめるが、味噌以上ではないかと思う。

(註)
1.11年5月23日掲載・本稿第二部「☆自給生産の壊滅」(1段落)参照
2.苗床で育てた苗を移植して収穫まで育てる本来の畑のこと。
3.11年10月12日掲載・本稿第三部「☆食べたいときにいつでも食べられる幸せ」(3段落以降)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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