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「たまり」と自家製醤油



               マメ・思いつくまま(15)

              ☆「たまり」と自家製醤油

 昨日(9月13日、日曜日)は近所の八幡神社のお祭りだった。本来なら9月15日なのだが、最近はその近くの日曜にやるようになったのである。朝お参りに行ってきたが、昔から見ると露店も少なく、寂しい感じだった。それでも、午後から流鏑馬や演芸会などをやるので、きっと人出も多くなったことだろう。
 前にも書いたが、私の山形の生家の近くにも八幡神社があり、子どものころその祭りは本当に楽しみだった(註1)。何といってもうれしいのはお小遣いをもらって露店でおもちゃや食べ物を買うことである。その一つに「玉こんにゃく」を買って食べることがあった。
 といっても玉こんにゃくがわからない方もあろう。ちょっとだけ説明させてもらう。玉こんにゃくとは直径4㌢くらいのまん丸いこんにゃくをいうのだが、それを醤油だけで煮込み(水は使わない)、醤油の色と味を中までしみ込ませ、それを4個、竹串や割り箸で団子のように刺して食べるものである。
 その玉こんにゃくをぐつぐつ煮立った大きな鍋の中に入れて祭りの露店で売っている。わきに黄色い辛子がおいてあり、好きな人はそれをこんにゃくに塗って食べるのだが、さすがに子どものころはつけなかった(もちろん大人になってからは必ずつけて食べるが)。この醤油の煮立った匂いがいい。どうしても食べたくなり、ぎっちり握っていた銅貨を決心して手放す。
 店の人が鍋から上げて渡してくれた串を右手に持ち、他の店を見て歩きながら、一番上の玉こんにゃくを一口噛み切って口に入れる。熱い。それをやけどしないように上手に食べる。口の中に醤油の味がひろがる。なんともうまい。煮汁の中に裂いたするめをだしとして入れてあるからである(もちろんこんなことは後で知ったことだが)。
 最近は仙台の八幡様の祭りでもその玉こんにゃくを山形名物として売るようになったので、必ず買いに行くことにしている。昨日もそれを目的にして祭りに行ったのだが、なぜかその店は出ていなかった。それですごすご帰ってきたのだが、初詣でのときには出店しているかもしれない。それを楽しみに待つことにする。
 なお、玉こんにゃくで今一番うまいのは『奥の細道』の「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」で名高い山寺に登る途中で売っている玉こんにゃくである。その匂いをかいだらきっと食べたくなると思うが、山寺に行ったらともかくだまされたと思って買って食べて欲しい。

 ところで、この「醤油」のことを私の子どものころはみんな「たまり」と呼んでいた。これは山形言葉なのだろうと思っていたのだが、その持つそもそもの意味を知ったのは敗戦前後の物不足時代のことだった。

 そもそも醤油は、加熱処理した大豆と小麦に麹菌を発生させ、それに食塩水を加えて分解、発酵、熟成させたもろみから搾った液体なのであるが、戦争の激化にともない、その原料の豆や小麦の入手が困難になってきた。そこで戦時中つくられたのが代用醤油(「アミノ酸醤油」)だった(註2)。当然私の生家もそれに切り換えたはずなのだが、いつ頃切り換えたのか、そのときに私がどう感じたかなどの記憶はない。幼いころだろうからこれも当然だろう。
 ところがその醤油もなかなか手に入らなくなった。都市の消費者のなかには醤油はもちろん味噌も手に入らなくなって、おつゆを塩汁にしたり、ほかの味付けも塩でしたものだったなどという話をよく聞いたものだが、私の生家は味噌を自給していたのでそこまではいかなかったようである。それでも醤油は不足、節約しても限界、そこで祖母は味噌から醤油をつくって何とか対処しようとした(註3)。実際にどのようにしてつくったのか私は見ていないが、できた醤油の色は味噌の色に似ていて赤みが薄く、何か甘ったるくて塩味が足りず、これまで使っていた醤油の味とはまるっきり違い、どうしても好きになれなかった。いやきらいだったと言った方がよかろう。
 そう言ったら、家族の誰からだろう、祖父からではなかったろうか、こう言われた。そもそも農家は昔自家製の味噌を塩水で発酵させたものからしたたり落ちて「たまった汁」で醤油をつくったのだ、だからそれを「たまり」と呼び、自分の家で使っていた、その名残りで山形では醤油を「たまり」と呼ぶのだ、それをまずいなどと言ってはならないと。
 そのときにはなるほどと思い、悪口は言わないようにしたが、やはりまずかった。祖母もしばらくぶりで(あるいは初めてだったのかもしれない)つくったのでうまくできなかったのかもしれない。しかし、まずいと思ったのが私だけでなかったからなのか、何とか醤油が手に入ったからなのか、復活した自家製醤油・たまりの製造はその一回だけで終わった(と私は記憶している)。

 戦後の復興の中で醤油生産が復活し、1950年ころから(だったと思う)は本醸造(アミノ酸液を使わない作り方)の醤油づくりが本格化し始め、私の生家でもそれを使うようになった。ところが私は最初その醤油をうまいとは思わなかった。何かさっぱりしていないというか、言葉で言い表せない奇妙な味がついているような気がする。これが本来の醤油の旨みなのだろうが、どちらかというと以前の醤油の方がさっぱりしていておいしい (今もアミノ酸醤油が製造販売されているのはだからではなかろうかと考えたりもしている)などと最初は思ったものだった。しかし、3~4日過ぎたら、その新しい醤油の味に慣れてきたのか、いや幼いころの醤油の味を思い出したのかもしれないのだが、抵抗感は一切なくなり、もう前の代用醤油には戻れなかった。
 そして今にいたるのだが、さきほど述べた農家の「たまり」製造、醤油自給の話は戦中戦後の異常事態のなかでのこと、私の生まれた頃には味噌は自給していても醤油を自給している農家などなくなっていたと思っていた。その後の農家調査でも昔の話として聞いたことはあったが、自家製の醤油をごちそうになったことはなかった。
 しかし一部に醤油も自給している地域、農家があった。醤油自給のことなど調査項目に入れたことはないからわからなかっただけだった。
 たとえば前に豆味噌・味噌玉つくりの話をさせていただいた岩手葛巻のNさん(註4)の地域では戦後も味噌から搾った汁を醤油として使っていたという。
 これとちょっと違うのは岩手県遠野である。前に本稿に登場いただいたYさん(註5)の話だが、市内のT地区でかつて農家がやっていた醤油作りを体験させてもらったことがあるという。まず、味噌を煮てそれに煎った小麦を混ぜ、さらに麹菌をまぶして何日間かおく。すると緑のカビが生えてくる。そこに塩と水を入れて、一年くらい発酵・熟成させる。それを濾して醤油ができあがる。かつてはこうして醤油を自給生産していたというのである。
 このように、この遠野での自家製醤油と葛巻や私の生家の地域での自家製醤油とは違う。遠野では味噌と小麦を原料としているのに、葛巻や生家では味噌だけを原料にしていたのである。
 そこで改めて調べて見たら、本来はこの味噌(=大豆)に小麦を加えて原料にしてつくったものを醤油と言い、味噌(=大豆)だけを原料にして麹菌を植えつけ、塩水に仕込んで熟成させて絞った液体を「たまり」と言うのであり、中部地方などでは「たまり醤油」として製造され、愛用されているのだそうである。
 したがって遠野の自家製醤油はまさしく醤油であり、葛巻や私の生家の自家製醤油は「たまり」だったということになる(もしかすると祖母のつくった「たまり」も味噌に小麦を加えてつくった本来の「醤油」だったのかもしれないのだが、今となっては確かめようがない)。
 だけど、「たまり」という呼び名は味噌からぽたりぽたりと落ちて「溜まる」ということからきたものだという祖父の説、本当かどうかわからないが、これはあながち嘘とも言えなさそうである。

 どうも醤油の製造過程は味噌よりも難しく手間もかかったようである。それで多くの地帯で農家は醤油づくりから撤退し、専門の醤油製造業者に任せるようになったのかもしれない。そしてそのきっかけは明治中期からの中国・満州の安い大豆・大豆粕=醤油原料の大量の輸入(このことについては後で述べる予定である)であり、北上山地のような大豆主産地・畑作地帯を除いて、農家も徐々に醤油を購入するようになったのではなかろうか。

(追記)
 さきほど醤油づくりでご登場いただいた遠野のYさんは前に書いたように(註5)東京在住の研究者IA君の奥さんのA子さんから紹介してもらったのだが、この草稿を書いている途中に、A子さんから次のような電話をもらった。
 T地区ばかりでなく、A子さんの実家のあるA地区でもその昔共同で醤油をつくっていた記憶がある、そこで実家の近所に住む90歳になるOさんという方からかつての味噌づくり、醤油づくりの話を聞いてくれたというのである。
 その話は非常におもしろかった。ぜひそれを記録として残しておきたく、もう少し詳しくお聞きして後に続編として書かせてもらうことにしたい。
 ただ一つだけ先取りして触れておきたいことがある。
 Oさんによると、その共同での醤油づくり以前の子ども時代(昭和一桁期)には、味噌に水を入れて煮て、それを袋で濾したものを醤油として使っていたというのである。つまり遠野でも葛巻や私の生家で戦中つくったやり方(小麦を使わない「たまり」の作り方)と同じようなことをやっていたことになる。それがその後どうして小麦を入れた共同の醤油づくりとなったのか、こうしたことも含めてもう少し整理して書こうと思っている。

(註)
1.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」(6段落)、
  13年6月20日掲載・本稿第五部「☆鎮守の神の祭り今昔」(2、4段落)参照
2.大豆や小麦グルテンなどのたんぱく質原料を塩酸で煮沸して加水分解してつくったアミノ酸液を本来の醤油の製造過程のもろ味に加えて熟成させてつくったとのことである。
3.11年5月23日掲載・本稿第二部「☆自給生産の壊滅」(1段落)参照
4.15年8月17日掲載・本稿第七部「☆自家製の味噌」(2段落)参照
5.15年5月11日掲載・本稿第七部「☆ノウサギ、因幡の白兎」(追記)参照
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コメント

[C64]

このたび、出てきた調味料を全て味わってみたいものです。
自家製醤油を使ったら市販のものは買ってられないという話を聞いたことがあったので。
  • 2015-09-16 22:32
  • Shusaku Ito
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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