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枝豆ともやし



               マメ・思いつくまま(18)

                 ☆枝豆ともやし

 前々回の記事で大豆はすぐれものだといったが、まだ熟していない大豆、それどころか芽を出したばかりの大豆までも人間が利用させてもらっていることからすると、さらに高い評価を与えるべきだということになる。未熟の大豆は「枝豆」として、発芽段階の大豆は「もやし」として、われわれ日本人の重要な野菜として食されているのである。生まれたばかりのときからずっと一生、一生が終わった後の粕まで人間に利用される、ちょっと大豆さんには申し訳ないような気さえする。

 枝豆、いうまでもなくこれは、完熟する前のまだ柔らかい莢とその中の豆を莢ごと収穫してそのままゆで、その莢の中から取り出して食べる大豆のことをいう。
 私の生家でも栽培したが、完熟大豆の畑と未熟大豆=枝豆を栽培する畑とは違っていたような記憶がある。また枝豆は自家用にもしたが、販売用が大半だった。都市近郊農家だったから生鮮野菜は食べるよりもまず商品として売ることが大事だったのである。
 真夏の枝豆収穫の季節になると、午前中に豆畑から葉っぱや根っこのついたまま、つまり株ごとそっくり引っこ抜いてリヤカーで家に運んでくる。そうしないと鮮度が落ちるからだ。だからといってそのまま売るわけにはいかない。
 そこで昼休みの後にやるのが葉っぱ取りだ。丸裸にし(註1)、根っこを切り、茎と枝とそれについた莢豆(豆の入った莢)だけを残す作業である。これは子どもも含めて家にいるものみんなでやる。量があるとけっこう大変だからだ。
 それをわらでいくつかに束ねておくと、午後おそくいつもの八百屋さんが来て目方を量り、豆のなり具合を見る。そして他の野菜といっしょに買ってリヤカーにつけていく。莢豆だけにせず茎につけたまま買っていくのは豆の鮮度を保つためだ。もちろん茎から莢豆だけをとっていれば売りやすく、消費者も食べやすいのだが、今のように冷蔵庫などない時代、しかも暑いさなか、少しでも鮮度を落とさないようにする必要があったのである(註2)。でも、もう店につけば大丈夫、消費者は目の前なので鮮度はそれほど気にする必要はなくなり、また消費者も枝から豆を取り外す面倒を嫌うので、八百屋さんの家族が枝から豆をとって莢豆にして売っていた。茎についたまま並べて売っている店もたまにあったが。

 さて、わが家で食べる場合だが、畑からとってきてすぐに葉っぱを取り、茎や枝から莢豆をざるに取る。
 この葉っぱをとるのは比較的簡単、力もいらないが、その後の莢豆を手で枝から取り外すのはけっこう大変である。ましてや、一つ一つ採っていたら時間がかかる。それで茎の下の方を左手に持って逆さにし、茎と枝を右手の親指と人差し指ではさんで莢豆を強くしごいて、ざるのなかにもぎとる。指の間が痛いのが辛いが、一気に速く豆がとれる。ただし豆を選んで取るわけではないので中には実の入っていない莢や未熟の食べられないような小さい豆しか入っていないものもある。それを選んでなどいられない。またしごいただけで枝についている莢豆がすべてとれるわけではなく、茎や枝の中に挟まったりして取れなかったものもある。それは一つずつ手でもいでざるに入れる。こうしてようやく茎と枝だけ、丸裸になる。それを何回か繰り返しているうち、ざるはいっぱいになる。それを井戸端にもっていき、ざるに入れたまま冷たい井戸水で洗い、大きな鍋に入れてゆでる。
 ゆであがったときの莢そしてその中に入っている豆の色の青緑、生の時とほとんど変わらず、しっとりとしているところが違うだけ、本当にきれいだし、いい匂いがする。とくに取り立ての枝豆、これはうまい。塩をぱらっと振りかけると、あるいは最初から塩ゆでにすると甘味が増すというが、そんなことをしなくとも甘い。
 たった一つ、幼い子どもにとって不満なのは、自分の手で莢から豆を取って食べられないことだ。左手で豆のさやの片方を持ち、右手の親指と人差し指で莢の上と下を押さえ、力を入れて押して中の実を口の中にはじきだそうとする。ところが力がないものだから指がしなるだけで豆が飛び出してこない。大人が豆を取って食べさせてくれるが、自分でやってみたい、しかしなかなかうまくいかない、泣きたくなったものだった。
 やがて一人で食べられるようになると、口を大きく開け、そのなかにいかに遠くから豆を莢から弾き飛ばして入れるかで遊んだり、できるだけたくさんの粒が入っている豆を探して遊んだりもするようになる。
 なお、生家では枝豆はおやつとして食べるのが普通だった。枝豆それ自体をご飯のおかずにはしなかった。また豆ごはんの豆としても使わなかった。酒のつまみとしても祖父や父は食べなかった。それが私にも残っているのだろう、自分の家では枝豆を酒のつまみにしたことはない。
 もちろん、枝豆をすり潰してあえ物に使うというようなことはあった。そしてこのすり潰した枝豆のことを私の生家の地域では「ぬた」といった。

 お盆や秋の彼岸のころ、祖母から命じられる。
 「ぬだもづ(ぬた餅) つぐっから(つくるから) まめつぶしぇ(豆を潰せ)」
 そして莢から取った豆がたくさん入ったすり鉢とすりこぎを渡される。台所の床に座ってすりはじめる。最初はおもしろい。まんべんなく潰すのにどのようにすりこぎを回し、またすり鉢を回したらいいのか考えたり、少しずつつぶれていく、つまり成果があがっていくのを見たりするのが楽しく、一所懸命がんばる。しかしなかなか潰れない。徐々に疲れてくる。手があまり動かなくなってくる。あきてもくる。そこで少し休んだり、すりこぎの回し方、すり鉢の置き方を変えて見たりするが、それでもだめ、とうとう一時休憩、そして祖母に聞く「まだ?」、「もう少し」、しかたなく再開する。やがて祖母が砂糖をもってきて、すり鉢の中に入れる。もうすぐだ、そう思うと急に元気が出てくる。砂糖の入った豆粒は何か瑞々しくなったような感じとなり、すりつぶしやすくなったような気がする。ちょっと小さじですくってなめて見る、まだ砂糖の味がなじんでいないがうまい、そんなことで気を紛らわしてまたすり始める。そんなこんなしているうちにやっと終わる。しめたとばかりにさっと立ち上がり、これ以上もち米の「半殺し」などの手伝いを頼まれないように、さっと立ち上がり外に遊びに出る。ぬた餅の餅は臼でつくのではなく、お釜に入った熱々のもち米を大きなすりこぎでこねて米の粒が若干残る程度についた(これを「半殺し」と呼んだ)餅でつくるものだからだ。
 この「ぬた餅」については前にも述べている (註3)が、仙台ではこれを「ずんだ餅」と呼んでおり、最近は商品化して一年中売り出すようになってきた。またこの「ずんだ」を利用してさまざまなお菓子を開発して売り出している。けっこううまいので賞味していただきたい。
 なお、このぬたで野菜の和え物をつくってご飯のおかずにしたりもするが、それほど食べなかったような気がする。家内は私の祖母がよくつくっていた煮ナスのぬた和えが好きだったというが、私はだめだつた。

 ところで、さきほど大豆用と枝豆用と畑を分けていた記憶があると述べたが、品種がそれぞれ別だったのか同じだったのか、まったく記憶がない。山形県鶴岡の「ただちゃ豆」(註4)のように枝豆用として栽培されていたところもあるのであるいは枝豆用の品種が別途栽培されていたのかもしれないし、年によってうまかったりまずかったりしたような記憶(その年の天候のせいもあるかもしれないが)もあるのでとくに枝豆用の品種を選んで栽培していなかったのかもしれない。
 今は枝豆用の品種の育成が進んでおり、当たり外れはなくなり、みんなうまくなっているが、とくにうまいと私が思うのはやはり鶴岡のただちゃ豆、また最近力を入れ始めた山形の「秘伝豆」である。
 なお、冷凍ものが一年中出回っているが、この大半は輸入物らしく、しかも季節外れなので、私は飲み屋で注文することはなく、酒のつまみとして出されても食べないことにしている。最近は国外でも日本食ブームで枝豆を食べるようになっているとか、ぜひとも普及し、日本などに輸出せずに自国で食べるようにしてもらいたいものだ。

 さて、枝豆ができる段階よりもっともっと前の発芽段階にある大豆、いわゆる「豆もやし」だが、いうまでもなくこれは水を吸わせた大豆を高温多湿の暗所で発芽させ、その芽を水分を補給しながら成長させたものである。これは出来不出来は別にして誰でもつくれるが、私の生家でつくっていたというはっきりした記憶はない。戦中戦後のもの不足時代、たいていのものを自給したのでつくったことがあるような気もするのだが。
 戦後のことだが、八百屋さんに買いに行かされたのは覚えている。二つに割れた黄色い豆を上にして20㌢くらいまっすぐに伸びた白い茎と根を何十本か平らに並べ、それを稲わらで縛って束ねて売られていた。買ってくると味噌汁の身にして食べさせてくれたが、黄色い豆は半分に割れていて口の中に入れると歯ごたえがあって甘く、それが味噌汁の味とぴったり合い、豆から下の方に伸びる細く柔らかく伸びている長い根はシャキシャキとし、いずれも歯触り、舌触りがよく、大好きだった。
 また、おひたしにするとか、油炒めとかしても食べた。とくに豆もやしに味があるわけではないが、やはりシャキシャキ感がよかったのだろう、これも好きだった。

 札幌ラーメンのチェーン店が全国展開したころ、これがいつだったろうか、80年代ではなかったろうか、そのころ突然豆もやしがきらいになった。
 勤務先の農学部のすぐ隣に札幌ラーメンの店ができたので、弁当をもってこなかったときしかも時間のないときなどきわめて便利、何回か食べに行った。しかし何か一つ気に入らない。もやしのせいではなかろうか。かつて札幌で食べたときと違って上にごっそりともやしをのっけてくれる。安いからサービスしてくれているのだろうが、この匂いがどうも気に入らないのではなかろうか。そこであるときもやし抜きにしてくれと頼んだ。すると抵抗感なくおいしく食べられる。なぜなのだろう。かつてあれほど好きだったもやしが嫌いになったのだろうか。と思って次のとき、また普通のもやし入りにして頼み、よくよくもやしを見た。短いし、曲がっている。豆は本当に小さく黒い小さな種皮のようなものもついている。これは前にいつも食べていたもやしとは違っている。とすると今までの豆もやしはどこに行ったのだろうか。そんな疑問を感じた程度で年月が過ぎて行った。
 いつごろ誰から聞いたのか覚えていないが、出回っている豆もやしは大豆のもやしではなくブラックマッペというアズキの一種であり、タイなど東南アジアから種を輸入してもやしにしているということを知った。きわめて安く生産できるので急激に普及し、学生といっしょにたまに食べた「にらレバ炒め」にはこのフラッペもやしが大量に入るなど、飲食店でも家庭でも鍋物や炒め物にこのもやしが使われるようになった。80年代にはそれがもやしの主流になり、コストの高い大豆もやしはあまり見られなくなってきた。
  いつのころからかわが家の食卓からもやしが減ってきた。私があまり食べないからだろう。ただし大豆もやしの味噌汁はときどきつくってくれる。私の好物だからである。
 そのうちこんなことに気が付いた。たまにおかずとして出す和え物のもやし、大豆もやしではないようだが、フラッペもやしとも違うようだと。しかも食べられる。食味・食感は大豆もやしと似ているからである。ただし長さが違う。これも後でわかった、それは中国の内モンゴルから種子を輸入している「緑豆」というササゲの一種だったのである。大豆もやしと似ているので、今はそれが主流になっているとのことであり、わが家で食べていたもやしのかなりの部分がこれだったようである。

 食事のことに関しては家内にとくに何か言ったことはなかった。出されたものを食べる、食べたくないものは残す(というより残ってしまう)、家内はこれで判断しておかずをつくり、弁当をつくってくれた。家内に頼まれて八百屋さんなどに買い物に行くことはあったが、自ら行くなどということもあまりしなかった。したがって豆もやしなどについても何かのおりに他人から聞いたり、新聞・雑誌等から知ったりするだけだった。食品問題、消費問題は自分の専門ではないとしても、いかに忙しかろうとも、食生活は農業生産ともかかわりのあること、もっと関心をもってしかるべきだったのだが。
 それはそれとして、前にも述べたように、東北大定年後の網走生活のころから家内の買い物にときどきつきあうようになり、また仙台に戻ってからは必ず家内といっしょに買い物するようになり、そのころから豆もやしの棚も見るようになった。
 いつも行く生協ストアで改めて驚く、豆もやしが食品売り場にいかに多く並べられているかと。量ばかりでなく、種類も多い。同じものでメーカーが違うだけというのもあるが。それだけ需要があるのだろう。自炊している学生諸君などに聞くと、安いし、栄養分もあるし、炒めただけでもゆでただけでも簡単に食べられる、鍋や炒め物の増量材にもなるので非常にいいと言う。たしかにそうかもしれないし、気持ちはよくわかる。しかしたまにはまともな和製の大豆もやしを買って食べてもらいたいものだ。片隅にしょんぼりおかれているのを見るのは何とも悲しい。

(註)
1.取った葉っぱは牛やヤギの餌となる。
2.こうした努力は今も続けられているが、それについてはただちゃ豆を例にして下記の掲載記事で述べている。
  12年2月20日掲載・本稿第三部「 ☆産地直売の推奨と限界」(3段落)
3.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」(3段落)、
  13年4月25日掲載・本稿第五部「☆かき餅・くだけ餅、牡丹餅、ちまき」(3段落)参照
4.12年2月22日掲載・本稿第三部「☆地産地消を基礎に国産国消を」(2段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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