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小豆のイメージ―お手玉、赤いダイヤ―



                マメ・思いつくまま(20)

            ☆小豆のイメージ―お手玉、赤いダイヤ―

 晩秋の晴れた日、畑から抜いてきて小屋の軒下に掛けて干してあった小豆をおろしてむしろの上で叩き、実を落とす。その粒は大豆よりも小さい。文字通り小豆である。色は紫がかった赤褐色、表面は滑らかでつやつやしている。太陽の光を浴びて輝く小豆はきれいである。
 それを見るとよくわかる、この大きさから小豆は「小さいもの」の代名詞となったのだろうと。
 また、その色つやから「小豆色」という言葉が生まれ、赤飯などのように食材の着色にも利用されるのだろうこともすぐ理解できる(註1)。

 農大にいたころ、私のゼミにOK君という小豆島出身の学生がいた(註2)。その彼を、女性研究者のWMさん(これまで何度も登場いただいた)がわざと冷やかす。
 「小豆島ではキャッチボールなどまともにできないでしょう、暴投するとボールはまっすぐ海にボチャンじゃないの」
 すると彼はむきになって言う、
 「そんなことはないですよ、そんな小さな島ではありませんよ」
 たまたま小豆島は『二十四の瞳』の小説や映画で有名になっているからほとんどの人はそんなに小さな島ではないとわかっている(瀬戸内海では淡路島に次ぐ大きさである)が、知らなければやはり小豆のように小さい島と考えてしまうだろう。

 このように小豆が他の豆より小さいこと、さらに形もよく、しかもつるつるしているので滑りやすいこと、このことが小豆をお手玉の材料にする理由になったのではなかろうか。小豆は女の子の遊び道具だったお手玉のなかに入れるものとして、つまり遊びの材料としても利用されたのである。
 そしてそれは母親が幼い女の子につくってやるものだった。私の母も妹につくってやっていた。
 これは農家ばかりではなかった。農家以外の世帯でも女の子のいる家の主婦は小豆を八百屋等から買い、端切れ等を利用して袋をつくり、その中に小豆を入れてお手玉をつくり、遊び道具(とくに冬の)として女の子に与えたものだった(註3)。私の家内も娘の小さい頃(1965年前後)にお手玉をつくってやっていた。
 しかし、今の世代の母親が小豆を買って娘にお手玉をつくってやっているなどという話を聞いたことがない (私の娘もつくらなかった、男の孫だけだったからしかたがないのかもしれないが)。お手玉の時代、手作りのおもちゃを与える時代は私たちの世代までで、もう終わってしまったのだろうか。
 それはそれとして、こんな需要も小豆にはあったのである。もちろん量的にはたいしたことはなかったろうが。

 さて、さきほど小豆の色つやがきれいだと言ったが、宝石のようだとまでは言えない(宝石などろくに見たこともないのにそんなことが言えるかどうかわからないが)。ところがその小豆が「赤いダイヤ」とまで言われていた。このことを知ったのは梶山季之の小説『赤いダイヤ』(註4)でだった。
 この本は、商品先物取引である小豆市場を舞台に価格変動を利用して利ザヤを稼ごうとする投機の世界、50年代後半の今でいうマネーゲームの世界を描いたものであるが、私はこうした世界のあることをまったく知らなかった。
 もちろん、株の投機というのは聞いてはいた(註5)し、その昔は米に市場があって投機があった、それが米騒動の一因にもなったというようなことも知ってはいた。しかし、私が物心ついたころは国家による価格統制時代、だから投機のことなどほとんど知らなかった。研究者になってもとくにそれに関心をもたなかった。
 しかし、それは私の勉強不足、統制経済が戦後緩んでくるなかで小豆などでは先物取引が復活し、小豆は食べ物という面からではなくて利益を生む貴重な物であることとその色つやとから「赤いダイヤ」と言われるようになっていたのである。もちろんその逆に先物取引で大損をすることもあり、それで小豆は「赤い魔物」とも呼ばれてもいたのだが。
 にもかかわらず私は相場の世界、先物市場の仕組みなどまったく知らなかった。私ばかりではなかった、研究室の若い教職員や院生もその実態をよく知らなかった。実感もわかなかった。統制経済時代、投機が禁止されていた時代に育っていたからである。
 そのことが話題になり、この梶山季之の小説を研究室の図書費で買い、みんなで回し読みをしよう、学生にも読ませよう、小説なら市場の仕組みをわかりやすく教えてくれるだろうし、現実に起きたことを材料にして書いているので、私たちが下手に教えるよりわかるかもしれないということになった。もちろん個人で買えばいいのかもしれない。しかし当時の印刷・出版事情からして本はきわめて高価でなかなか買えない、研究室の図書室で買ってみんな読めるようにした方がいい。ということで、研究室の会議で買うことを決めた。
 ところが、たまたまそのときの会議に出られなかった教授のHS先生はそれを聞いて次回の会議のときに猛反対した。勉強になるからと小説を買い始めたらきりがなくなる、図書費は学術書に限るべきだと。言われてみればそれは正論である、しかし私たちはどうしても早く読みたいし、自分の金は自分の手元に常備しておきたい学術書の購入に回したい。それで、すでに本屋に発注してしまったからもう取り消せない、今回だけは例外としてくれとむりやり買ってしまった。今もそのことを思い出すと忸怩たるものがあるのだが、本屋がもってきた『赤いダイヤ』、みんなで回し読み、本当に勉強になった。まったく知らない世界だった。難しい学術書で読むよりは先物市場に関して早くしかも正確に理解できたのではなかろうか。しかもさまざまな人間模様あり、政財界・マスコミのどろどろした動きあり、読み物としても非常に面白かった。

 まず、小豆でなぜ先物市場が成立するのかがよくわかった。
 小豆の需要は毎年ほぼ一定である。しかるにその生産つまり供給は天候に左右されやすい。それで年によって価格が乱高下する。とくに大産地の北海道の作柄によって大きく変動する。その変動を予測して収穫前に予測価格での購入もしくは売却を約束し、それと収穫時の実際の価格との差額で利益を得ようとするものが出てくる。そうした買い手と売り手とが行う売買取引を先物取引と言い、それを行う場が先物取引市場なのだが、当然その取引により価格は大きく変動する。とくにカラ売り・カラ買い(現物をもっていないのに売り、資金もないのに買うこと)が可能であることから価格変動はさらに拍車をかけられ、凶作時には大暴騰、豊作時には大暴落する。その取引の過程で、一方では巨額の利ザヤを得るものが生まれ、他方では大損をするものが生まれる。
 もうかったものはいいが、大損したものは大変、破産や夜逃げ騒ぎまで起きることになるが、それは自己責任だとしても、問題は一般庶民だ。価格暴騰では消費者が困り、暴落では生産者が困る。
 こうした仕組みと問題点がよくわかった。そして一方では生産量が気象条件等で大きく左右されないような技術の確立に努めること、もう一方で生産者は生産費を償える価格、消費者は家計の安定を損なわないような価格が補償される仕組みを社会的に構築していくことが必要であることをしみじみ考えさせられたものだった。
 農協もこのような異常な暴落や買占めによる暴騰を引き起こさないように小豆の自主協同販売運動を展開し、系統の一元集荷を確立した。また政府は小豆の輸入を進めて価格の暴騰を抑えようとした。こうしたなかでかつてのような相場変動は起きないようになった。
 けれども、小豆は今も先物取引の対象となっている。

 もう一つ、そのとき感じたのは主食の米が先物取引などの対象になっていないことがいかにすばらしいかということだった。小豆の価格暴騰は餡饅頭を食べたりお赤飯を食べたりするのさえ我慢すれば何とか生きていけるが、米となるとそういうわけにはいかないからだ。暴騰したら生きていけなくなる。
 そうした暴騰が深刻な形であらわれたのが1918(大正7)年の「米騒動」だった。米価の高騰が予測されるなかで地主や商人が米を投機に回し、売り惜しみや買い占めをしたので米価がすさまじく騰貴したのである。それで、米を買えず、ご飯が食べられなくなったことに憤慨した庶民が全国各地で騒動を引き起こした。この米騒動を契機に政府は米の投機等を抑制する施策を取り始め、最終的には食糧管理制度をつくって米や麦の先物取引などができないようにした。おかげで戦中戦後の一時期をのぞいて米価の暴騰や暴落が引き起こされることなく国民に安定して主食を供給することを可能にしてきた。だから私たちは農産物の先物取引などにあまり関心を持たないですむ時代を送ってきた。

 ところが、1995年に食管制度は廃止され、2004年には米の流通や価格はほぼ完全に自由化されるようになった。さらに11年には米の先物取引も、試験的にではあるが、できるようになった。
 幸いなことに今米の販売は農協系統がその大半を握っており、そのために先物取引で大きな価格変動が起きるようにはなっていない。また個人投資家も先物取引に参加しようとはしていないようである。大手ファンドなどの機関投資家も今のところ様子見をしているようである(機関投資家は一般素人の資金を狙って市場に参加するものだとのこと、しかるにまだ個人投資家が米取引に参加していない、それで機関投資家も参加していないとのことである)。それで先物取引で米価が大きく変動するなどというところまでいっていないということらしい。
 しかし、日米の政財界は日本の農協の力を弱め、内外の大資本が農業の生産から流通まで支配できるようにし、米相場が完全復活できるようにしたいと考えているようであり、はたして今後どうなるか、はなはだ心配である。

 「赤いダイヤ」、私はこの言葉が好きである。小豆は本当にきれいだ。他の農産物もみんなそれぞれきれいである。しかも農産物は宝石以上に貴重なものである。したがって貴重できれいなものとして農産物を宝石にたとえる、私はきらいではない。
 しかし「赤いダイヤ」が「赤い魔物」になって欲しくはない。餡として、お手玉として、きれいな小さな豆として子どもたちに好かれる存在だけであって欲しい。
 ところが、最近の政府は「貯蓄から投資へ」の転換を勧め、国民をこの魔物の餌食になるように導こうとしている(註6)。そして大金持ちがますます大儲けできる社会にしようとしている。しかし、少なくとも農林水産業の分野はそのようなギャンブルの場にさせたくないものである。

(註)
1.正確に言うと、小豆には大粒の品種の大納言などもあり、黒小豆、白小豆などの品種もある。しかし小さく赤紫色の小豆が一般的だし、そのように一般にイメージされてもいるので、ここでは小豆とはそういうものとして話を進めさせてもらう。
2.OK君には本稿の下記のところでも登場してもらっている。
  12年7月11日掲載・本稿第四部「☆冬の寒さ対策の今昔」(7段落)、
  13年1月10日掲載・本稿第五部「☆植物工場と資源環境問題」(5段落)
3.11年2月2日掲載・本稿第一部「☆一銭店屋」(4段落)、
  13年6月6日掲載・本稿第五部「☆工夫・協力した遊び、替え歌」(5段落)、
  13年6月17日掲載・本稿第五部「☆歌わなくなった遊び歌」(4段落)参照
4.刊行:集英社 1962年、映画公開:東映 1964年
5.13年3月28日掲載・本稿第五部「★『みんな投資家』の国へ」(2段落)参照
6.  同  上   ・     同   上       (3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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