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最近の政治家用語



               この頃気になること(1)

               ☆最近の政治家用語

 もうすぐ今年も暮れる。また一年何とか生き延びられそうだが、できれば気持ち安らかにこの一年を過ごしたかった。しかしそうはいかなかった。戦争法の強行採決、TPPの合意、農協法・派遣法の改悪等々、気持ちを暗くするようなことばかり続いた。新聞、テレビの報道番組を見るのが憂鬱な日々が今も続いている。とくにNHKニュース、首相をはじめとする与党政治家にしゃべらせる時間だけが長くなったような気がして、それがまたいらいらさせるのだが、それに加えて彼ら政治家が繰り返し毎日のようにそこで使う日本語、これがどうしても気に触る。

 「若者言葉」、「ギャル語」、「バイト敬語」等々、日本語の乱れが話題となってから久しい。こうした「言葉の乱れ」は昔からあったとのこと、これをどう評価するか、論議もされてきている。この論議はこれからも続けてもらいたいのだが、「政治家語」、「アベ語」とでもいうべきか、これは「誤用」、「誤解釈」どころか、国民を愚弄し、だますものでしかなく、どうしても許せない。
 もちろん「政治家語」は今に始まったことではない。
 たとえば国会等での政治家や官僚の答弁で「善処します」とか「前向きに考えます」とかがかつてよく使われた。これはもう有名な言葉であり、その意味は「何もしません」、「現状維持でいきます」ということ、それを身も蓋もないような言葉を使わないで、責任の所在をはっきりしないようにして述べているだけ、本来の意味とまったく違って使っており、これも日本語の乱れということができよう。
 このような政治家による日本語の間違った使い方というか、新解釈というか、新造語というべきなのか、またそれを日本語の乱れと言って本当にいいのかわからないが、それに対する違和感をとくに今年に入ってから感じるようになった。

 ISによる日本人人質問題が起きたとき、首相に会った大臣などにインタビューすると、『緊張感をもって』対処するように指示されたと異口同音に言っている姿がテレビなどで報道された。最初は何の気なしに聞いていたが、毎日毎日、何人もが同じことを言われたとテレビのマイクに向かって仰々しく言うのを聞いているうち、何か奇妙な感じがするようになった。
 当たり前のことではないか、それをあえて何度も言うことは、いつもは政治家や高級官僚は緊張感をもたずに仕事をしていることを示すものなのだろうか。
 あるいは対処しようにも対処のしようがない、つまり無策である、指示のしようがない、でも何もやっていないなどというわけにもいかないということで、こういう指示があったと『緊張感をもっているような顔をして』、『一所懸命やっているように思わせながら』対処せよという意味で使ったのだろう。
 実際に無策だったが。

 それと似ているのが『スピード感を持ってやる』ようにである。こう総理から指示されたともよく大臣等が言う。
  「スピードをあげてやる」、「速くやる」ようにとなぜ言わないのだろう。なぜ「感をもって」なんだろう。
 結局これは、実際のスピードはどうあれ『スピードがあると感じられるようにやる』ように、やっているような感じに見せかけて国民の目をごまかすように、ということなのだろう。

 なお、さきほど述べた緊張感という言葉は別の意味でも使われるようになった。
 政府がお国のためと判断すれば「法的安定性など関係ない」という首相補佐官の失言問題を契機に、今年の夏頃からまた使われるようになった。首相等はこの失言は完全な誤りであるから考え直せとは言わず、戦争法案が国会を通過するまで言動に注意するようにと言うだけだった。つまり本音を漏らさないように「緊張感をもって」発言し、行動しろと言うのである。
 このように『緊張感をもって』は『慎重に本音を隠して』という意味でも使われるようになったことになる。
 そしてそれはいまだに何度も使われている。本音をつまり間違いを正そうとしないものだから、いくら緊張感をもってもついつい本音が多くの政治家の口から出てしまうからである。したがって今後とも繰り返しこの言葉は使われることになろう。

 さらに気になったのは、辺野古基地の建設に関して首相や官房長官を始めとする政府高官が繰り返し繰り返し使う『粛々と進める』という言葉だ。
 「粛々と」というと戦前生まれの私などは上杉謙信の川中島の戦いの「鞭声粛々 夜川を渡る」をすぐに思い浮かべる。いうまでもなく「鞭声粛々」は軍馬を鞭打つ音をはじめとする軍の動きを静かにするということである。
 一方、今沖縄県民は基地の撤去による米軍機を始めとする基地騒音からの脱却、つまり「軍声粛々」を強く要求している。
 とすると政府は、そういう静かにするという本来の意味から「粛々」という言葉を用いて基地撤去に取り組むことが必要となる。
 しかし政府はまったくそんなことは考えない。粛々どころかさらに造成工事で騒音を響かせて自然を破壊しながら基地を辺野古に移設して基地機能を実質拡大し、さらに軍用機等の「軍声」による騒音を、危険を拡大しようとする。そしていくら沖縄県民の反対の声があがってもそれにかまわず「粛々と進める」のだというのである。
 とすると、政府の言う『粛々と進める』は、『何を言われようとも蛙の面に小便で耳を傾けず、また何も言わず、問答無用で強行する』という意味らしい。これは政府の新解釈であり、日本語というよりも「アベ語」とでも言うべきなのだろう。
 「粛々と」という言葉が嫌いになってしまった。そう思っているのは私ばかりではなかった。沖縄県知事からもこの言葉に対する強い抗議の意思表明があった。それからさすがに政府高官は使わなくなったが。

 それから『丁寧に説明する』である。
 これも何度聞いたことだろうか。あれで丁寧に説明しているといえるのたろうか。たとえば今言った基地問題、首相は何回沖縄に説明に行っただろうか。国会等での説明も同じことの繰り返しではないか。また疑問に対してもまともに答えていない。あれで丁寧に説明したといえるのだろうか。戦争法、TPPについてもまったく同じだ。嘘偽りを美辞麗句で飾っているだけだ。
 『丁寧に説明する』、これは『的を外して同じことを繰り返し繰り返しおしゃべりする』ことらしい。このように政府はこの言葉に新しい意味を付け加えたことになる。これから辞書を編纂する場合に、そういう意味もあるのだ、それは21世紀初頭の政治家が付け加えたものだと記載しておくことが必要となろう。
 なお、最近は『しっかりと説明する』という言葉も使うようになった。これは政治資金疑惑等の問題を引き起こした政治家に対して首相や官房長官が使っているようだが、丁寧に説明するとは若干ニュアンスが違うようで、この場合は『うまくごまかせるように説明する』ということのようである。

  『積極的平和主義』、国会での安保法制の審議を聞くたびに、これは『積極的参戦主義』の誤りではないかと考えさせられたものだった。
 アメリカの戦うあらゆるところでアメリカといっしょにアメリカの言うままに積極的に参加して戦うという政治の方向を、平和というまったく異なる概念の言葉を使って覆い隠しているだけだとしか考えられなかったのである。

 その国会審議で、もう一つ気になる言葉があった
 『後方支援』という言葉である。英語ではCombat service support(=「戦務支援」)なのだそうだが、この英語がなぜ、いつ頃、後方支援と訳されたのか、私にはわからない。
 もしかすると、前にも述べたように戦前の日本の軍隊には兵站(補給、輸送、整備、回収、建設、衛生、労務、役務等)の任務を軽蔑する傾向があり(註1)、そういうことから直接武器をもって戦うのを最「前線」として称え、その逆に兵站はそうした勇ましい役割は果たさない、つまり「後方」でしかない、ということでこう訳したのかもしれない。
 幸いなことに、この翻訳は自衛隊員を海外に派遣してアメリカの戦争に参加させようとするさいに大いに役に立った。
 後方支援というとついつい地理的に後方だと考えてしまうからである。そこで、自衛隊は後方支援をやるだけなのだから、前線の後方にいるのだから戦闘に巻き込まれる心配はない、殺し殺されることはない、安心していいのだと国民に言い聞かせようとした。そういう面ではこれは非常に便利な言葉だった。
 しかし、Combat service supportとは実際にはそうではない。戦争遂行にはきわめて大きな役割を果たすものでそのいる場所を問わず直接攻撃の対象になるものだからである。またCombat service supportは必ず前線の後方にいるとは限らない。当然そのさいには殺し殺されるという事態が起こり得る。戦死者も出てくる(日中・太平洋戦争を見ればよくわかる)。
 それは政府も当然わかっている。だからだろう、自衛隊員が海外派遣で命を落とした場合の弔慰金を大幅に引き上げると最近言っているのは。後方支援だから命は大丈夫だと言うならそんなことをしなくともいいはずなのに。
 だからだろう、安倍首相が自衛官の殉職の記念式典に参列し、お国のために死んだと称えるのは。それをNHKはニュースで流す。若者は喜んで自衛隊に入り、戦死者としてあがめられるようになろう、国民もみんな称えようと勧めているとしか思えない。そういうと、それはうがちすぎというもの、自衛隊員は災害復旧など国民のために働いて殉職しているのだから、首相が式典に出るのは当然ではないかと言われるかもしれない。しかし、国民のために働き、殉職しているのは消防士・消防団員、警察官・海上保安官だって同じである。震災のときを見たってそれはよくわかる。そこの式典に首相は毎年出席し、称えているのか。なぜ自衛官だけ称えるのか、そしてそれだけをニュースで取り上げさせるのか。
 こうして隊員の死を首相が先頭に立ってあがめることで国民みんなもそうするのが当たり前であるかのように思わせ、やがてはそうするようにあおり、そうしないのは非国民であるかのような雰囲気を作り出し、さらに近い将来はアメリカ軍の戦争に参加させられて海外で戦死した自衛隊員の遺骨を「名誉の戦死」として国民こぞって日の丸の旗で出迎える、こんな情景が戦前のように日常になってくるのだろうか(註2)。
 昔はなつかしい。でも、こんな昔には絶対に戻りたくない。

 いくら言葉の意味や用法を変えて本音をかくそうとしても、たまにはポロリと本音が出る。自衛隊を『わが軍』などと言うのはその一つだが、そうすると当然強く批判される。やはり本音は隠した方がいい。
 しかし、アメリカに行ったら本音は言ってもかまわない。たとえば安倍首相はアメリカ議会で安保法制=戦争法を国会で通過させるとお約束し、さらに次のようなことも言った。
 「前に米の自由化に反対したのは間違いだった」と謝ったうえで、「長年続いた農業政策や農業協同組合、医療・エネルギーなどの分野を抜本的に変えるなど、私自身が槍の穂先になってこじあけてきた」、褒めてくれと言わんばかりに誇らしげに、これ以上ないようなニコニコ顔でご報告申し上げ、さらにこれからもTPPを推進するなど「世界標準(アメリカンスタンダード・筆者註)にのっとるべく」がんばると言う。
 「槍の穂先となってこじ開ける」、たしかに彼はそうしてきた、これからもそうしたい、これが彼の本音らしい。
 槍、いうまでもなくこれは武器であり、人を傷つけ、命を奪うための道具である。三本の「矢」と言ってみたり槍と言ってみたり、安倍首相は武器が大好きらしいが、彼はその槍となって、しかもその穂先、つまり最前線に立って戦ってきたと誇る。たしかにそうだった。反対があろうとも理屈が通らなかろうとも、人々の暮らしや命がどうなろうとも、ただただ強引に、規制緩和などの政策を推進してきた。
 何のため、誰のためか。言うまでもなくアメリカンスタンダードにして内外の企業が世界一活動しやすい国にする(註3)ためである。
 それを要求している大企業や投資家はそれで大喜びである。しかしその槍の穂先で突かれた方はどうなるのか、血を流し、命が奪われるしかない。
 現に今、農山漁村に住む人々は、都市に住む人々の圧倒的多数はこれまで戦後培ってきた民主的な権利が踏みにじられ、生活を苦しくさせられ、悲鳴をあげさせられている。 それを彼はアメリカの議会で誇らしげにご報告する。そしてこれからもアメリカの穂先となってTPPの推進や戦争法成立に努力する等々、ご奉公することをお約束申し上げる。

 安保法制についていえば、その約束を果たした。湾岸戦争のとき、アメリカは「金ばかりでなく血を流せ」と日本政府に要求したが、それに応えることができるようになった。槍の穂先は日本の若者、子どもたちにも突きつけられ、その血が流させられようとしているのである。
 TPPについても政府は合意のためにアメリカの槍の穂先となって活躍した。それが何をもたらすのか、ここでは省略するが、このまま批准されれば農山村はまさに断末魔、都市勤労市民も大きな被害を受けることになろう。
 いやな世の中になったものだ。

(註)
1.14年4月28日掲載・本稿第六部「☆『世界で一番企業が活動しやすい国』へ」(1段落)参照
2.14年9月28日掲載・本稿第七部「☆『暗かった敗戦前の昭和』への回帰」(8~9段落)参照
3.14年4月28日掲載・本稿第六部「☆『世界で一番企業が活動しやすい国』へ」 (2~5段落)参照


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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