Entries

病気見舞いと果物の缶詰



                果実・雑感(1)

             ☆病気見舞いと果物の缶詰

 昨年秋、突然胃腸の調子がおかしくなり、緊急入院させられた。絶飲・絶食で点滴を4日間続けさせられた後、ようやくおかゆを食べることが許された。その朝飯のことである。トレイに載せられたおかゆと味噌汁の後ろの小皿に小さな二切れの缶詰のモモが載っていた。きっとデザートのつもりなのだろう。翌々日は缶詰のミカンが数切れ皿に載っている。缶詰の果物、本当にしばらくぶりだった。うまかった。
 そういえば、幼いころ、病気になるとよく果物の缶詰を食べさせられたものだった。熱っぽい身体に冷たいシロップ、舌にとろけるような柔らかい果肉、何とも言えずうまかった。缶詰などめったに食べさせられなかったからなおのことうまく感じたのだろうが。
 そのころの缶詰の味が私の舌によみがえった。もっと冷たかった(病院では皿の上にのせられて時間がたっていたから温まっていたのだろうが)、甘ったるかった、歯触り・舌触りは柔らかかったのではなかったろうかなどと考えながら、本当になつかしく食べた。

 入院して10日で退院、ところが翌日またも身体がおかしくなり、再度緊急入院、それからまた絶飲・絶食が再開された。それも約4週間である。これはつらかった。
 その他に絶食だけというのが約3週間あったが、口で水分をとれるだけ楽だった。
 もちろん絶飲・絶食でも点滴で最低限の水分が与えられているのだから問題はないはずである。しかしおかしなものでやはり水が飲みたい。冷たい水でのどをうるおしたい、固い氷を口に含んで噛みくだき、喉に流し込みたいなどと考えてしまう。口が喉が要求しているのだろう。少し調子がいいとしょっぱい味噌汁が飲みたい、そばつゆが飲みたいなどとも考えるのだが、ご飯やそばを食べたいなどはとくに思わない。ともかく、まずは喉をうるおしたい、とくに果物の缶詰を食べたい、あのシロップを思いっきり飲みたい。病んだ身体が要求するのだろうが、そんなことをしょっちゅう考えていた。

 そのときふと思い出した。そういえば、その昔、病人へのお見舞いは果物の缶詰の盛り合わせだったと。大学病院前の果物屋の店先などには果物の缶詰の盛り籠の見本がたくさん飾られていた。多種多様の缶詰が7~10個くらい入っていたのではなかったろうか。大学病院に入院している人へのお見舞い用として売れるのだろう。
 検査室で担当の若い医師と看護師さんとたまたま雑談になったとき、その話をしたら、そういえばそうだった、私たちの子どものころお見舞いと言ったら果物の缶詰だった、最近見なくなったがどうしてなのだろう、こんな話で盛り上がった。このお二人の年齢からして少なくとも20~30年前までは缶詰のお見舞いがあったこと、その後に廃れたことが推察できるのだが、どうなのだろうか。

 それではなぜかつては果物の缶詰がお見舞いの品だったのだろうか。
 そもそも果物は身体にいいもの、しかも甘くておいしくて食べやすいもの、したがって病人に喜ばれるものと一般に認識されている。となるとお見舞い品としては最適である。
 しかし、生果には季節性があり、年中あるというものではない。貯蔵技術等が進歩していない段階ではなおのこと食べられる時期は限られる。また病人に食べさせたいと思う果物の産地が遠い場合、輸送・貯蔵技術の未発達の段階では、手に入れることが容易ではない。
 これに対して缶詰は生果と違って季節性がなく、いつの時期にも贈ることができる。また遠隔地からの輸送も容易である。しかも加工されているから高価であり、見栄えもいい。となるとお見舞い品として贈るのには最適である。
 他方、お見舞いを受け取る病人やその家族にも喜ばれた。
 かつての一般庶民はコメを買って食べるのがせいいっぱい、果物を買って食べるなどということはめったにできなかった。農家ももちろんであり、自分の家でつくっている果物を、それも収穫時期に食べられるだけだった。果物の缶詰などましてや買うことなどできなかった。柔らかくジューシーで病人には食べやすいとわかっていてもなかなか買えなかった。そんなところにお見舞いとしてもらうのだから病人にも家族にも当然喜ばれる。しかも詰め合わせならいろんな種類の果物があるので病人の好きなものを選んで食べさせることができる。また長期保存できるので必要に応じて病人に食べさせられる。それで余ったら家族が食べればよい。甘味不足の時代、子どもたちなどはそれを待っている。
 それでお見舞い品は缶詰の詰め合わせ、籠盛りということになったのではなかろうか。

 そんなことを考えていたらもう一つ思い出した。葬儀の時、花輪といっしょに果物の缶詰の盛り篭が並んでいた。缶詰の盛り篭は見栄えもいいし、高級感はあるし、しかも実用的、長期保存もでき、他の人とぶつかっても大丈夫、遺族も喜ぶだろうということからであろう。そういえばこれも最近は見られなくなった。

 こうした缶詰の需要に応えたのが (需要をつくりだしたのかもしれないが)果樹産地だった。東北でいえば山形内陸、福島中通り北部の産地である。いうまでもなく両地域ともにモモ、洋ナシ、サクランボ、リンゴなど果樹の適地であり、明治以降その産地形成に取り組んできた。しかし問題はその販売である。さきにも述べたように果実は、とくに熟すると、柔らかくなってすぐに腐敗してしまう。だから輸送・貯蔵技術の進んでいないその昔は近隣地域でしか、しかも短期間しか販売できなかった。そうなると、簡単に悪くならない実の固い品種をつくって生食用に売り、売れ残りは加工して販売するより他ない。かくして缶詰加工場が果樹産地に立地し、そこでの加工に適した品種の果樹が栽培されるようになった。
 洋ナシでいうとそれはバートレットだった。姿形は非常によく、固いうちに缶詰用として加工することができた(註1)。モモも同様で加工用のあまり大きくない固い品種が栽培されていた。私の母の実家の場合をいうと、戦後桑畑を転換したモモの畑で大久保と言う品種を栽培していた。生食では固くて甘味も少なくまずかった。サクランボの品種はナポレオンだったと思う(これは瓶詰用が主だったが)。
 そしてこうした加工用果実を集めて加工する小さな缶詰工場が町はずれや畑の真ん中にたくさんつくられた。戦前や戦後すぐのころは山形内陸は缶詰王国と言われていたと私は記憶している。そこに農家は果実を販売し、それは缶詰となって都会に全国各地に出荷されていった。その一部が病人へのお見舞い品になったのであろう。

 しかし問題もある。加工用果実の値段は安いことである(農家にとってはだが)。熟する実を収穫するわけでないから手間はかからないし、運搬や貯蔵にそれほど気をつかわなくともすむからそれでもやってはいけるが、土地面積当たりの収入はあがらない。
 そこで、何とか生食用として販売できないかと、農家や試験研究機関、農協、行政等々あげて品種や栽培技術の改良に取り組み、また貯蔵・保存・輸送技術の発展を取り込んで生食用の果樹生産に取り組んだ。サクランボなどはその典型だった(註2)。こうした努力の成果が実り、今は多種多様な生鮮果実が店先に並ぶようになった。季節限定のものももちろんあるが貯蔵保存はかなりできるようになったし、輸送手段も発達して全国各地からも輸送されてくるようになってきたからである。いうまでもなくこうした生鮮果実の方が缶詰などよりも栄養がある。しかもかつてと違って今の果物は品種改良等でかなり甘く、また瑞々しくなっているので、缶詰で甘く水っぽくしなくとも病人には食べやすくなっている。そうなるとあえて缶詰にしなくとも生果を贈り物にすることができる。
 さらに外国からも生果の輸入が大量になされるようになってきたので、それも贈り物にすることができる。
 そんなことからだろう、いつのころからか生果の盛り篭がお見舞い品として贈られるようになり、たとえば大学病院の前の果物屋さんには缶詰の盛り籠ばかりでなく生果の盛り籠が飾られるようになった。パイナップル、バナナ、グレープフルーツなどの外国の果実を中心に、リンゴ、ミカン、さらにメロン等々季節の果実を組み合わせた豪華な盛り籠が見られるようになったのである。そして缶詰にとってかわるようになってきた。
 しかしやがてこうした生果の盛り篭もあまり見られなくなってきた。大量にもらっても缶詰のように保存しておけないからだろうか。外国産の果実が自由化の進展、輸送技術の発展の中でそれほど珍しいものではなくなり、日本の果実もお見舞いなどいただかなくとも簡単に買えるような世の中になったからなのだろうか。いつでもどこでも安く買えるようになった生果は貴重品、ぜいたく品ではなくなって日用品に近くなり、お見舞い品とはならなくなったのだろうか。もちろん、家計が苦しいとまず節約されるのは果実であり、必需品ではないという点で野菜等とは違うが。
 それより何より、いわゆる飽食の時代、そもそも食べ物が貴重な時代ではなくなり(本当はこんなことはおかしいのだが)、お見舞いにもっていって喜ばれる時代ではなくなったからなのだろうか。

 食べ物ばかりではない、あらゆる物が豊富な時代になってきたことからそもそも物のお見舞いが喜ばれなくなったということもあるのではなかろうか。物不足の時代は物が、とくに贅沢な物がなかなか買えなかったから喜ばれた。しかし今は物は有り余るほどある時代、金さえあれば何でも買える社会、見舞いに行く人が苦労して考えて何か物をもっていっても受け取る方にとってはすでにたくさんあって不用品、その処置に困ったりする場合もある。そうなると一番いいのはお金だ。それなら必要なものがいつでも買える。贈る方も何がいいかなど考えなくともすむ。それで品物のかわりにお金を包むようになる。
 こんなことも生果や果物の缶詰のお見舞いが少なくなった一因となっているのではなかろうか。
 贈る方も贈られる方もお金の方が気が楽かもしれない。しかし何か気持ちがこもっていないような気がしてしまう。もちろん、私の今回の入院は誰にも知らせなかったので、そんなことは考えもしなかったのだが、果物の缶詰が病院の食事に出てきたのをきっかけにいろいろと考えさせられた。もちろん少し体調がよくなってからだったが。

 入院中、秋田在住の研究者NK君からメールが来た、退院後にお見舞いしたいが、何がいいかと。そのときは果物の缶詰で頭がいっぱいになっていたので、果物の缶詰が欲しいと返事した。結局それは山形在住の研究者ST君も含めた三人でのアルコールでの退院祝賀会に変えることになり、缶詰は自分で買うことになったのだが。

(註)
1.前に下記の本稿記事で述べたが、熟させたものはやわらかくて本当にうまかった。
  12年3月9日掲載・本稿第三部「☆内陸人は偏狭?」(5段落)
2.11年7月15日掲載・本稿第二部「☆戦後の桑園整理と果樹園の造成」、
  13年3月25日掲載・本稿第五部「★サクランボのつぶやき」(3段落) 参照
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR