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リンゴとミカンの加工・販売



                 果実・雑感(3)

           ☆リンゴとミカンの加工・販売力―70年前後のこと―

 子どもの頃、秋から冬にかけて病気になり、何も食べられなくなると、身体にいいから、病気が早く治るからとよく祖母がリンゴをすりおろし、そのまま匙で食べさせてくれ、あるいは布で絞って液体だけにし、つまり今でいうとジュースにして、飲ませてくれた。
 食欲がなくともそれは口の中にすっと入った。熱が出ているときは冷たくて気持ちがよかった。空っぽになったお腹のなかにしみとおるような感じもした。回復しかけのときに飲むと、昔のリンゴは酸っぱかったのに、砂糖も何も入っていないのに、本当に甘く感じたものだった。
 しかし、リンゴの缶詰を食べさせてもらったことはなかった。リンゴは身体にいいと言っているのに、洋ナシやモモの缶詰は食べさせてもらったのにである。そもそもリンゴの缶詰を見たことがなかった。東北はリンゴの大産地であり、山形には缶詰工場が多いのにである。
 それを不思議に思ったのは缶詰がまた出周り始めた中学のころではなかったろうか。その理由を誰に聞いたのだろう、忘れてしまったが、その答えだけは強く印象に残っている。リンゴは皮をむくと、そして空気にさらすと、白い果肉の表面がすぐに茶色になってしまい、見栄えが悪くなるので、缶詰には向かないのだというのである。
 なるほどと思った。さきほどのリンゴのすりおろしもそうだったが、皮をむいたリンゴはちょっと時間がたつと土茶色というのか黒ずんでしまう。赤いリンゴに白い果肉というイメージとのあまりの格差、これでは缶詰にしても売れるわけはない。むいた後一瞬のうちに缶詰にしてしまえばいいのだが、そう簡単にはいかないだろう。
 それで納得したのだが、私の高校生のころ(1950年代)だったと思う、リンゴの缶詰を見かけるようになった。皮はむいてあって色は白、リンゴ本来の色だが、果肉はあまり固くなく、味は本来のリンゴとは違って甘かった。でもあまりうまいとは思えなかった。リンゴ本来の食感、パリパリとした歯触りがないのである。甘すぎてリンゴの酸味もない。だからあまり食べる気はしなかった。それにしてもよく茶色になるのを抑えたものだと感心したものだった。
 そこであるとき、缶詰加工場の近くから列車通学していた高校の同級生に聞いてみた、どうやって白くするのかと。するとこういう、まずリンゴの皮をむいたら、それをすぐに機械で絞って果汁をなくす、つまり果肉をスポンジ状にする。こうすれば茶色にならない。果汁のなかに茶色にする成分が入っているからだ。こうしてスポンジ状になった白い果肉にシロップを浸み込ませる。だから甘くまた柔らかく感じるが、栄養分は砂糖分だけ、果汁の栄養分は一切ないのだ、こう言って彼は笑う。
 なるほどとそのときは納得したものだったが、本当はどうだったのか、私にはいまだにわからない。私をからかっただけだったのかもしれない。
 いずれにせよリンゴの缶詰はうまくないという印象しかない。
 これではミカンに太刀打ちできるわけはない、そんな風に考えざるを得なかった。

 1960年代、東日本のリンゴ、西日本のミカンは農業基本法のいう選択的拡大、成長農産物の花形としてもてはやされた。
 しかし、60年代後半になるとリンゴとミカンの過剰問題が深刻になってきた(註1)。それに拍車をかけたのがバナナやグレープフルーツをはじめとする果実の輸入自由化の本格化だった。
 これに対応して取り組んだ一つが加工だった。過剰になったものを缶詰やジュースにして需要の拡大、需給調整を図ろうとしたのである。
 しかし、リンゴの缶詰加工は今言った色や食感で問題があり、加工で需要を増やすことは容易ではない。その点ではミカンに比して不利だと考えざるを得なかった。
 そればかりではなかった。そもそも生食用としての需要拡大の面でもリンゴは不利だった。それをしみじみ感じたのは国鉄の駅の売店や売り子さんが網袋に入ったミカンを売り始めたのを見た時だった。

 1960年ころからではなかったろうか、東北の幹線・ローカル線を準急のジーゼルカーがたくさん走るようになったころ(註2)だったと思う、細長い赤色の網袋に入った4~5個のミカンが駅の売店の棚に、また売り子さんが肩にかけた帯で吊るしている箱の中に見られるようになった。今のように缶入り、プラスチック瓶入りの清涼飲料水が売られていないころ、自販機もなかったころ、のどが渇いたり、何かちょっとおやつを食べたくなったとき、このミカンが手ごろだった。しかも4~5個だから軽い、網に入っているために持ち運びしやすい、値段も手ごろだと来る。むいた皮は袋に入れて屑籠に捨てればいい。それで、列車に乗る前にホームであるいは列車の窓から顔を出してたくさんの人がミカンを買い、座席で皮をむきながら食べていた。家内なども列車に乗ると必ず買い、子どもといっしょに食べていた。
 そのときに考えた、これでミカンの販売量はかなり増えたのではなかろうかと。リンゴもこれに学び、ミカンと同じように駅の売店で売り出し、需要の拡大を図ったらどうだろうか。
 しかし、よくよく考えたらそう簡単にはいかなかった。リンゴはミカンと食べやすさの点で大きく違うところがあるからである。

 まず問題となるのは皮むきだ。ミカンは手で簡単に皮をむくことができる。また手で身を分けて小さくして食べることができる。器用さなどとくに必要ない。しかもそれで手が汚れたり、濡れたりするわけでもない。もちろん夏ミカン等のなかには包丁で傷をつけないとむけないのもあるが、一般に食べられているいわゆる温州ミカンにはそんなことはなく、きわめて食べやすいい。
 ところがリンゴはそういうわけにはいかない。包丁など刃物でしか皮をむけない。
 もちろんリンゴは皮などむかずに食べることができる。ミカンと違って皮も食べられるし、しかも皮には栄養分が豊富に含まれているので食べた方がいい。その点では皮を捨てて食べるミカンよりは優れている。そもそも私の子どものころはみんなリンゴは丸かじりで食べていた。
 しかし、列車内で大きな口をあけてリンゴにかみつく、これはなかなかできない。特に女性がそうだ。果物好きの女性がこれでは駅構内での販売量は伸びない。また外に出ている皮には何かほこりとか農薬とかがついている可能性もあるなどと考える人もいる。洗えばいいかもしれないが、当時は車内に飲み水などおいていない。
 さらに、リンゴはミカンからくらべるとかなり大きいので、一人で一個全部食べられない場合もあり、それを切り分けることも必要となる。
 となると、どうしても刃物が必要となる。つまり一般家庭でなされているように包丁で皮をむき、四つに切り分け、種の部分を切りとって食べるしかないのである。
 しかし、列車の乗客は普通は刃物など持ち歩かない。昔は遠足だとか旅行などの遠出には小さなナイフを持って歩いたものだが、そんな時代でもなくなってきている。
 となると、乗客はリンゴを買うときにナイフを一々買うことが必要となる。さもなければ売り手がリンゴを買う人にナイフなどの皮むきをサービスにつけなければならなくなる。しかしそれでは高上り、リンゴの販売価格は高くなり、購入客が減ることになる。
 もう一つ問題なのは皮むきには技術が必要だということだ。その昔、運動会でリンゴの皮むき競争をやるところがあったが(今もやっているところがあるのだろうか)、これは皮むきの技術を争う競争でもあり、不器用な人はどうしても負けてしまう。私などやったらきっとビリだろう。私なら、たとえナイフがサービスについていたとしても、リンゴは買わないだろう。ところがミカンの皮むきには技術などとくに必要とせず、器用不器用は関係ない。となるとリンゴとミカンと両方並んでいたらミカンを買ってしまうのではなかろうか。
 手軽さからいうとやはりミカンは抜群であり、どうもリンゴはミカンにかないそうもない。それをさらに痛感したのは冷凍ミカンが登場したときだった。

 60年代後半ころからではなかったろうか、さきほど言った赤い網に入ったミカンをガチガチに凍らせた「冷凍ミカン」が夏の駅の売店で売り出されるようになった。
 これは売れた。果物好きの家内はこれも必ず買った。季節外れのミカンが真夏に食べられるからだけではなく、まだ小さかった子どもの暑さ防ぎのために食べさせるためでもあったが。何しろ今のようにクーラーなどの冷房装置が車内にない時代、天井に扇風機をつけた列車も走りはじめていたが熱い空気をかきまわしているだけ、窓を開けて風を入れるか扇子で扇ぐしか涼をとることができなかった時代、また今のように清涼飲料水の自販機もない時代だ(註3)。暑さしのぎのためにどうしても買ってしまうのである。
 ただし買ったばかりの冷凍みかんはすぐには食べられなかった。皮の表面に氷がガチガチに凍り付いていて手で皮をむくことができないのである。そこで氷が解けるまで待たなければならなくなる。これが不便といえば不便である。もちろん解けかかっていてすぐ食べられるのもあったが、何となく古い気がしてしまう。やはりガチガチの方が新鮮な気がしていい。それを列車の窓の上の帽子掛けにぶら下げ、解けるのを待つ。忘れているとぼたぼた水がしたたってくるのが困るが、冷たいミカンが口の中に入るとほっとしたものだった。
 これでは売れるわけである。爆発的な人気だった。うまいことを考えたものである。
 しかし、リンゴはそれができない。皮つきで冷凍するとしたら皮むきをどうするか、皮をむいて冷凍したら白い色がうまく残るのか、そもそもうまく凍るのか。実験したことがあるのかどうかわからないが、推測するときっと無理だったのだろう。冷凍リンゴが売り出されることはなかった(私の知る限りではだが)からだ。
 この点でもミカンにはかなわないと思わざるを得なかった。

 もう一つ、ジュースに加工して販路を拡大するという手もある。それでミカン・リンゴ産地ともに過剰問題解決のために積極的に取り組み始めた。
 私がリンゴジュースを初めて飲んだのは65年ころだったろうか、牛乳瓶に入った透明な茶色の液体、地味だがその透明感はいいし、何よりも酸味が少なくてリンゴ本来のさっぱりした甘味が出ているのが好きだった。これならミカンに太刀打ちできるかもしれない。などと思ったものだったが、その取り組みが十分に展開されないうちに果汁の自由化でミカンもリンゴもともに苦戦を強いられるようになった (本物を求める消費者の動向ともからんでジュース製造でがんばっている産地もあるが)。
 それだけではなかった。一世を風靡したミカンの袋詰め、冷凍ミカンも1980年代には姿を消すようになった。
 車両への冷房装置搭載が進んだこと(註4)、コーラや外国産のアップルジュース・オレンジジュースを始めとするいわゆる清涼飲料水が自販機で販売されるようになったことなどからである。

 もちろん、こうしたなかで苦労させられてきたミカン産地、リンゴ産地は品種改良をはじめとする栽培技術、貯蔵・輸送等の技術の向上によって、またその安全、安心への取り組みで、さらに本物志向等の消費者の意識向上によって厳しい状況を乗り越え、生食用の生産を中心にこれまで生き延び、また発展させてきた。そして二大果実としての地位をいまだに保っている。さらに国際的にもこんなにおいしいミカン、リンゴは世界にないとまで評価されるに至っている(註5)。

 秋、生協ストアの店頭に行くと色とりどりの多様な品種のリンゴが並んでいる。春から夏にかけても少なくなるけれど貯蔵されたリンゴが並ぶ。一年中リンゴが棚におかれている、昔は考えられなかったことだ。
 ミカン、これも冬から春にかけて多くの産地の大小、味さまざまの多様な品種が棚に並ぶ。これまた昔は考えられなかったことだ。
 それを見るたびによくもここまでがんばったものだとつくづく感心する。ここまでのこうした努力がTPPなどで無にさせられないようにと願っていたのだが、日本政府はオレンジ、リンゴの関税は撤廃すると約束、一体これからミカンとリンゴはどうなるだろうか。何とかしてTPPの批准を阻止したいものである。

(註)
1.11年5月20日掲載・本稿第二部「☆選択的赤字拡大」(1~2段落)参照
2.11年7月25日掲載・本稿第二部「☆輸送時間の短縮と大都市向け野菜の導入」(1段落)参照
3.12年4月18日掲載・本稿第四部「☆今なら考えられない必携品」(2段落)参照
4.12年4月20日掲載・本稿第四部「☆調査必携品の変化」(3段落)参照
5.11年7月15日掲載・本稿第二部「☆戦後の桑園整理と果樹園の造成」(2段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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