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梨・柿と缶詰



                 果実・雑感(4)

                ☆梨・柿と缶詰

 ここまで書いてきてふと不思議に思ったことがある。それは日本の伝統的な果物の一つである和梨の缶詰を見たことがないことだ。洋梨はあるのにである。こんなことはこれまで考えたこともなかったのだが、そういえばなぜなのたろうか。

 秋、稲刈りが終わった田んぼに後片付けの作業などで行く。3時前後に通る列車の姿を合図に、休憩の時間が始まる。畦道に腰をおろし、祖母が持たせてよこした風呂敷をあける。中に果物が入っているときがある。リンゴのときもあれば和梨、甘柿のときもある。当時のリンゴは酸っぱくてちょっと苦手だった(註1)が、和梨は甘く(今と比べると格段の差だが)しかも水っぽいので渇いたのどにはぴったり、皮などむかずに思いっきり噛みついて食べたものだった。
 ところで、今「和梨」と言ったが、普通は「梨」と呼んでいた。私たちばかりではなく、和梨は一般に梨と呼ばれている。洋梨と対比する場合などに和梨あるいは日本梨と言う程度である。
 この言葉からもわかるように、洋梨は明治期にリンゴ、サクランボなどとともに外国から来たものであり、和梨は古くから日本にあったもので、洋梨とは姿形が大きく異なっている。
 まず和梨は真ん丸、洋梨は小さなひょうたんを上と下からつぶしたような形をしている。色は青もしくは茶色で果肉は白色、ともに甘く水分が多い。
 しかし味と食感は大きく異なる。和梨は固く、果肉には砂のような粒々の石が入って口の中で抵抗感がある。これに対し洋梨は柔らかくなめらかな舌触りである。
 ただし洋梨がこうした食感になるためには果実が柔らかくなること、つまり完熟させることが必要である。しかし完熟すると柔らかすぎて収穫(樹から果実を切り離すこと)が非常に難しくなる。果実がつぶれたり、傷がついたりしてしまうからである。
 そこで、果実がまだ熟していないときに収穫して一定期間置き、甘さを増したり、果肉をやわらかくしたりして食べごろにする処理、つまり「追熟」が必要となる。だから、ラフランスを買うと、すぐに食べずに何日ごろにお召し上がりくださいと書いてあるはずだが、これはまだ完熟していないので追熟させてから食べなさいということなのである。
 私の子どものころは自分でこの追熟をしたものだった。このことについては前にも述べているが(註1)、買ってきたあるいはもらった洋梨(当時の品種はバートレットだった)はそのまま食べようとすれば食べられるけれども固くて甘みも少なく何か青臭い感じがしたものだった(缶詰にはこの固い果実が使われるのだが)。そこでそれを弟妹などに食べられないように机の中など見つからないところにこっそり入れておく。そして青く硬い果実が茶色で柔らかくなっていないか、毎日引き出しを開けてみる。やがて完熟し、食べごろとなる。待ちに待った日、こっそり机から取り出し、本当においしく食べたものだった。しかし、この完熟の日を見逃したりすると柔らかくなりすぎ、腐って食べられなくなる。このときの口惜しさ、今でも思い出すことがある。
 これに対して和梨はこうした追熟の必要がない。和梨は果実が樹に着生したまま、固いまま完熟する(味や香り、食感等々が人間の食用・好みに適した状態になる)からである。収穫したらつまり果実を樹から切り離したらすぐに食べることができる。
 このように洋梨と和梨は同じ梨といってもかなり違い、違った種類の果実と言っても不思議ではなかった。

 私の生まれ故郷の山形内陸は洋梨の大産地であるが、和梨についてはそうでもなかった。もちろん和梨は栽培されており、それでけっこう食べたものだった。そしてなぜか赤梨(皮の色が黄褐色)の長十郎、青梨(淡黄緑色)の二十世紀、この二品種の名前も知っていた。近くに梨を専門に栽培している農家もないのになぜ知っているのかわからない。家族の言うその名前が片や人の名前、片や西欧的な名前、しかも赤と青が対照的だったからだろうか。後に私の住むようになった仙台市のすぐ隣の利府町というところに梨の小さな産地があり、八百屋さんにけっこう梨が並んでいたので、そこで見た品種名と小さいころからの記憶がつながって今に至ったということもあるかもしれない。
 宮城県は果樹の産地ではないが、和梨についてだけは小さな産地があちこちにあり(註2)、そこの調査に行ったりするなかで、若干ではあるが梨のことを知るようになった。60年代後半ころではなかったろうか、三水と呼ばれた新水、豊水、幸水という三品種が新たに普及したことを知った。前の品種よりももっと甘く、みずみずしく、食べやすくなっていた。

 このように和梨に慣れ親しんでいるにもかかわらず、その缶詰は食べたことがなく、見たこともなかった。それを不思議にも思わずに今まで生きてきたことがまた不思議なのだが、こんな風に考えられないだろうか。
 そもそも和梨は、固い果肉のなかに多く含まれている果汁、さっぱりした甘さとシャリシャリした舌触りを味わうものである。しかし、それを残しながら缶詰にするのは難しい。
 しかも全国各地に梨はあり、家庭果樹にもなっているところもあり、とくに珍しいものでもない。缶詰にするほどの高級感もとくにない。
 そんなことが缶詰にならなかった理由になっているのではなかろうか。もちろんこれは私の勝手な想像である。そもそも実際に缶詰があったのかもしれないし、今もあるのかもしれない。私がたまたま見たこと食べたことがなく、また行きつけの生協ストアにないだけなのかもしれないのだが。

 そんなことを考えていたらもう一つ、わからないことが出てきた。和梨と同じく(いやそれ以上に)日本を代表する伝統的な果樹である柿(学名・英名ともにkakiである)、この缶詰も見たことも食べたこともないのだが、これはなぜなのだろうかということだ。

 その昔、人の住むところ、どこに行っても柿の木があった(註3)。
 村々では農家が庭や裏山に柿を植えていた。私の生家でも中庭に大きな柿の木が一本、家の前の道路わきに小さな柿の木が1本、植えてあった(註4)
 町場でも庭のある家の多くは柿の木を植えていた。私の今住む仙台の住宅地でも私が引っ越したばかりのころ(1960年代)には半数近い家が柿の木を一本植えていた。本当に狭い庭であるにもかかわらずである。私の越した家には柿の木はなく、イチジクの木が植えてあったが、右隣の家と左の二軒隣の家に柿の木があり、初夏に道路に落ちる四角の柿の花びらをなつかしく見たものだった。
 南西地方に行くとミカンやビワがよく庭に植えられている(私にはそれが珍しかった)が、東北では柿と梅の木が代表的な家庭果樹であり、柿の実はもっともなじみの深い果物だった。

 いうまでもなく柿には甘柿と渋柿があるが、ともに未熟なうちは渋くて食べられない。やがて成熟してきて柔らかく甘くなるが、甘柿の場合は和梨と同じように果実が固いうちに甘くなる。渋(タンニン)が固まって褐斑(私たちはそれをゴマと呼んでいた)になり、唾液に溶けなくなるので、渋さを感じなくなり、甘みだけを感じるようになるのだそうである。したがつて甘柿は実の固いうちに樹からとって食べる。
 宮城県何生まれの私の家内はこの甘柿が好きなのだが、そのパリパリした固さがそしてさっぱりした甘さがいいという。これが甘柿の良さだとすると、甘柿を缶詰にするわけにはいかない。缶詰にしたら固さとさっぱりした甘さという甘柿の特質が消えてしまうだろうからである。それに甘柿の中身の色はゴマが黒く入っていてそれほどきれいではなく、缶詰にしても見栄えがせず、食欲が出そうもない。
 それでは渋柿はどうだろうか。
 いうまでもなく渋柿は固いうちにとってそのまま缶詰などにするわけにはいかない。甘柿と違って渋が残っているからだ。だからといって、完熟するまで果実を樹に残していたら実は柔らかくなり過ぎ、手で触っただけで潰れたりするので収穫がきわめて難しくなる。また、熟するころまで樹にそのままおいておくとスズメやカラスなどの鳥が食べてしまい、まともに収穫ができない場合もある。たとえうまく収穫できたとしても貯蔵、保存ができないし、形も崩れてしまう。それどころか腐ってしまう。そもそも熟した果物というのは腐敗寸前の果実なのである。そうなると完熟した渋柿も缶詰にするのは難しいということになる。
 それならまだ熟していない渋柿を収穫し、それに伝統的になされてきた渋抜きを施し、甘くなった柿を缶詰にすればいい。そもそも渋柿はまだ固くて渋いうちに収穫し、水溶性のタンニンを不溶性にする焼酎抜きやお湯抜きをして甘くするわけだが、それで甘くした柿を缶詰加工すればいいわけである。
 しかし、こうして渋抜きした柿は熟した柿だからすぐに柔らかくなり、形が崩れてしまう恐れがある。つまりその運搬、貯蔵、加工がこれまたきわめて難しい。ましてや技術水準の低い時代、困難は山積みしている(最近なされているガスによる渋抜きだとそうならないが、これについてはまた後で述べる)。
 こんなことから缶詰にできなかったのではなかろうか。

 もう一つ、そもそも柿については缶詰の需要がなかったことからきていると考えられる。
 柿はどこの家にもあるといっていいほどの大衆的な果実であり、しかも加工しなくとも甘い果実である。それをあえて高価な缶詰にして買って食べる必要などない。
 また柿は秋から冬にかけて食べる季節の食べ物であり、干し柿にして保存して食べることも可能であり、その後はもう春、さまざまな生鮮野菜や家庭果実が豊かに出回ってくるので、柿の缶詰などなくともすむ。
 つまり需要はない、それも柿の缶詰が製造されないことにした理由と思われるのである。
 こんな風に考えているのだが、どうだろうか。もちろん実証はないし、論理的に詰めているわけでもなく、私の勝手な思い込みでしかないのだが。

 ここまで書いてきてふと思った、柿や梨がなぜ缶詰にならないのかなどという役にも立たないこと、あるいはとっくに明らかにされているかもしれないことを考えたり、書いたりしている自分、何たる暇人か、こんなことをしていていいのかと。
 しかし「小人閑居して不善をなす」よりはいいかもしれない。戦争法やTPPを独裁的に決めてアメリカの利益に奉仕しようとする今の政権のひどさなどを考えて血圧が上がって寝たきりになったり、だからといって何もしないでいてボケてしまい、世の中に迷惑をかけたりするよりは、こんな頭の体操をしながら50年も商売にしてきた文章書きをしていた方がいいのかもしれない。だけど、こんな私の勝手な弁解につきあってブログをお読みいただく方には時間を無駄に過ごさせてしまうことになるのではないか、申訳ない、とも思う。何とも複雑である。

(註)
1.11年10月3日掲載・本稿第三部「☆野菜・果実の形、色、味の変化」(5段落)参照
2.11年7月15日掲載・本稿第二部「☆戦後の桑園整理と果樹園の造成」(3段落)参照
3.ただし北海道には柿はない。
4.11年5月23日掲載・本稿第二部「☆自給生産の壊滅」(3段落)、
  13年7月8日掲載・本稿第六部「☆『百姓』・知恵あり暇なし」(3段落)参照。
  なお、この柿の木が切られた事情については下記の本稿記事を参照されたい。
  11年2月23日掲載・本稿第一部「☆新制中学への通学と叩き売り」(5段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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