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クルミ割り、クルミ和え



                果実・雑感(8)

             ☆クルミ割り、クルミ和え

 栗とくればクルミだが、私の生家では両方とも植えていなかった。それでも、ともに私たち子どもにはなじみの深い木の実だった。

 夕方近く、祖母からクルミ割りを命じられる。きっと今晩のおかずはクルミ和えなのだろう。それはもちろん楽しみだが、そんなことより何よりクルミ割り自体が大好き、喜んでハーイと返事をする。そして庭石のなかの表面の平らなものを選び、そこのところに祖母から渡されたクルミの入ったふご、金槌と縫い針、とった身を入れる大きな深い皿を持っていく。これで準備は完了、早速クルミ割りにとりかかる。
 庭石の前にしゃがみ、ふごからクルミを一つ取り出し、凸凹のある固い殻の両脇を左手の親指と人差し指ではさみ、殻のてっぺんの尖ったところを上にして、庭石の上に立てる。そのてっぺんを、右手に持った金槌を振り上げて、思いっきり叩く。
 それがうまくいって、殻の表面の真ん中をぐるっと一回りして入っている筋=突起に沿って二つにパックリと半分に割れ、茶色の実が割れた片方の殻から抜け、半分は片方の殻についたまま、姿を現す。実をとって空洞のできた殻を捨て、実の残っている方の殻から実(芸術的ともいえる面白い形をしている)をつまんで取り出す。そっくりそのままきれいに指で外せたとき、これはうれしい。できればそれをそのまま食べたい、しかしそういうわけにはいかない、ぐっと我慢してそれを皿に入れる。そして次のくるみを取り、また金槌を振り上げる。
 この繰り返しなのだが、このように実を殻からうまくそっくり外せればいいけれど、なかなかそうはいかない。指でつまんでとろうとしても取れない場合がある。そこで縫い針の登場だ。針をクルミの実の真ん中に刺して殻から引っ張り出す。
 ところが、これもうまくいかない場合がある。外そうとしたら実が半分に割れてしまうことがある。そして半分が複雑な形をした殻の中に残る。そこでまず折れてとれた半分の実はふごに入れ、またもや針の登場である。半分の殻の中に残っている白くすべすべしてきれいな実に針を刺して殻から外す。これはきわめて難しい。残った実が複雑な形をした殻のなかに残っている上に、実も針もすべすべしていて摩擦力がないので針がすべり、なかなか外せない。何回も失敗しながら少しずつ何とか外す。それでも殻の底にちょっぴり残ることがある。もったいないから食べたいけれども、何としてもとれない。これが口惜しい。
 さらに口惜しいのは、まちがって変なところを金槌で叩いてしまい、殻がぐしゃぐしゃに壊れてしまったときだ。実は粉々、それに殻の破片まで交じってしまったら、もう使い物にならなくなる。何とか食べられるところを拾って口に入れるが、その中に細かい破片が交じりこんでジャリッとなったら、残念ながら吐き出さざるを得ない。
 それくらいの失敗ならまだいい。最悪なのは、うまく目標とするてっぺんを叩けずに外れてしまい、くるみを抑えている左手の指を金槌で叩いてしまう場合があることだ。当然のことながら飛び上がるほど痛い。ひどいときは紫色に脹れあがる。でもこれは自分の技術力不足、自己責任、半泣きしながらまたクルミ割りを続ける。
 でもクルミ割りはやめられない。たまにクルミの実をこっそりと食べる楽しみがあるからだ。これはうまい。茶色の薄い皮に包まれているが栗の渋皮と違って苦くも何ともなく、中は白いすべすべした舌触り、あの香ばしい味、上品な脂っこさ、食べただけで栄養たっぷりという感じである。もちろんそんなにたくさん食べるわけにはいかないが、手伝いの余得として黙認される。いつかこのクルミを思いっきり食べてみたいものだなどと考えながら、いかにうまく割るか工夫しながら、クルミ割りを続ける。

 この固くて凸凹の多い殻のクルミ、これはオニグルミと言い、日本の山野に昔から自生している一般的な品種であり、これを私たちは割らされたわけだが、本当にたまに、殻の表面があまり凸凹していないクルミを渡されることがあった。ちょっと小振りな感じで、割った場合それほど中の実の形が複雑でなく、取り出しやすかった。この品種の名前は記憶にないが、辞書などの絵で見るとヒメグルミのようである。これも日本の山野に昔から自生している品種とのことである。

 いずれにしてもクルミ割りは大変だった。私だけでなく日本中で、いや世界各国どこでも苦労したようだ。「くるみ割り人形」、この名前を知ったのは戦後、中学校の音楽の時間だが、どんな人形なのか、どんなしくみで割れるのか不思議だった。本当に割れるのか半信半疑だったが、世界中で苦労していることが何となくおかしかった。
 でも、外国のクルミはオニグルミよりも殻が柔らかく、実の形も複雑でなくて取り出しやすかったようである。明治期にアメリカからわが国に導入され、栽培されるようになったベルシャグルミもそのようである。それを私が知ったのはかなり後になってからのことだが。

 さて、また子ども時代のクルミ割りに話を戻そう。
 割り終わった後、台所にいる祖母にクルミの実の入ったふごと縫い針を渡し、金槌を小屋に片付ける。するとクルミの割れた殻が残る。これはまさに不要物だが、ごみとして捨てない。囲炉裏のわきの柴をおくところか風呂場に持っていく。燃料にするのである。何でも無駄にしなかった。
 クルミの殻は、燃え付きが悪いけれども一旦火が付くと火力がすごかった。音を立てて、最初は青いような火、後では真っ赤になりながら、激しく燃える。油分があり、また木質が固いからなのだろう。これを見るのも一つの楽しみだが、これは炊事が始まってからのこと、その前にもう一つ、クルミをすり鉢ですることを命じられる。苦労してクルミの実を取り出した後、また一つ苦労が待っているのである。でも文句はいえない。両親と祖父は田畑で働き、祖母が私の幼い弟妹の子守りをしながら夕食の準備をしているのだから、手伝わないわけにはいかない。
 すり鉢にクルミの実を入れ、すりこぎですり始める。前にぬた餅のところで述べたが(註1)、このすりおろしの仕事はけっこう大変である。
 すり終わると、祖母はそれに醤油・味噌・砂糖などの調味料を入れ、ササゲ、ニンジンなどの野菜と和える。
 秋にはそのニンジンなどが食用菊に代る。その場合の食用菊は黄菊でももちろんいいが、モッテノホカがもっといい。紫の花と胡桃入りの白和えは味はもちろんのこと色もいい。ただしこの味の良さがわかるのは大人になってから、幼いころは菊の苦みが苦手、クルミ和えだけ食べたかったが。
 正月にはぜんまいと糸こんにゃくのクルミ和えが出される。ゼンマイの柔らかさと甘く味付けされたクルミのうまさ、何ともいえない。大好きだったが、これはめったに出なかった。
 このような和え物以外でのクルミ料理で覚えているのはクルミと田作(たづく)りの佃煮である。田作りとはカタクチイワシの幼魚の乾物で祖母がよく佃煮にしておかずにしたものだが、この田作りに胡桃を加えて佃煮にするのである。魚のとれない内陸のこと、しょっちゅう田作りの佃煮であきて食べたくなくなるが、胡桃が入ると手が出たものだった。ついつい胡桃だけつまんで食べて怒られることもあったが。
 なお、宮城や岩手の山間部などでは正月にクルミ餅を食べるところがある。クルミをすりつぶして餡をつくり、餅にからめて食べるのだそうだが、まだ私は食べたことがない。
 クルミを使った料理と言えばもう一つ、「クルミ豆腐」がある。ただしこれは豆腐屋さんから買うものであり、祭りなど特別なときに出るだけ、好きなのだがなかなか食べられなかった。
 その外にクルミはお菓子の材料としても使われるが、家内がとくに好きなのは「クルミゆべし」で、かつて網走に往復するときに仙台空港でいつもそれを買い、友人にごちそうして喜ばれていた。私はゆべしはあまり好きではないが、このクルミゆべしだけは食べる。
 ともかくクルミが大好きなのである。
 しかし残念なことに私の生家にはクルミの木がなかった。生家の裏手にある菩提寺に大きなクルミの木があり、そこであの複雑の模様のクルミが青い皮に包まれ、鈴なりに生っているのをうらやましく見ていたものだった。

 三年前、岩手県の山村の葛巻町にあるNK君(秋田在住の農経研究者、これまで何度も本稿に登場してもらった)の生家におじゃましたときのことである、集落の家々の真ん中を通る道路の脇を流れるきれいな小川(イワナも泳いでいた)の脇にクルミの木がたくさん生えており、しかもたわわに実っていた。まさに山村らしい何ともいえずなつかしい風景だった。
 同行していたNK君の教え子の学生諸君に聞いてみた、あれは何の木か、何の実かわかるかと。8人いた学生全員わからなかった。そんなことだろうと思ってはいたが、ちょっとさびしかった。まあこれもやむを得ないかもしれない、街の中ではクルミの木は見られないし、農村部に行っても庭や裏山に植えている家も少なくなっているからだ。
 でもあの緑の皮に包まれている中身のクルミの実、これはもちろん知っているだろう、そう思って聞かなかったのだが、もしかしてクルミの実をまともに見たこともないのではなかろうか。街の中で殻付きのクルミの実を売っている店舗を最近見たことがないからだ。栗の実は売っているところはあるし、たまに山村の直売所でクルミを見たことはあるが。まさか見たことがない、知らないというものはいないとは思うのだが、聞いてみればよかったと後悔している。

 ところで、この葛巻のクルミの木々、今もそれから実を採って集落の人が食べているのかとNK君に聞いてみた。そしたら、もうだれも採っていないようだと彼は言う。
 前にも述べたような過疎化、高齢化(註2)で採る人がいなくなっているのだろう。採って売っても、自分の家で食べても採算がとれないということもあろう。何とももったいないが放置しておくよりほかない。
 こうした状況は葛巻ばかりではない、全国各地で起きているようだ。やがて山野に自生するあるいは屋敷内にあるクルミの木は放置されるだけとなり、直売所に持ち込む人もいなくなるだろう。
 それでもクルミは、その中身=むき身がいつでも食べられるように袋入りで安く店舗で売られており、クルミを使ったお菓子や料理をつくることができるし、菓子屋で買ってあるいは飲食店で食べることもできる。だから食文化としては問題がないかもしれない。
 しかし、そのクルミのほとんどがアメリカのカリフォルニア産である。ここに大きな問題がある。

 クルミはわが国の山野に自生していることからもわかるように日本の風土に適している。またクルミは栗と同じように縄文時代から栽培され、食料として利用されてきたという。
 そのクルミがすべてアメリカ産になっていいのだろうか。
 殻付きのまともなクルミの実を見たことも触ったこともない、「くるみ割り」の意味がわからない子どもたち、何かかわいそうな気がするのだが、それは単なる年寄りの懐古趣味なのだろうか。
 長野、青森、山形がクルミ生産量のナンバースリーらしいが、この三県はもちろんのこと全国的にクルミ生産の復活と発展を図り、栗とクルミの文化を伝承し発展させていく必要があるのではなかろうか。しかも栗とクルミの木はきわめてすぐれた建築材料として利用されても来たとのこと、その復活と発展を図ることは環境保全、地球温暖化の解決にもつながる。日本のクルミの見直し運動、どこかで始めてもらいたいものである。

(註)
1.15年10月5日掲載・本稿第七部「☆枝豆ともやし」(4段落)参照
2.13年3月11日掲載・本稿第五部「☆雑穀作から酪農へ、そして今は」(9段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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