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ギンナン、カヤの実




                  果実・雑感(9)

               ☆ギンナン、カヤの実

 私にとって、栗、クルミと並んでなじみの深い木の実はギンナンである。それでこれについて書こうと思うのだが、そのさいギンナンを漢字で書いた方がいいのかカタカナがいいのか、迷ってしまった。
 いろいろ考えているうち、ふとこんなことが頭に浮かんだ。
 「銀杏は銀杏の木に生る」、この「銀杏」に振り仮名をつけろと言われたら、「ギンナンはイチョウの木に生る」と答えるのが正しいことは言うまでもない。しかしその逆に「イチョウはギンナンの木に生る」と答えたら、漢字の読みはそれぞれ正しくとも、文意として見れば誤りということになる。それでは「ギンナンはギンナンの木に生る」、「イチョウはイチョウの木に生る」と答えたらどうか。これも完全な誤りではないが、文意からすると間違いである。これらの答えに対して教師はどう点数をつけるのだろうか。
 こんな問題を出す教師などいないだろうからこんなことで悩むことはないだろうに、何でこんなつまらないことを考えてしまったのか、我ながらおかしくなってしまった。
 いずれにせよ漢字の読み方で混乱させたりしないようにしなければならない。となると木としての「銀杏」を「公孫樹」と書くことも考えられるが、もっとも簡単にギンナン、イチョウともにカタカナで書くことにする方が間違いがないかもしれない。そこでここではそうさせていただくことにする。

 さて、私の生家にはイチョウの樹はなかった。近所にも庭や屋敷裏の畑に植えている家はなく、寺や神社の境内にあるだけだった。だから、食事係の祖母が買ったあるいはもらったギンナンを食べたのだろうと思うのだが、私たち子どもにとってはうれしいおやつだった。
 冬の寒い夜、祖母のくれたギンナンの固い殻を口に入れて奥歯ではさむ。そして殻の表面をぐるっと一回りしている円形(ハート形)の突起を思いっきり奥歯で噛み、そこに割れ目を入れる。それを口から取り出して火箸でつまみ、燃えている木の下で熱くなっている囲炉裏の灰の中に、あるいは火鉢の炭火の下かまわりの灰の中に、突っ込む。
 前にも述べたように(註1)、熱を加える前に殻に割れ目を入れるのは熱でギンナンが破裂して殻や果肉の破片が飛び散り、さらには火花が飛び散ってけがをしたり、火事になったりする危険を避けるためである。
 問題は、灰の中から取り出す時期だ。焼きすぎたりすると真っ黒になって食べられなくなる。逆に早く取り出しすぎると半焼けで中の果肉は白いまま、まずくて食べられない。その加減が難しい。何しろ焼けているかどうか灰の中で見えないからだ。その加減を見ながら焼くのが大変だが、うまく焼けたときがうれしい。
 もっと簡単なやり方がある。フライパンで煎ると、大量に一斉にやれるし、焼き加減もわかる。だから量が多いときは母か祖母がそれでやってくれるが、私たちにとっては灰に入れて焼くのが楽しみだった。
 こうやって熱を加えると固い殻が簡単に外せる。それで殻の中から実(=銀茶色の薄皮に包まれた果肉)を取り出す。その果肉を覆う薄い皮、それも熱を加えたためにはがれやすくなっている。その薄皮をむくと、鮮やかなつやつやとした緑色の果肉が現れる。焼く前は白いのだが、熱で変化するのである。その熱々の果肉、つまりギンナンを口に入れる。
 うまい。クリやクルミとは違って柔らかく、プリプリした歯ごたえがある。味は他の果実とはまったく質が異なり、うまく言葉で表現できないのが残念だが、独特のほろ苦さのなかにうま味があり、また油分もあるようで、栄養分たっぷりの感じがする。
 これを食べると風邪をひかないと言われて冬によく食べさせられたものだったが、私は大好きだった。

 このギンナンがイチョウの木に生るものと知ったのはいつのころだったろうか。でも、生家の裏のお寺の庭にある大きなイチョウの木ではギンナンを見たことがなかった。やがて何かの本で、イチョウには雌の木と雄の木があり、つまり雌雄異株なのでギンナンの生るのと生らない木があることを知り、お寺のイチョウの木に実がならないのはそのせいだと知った。
 やがてどこかのイチョウの木で葉っぱと同じく緑から黄色に変わる丸い小さいサクランボのような実がたくさん生っているのをみつけ、あのなかに固い殻のギンナンが入っていることを知るようになった。
 ただし、ギンナンを包む黄色い果皮をどうやってとるのかは知らなかった。また、その果皮の放ついやな臭いについても知らなかった。嗅いではいるはずなのだが、それがイチョウの実とは結びつかなかったのだろう。
 初めてその臭いの原因がギンナンにあると知ったのは、仙台の町のイチョウ並木で、きれいに黄色に色づいたイチョウの葉が散り始め、ギンナンの実が道端に落ち始めた頃だった。
 また、その臭いのもとであるギンナンの黄色い皮の取り方を聞いたのは家内からだった。家内の実家の裏のお寺に大きなイチョウの木があり、秋になるとギンナンを拾いに行き、その悪臭に悩まされながら裏庭の土の中に埋め、果皮が腐ったころに取り出してきれいに洗うと、私たちが見ているようなあの白い固いギンナンが現れる、それを乾かして貯蔵し、必要な時に食べたというのである。

 そのギンナンを家内の母がときどき持ってきてくれた。
 それを昔のように真冬の寒い夜囲炉裏であぶって子どもたちに食べさせてやりたかった。しかし、すでに囲炉裏はなし、火鉢もなしの生活へと変わっている。そこで石油ストーブを利用することにした。まず私が前に述べたようにしてギンナンを奥歯で割り、それを石油ストーブの上の皿(かつては火が直接上にあがるのを防ぐための鉄製の皿=薬缶をかけて湯を沸かせる皿が必ずついていた)にあげる。ストーブの火を直接受けて熱くなっている皿の上でギンナンが焼けてくる。それをときどき割りばしで転がして全面に熱がいきわたるようにし、少し殻が焦げ始めたころに深皿に取る。子どもたちはそれを熱い熱いと言いながら手に取り、自分で殻をむく。そしてうまそうに食べていた。
 しかし暖房器具は大きく変化し、今は皿がある石油ストーブなどは見られなくなっている。だから昔のようなことはできない。東京に住む私の娘のところもそうだ。そこで娘はその昔の冬をなつかしく思い出し、そうやってギンナンを食べさせられたものだった、うまかったと孫に話しているらしい。

 このギンナンが茶碗蒸しの中に必ず入ることを知ったのはさらに後になってからである。子どものころは食べたことがなかった。卵が今のようになくて茶碗蒸しのような贅沢なことができなかったからだろう。
 最初に茶碗蒸しを食べたときはうまいと思ったし、ギンナンの味がよくあうと感心していたのだが、一時期どこの旅館や料理屋に行ってもお膳に茶碗蒸しが並ぶので何となくあきてしまい、食べなくなった(贅沢な話だと自己批判はしているのだが)。それでもギンナンだけ食べたくなり、中からそれだけ取り出して食べたりしたこともあった。今は元に戻り、出されればおいしく全部食べているが。
 でも、私にとってギンナンはおかずではなく、やはりいまだにおやつである。

 秋になると生協ストアやスーパーの野菜売り場にギンナンが並ぶ。それを見ると、まだ家庭でギンナンが食べられているのだなと何かほっとする。こうした家庭の需要や料理屋の需要にこたえてイチョウを栽培し、ギンナンを生産しているところがある。これまたうれしい(東北の産地を聞かないのがちょっと寂しい、私の勉強不足で知らないだけなら、寒冷地だからならいいのだが)。
 また、街路樹のギンナン拾いが季節の話題として出ることもうれしい。木の実を拾って食べるのは人間の本性、これを発揮してもらいたいし、子どもたちにも伝えていってもらいたいからだ。
 ただし、あの落ち葉が問題だ。それで困ったのが仙台の市電だった。電車通りのイチョウ並木からの落ち葉が重く固いものだから、風で簡単に飛んでいかず、近くに積もってしまう。これが市電のレールにたまる。しかも葉っぱは滑りやすい。それで車輪がスリップして動かなくなる。こんなことがよくあったものだった。もう市電はなくなり、こんな風物詩が報道されるなどということもなくなってしまったが、自動車のタイヤのスリップには気をつける必要がある。
 もう一つ、臭いだが、こんなことくらいはあってもいいだろう。食べるためにはいやなこともがまんしなければならないこともあるのだということを子どもたちに教えるためにもいい。しかもイチョウ並木は春の薄緑、夏の濃緑、秋の黄葉で私たちを楽しませてくれる。そのうえ採集の楽しみ、食料まで供給してくれる。
 こういう視点からもイチョウ並木を、公園樹としてのイチョウを大事にしてもらいたいものだ。

 子どものころ食べた木の実といえばもう一つ、カヤの実がある。私の生家にはカヤ(榧)の木がなかったから、また店で売ってもいなかったから、どこからかもらったか、山村の人が売りに来たのを買ったかしたのだろう。それでも何度か食べたような気がする、その実をよく覚えているからだ。といっても、それは固い殻からとった中身だったが(それがわかったのはかなり後だったが)。
 南京豆の実を一回り大きくしたくらいの大きさの実が銀色と茶色の薄皮に覆われていた。その皮を栗の渋皮と同じようにむいて食べるのだが、栗とも南京豆ともまったく違った味で、表現が難しいのだが、ともかくうまかった。
 今ならこう表現するだろう、アーモンドに近い味だと。戦後かなり過ぎてアーモンドを初めて食べたとき、どこかで食べたような味だと思ったのだが、それがカヤの実の味だと思い出したのはさらにかなり後のことだった。そのせいだろうか、私はアーモンドが好きである。輸入物なのがちょっと気になるが、国産ができないのでやむを得ない、旅行中の車内などでつまみにたまに買って食べる。
 それはそれとして、かなり印象的にこのカヤの実を覚えているのだが、どんな木になるのか、どうやって食べられるようにするのかなどまったく知らず、子ども時代以後は食べることもなく、たまに何かで名前を聞くときになつかしく思い出すだけで何十年も過ごしてきた。それがある年の秋、偶然木に生っているカヤの実を直接見ることとなった。

 勤務先だった農学部の西南に旧制二高の名残りの小さな雑木林がある。そのわきの道は私の通勤路、いつもは自転車で通るのだが、たまたまその朝は徒歩だった。急ぎ足で通っていたらその道に何か木の実のようなものがたくさん落ちている。昨夜の強い風で落とされたのだろう、緑色でナツメを一回り大きくしたような形をしている。誰か踏み潰したらしいその緑の実の割れ目から楕円形の茶色の実がまたのぞいている。それもまた踏み潰されたその茶色の実のなかからはまた黒茶色の実がのぞく。それがさらに砕けた中身は白色である。どうも栗やクルミ、ギンナンと同じ仲間のようだ。肉質の外果皮(緑色)と堅い内果皮(茶色)、薄い渋皮(黒茶色)に白い実=果肉が包まれているようなのである。
 何の実だろうと上を見上げてみたら、キャラボクの木の葉によく似ている葉をつけたかなり大きな木(註2)にその実が生っていた。そこから落ちたようである。
 これまで数えきれないくらいここを通っているにもかかわらず、この木に、この実に初めて気が付いた。驚いた。前夜の大風と私の徒歩が見つけさせたのであろう。
 とはいってもこれが何の実なのかわからなかった。その後またかなり経ってからそれがカヤの実だと知ることになったのだが、誰にそれを教えてもらったのかあるいは何かで見聞きしたのか覚えていない。
 先日この話を私の後輩で畜産研究者のKT君(本稿に何度も登場してもらっている)にしたら、農学部のあの場所にカヤの木があることには今までまったく気が付かなかったと驚いていた。それからカヤの実の話になり、彼の育った北仙台の神社の境内に大きなカヤの木があり、小さいころよく実を拾って煎って食べたものだという。あく抜きはとくにしなかったというが、それで十分うまかったとのことである。

 もう何十年前になるのだろうか、カヤの実を食べたのは。もう一度食べてみたい。今年の秋、KT君に案内してもらって北仙台の神社に行き、カヤの実を拾ってKT君の子どものころのやり方で煎って食べてみたいと思っている。それまで元気でいられればの話だが。

 
(註)
1.11年2月1日掲載・本稿第一部「☆水浴びと冬の遊び」(3段落)参照
2.カヤはイチイ科に属するとのこと、同じくキャラボクはイチイ科、似ているのは当然であり、私の見誤りではなかったようである。なお、キャラボク、イチイ(=オンコ)については下記の本稿掲載記事で述べている。
  13年9月2日掲載・本稿第六部「☆甘いもの、家庭果樹」(7、8段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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