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どんぐり、六椹・椹沢・椹平

 


               果実・雑感(12)

               ☆どんぐり拾い

   「どんぐり コロコロ ドンブリコ
    おいけに はまって さあ たいへん」(註1)
 この歌は大正時代につくられたとのことだが、戦前戦中の幼いころの私たちは歌ったことがあったろうか。ふと疑問になり、家内に聞いてみた。すると家内は記憶にない、この歌を歌ったのは戦後のことだと思うという。
 その記憶は正しいかもしれない。幼かった戦前戦中は小学唱歌や軍歌などしか歌う雰囲気ではなかったからである。戦後2年目に新しい教科書が私たちの手元に渡されたが、その小学2年生用の音楽教科書にこの歌が載っており、私たちは弟妹たちが歌うのを聞いて覚えた可能性があるからである。
 でも、と考えてしまう、軍歌一色になる以前、戦前の就学前にこの歌を聞いており、うろ覚えに覚えていたのではなかろうかと。戦後弟妹たちから聞いたときにとくに覚える苦労もなしに歌えたからである。また、最初の歌詞を「どんぐりコロコロ どんぐりこ」とずっと歌っていて、「どんぐりこ」が「ドンブリコ」の間違いだと知ったのは大人になってからだったことからもそう考えられる。つまり幼いころ間違って覚え、学校で直されることもなかったからそのまま歌ってきたのではないかと考えられるのである。
 どっちが正しいかはわからないが、この歌は好きだった。どんぐりが可愛くて好きだったから、ドジョウに慣れ親しんでいたから(註2)ましてやだったのだろう。
 なじみ深い栗と似たつややかな栗色、小さい楕円形で頭がとんがり、下は灰色の袴をはいており、それをひっくり返すと袴は帽子に見えて実全体が顔に見えるようにもなり、何ともいえず愛らしい感じで、私たちにとってはまさに「どんぐりこ」だったのである。

 このどんぐりこ、私たち子どもにとって貴重だった。宝物のように見えた。子ども向けの本などにどんぐり拾いのことが載ったり、弥次郎兵衛をつくろうなどという記事を見たりするとうらやましかった。どんぐりの木が、山が近くになかったので、拾うことなどできなかったからである。だからめったに手に入らなかった。誰からもらったか記憶はないが、もらうと本当にうれしかった。それでとくに何をするわけでもない。持っているだけ、見ているだけ、友だちや弟妹に見せてうらやましがらせるだけでしかない。おもちゃにしてままごとなどで遊ぶだけの数もなかったからだろう。まさに私たち子どもにとっては貴重品だった。といっても、何日かすると興味はほかのことに行ってしまい、どんぐりのことなど忘れてしまうのだが。
 そんなことからだろうか、大人になっても、何かのおりに秋とか早春に山に入ってどんぐりが落ちているのを見たりすると、ついつい拾いたくなったりしたのは。

 十数年前、家の改築をしたときに庭師さんがモミジの間にミズナラを植えていってくれた。3~4年したらどんぐりの実をつけ、秋になると下の杉苔の上に落ちるようになった。食べられる実をつける庭木がないのにどんぐりの庭木がある、これでいいのかと何か気が引けるのだが。それはそれとして、どんぐりとはまったく縁がなかったのに、まさか毎年庭で見られるようになるなどとは考えもしなかった。何か不思議な感じがする。といってもう拾って喜ぶ年齢でもない。それで落ちたまま放置しておくと翌年芽が出る。放っておいたら大きくなってしまうので抜いているが、何か申訳ないような気がしてしまう。そんな思いをしなくともよいように、秋にはどんぐりを拾うことにしている。この年になってあこがれだったどんぐり拾いをする、何か奇妙である。

 こんなことで、どんぐりに対する知識は本当に少なかった。どんぐりは「どんぐりの木」という木があってそれに生るものだとすら考えていた。そうではないとまともに知ったのは成人になってからではなかったろうか。
 どんぐりは、ブナ科コナラ属のコナラ、ミズナラ、クヌギ、アラカシ、シラカシ、カシワ、同じくブナ科のマテバシイ属のマテバシイなどの樹木の果実の総称だったのである。

 ここまで書いてきてふと疑問に思ったことがある。クヌギの実もどんぐりであるとするなら、もしかして子ぢものころ木に生っているどんぐりを見たり、拾ったりしたことがあるのではないかと。

               ☆六椹、椹沢、椹平

 山形の私の生家の近くにある八幡さま、この神社についてはお祭りなどのかかわりでこれまで何回か触れてきたが、一般には「六椹(むつくぬぎ)八幡」として知られている。さらにそのすぐ近くに「六椹(むつくぬぎ)観音」がある。そういうことからその周辺の地域は六椹(むつくぬぎ)とも呼ばれていた。
 そうすると、もしかしてそこにクヌギの木があり、私の子どものころクヌギの木や実に触ったことが、つまりどんぐりを見たり拾ったりしたことがあるのではないだろうか。

 そこで改めて六椹(むつくぬぎ)の由来について調べてみた。すると次のようなことだった。
 六椹(むつくぬぎ)観音は8世紀初頭に開山、9世紀半ばに再興されたときに観音堂の周りに6本の椹(くぬぎ)を植えた、それでこの周辺地域は六椹と呼ばれるようになった。この六椹は「陸奥(むつ)の苦を抜く」に通じるということ11世紀後半の前九年後三年の役のころに源氏がここに八幡宮を建立し、それが六椹(むつくぬぎ)八幡と呼ばれて今に至るとのことである。

 この八幡さまは私の生家から北西に数十㍍、観音さまは西に数十㍍離れているところに位置している。それでそこは幼いころの私たちの遊びの縄張りの境界地域であり、他地域の子どもたちとぶつからないように遊ばなければならなかった。また戦中のころは神域として崇め奉られたことから、毎日ここで思いっ切り遊ぶというわけにもいかなかった。それでも、八幡さまの場合は広場があり、巨木が何十本もあり、また大きな池(子どもにとってはだが)もあり、何かあるとここにきて遊んだものだった。観音さまのある寺は小さくて私たちの遊び場とはならなかったが、田畑への通り道なのでよく通ったものだった。
 しかし私はここでクヌギのどんぐりを拾ったことがない。八幡さまの境内にある巨木はほとんどがケヤキ(これは見事である)であり、そもそもクヌギの木があることも知らなかった。いつごろだったろうか、本当に最近になって一本の木のわきに「ご神木くぬぎ」という看板が建ててあるのを見て、ここにあったっけかと認識した程度である。もし私の子どものころからこのクヌギの木があったとすれば、この木から実が落ちているのを見たことがあるのかもしれない。
 しかし記憶に残っていない。そもそもこのクヌギが私の小さいころなかったからあるいは実の落ちるころそこの木の近くで遊ばなかったから記憶にないのかもしれない。たとえ実を見たとしても、私たち子どもがその実をどんぐりと認識しなかったことも考えられる。私たちがどんぐりと言って遊びの対象にしたのはナラなどの実、それに対してクヌギの実は写真などで見ると丸くて大きくて袴の形も違い、あの面白い形のどんぐりとはかなり違う、それでどんぐりだとは思わず、無視した可能性があるとも思われるからである。
 よくわからない。いずれにしてももう探りようがない。探っても何にもならないのだが。
 でも探ってみたいことはある。それは六椹(むつくぬぎ)の「椹」という漢字のことである。

  「クヌギ」と辞書で引いてみると、漢字で「櫟」と普通は書き、それ以外に椚、橡、栩、櫪という書き方もあるとしている。しかしそこには「椹」という漢字がない。私の見たどの辞書にも書いていない。
 そこで、「椹」を漢和辞典等で調べてみた。すると、読みは「さわら」と書いてある。そしてクヌギと読むとは私の調べたどの辞書にも書いていない。
 それでは「さわら」とは何か。「ヒノキ科の常緑大高木」だと書いてある。「ブナ科の落葉高木」のクヌギとはまったく異なる。
 にもかかわらず、なぜその「椹」がこの地域では「クヌギ」になっているのだろうか。

 実はこの六椹(むつくぬぎ)以外にも「椹」を地名に使っているところが山形市内にある。六椹つまり私の生家のある地域の西北方、直線距離にして数㌔のところに「椹沢(くぬぎざわ)」という地域がある。昭和の大合併で山形市になる前は椹沢村であり、現在も上椹沢、下椹沢の地名がある。私の祖母の生まれがその隣の旧飯塚村なのだが、ともにかつては純農村、今は住宅地に変わりつつある。
 この 椹沢(くぬぎざわ)という地名の由来はよくわからない。ここにクヌギがあるとかあったという話も聞いたことがない。
 六椹、椹沢、この二つの地区にとくに共通点があるとは思えないし、聞いたこともない。

 思い出した、もう一つ、椹という字を使った地名が山形県内にあった。日本棚田百選に選ばれた朝日町の椹平(くぬぎだいら)である。私はその棚田に行ったことがなく、写真で見たことがあるだけ、だからこの地名の由来はわからない。
 そこで改めてネットで検索してみた。私の検索不足からかもしれないが、地名の由来はわからなかった。
 ネットにあった写真を見ると緩傾斜地、かつて桑畑だったところを戦時中苦労して田んぼにしたのだと言う。百選に選ばれるだけあって本当に見事なきれいな棚田である。戦前はここに桑畑がひろがっていたというが、当時もしも桑の段々畑百選があったとすればきっと選定されていただだろう。その桑畑以前はもしかすると「椹」の林があり、緩傾斜地であることからその下に「平」をつけて「椹平」にしたのだろうか。その「椹」がクヌギだったのかサワラだったのかわからないが、ともにその北限は山形、岩手とのこと、もしかしたらいずれかを中心とした林が広がっていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、改めてネットの『漢字辞典』で「椹」を検索して見た。そしたら音読みでは「ジン」「チン」、訓読みでは「あてぎ」「くわのみ」「さわら」とあった。やはり「くぬぎ」という読みはなかった。とするとやはり「六椹(むつくぬぎ)」、「椹平(くぬぎだいら)」の木はクヌギの木ではなかったと考えざるを得ない。
 しかし、ここでひっかかったのはこの訓読みの一つの「くわのみ」である。もう一つ、「椹平」はその昔桑の畑が広がっていたということだ。
 とすると椹のついたこれらの地名は桑の木と関係があるのではなかろうか。
 そこから推測してみた。

  「むつくぬぎ」はそもそも六本の桑の木を植えたところということで「むっつくわのき」ではなかったのか。「くぬぎざわ」はそもそも桑の木のある沢、「くわのきざわ」であり、「くぬぎだいら」は桑の木のひろがる「くわのきだいら」ではなかったのか。
 ところが、その桑の木=「クワノキ」という発音は、何かというと濁音化し、省略する山形内陸語の性向(註3)からして、徐々に変わっていく。まず「クワノギ」となり、やがてそれが「クヮヌギ」となり、さらに「クヌギ」に変わる。かくして「むっつくわのき」は「ムツクヌギ」となり、「くわのきざわ」は、「クヌギザワ」、「くわのきだいら」は「クヌギダイラ」に変化し、それが日常的に使われるようになる。
 やがて何かのおりにこの「クヌギ」を漢字で表すことが必要となる。ところが、通常用いられる「くぬぎ」の漢字の「櫟」などを使うわけにはいかない。それはまったく違う樹種だからだ。そこでいろいろ調べてみたら、うまいことに訓で「くわのみ」とも読む『椹』という漢字があるではないか。「くわのき」とはちょっと違うが、同じ桑だ、よしそれを使おう。そして「椹」を「くぬぎ」と読むことにし、「六椹(むつくぬぎ)」、「椹沢(くぬぎざわ)」、「椹平(くぬぎだいら)」と書くことにしよう。こうなってそれが地域に定着するようになり、公的にも使用されるようになった。こういうことなのではなかろうか。
 つまりここで使われている椹は本来のクヌギの木とは関係がなかったのである。
 そうなると、私の生家の近くの八幡様や観音様にクヌギの木がなくて当然、ご神木は後で植えたもの、私がどんぐり拾いをしなかった記憶はまちがいないということになる。
 もちろんこれは私の推測、素人考えでしかない。いや、牽強付会、こじつけでしかないと批判されるかもしれないのだが。

 私の知る限りだが、山形県内にあるクヌギ=椹を使った地名は今の三つである。それにとくに疑問ももたずにこれまで来たのだが、改めて不思議に思う、なぜこういう地名があるのかと。そもそも椹と書いたクヌギは何者だったのか、なぜそのクヌギを椹と書いたのか、他県にもこういう例があるのか、山形だけなのか、誰か知っている人があれば教えていただければと思っている(もしかしてとっくにわかっていること、知らないのは私だけなのかもしれないが)。
 さて、話をまたもとのどんぐりに戻そう。

(追記・2016年7月20日)
 もう一つこんなことも考えられるのではないかと最近思いついたので、参考までに追加して書かせていただきたい。
 前に述べたように山形の私の生家のある地域では種子から芽を出したばかりの木の苗を「ヌギ」と呼ぶ(註4)。そうするとクヌギは「クワヌギ」=桑の苗木のことではなかったのだろうか。それが年月を経るなかで「クヌギ」となり、六本の桑の苗木の「むっつくわぬぎ」が「ムツクヌギ」となり、桑の苗木のある沢の「くわぬぎざわ」が「クヌギザワ」となり、桑の苗木の広がる緩傾斜地の「くわぬぎだいら」が「クヌギダイラ」に変化し、その「クヌギ」に上記と同じ理由で「椹」という漢字をあてはめたのではなかろうか。これももちろん私の素人考えでしかないのだが。

(註)
1.「どんぐりころころ」 作詞:青木存義、作曲:梁田貞、1921(大正10)年
2.10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(1段落)、
  11年5月16日掲載・本稿第二部「☆稲作発展の影にあったもの」(4段落)参照
3.その一例を本稿下記記事で紹介しているので参照されたい。
  12年10月8日掲載・本稿第五部「☆日本人の行列」(3段落)
4.「ヌギ」は「苗木(なえぎ)」の山形風言い方(いわゆる山形なまり)ではないかと私は考えている。この「ヌギ」については本稿の下記掲載記事で述べているので参照されたい。
  10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(3段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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