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椎、栃、ハシバミの実



               果実・雑感(14)

             ☆椎、栃、ハシバミの実

 どんぐりはあく抜きをしないと食べられない、これは常識なのだろうが、たった一つ、マテバシイのどんぐりは、タンニンをあまり含まないのでアク抜きを必要とせず、そのまま炒って食べられるのだそうである。
 このマテバシイはどんぐりと同じブナ科であるが、マテバシイ属に属するもので、われわれが普通見るどんぐりのコナラ属とは異なるもの、だからそのまま食べられるのだろう。ただし、マテバシイは西南日本の温暖な沿岸地帯に自生するものとのこと、東北に住むわれわれには縁がないようである。

 このマテバシイと似ているものとして椎の木がある。ただし、椎はブナ科シイ属でマテバシイとは近縁の別種なのだそうである。この椎の木にも実はなり、マテバシイと同じく灰汁抜きせずに食べられるが、その姿かたちはどんぐりとはかなり異なるとのことである。
 ということなので無視しようと思ったのだが、椎の木の北限が福島県であること、椎の木には子どものころの歌の思い出があるので、ちょっと触れさせてもらう。

  「ムカシ ムカシノ ソノムカシ
   シイノキバヤシノ スグソバニ
   チイサナオヤマガ アッタトサ アッタトサ」
 この『お山の杉の子』の歌については前にも触れているが(註1)、戦時中私たち子どもの間で大流行り、みんなで大きな声で明るく歌ったものだった。
 そのさい私は第二節目の歌詞をこう歌っていた。
   「ヒイノキバヤシノ スグソバニ」
 ヒノキ=桧は聞き知っていたが、椎の木は知らず、そんな木があるとは思わなかったので、耳に聞こえる歌詞のシイノキはヒノキのことだろう、メロディの関係からヒをヒイと伸ばしただけなのだろう、したがってヒイノキが正しいのだろうと思っていたからである。 それに、山形語との関係がある。私たちの山形語は共通語の「ヒ」を「シ」と発音する場合がある(註2)。当然そう発音すると「標準語」ではないと先生から注意される。だから、あの歌の「シイノキ」の「シイ」は私たち子どもの聞き違い、「ヒイ」つまり「ヒノキ」が正しいのだろうと思って「『ヒイノキ』バヤシノ」と歌っていたのである。そう歌ってもとくに誰も注意しなかった。みんないつもシとヒを混同していたからだろう。
 そうすると、つまり私たち流の歌詞の通り歌っていくと、ヒノキは杉の木よりお国の役に立たないということになってしまうのだが、とくに疑問も感じず歌っていた。
 これが間違いだと気が付いたのはかなり後のことだった。そして椎という木があること、この椎の木は杉の木を馬鹿にしたりするよくない子らしく、杉の木よりも役立たずらしいと思うようになるのだが、そもそもその椎の木がどんな木なのか私は知らなかった。それは木々に関する私の知識のなさからくるのだろうと思っていたのだか、実は私の故郷の立地からもくるものだった。椎の木は暖帯の植物であり、照葉樹林地帯では身近な里山の樹木らしいが、その北限は福島県、新潟県とのこと、したがって子どものころはきっと見たことがないのである。大人になってどこか南の地域で見たことがあるかもしれないのだが、見てもわからない。誰かから教わったときもない。それでいまだに写真でしか見たことがない。
 それでも、椎には実がなり、それは食べられるということは知るようになった。しかし、残念ながらいまだに食べたことがない。
 ただし、栃の実は食べたことがある。といっても実それ自体ではなく、栃の実の入ったせんべいであるが。

 シャンゼリゼ・銀座のマロニエの並木道、マロニエとはどんなしゃれた木なのだろう、若いころそんなことを考えていたのだが、何のことはない、栃木県、栃錦などで慣れ親しんでいる栃の木のことだという(正確にはセイヨウトチノキなのだそうだが)。それを後で知って友だちと笑いあったことがあったが、その程度の関心しか栃の木には持たなかった。
 その後この名前を印象的に聞いたのは、会津出身で北大の助教授になったばかりのころのOT君からである。彼が私の研究室を訪ねてきたときに蜂蜜をお土産にもってきてくれ、栃の花の蜂蜜が日本では最高なのだと教えてくれたのである。何でそんなことを知っているのかと聞いたら、学校の教師をしていたお父さんが教え子を戦場に送り出したことに責任を感じて戦後教師をやめ、養蜂業を始めた、それで詳しいのだという。そんな話を詳しく聞いたことで非常に印象に残っている。
 もちろんそのころはその昔凶作のときに栃の実を山から採ってきて飢えをしのいだものだという話も知っていた。しかし、その栃の実を見たことはなく、食べたことももちろんなかった。
 どこでだったかいつごろだったか正確に思い出せないのだが、会津の山村の直売所ではなかったかと思う、栃の実せんべいというのを見かけた。これは珍しい、かつて栃の実はドングリと共に山村での主食であり、あるいは飢饉の際の食料だったということを聞いていたので、物は試しと早速買って食べてみた。香ばしさがあってけっこううまかった。
 それ以後、山間部の観光地のお土産屋さんなどで注意してみてみると、たまに栃餅とか栃の実煎餅とかを売っているところがある。そのときは大体は買うことにしている。特別うまいとは思わないが、こうした伝統食の歴史を残しておいてもらいたい、その一助にでもなればということからである。

 ところで、この栃の実は椎の実などと違ってそのまま食べられないとのことである。どんぐりのようにあく抜きが必要となる。しかも栃はブナ科ではなくトチノキ科で、そのあく抜きはブナ科のどんぐりよりもかなり難しく、手間もかかるのだそうである。
 なお、前回ご登場いただいたNNさんによると、葛巻では栃の実は食べなかったとのことである。栃の実よりもあく抜きの容易なナラの実=どんぐりの実がたくさん穫れたからかもしれない。ただし、栃の実を焼酎に浸け、その液体を神経痛の薬として用いたという。
 このような難しい栃の実を使ったお菓子などが売られているのに、どんぐりを使った食品が地域特産として売られているのを見たことがない。また各地域それそれ特色があるだろうどんぐりの灰汁抜きの仕方や食べ方等々を各地で若い世代に引き継いで遺しているということも聞いていない。どんぐりは栃の実よりもまずいからなのだろうか。
 しかしこれは私の勉強不足で知らないだけかもしれない。そう思って前節で登場いただいたIK君の奥さんのA子さんに聞いてみたら、岩泉町(北上山地の中央部、宮古市・葛巻町に隣接、鍾乳洞の龍泉洞のあるところ)ではどんぐりを商品化している、ネットで検索できるとのこと、早速検索してみた。すると、飢饉の時の非常食として食べられてきたどんぐり(コナラ)の食文化伝承の活動が女性によって以前から展開されており、20年ほど前からはその商品化に取り組み、子どもたちやお年寄りの拾ってきたどんぐりを買い入れ、その粉を使ってつくったどんぐりクッキー、どんぐりパンなどを道の駅で売っており、さらにその食堂では粉を麺に練りこんだどんぐりラーメンを食べさせるとのことである。私が最後に岩泉町を訪れたのは30年以上も前のこと、したがって残念ながら食べていない。いつかぜひ行って食べてみたいと思っている。もう年齢だから無理かもしれないが。
 もしかすると、この岩泉以外にもどんぐりの食文化を残しているところ、さらにはその商品化を進めているところがあるかもしれない。そうであれば本当にうれしい。

 さて、さきほどの葛巻のNNさんの話では、木の実で食べたものといえばハシパミの実があるという。私ははじめて聞いた名前であるが、調べてみたら共通語ではハシバミ(榛)であり、ブナ目カバノキ科ハシバミ属に分類されるとのことである。その実は栗のように茶色で固い皮に覆われており、栗より丸くまた小さく、アク抜きや渋取りはせず、NNさんたちはもいでその場で皮をむき、中の白い実=果肉を生で食べたものだ、味はクルミに似ていたという。
 このようにおいしく、しかも簡単に食べられるなら山栗などと同じようにたくさんとって貯蔵したらいいだろうにと思ったら、灌木で小さく、量はたくさんとれなかったらしい。それで子どもの採取対象、おやつにしかならなかったのだろう。
 このハシバミのことをNNさんから聞いてくれた孫のNK君、ハシバミを食べたことがなかったばかりか名前を聞いたこともなかったという。彼は70年代後半生まれ、そのころにはこうした食文化が、かつての山野での子どもの食の遊び=実益あさりがもうなくなっていたことを示すものであろう。
 それ以外にもさまざまな食の文化、子どもの遊びがとくに高度成長期以降なくなったのではなかろうか。何かさびしい気がする。

 いうまでもなくこうしたどんぐりをはじめとする木の実は縄文時代の主食ともなった重要な食材であり、それ以降も食べられてきた伝統的な食品であり、その灰汁抜きの仕方、貯蔵・保存の仕方、食べ方等の地域の伝統はまさに文化財である。これが消滅していいわけはない。何とか復活、保存してほしいものだ。
 現代の和食の再評価、世界遺産登録、世界中への普及ももちろんいいが、縄文時代から引き継がれてきた山野の木の実などの伝統的な食(縄文食・倭食)の発掘、復活、保存、再評価、新たな時代に対応した再生、新たな加工調理技術、料理法等の開発を進め、食生活をさらに豊かにすると同時に林野の保全、山村衰退の歯止めの一つにしていくことも考えていいのではないだろうか。

(註)
1.12年11月29日掲載・本稿第五部「☆山林と農地、川と海」(1段落)参照
2.12年10月8日掲載・本稿第五部「☆日本人の行列」(3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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