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アケビ、山ぶどう、バライチゴ



                果実・雑感(16)

            ☆アケビ、山ぶどう、バライチゴ

 これまで、山野に自生する木に生る果実のうち成熟すると果皮が硬く乾燥する果実、いわゆる木の実、そのなかの私たち人間の食とかかわりのあるものについて述べてきたが、同じく山野に自生する木に生る果実のなかに果皮や果肉が柔らかくて人間が食用としている果実がある。私の場合、近くに山がないのでそうした果実を自分で採って食べることはできなかったが、炊事担当の祖母をはじめとする家族の誰かがどこからか手に入れてくるのをもらって、あるいはそれを加工調理してくれたものを食べることはけっこうあった。
 たとえばアケビがそうである。

 秋のある日、学校から帰ってくると、ざるに入った十数個のアケビをおやつとして祖母が私たちにくれる。これは毎年のことである。
 家にはアケビの木はないし、山に採りに行く暇など家族にないのだからどこからか手に入れたものだろう。よく山村の人がさまざまな山の産物を売りにくるが、その人から買うのか、どこかの店から買うのか、あるいは貰い物か、わからない。
 アケビの皮は紫色がかっていて上に一本の筋が見られるようになっており、その筋目に沿って割れそうになっているもの、あるいはすでにぱっかりと割れているものもある。私たちはそのなかからできるだけ熟した(紫色になった)大きな実をとる。割れ目にそってむくと、中に白いねばねばしたとろろのような膜に包まれた細長い楕円形の実が現れる。その実の中には黒い種がたくさん入っているのだが、それをかじって口の中に含むと、固い小さい種を包んでいる白い膜の甘みが口の中にひろがる。その甘いゼリーのような膜を味わいながら、口の中で舌でそれと種をうまく分け、甘いものはのどに流し込み、残った種は口の外に吐き出す。これを3~4回くりかえすともう終わりである。そこで次の実にとりかかる(こんな自明のことをなぜ延々と書くのかと思われる方もあろうが、今の若い人のなかにはアケビを知ってはいても食べたことがないという方もいるので、あえて書いてみた次第である)。
 特別うまいわけではない。お腹がふくらむわけでもない。食べやすくもない。でも甘味に餓えていた子ども時代は喜んで食べたものだった。
 問題は、食べているときに間違って皮をなめてしまったり、かじったりしたときだ。皮の苦みが口の中に残り、どうしようもなくなる。
 このような苦い皮、当然のことながらみんな食べない。どんな山国に行ってもあけびの皮を食べるなどという話を聞いたことがない。
 ところが、私の故郷の山形内陸ではその皮を食べる。祖母があけびを手に入れるのも、子どものおやつとしてではなく、中身を取った後の皮をいろいろ調理してご飯のおかずとして食べるためなのである。前にも述べたが(註1)、たとえば油で炒めたり、半分に割れた皮のなかに味噌(最近はそれに肉を和えたりする)を詰めて煮たり、揚げたりして食べる(註2)。苦みは少なくなり、それなりの風味・ほろ苦さがあり、子どもでも食べられるようになっているのだが、私は苦手だった。食べられなかった。今はさすがに食べられるが、特別食べたいとは思わない。でも家内は好きなようてある。何かの時に自分で料理しておかずに出したこともある。その一部を近所の友人たちに食べさせたところ、それがあけびだということは全員わからなかったという。
 あけびの皮は、薄い上皮を剥ぐと真っ白である。仙台で小料理屋を出している山形出身のおかみがその皮を軽くゆがいて梅干しで味付け、色付けして客の私たちに出してくれたことがある。うっすらとピンク色に染まってきれいである。私は食べてすぐにそれがあけびだとわかったが、同席した人たちは何だろうとみんな首をかしげる。ある人が言った、ゆでた生イカを梅干しで漬けたのではないかと。なるほどそう見えるかもしれない。よく考えたものだと私は誉めたが、それにしては苦いだろうと言うと、たしかにその通り、何だろうと彼はまた首をかしげる。正解を言うとみんなびっくり、それからおかみは山形伝統のアケビの味噌・肉詰めなどを出し、みんなはまた驚く。そして私に言う、あけびの皮を食べるなんて山形内陸人はよほど餓えていたのか、ゲテモノ食いなのかと。

 いうまでもなく、あけびは山野に自生する蔓性の低木である。それで山にあけび採りに行って、あるいはそれを買い、もらって自分の家で食べていたのだが、やがて自家用として庭や垣根などに植える人たちが出てきた。私の生家でも1960年ころではなかったろうか苗を手に入れて垣根のところに一本植えた(ただし、実をとるよりも芽を食べるためだったが、これについてはまた後で別に述べる)。
 さらに畑で栽培するようにもなってきた。各家庭からばかりでなく料理屋等からの需要もあり、山野から採るだけではそれに対応できなくなってきたからである。もちろん兼業化の進展による山村の労力不足で山に採りに行って売る人が減ったということもあったろうが。
 70年代に入ったころだったと思う、山形県の職員の方からこんな話を聞いたことがある。ある町のある地域であけび園を造成するために農業構造改善事業を導入しようとした。県も当然それを承認し、農水省に書類をあげた。そしたら本省の役人が飛んできて、何であけびのようなものの園地を造成するのか、そんな趣味や遊びとしか思えないことに補助金は出せないとかんかんになって怒った。そこで、山形の食文化、それに対応する新たな農業生産の創出の必要性等々について説明をし、試食もしてもらった。そしたら、よくわかりました、ぜひがんばってくださいと感激して東京に帰っていった。もちろん事業は承認された。
 その話を聞いたときは思わず笑ってしまったが、今は各地で園地で栽培されるようになっている。もちろん山形内陸だけである。需要もそうである。私としては全国の人に食べるようになってもらいたいのだが。

 山野に自生する蔓性の木の実といえば他に山ぶとうがある。しかし私は山ぶどうの実を採ったこともなければ、まともに食べたこともない。ただし、山に行ったとき見たことがあった。秋の遠足のときだったろうか、何の時だったか覚えていないが、山道で友だちから教わって実の生っているのを見たのである。かなり高いところにあったのでただ見るだけ、普通のぶどうの実からみると実はかなり小さく、房にまばらにしかついていないのが印象的だった。
 それでも山ぶどうの実は酸っぱいということは知っていた。家で山ぶどうの液を飲んでいたからである。
 私の幼いころ、祖母が秋になると毎年のように山ぶどうを一升瓶に詰め、ふたをして台所の米櫃の裏においていた。どこから山ぶどうを手に入れるのか、これも聞いていない。何日かおいたその液を水で薄め、砂糖を少々入れて飲ませてくれた。きれいな濃い赤紫色だった。甘いのだが、ちょっと酸っぱく、また口の中に渋みが残るのが欠点だった。それでもうまかった。しかしそれはⅠ~2回で、やがて一升瓶の液体は子どもに飲ませられなくなる。葡萄酒になるからである。身体にいいということで大人がちょっぴりずつ飲んでいた。

 その後縁のなくなっていたこの山ぶどうにまともにお目にかかるのは1980年代後半、山ぶどうでワインの製造を始めた山形県朝日村(現鶴岡市)でだった。ちょうど秋、農家の方が山に行ってかごいっぱいに採ってきた見事な山ぶどうの実と、野生種を改良して畑で栽培した山ぶどうの実が、農協のワイン醸造施設に運ばれてくるのを、感激しながら見たものだった。このことについては前に述べているので参照してもらいたいが(註3)、そのとき初めて山ぶどうのワインを飲んだ。ワインの味はよくわからないが、純国産のワインを飲むのは気分がよかった。
 それよりかなり後になるが、岩手県葛巻町でもワインの製造所をつくり、山ぶどうのワインも製造している。
 前々節でご登場いただいた葛巻在住のNNさんによると、子どものころ山ぶどうを採って食べたが、家では葡萄酒にしたという。もいできた実を潰して重しをすると柔らかくなって汁が出てくる、それを絞って瓶に入れる、そのさい密封すると発酵して爆発するのでワラで蓋をし(これは濁酒づくりの場合と同じである・筆者註)、できた葡萄酒は水で割って砂糖を入れて飲んだとのことである。この伝統を時代に対応してワイン製造に引き継いだといえよう。伝統の新たな復活として大事に育てていきたいものである。
 また、同じく岩手県の遠野市でも山ぶどうワインを販売している。ちょっと甘めだが女性にはいいかもしれない。製造は今言った葛巻のワイン製造工場に委託しているが、施設の有効利用にはいいこと、協力して山ぶどうワインを普及させてもらいたいものである。
 もう一つ、ワインとかジュースとかに加工するばかりでく、つまり加工用としてばかりでなく、山ぶどうの実を直接食べられるように品種改良ができないものだろうか。現状では粒は小さく、まばらにしかならず、甘いのもあれば酸っぱすぎるものもある等ばらつきがあるので食用には難しいだろうが。こうした欠陥をなくし、日本原産のぶどうが食べられるようにしてもらいたいものである。

 同じように山野に自生する蔓性の木の実で私が子どものころ口に入れたものとしては、他にバライチゴがあった。
 しかし、私にとってそれは山の果実ではなく野の果実だった。子どものころ、仙山線の楯岡駅から母の実家のある集落まで畑のなかの道路を約30分歩くのだが、その途中の道端に生っている赤い実を採って食べたものであり、山で生っているものを採って食べたことはないからである。それから、どこでだったか覚えていないが、黄色いバライチゴも食べたことがある。赤い実よりも粒の数は少ないが酸味が少なくて甘かった記憶がある。
 なお、家内のところではこうしたイチゴをノイチゴと呼んでいたそうである。家から畑に行く途中の道端に生えており、それを採って食べたことがあるという。
 ということで、私たちにとっては野原の木の実だったのであるが、山地に多く生えるのでその実は山の木の実といわれているのだろう。

 このバライチゴを食べることがなくなってから何十年も過ぎ、網走に住むようになって3年目の01年、何とそれを小清水原生花園の駐車場の近くで見つけた。まだ小さかった孫にそれを食べさせたところ、甘いと喜んで食べていた。私も本当にしばらくぶりで食べた。その翌々年、斜里町の知床博物館に行ったとき、その裏にある小さな丘に一面バライチゴが自生していた。見事だった。もちろん孫といっしょに私も採って食べた(註4)。
 とは言ったものの、私の食べたのがバライチゴ、ノイチゴであるかどうか、それはわからない。というのはバライチゴの属するバラ科キイチゴ属で日本に自生している種はかなりあるからである。なお、ノイチゴという種はなく、キイチゴと同じような総括的な意味の言葉としてノイチゴは使われているようである。
 それで今回改めて調べてみた。まずわかったのは、私が故郷でまた北海道で食べたバライチゴはそもそもバライチゴではなかったということである。バライチゴは中部地方以西の本州から九州に分布しているものとのことだからだ。バラのようなトゲのある蔓性の木に、イチゴのような小さな甘い(当時のイチゴは酸っぱかったが)また赤い(キイチゴには黄色もあるが)実がつくことからバライチゴと私たちの地域では呼んでいたのだろうが、正確には違っていたのである。
 それでは私たちが食べたのは正確には何という名のキイチゴだったのだろう。北海道まで自生するキイチゴはクマイチゴ、ナワシロイチゴ、エビガライチゴなので北海道ではその三種のうちのいずれか、東北に自生するのはその三種に加えてクサイチゴ、サナギイチゴがあるので山形ではその計五種のうちのいずれかを食べたということになる。そのどれを食べたのかは判然としないが、黄色い実のキイチゴはモミジイチゴというとのことなので、それはまちがいなく食べたことになる。
 なお、私たちが子どもの頃毒があって食べられないと言っていたヘビイチゴ(註5)もキイチゴの仲間であり、やはり食べられないが毒はないとのことである。

 いうまでもなくキイチゴは草本性のいわゆるイチゴとはまるっきり違うものであるが、キイチゴが甘いのに対して当時のイチゴはきわめて酸っぱかった。それで子どものころ、私たちの通称バライチゴを畑に栽培してたくさん生産できないものか、でも実が柔らかすぎて収穫・貯蔵・販売などが難しいと思われ、やはり無理かなどと考えたものだった。
 しかし、やろうと思えばできた可能性はある。たとえば欧米ではキイチゴの仲間のラズベリーの育種・改良を進め、その栽培を可能にしており、それはいま日本でも栽培され、ジャム等にして販売されている。
 となるとやはり日本の伝統的なキイチゴの育種・選抜を進めて栽培できるようにすることは可能なはずである。日本の子どもたちにぜひ日本原産のキイチゴを食べさせてやりたいものだ。山野に自生しているキイチゴを採って食べる体験をすべての子どもたちにさせたいのはもちろんのことだが。

(註)
1.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆食の地域性―山形内陸部の雑食性―」(3段落)参照
2.皮を乾燥したり、塩漬けしたりして保存し、煮ものにして食べたりもする。でも、私の生家では保存できるほどの量もないからだろう、そうやって食べたことはなかった。
3.11年7月22日掲載・本稿第二部「☆山菜の栽培植物化」参照
4.このことについては下記の記事でも簡単にだが触れている。
  13年9月2日掲載・本稿第六部「☆甘いもの、家庭果樹」(8段落)
5.10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(4段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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