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樹液と私の子どものころ



               木の液・幹・花・葉と食(1)

              ☆樹液と私の子どものころ

 私の生家から南に500㍍くらい行くと、奥羽山脈から田んぼの中を流れ下ってくる一貫清水(私たちは「えっかんすず」と言っていた)という川があった(今はもう町の中、どこにそんな川があるのかわからないような状況になっているが)。川幅は数㍍、深さもたいしたことはないが、きれいな冷たい水であり、灌漑用水として大きな役割をはたしていた。
 川の両岸にはさまざまな木が生えていて藪になっているが、たまにイチジクとかクルミとかの木があった。そうした木の実を採りに藪の中に入ろうとすると、年上の子からきつく注意された。まず蛇や毒虫に気をつけろである。次に漆の木に絶対触るなだった。とくに枝を折ったり葉っぱをとったりするな、そのときに出てくる液(つゆ)が皮膚に触るとかぶれて真っ赤に腫れあがる、下手をすると死んでしまう、こう言っておどかされる。そう言われてもどれが漆の木かわからない。するとこう教えられる、秋になると葉っぱが真っ赤になる、だけどモミジではない、それが漆だから覚えておいて気をつけろと。
 小さいころから皮膚が弱くていろいろな病気にかかった私、できるだけ藪に近づかないようにしたし、漆の木のある山が近くになかったこともあって、漆にかぶれることはなかった。
 でも、低い丘陵地のある宮城県南の小さな町に育った家内はかぶれたことがあると言う。山の畑の近くの藪の中に誰にもみつからないような平らな場所を友だちと見つけ、秘密の隠れ家と称してそこに何回か遊びに行っているうちに漆に触ったらしく、腕に赤くぽつぽつがたくさんでき、かなり腫れあがって痛痒かったそうだが、当時は薬もなし、腫れがひくまで我慢するより他なかったとのことである。
 このように漆の樹液には悪い印象があるのだが、わが家にあるお椀やお膳は、客用のものも家族用のものも、すべて漆塗りであり、漆というものはきわめて大事なものと徐々にわかってきた。しかし、そのお椀などに触ってもかぶれない。漆の木の幹に傷をつけて樹液の漆をとる人たちや漆器職人の方がかぶれないこともそのうちわかってくる。それがなぜなのか、不思議に思ったものだった。

 小学校(当時は国民学校と称した)に入ってからは戦争一色、太平洋での日本大勝利のニュースが新聞、ラジオで連日報じられ、学校でも教え込まれた。それでアジア諸国の地理が叩き込まれたが、そのなかで覚えた一つにマレー半島があり、そこにはゴムの木を植えてあるゴム園があり、そのゴムの木の幹に傷をつけて樹液を採り、その樹液からゴムをつくるのだということを知った。
 私たちが遊びの対象とした桜や松のヤニ(註1)、これは樹液の固まったものだということを自然のうちに知っていたが、そのヤニのネバネバから考えて樹液がゴムになるのは何となくわかるような気がした。
 消しゴムをはじめとしてゴム製品が生活に不可欠のものとなりつつあった時代、それを白人から取り戻して日本のものにする、軍国少年としてはうれしく思ったものだった。

 敗戦の色が濃くなったころ、松根油掘りで上級生が勤労動員に駆り出されるようになった。松の根を掘り、それを絞ってつくった樹液=松根油を飛行機のエンジンの油にするというのである。樹液の固まった松脂が薬のようなかなりきつい臭いがするのでさもありなんと思ったものだったが、私たちは低学年だったため松の根掘りには動員されなかった(註2)。先輩たちに聞くと深くしっかり張った根を掘り起こすのはかなり大変だったとのことである。旧制中学時代に動員された中学のときの担任の先生がこんな話をしてくれたたことがある。苦労して掘った根っこなのに、機械にかけて出てくる薄黒い液がぽたりぽたりとしか落ちてこないのを見て、何ともいえない思いがしたものだったと。
 正確に言うとこの松根油は樹液ではなく、私たちが絞ると思っていたのは乾溜するということなのだそうだが、樹液という言葉でどうしても松根油を思い起こしてしまうのである(註3)。

 私たちがいつもモミジと呼んでいる木はカエデと言うのが正しいのだそうだ、こんな話を聞いたのはいつごろだったろうか。
 そのカエデのなかにサトウカエデという木があり、その樹液から砂糖をとる国があるというのを何かの本でみて信じられない思いをした、これもいつだったろうか。戦前、私の小学校低学年のころではなかったろうか。
 このサトウカエデの葉がカナダの国旗になっていると知ったのは戦後だったと思う。
 そういえば、戦中戦後の砂糖不足の時、日本にも甘い樹液を出すカエデがあるそうだなどという話を聞き、どのモミジがそうなのか探して砂糖をつくる発明をしようなどと夢想したこともあった。

 高度経済成長期に入ってから、サトウカエデなどの樹液を濃縮した甘味料のメープルシロップ、それを濃縮したメープルシュガーが輸入されるようになり、簡単に手に入るようになった。サラサラして甘みもきつくなく何となく上品な感じがしたものだったが、サトウカエデのことなどいつの間にか忘れてしまっていた。
 漆についてもあまり考えなくなってきた。漆器が陶磁器やプラスチック製品に置き換えられるようになったこともあるが、漆のほとんどが中国からの輸入となり、漆の木も減っているからだろう。「漆器」は、英語でjapanと表記されていることからもわかるように、日本を代表する産物だったのだが、何か寂しい気がする。漆かぶれが騒がれなくなっているのはいいことだが。
 もちろん松根油などは忘れ去られ、天然ゴムは合成ゴムに代わり、ヤニで遊ぶような子どももいなくなった。
 そんなことから、私も樹液のことなど完全に忘れていた。その樹液を改めて認識したのは今から十数年前、網走に行ってからのことだつた。

(註)
1.11年1月31日掲載・本稿第一部「☆豊富だった遊びの材料」(2段落)参照
2.11年2月9日掲載・本稿第一部「☆国民学校、そして疎開」(3段落)参照
3.松脂からも松根油を採ったのだから、樹液から松根油を採るということでいいと思っていたのだが、よくわからない。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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