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食えない木の皮・幹・花




               木の液・幹・花・葉と食(3)

              ☆食えない木の皮・幹・花

 樹皮、これで今でも強烈に印象に残っているのは北海道の屈斜路湖のほとり川湯温泉の周囲の木々だった。その樹皮が下から2㍍くらいはがれて丸裸になっているのである。かわいそうになるくらいだ。エゾシカの食害(註1)だという。餌のなくなる冬になると樹皮を食べにくるのだそうである。知床半島でもこうした木々が各所で見られた。
 そうなのである、樹皮も動物の食料なのである。前に述べたが、ウサギは冬にタラの木の樹皮を食べるとのことである(註2)。しかし、他に餌のなくなる冬期間のみ食べるのだからあまりおいしくないのだろう。樹皮はもともと死んだ組織の集まりだからそうなのかもしれない。
 言うまでもなく、人間も食べない。もちろん、杉の樹皮のように屋根葺きに使ったり、コルクの材料にしたり、燃料にしたり等々で人間は利用させてもらってきたが。
 しかし、食べたこともあった。前にも触れたが、私の子どものころ祖父がこんなことを言ったことがある(註3)。凶作の時に松の皮と稲わらを混ぜて何日間も臼でついて粉にし、それを団子にした餅を食べたものだ、松皮餅(だったと思う)と言ったが、手間もかかり、うまくもなかったと。祖父の年齢からしてきっと明治末の大凶作のときだろう。いつごろ、どのようにして餅にしたのか、味はどうだったか等々、もう少しきちんと聞いておけばよかったと後悔している。
 この食べ方は東北の他の地域にもあったらしい。また外国にもあり、やはり不作時にパンに松の皮を混ぜて食べたとのことである(註4)。
 しかしそれは特殊事例、普通は食べない。木質で固く、栄養価や消化率も低いからだ。

 この樹皮に包まれている木の幹や枝はましてやそうだ。いうまでもなく幹は木の主要構造部分であり、根に直接つながって支えられながら枝を伸ばすわけだが、こうした性質上、幹は木質化(細胞壁にリグニンが沈着)していてきわめて堅い。葉や実を支える枝もそうだ。これでは動物にとっては食べにくい。ましてや人間は食べられない。
 この木の幹から末端の枝葉、実まで全体を支え、また養分、水分を与える木の根となるともっと頑丈である必要がある。虫や獣に食べられないように、つまり食べてもうまくないようにしなければならない。当然人間は食用にしたくともできない。

 それでは樹木に咲く花はどうか。これは柔らかい。食べようと思えば食べられそうである。しかしそれを動物が食べるという話はあまり聞いたことがない。
 でもこんな話を聞いたことがある。
 山形県天童市、将棋の駒の大産地として有名であるが、この町の中心部に舞鶴山という小さな山がある。そこは桜の名所であり、満開のころにはその桜の花の下で人間将棋が開催され、多くの観光客が集まる。80年代のことではなかったろうか、たまたま春早く天童を訪れたとき、同行してくれた県庁の職員の方がこんな話をしてくれた。今年の舞鶴公園の桜は咲かないようだ、冬にウソという渡り鳥が大量に飛来して公園の桜の花芽を全部食い尽くしてしまったからだと。驚いて「ウッソー」と言ったら、「いい洒落だ」と大笑いになったが、そんな「ウソのような話」は初めて聞いた。ウソはソメイヨシノの花芽が大好きなのだそうで、今も全国各地で被害をもたらしているようである。
 このように花芽については鳥の食害の話をたまに聞くが、開花した花の食害はあまり聞かない。ウソも開花した桜の花は食べないようである。にもかかわらず花芽を食べるのは、小さくて食べやすく、しかも栄養がたっぷり詰まっているからなのか、早春は他においしい食べ物が少ないからなのかわからない。
 鳥だけではない、獣が食べるという話を聞いたことがない。虫もそうだ。葉をむしゃむしゃ食うように虫が花びらなど木の開いた花を食べるという話も聞いたことがない。
 それではなぜ開花した木の花を動物は食べないのだろうか。食べてしまったら主食の木の実が食べられなくなってしまう、だから食べないのは当たり前かもしれない。といっても動物はそれがわかっているわけではない。とすると、樹木の側が食べられないようにまずくしているのではなかろうか。虫についていえば、花がなくなっては蜜が吸えなくなって自分たちも生きていけなくなるので、花を食べないようにしているのかもしれない。

 人間も木の花は食べない。花を食べるなどと言ったら笑われる。草本性植物の花もそう思われてきたようで、前に書いたようにかつては菊の花を食べるなどと仙台で言ったら笑われたものである(註5)。花は観賞するもの、実になってから食べるものという観念があったのだろう。その上木の花はあまりおいしくもないのかもしれない。
 しかし、桜の花は飲食の対象になっている。

 私の子どものころ、何の時だったか忘れたが、祖母が湯呑茶碗に塩漬けした桜の花を一、二輪入れてお湯を注ぎ、「桜湯」だと飲ませてくれたことがあった。八重桜と思われる花がお湯の中で開き、お湯はうすい桃色(いや濃い桜色というべきか)に染まっていて、きれいである。飲んでみた。しょっばい。しかし、何か変わった匂いと味がする。これが桜の花の味、香りなのだろうか。特別おいしいわけではないが、飲めないわけでもない。
 なぜこんなものを飲むのだろうか。ちょうど戦中でお茶も配給、お茶不足を補うために茶の代用品として飲むのだろうと私は思っていた。
 それにしても桜の花の塩漬けをどこから手に入れたのだろうか。生家の屋敷内には桜の木はなく(サクランボの木はあったが)、花を摘んで漬けることはできないからである。買ったかもらったかしたのだろうが、さだかではない。
 この話を宮城県南出身の家内にしたら、家内の祖母は自分で桜の花を小さな壺に塩漬けしていたという。山の畑のところに八重桜があるのでその花を採ってきて漬けたのではなかろうか、ときどき壺を出してきて桜湯にして飲んでいたと家内はなつかしそうに言う。

 戦後、私の中学生のとき、叔父の結納の名代で叔母(後の)の実家に行ったときだった、桜湯が出た。しばらくぶりで飲んだ。この話を家に帰ってしたら、おめでたい席のときは桜湯を飲む慣習があるのだと言う。大昔、緑茶がなかった時代、桜湯を飲むのが習慣だった、とくにめでたい席、来客のときに桜湯を出した、その伝統にのっとっておめでたい席では古来の桜湯を飲むのだというのである。なるほどと納得したものだった。
 ところが通説は違っている。「お茶を濁す」などに使われるお茶という言葉を使うのを避けるためめでたい席では桜湯を飲むのだというのである。それでも私は生家の説をとりたいと思っている。通説はこじつけのような気がするし、古来の伝統という私説の方が床しく、きれいに思え、またあり得るとも思えるからである。
 それはそれとして、家内の祖母の家のように、特別な行事のときばかりでなくて日常的に桜湯を飲む慣習のある地域や家があったのではなかろうか。お茶の穫れない地帯では、高価だった時代にはとくにそうだったと思えるのだが、どうなのだろうか。
 なお、この桜の塩漬けは桜湯としてばかりでなく、料理にも使われている。料理屋などでお吸い物や酢の物のなかに入れたりするし、ご飯に桜の塩漬けを混ぜて桜ご飯として出す地域があるとの話を聞いたこともある。

 しかしこの桜以外の木の花を食べるとか飲むとかいう話は聞いたことがない。そのことを家内に確かめてみた。そしたら何と、かなり前のことだが、自分より年配の友人の家に遊びに行ったときニセアカシアの花のお茶をごちそうになったことがあると言う。家内もびっくりしてどうしたのかと聞いたら、近くの山に遊びに行ったときニセアカシアの花が咲いていたのでそれを採って塩漬けにしたのだとのこと、そしてそれを桜湯と同じように茶碗に入れ、それにお湯を注いでごちそうしてくれたのだそうである。うまかったかと聞くと強い香りがしたが十分に飲めたという。
 しかし私には信じられない。ニセアカシアの花の満開時のあの強烈な匂い、私はあまり好きではないからである。ニセアカシアはミツバチが大好きとのこと、ミツバチにはいい匂いなのかもしれないのだが。
 調べてみたら、花序ごと天ぷらにして食べるところもあるそうである。私はあの匂いからしてあまり食べたいと思わないのだが。

 ニセアカシア、この名前からもわかるようにこれは明治期に渡来した外来植物である。したがってニセアカシアを食べる、漬けるようになったのは明治以降ということになるが、一体どこの誰が、どういう理由でからはじめたのだろうか。
 よく川原などにたくさん自生しているのが見られるが、そもそも街路樹や砂防・土止めに植栽されてきたものが強い繁殖力、生命力であちこちに増えてきたのだそうである。
 今も道路工事などでできた傾斜地に土止め用としてニセアカシアが植栽されているが、それを見るたびに心配になる、あの繁殖力からして生態系がかく乱されるのではないかと。調べてみたら松や柳などの在来種を駆逐しているとのことである。
 コンクリートで傾斜地を埋めるよりはニセアカシアで緑豊かにした方がいいような気もするが、生態系保全という視点から考えると、ちょっと金がかかっても日本在来の別の樹種の植栽で砂防、土止めを図っていくべきなのではないだろうか。そうすると養蜂業者が困るかもしれないが、それはそれで何らかの別の方法で解決してもらいたいものである。
 それはそれとして、わが国で飲食の対象としている木の花は桜とニセアカシアの花だけのようである。もちろん私の知る限りでだが。
 それでは木の葉はどうだろうか。次回はそれを見てみよう。

(註)
1.エゾシカの食害については下記の本稿掲載記事でも触れているので参照されたい。
  13年5月1日掲載・本稿第五部「☆森に棲む野生哺乳動物と人間」(2~3段落)、
2.16年2月15日掲載・本稿第八部「★ウサギ汁・スカ汁」参照
3 .10年12月7日掲載・本稿第一部「☆米をつくっても米が食べられない農家」(3段落)参照
4.外国のことなので木の実のところでは触れなかったが、いうまでもなく松はその実を食料として人間に供給している。輸入品の松の実を食べたことがあるが、けっこうおいしかった。
5.菊の花は山形をはじめ各地で食べられてきたし、菜花のつぼみなども食べられてきたのだが。いうまでもなく今は仙台はもちろん全国で菊の花や菜花が食べられるようになっており、そのうまさは多くの人に認められている。
  11年9月26日掲載・本稿第三部「☆食の地域性―山形内陸部の雑食性―」(2段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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