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食から見た木の葉と芽




               木の液・幹・花・葉と食(4)

               ☆食から見た木の葉と芽

 木の葉は、光合成や呼吸を行なって樹木の生育に必要な栄養分をつくる場である。したがって葉には栄養分があるはずであり、しかも木の幹や枝とちがって柔らかく、食べやすいはずである。さらにたくさん木に繁る。そうなると木の葉は動物の食の対象に十分になり得る。実際に多くの動物が葉を食料にしている。もちろん、動物によって食べる木の葉と食べない木の葉がある。言い方を変えれば樹種によってその葉を食べる動物と食べない動物があるということにもなる。
 それでは人間の場合はどうだろうか。大昔はわからないが、今は成熟した木の葉を食料とはしていない(と言っていいのではなかろうか)。
 凶作・飢饉のとき木の葉を食べたということも聞いたことがない(普通は食べない野草の葉を食べたという話はよく聞いたが)。私も食べたことがない。
 いや一度だけ食べたことがある。蚕並みに桑の葉を食べた。生葉ではなかったが。

 前にも書いた(註1)が、戦争末期の1944年、深刻化した食糧不足を補うために桑の葉を工夫して食べようという呼びかけが上から流された。それに応えて、私の生家の近くの麩屋さんでも小麦不足で遊んでいる機械と人手を使って桑の葉のせんべいをつくって売り出した。南部せんべいと同じ形に何枚かの葉を重ね合わせて焼いてあったが、葉っぱの形が若干残っており、その葉っぱが焦げたような焦げ茶色をしていた。
 桑の実は私たちが食べるものだが葉は蚕が食べるもの、それを食べるなんて、しかもまずそう、とは思ったものの、やはりどんなものか食べたくなる。それで友だちが買ったのを食べさせてもらった。まずくて食えたものではなかった。砂糖など調味料を入れるなどしたらあるいは何とか食えたかもしれないが、当時砂糖などあるわけはない。そもそも蚕の食べるものを食べるのは何となくいやだということもあったのだろう。あまり売れなかったようである。他の地域でも同じだったようだ。だからだろう、わずかの期間で姿を消してしまった。
 山形市西部の農村部に育ったAH君(前にも本稿に登場してもらったが、高校・大学と私の同期で医師をしている)に聞いたら、やはり戦時中に桑の葉を食べたという。自分の家で栽培していた桑の葉を乾燥させ、粉末にして米粉や小麦粉と混ぜ、団子やうどんにして食べたが、ヌルヌルして不味くて食べられなかったとのことである。
 それにしても何で政府は桑の葉を推奨したのだろうか。あんな風にして食べろというなら他の木の葉でもいいではないか。蚕が食べて毒ではないのだから人間も食べられるだろう、栽培しているので野生の木の葉よりも柔らかい、桑畑はたくさんあるし、木の背丈が低いので桑の葉は採りやすいということからだったのだろうか。
 最近では桑の葉が血圧や滋養強壮によいということで健康食品として販売されるようになっているとのことだが、食用として普遍化はしていない。私もあのとき一回食べただけ、しかももう70年も前のことである。

 その後食べた木の葉としては桜の葉がある。塩漬けした桜の葉で餡餅をくるんだ桜餅、この葉は食べてもいいし食べなくともいいというので、一度は食べてみたが、葉の香りが強くなるだけ、塩っぱいだけで特別おいしいというわけではないので、今は食べていない。でも必ず葉もいっしょに食べる人がいる。ということからいえば人間は(いや日本人は)桜の葉を食用にすると言っていいかもしれない。
 でも、桜の葉は香りづけ、彩り添え、包装が主目的であり、食べられるというだけであって食べることを目的としているわけではない。とすると食用の葉とは言えないことになろう。

 この包装用として食にかかわって用いられる木の葉にカシワがある。五月の節句にカシワの葉で包んで蒸した餅=柏餅をつくるが、これはカシワの葉が大きくしなやかで食べ物を包むのにいいから用いたのであろう。
 なお、カシワの葉は新しい芽が出るまで古い葉が落ちないので「家系がつながる」=「子孫繁栄」という縁起をかついで使われるようになったのだという説もあるが、果たしてどうなのだろうか。
 ちょっとここで脱線、かなり以前のことになるが、札幌に転勤した先輩からこんな話を聞いたことがある。明治初期、アイヌの人がどうしてもお金を借りなければならなくなった、それにつけこんで強欲な和人の金貸しが年末までという返済期限を短くするためにカシワの葉が落ちるまで(秋の終わりまでというつもりで)しか貸さないという約束をさせた。ところがカシワの葉は秋になっても真冬になっても落ちない、それどころか翌年の春になっても落ちず、そのうちに新しい葉が出てきた。それで金貸しは返させることができず、損をしてしまった。本当の話かどうかわからないが、なぜか印象に残っている。
 話を戻そう。

 香りづけ、包装と言えばササの葉がある。私の大好きな「ちまき」はササの葉に包まれている(註2)。それ以外の料理や食材などを包むのにもよく使われる。また鮮魚のわきにササの葉が添えられたりもする。ササの葉には防腐作用があるかららしいが、お菓子を包むのにも使われる。
 そのお菓子で私がもっとも好きなのは山形の蔵王温泉の「稲花餅(いがもち)」だ。中に餡の入った真っ白な小さな餅の上に数個の黄色い米粒が載り、それが緑のササの葉の上で映える。なんともいえないさわやかな上品の甘さと食感、これはたまらない。蔵王温泉に行くと必ずお土産に買って帰るのだが、ちょっと遅くなると売り切れてしまっているのが口惜しい。

 防腐作用ということでいえば柿の葉がある。柿の葉寿司がその典型だ。奈良県に行ったときに初めて食べたのだが、今は仙台駅の駅弁としても売られているなど全国に普及しているようである。
 それからホウノキの葉=朴葉(ほおば)もある。葉が大きいので昔から食器の代わりに食物を盛るのに古くから用いられてきたとのことだが、私は仙台に来るまでまったく知らなかった。もちろん朴という漢字は知っており、朴訥(ぼくとつ)という言葉からしてそれはボクと呼ぶものと思っていた。だから、仙台市営バスの行き先にあった「朴沢行き」を見たときはボクサワと読むのだろうと思っていた。いつごろだったろうか、それは間違いでホウザワと呼ぶこと、朴はホウとも呼ぶことを知った。それからまたさらに時間が経って、ある居酒屋で朴葉焼きをご馳走になり、そのとき初めてホウノキという木があり、その葉が大きいこと、香りがいいこと、殺菌作用があることなどから食材を包むために用いられてきたこと、枯葉が比較的火に強いので食材をのせて焼くためにも使われてきたこと、そのホウは朴と書くことをを知った。このおかげでホオノキを見てわかるようになり、また朴沢(ほうざわ)の地名の由来も推測できるようになったのだが、この地域の近くの山々にはきっとホウノキがたくさん生えていたのだろう(註3)。

 このように木の葉は食とまったく無関係ではないが、一般的に人間は食用にしていないといえるのではなかろうか。
 いや、木の葉が人間に食べられないようにしているのかもしれない。まず、人間にとって木の葉は固く、食べにくい。また、えぐ味、渋味、苦味など人間には不快で不要とされる成分が含まれ、いわゆるアクが強そうである。つまり人間にはおいしくない。だから食べないのではなかろうか。
 しかし、とまた考えてしまう、それなら調理や加工で飲食できるようにすればいいではないか。実際に人間はそうしてさまざまな動植物を食べてきたではないか。
 ここでふと思い出した。木の葉であるお茶、これは実際に加工・調理して人間が飲んでいるではないかと。

 人間はお茶の木の葉を口に入れ、お腹に入れている、食べ物としてではなく飲み物としてではあるが。
 そのさい、茶の生葉や枯れ葉を直接飲んでいるわけではない。日本人は茶の葉を蒸したり揉んだり発酵させたり乾燥させたりして加工し、それに湯を注いで茶の葉の成分を湯に浸み出させ、それを煎茶・番茶などとして飲んでいる。あるいはそうした茶を粉末にし、それを湯に溶かしてつまり抹茶として飲んでいる。
 幼いころはあまり飲まされなかったが、やがて食後とかおやつの時間に必ず飲むようになり、大人は客が来るとお茶を飲み、客に行ってはお茶を飲む。現在の私の日常は朝食後と昼食後に一日煎茶2回、3時と夕食後に番茶2回(午後から煎茶を飲むと眠れなくなると家内がいうので)である。
 これだけ日常的にお世話になっており、しかもそれは茶の木の葉っぱなのだということを知っているのに、ここまで書いてきて初めて気が付いた。これは私の住んできた東北、北海道がお茶の産地ではなかったからではなかろうか。子どものころ、写真や絵で茶畑や茶摘みの風景は見ていたが、それは南の地方のもの、実際に見たことはなかったのである。
 それでも戦後、私の中学生のころ、生家から北に10㌔くらい離れている母の実家でお茶の栽培を始めた。といっても20本くらいだったが。北国でもとれるのだと驚いたが、おいしくなかった。寒冷地のせいかなのか、製茶のしかたが下手だったからなのかわからない。十数年つくってやめてしまった。
 宮城県や岩手県の一部でお茶を栽培し、北限の茶として売り出していることも研究者になってから知った。しかしメインではない。西日本の調査に行ったときなどにお茶を意識する程度だ。しかも日本にとって大事な農産物だとわかっていてもやはり嗜好品である。それに木の葉として意識してお茶を飲んでいるわけではない。だからついついお茶のことを忘れてしまったのだろう。
 それはそれとして、飲用でしかなくとも、嗜好品ではあっても、ともかく茶という木の葉は口に入れている。そうすると、他の木の葉だって何らかの形で食べられるのではないか。にもかかわらず食べないのはなぜなのだろうか。

 そこまで考えてきてまた気が付いた。お茶の葉を口にするといってもそれはお茶の新しい幼い葉とその芽であり、成熟した葉はお茶にしていないということである。
 なぜなのか。それは先ほど言った成葉の固さ、アクの強さ、まずさからきているのではなかろうか。これに対し、幹の生長点の頂芽や側芽、さらに葉芽、その伸び始めたばかりの幼い芽や葉は柔らかく、アクも強くなく、ある程度調理・加工すればおいしく飲める。こういうことなのだろう。

 これを敷衍すれば、他の木の葉だってそうなのではなかろうか。その成葉は人間の消化力では食べられなくとも、幼葉や新芽は調理加工すれば人間の消化力で消化吸収が可能となる、つまり食べられるようになるということになるのではなかろうか。
 そういえばそうだ、タラの芽などはその典型ではないか。そしてここでいう「芽」はタラの幹・枝の生長点(頂芽・側芽)、幼い葉とその芽(葉芽)である。私たちはそれを摘んで食用にしている。タラの木以外の木の若葉や芽も私たちは食べている。つまり私たちは「木の芽」と称して「木の葉」を食べているのである。あるいは木の葉と称して木の芽、若葉を食べている。
 しかし木のおいしい新芽、若葉も大きくなると、成葉になると食えなくなる。人間の可愛い子どもも大人になると食えなくなる、それと同じだということなのだろうか。

 ところでこの『木の芽』には今言った「樹木の新芽」という意味と「サンショウの若葉」との二つの意味があるとのことである。しかし私の生家のある地域では「アケビの若葉、新芽」を『木の芽』と呼んでいた。次回からは章を変えて、この話からはじめることにする。

(註)
1.12年2月29日掲載・本稿第三部「☆小かごに摘んだはまぼろしか」(3段落)参照
2.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」(3段落)、
  13年4月25日掲載・本稿第五部「☆かき餅・くだけ餅、牡丹餅、ちまき」(8段落)参照
3.朴沢という地域は仙台市の北西部の山々の麓にあり、この地名がついたのもうなずける地域だが、今は市街地が近くに進出しつつある。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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