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春は食用、夏は雑草




                山菜・思いつくまま(1)

               ☆春は食用、夏は雑草

 私の幼いころ、ツクシ、ナズナ、セリ、ノビル、ヨモギ、スベリヒユなどを採って食卓に供するのは子どもの仕事だったという話を前にした(註1)が、それは田畑や畦畔、道端や空き地の草むらなどから摘むものだった。だから私にはこれらはどうしても山菜とは呼べない。私のイメージからすると山菜は生家から遠くに見える山々に自生している草木、いつも目にしていない、採ったことのない野生の草木から採れるものが山菜であり、私にとってツクシ等々は珍しくも何ともない野草、雑草でしかないのである。もちろんそれらは食べられるのだから雑草ではない。しかし田畑に生えればあるいは大きくなるなどして食べられなくなれば邪魔もの、雑草となる。もちろん家畜の飼料となるので役に立つし、大人になったナズナなどはぺんぺん草となって子どものおもちゃにはなるのだが。

 その子どものころに刷り込まれた記憶がよみがえるのだろうか、たとえばツクシの時期などになると採りに行って食べたいと心がうずく。それでかつては仙台の自宅の周囲の山野や田畑にツクシを探しに行って採ったものだったが、市街地の膨張によって宅地造成が進み、ツクシ採りどころではなくなってしまった。たまに5月初旬の休日、仙台西部の山に遊びに行ったときなどに遅いツクシを見つけて採ってきて食べる程度になってしまった。もちろん今は高齢化、もう行かなくなってしまい、数年も食べていないのではなかろうか。
 しかしなぜかわが家の庭にスギナだけは生え、放っておくと夏には庭がスギナ畑になる。ツクシはほとんど生えないのにである。食べもしないスギナ取りに追われると家内はいつも不満をもらす。かつては近所の田んぼの畦畔や山野に生えていたツクシはどこにいってしまったのだろうか。どこにわが家の庭のスギナの親戚のツクシはあるのだろうか。せめてスギナ取りの労働に見合うだけのツクシを採って食べたいのだが。

 ナズナなど何十年採って食べていないだろうか。といっても正月7日には食べている。店で売っている春の七草のなかに入っているはずであり、家内はそれを買ってきて七草粥をつくるからだ。でも食べるときは七草がごっちゃになっているからナズナの味などわからない。そもそも雪国の私の故郷では正月にナズナなど生えておらず、正月に食べるものではなかったので、それを食べてナズナを思い出すなどということもない。私にとってナズナは早春に食べる野草であり、そういうことからするとずっと食べていない。山形の農村部では今も採って食べているのだろうか。ナズナ摘みがまだ子どもの仕事になって残り、家族で春の味を味わっているのだろうか。
 そういえば仙台のわが家の近くでナズナの大人になったぺんぺん草(いうまでもなくこれは食べない)も最近はあまり見かけない。近くの小さな公園のすみにぺんぺん草が生えていたのだが、ぺんぺん草で遊ぶ子どもも見なくなっている。ぺんぺん草を知らない子どもも多くなっているのではなかろうか。
 ぺんぺん草はどんな土地にでも生える生命力の強いまさに雑草の代表者であり、そうしたことから家や土地が荒れ果てていくことを「ぺんぺん草が生える」と言い、「○○が通った後はぺんぺん草も生えない」などという悪口も生まれたのだが、やがてそれらは死語になっていくのだろうか。

 荒れた土地に生えるといえばヨモギがある。先年の大震災で被害を受けた家を取り壊した後の土地にまず勢いよく成長したのがまずヨモギであり、翌年の夏はヨモギ林になったのを見たときそれをあらためて痛感した。
 春先、雪の下から現れる枯草の中に最初に緑を見せるのもヨモギだった。この若芽を摘むのも子どもの役目だった。旧の3月の節句(ひな祭り)に飾る草餅をつくるためだ。だからだろう、私の故郷ではヨモギを「もづんくさ」=餅草(もちぐさ)と呼んでいた。
 その鮮やかな緑の小さな柔らかな新芽を摘むときつい青臭い匂いがする。いやな臭いではないが、強烈である。それを田畑の道端や線路の盛土の斜面などにある草むらで摘んで家に持っていくと、祖母はそれをゆでてすり潰す。そしてそれを餅の中に混ぜて緑色の餅にし、それで餡をくるむ。こうしてできた「くさもづ」=草餅をお雛様にあげ、またみんなで食べる。長い冬、緑のものを食べられなかった人々にはこれは本当にいい養分になったのだろう。そして春の到来を味わったのだろう。しかし私は草餅はあまり食べなかった。甘い餡は食べたいのだが、ヨモギの入った餅の方はあまりの強烈な臭いと味であまり好きではなかったからである。それでも餡を食べたい一心で一つくらいは我慢して食べたが。なお、このヨモギの芽を和え物や炒め物、天ぷらや汁の実にするところがあるというが、私の家で食べたという記憶はない。
 この「もづんくさ」は旧の5月の端午の節句にまた登場する。ただし、食べ物としてではないのでここで登場させるのはどうかと思うのだが、前に簡単にしか述べなかった(註2)のでもう少し付け加えたい。
 5月の節句(といっても旧暦だから6月ということになるが)になると、祖父がもうかなり伸びた「もづんくさ」を上の方から30㌢くらいのところで切り取って野良から持ち帰ってくる。それと、家の前の畑のすみに植えてあるショウブの葉を同じくらいの大きさに切り取ったものをいっしょに数本の束にまるめてわらで結わえ、尾根の上に投げ上げる。魔除けや厄払いのためである。また夕方風呂のなかに入れる。穢れや災厄を祓うためである。そして子供の成長を願うのだそうである。この「もづんくさ」とショウブの葉の匂い、強烈ではあるが本当に清潔な感じがして大好き、もうすぐ夏を感じさせるものでもあった。
 しかし、この時期を過ぎるとヨモギは邪魔ものだ。子どもの背丈を追い越すくらいまでも伸び、しかも茎は固く、地下茎は横にはい、除去するなどは容易ではない。同じ雑草と言ってもぺんぺん草などはかわいいものだ。
 それでもブタクサだとかセイタカアワダチソウなどよりは気分的にずっといい。外来種ではないし、ともかく役に立つ。
 手足にちょっとけがをして血が出たとき、ヨモギの葉をとって揉んで出てきた汁を傷口になすりつけたこともある。何となく効いたような気がしたものだが、実際に止血作用があるらしい。灸のもぐさや漢方薬としても役に立っているとのこと、あんまり邪魔者扱いするのはどうかとは思う。
 話は戻るが、草餅は店で売っているし、ひな祭りで食べたりするので、今の若い人たちもヨモギを知っているだろうし、口にしたことはあるだろう。それでも、ヨモギを摘んできて自分の家で草餅をつくったり、お浸しにして食べるなどという体験をしている人は少なくなったのではなかろうか。これもまた寂しい気がする。

 同じく夏に猛々しく伸びて繁殖するやっかいな雑草としてイタドリがある。戦時中にその芽を摘んで食べたという人がいたが、私は食べたことがなく、通常の年は近隣の人も食べなかった。だから私は凶作等緊急時の救荒食かと思っていたが、地域によってはさまざま料理をして食べる食用雑草=山菜として位置づけられているようである。たとえば前に本稿で登場していただいた北上山地の岩手葛巻のNNさんの話ではイタドリ(サシドリと呼んでいたそうである)の茎の先っぽ(成長点)をとってそのままゆでたり、漬物にして食べてきたとのことである。なお、前に述べたが、イタドリの葉は大きく柔らかいので紙の貴重な時代には便所の尻拭いに使われていたとのこと(註3)、けっこう役に立っていたようである。

 このイタドリと似ている草にスカンポがある。イタドリのように大きくならないが、小さいころはそっくりなのでまちがってしまう。茎を折ってその汁をなめると酸っぱいからそう呼ぶのだと聞いており、たまに折ってなめてみたりしたものだった。このスカンポも戦中戦後は食べたようであり、山菜としてイタドリと同じようにして食べている地域もあったようである。しかし、その種がたくさんなること、根っこが深く張っていて引っこ抜きにくく、その根からも芽が出ることなどから、雑草としては困りものである。
 このスカンポという名前は俗称であり、和名はギシギシであることを知ったのは学生時代だったような気がする。このギシギシがその旺盛な繁殖と生育によって牧草の生育が妨げられ、牧草地を使い物にならなくさせるなど、困りものであることを知ったのはさらにそのかなり後だった(註4)。
 ところで、このイタドリとギシギシについて改めて調べてみようとWeb検索してみたら、同じ仲間にスイバというのがあることを知った。写真を見たらこれも見たことがある。といってもギシギシとの違いはよくわからない。スイバ、ギシギシともに全国的に生育しているもの、しかもともにスカンポと呼ばれていることなどからすると、私はその二つを同じものとして見ていたことになる。
 この年齢になってまた改めて自分の勉強不足、知識不足を痛感している。もしかするとかつて教えられたり読んだりしているのかもしれないが、だとすると記憶力の低下、いずれにせよいい気分ではない。

 それ以外に、アカザ、アザミの茎の先も食べられる、食べたという話を戦中戦後に友だちから聞いたが、私の生家では食べなかったし、近隣の農家も食べなかったような気がする。

(註)
1.10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(1段落)参照
2.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」(3段落)参照
3.13年3月11日掲載・本稿第五部「☆雑穀作から酪農へ、そして今は」(6段落)参照
4.その一例を下記記事に書いてあるので参照されたい。
  11年7月27日掲載・本稿第二部「☆露地野菜・花卉産地の形成」(3段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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