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野菜であり山菜でもあったフキ




               山菜・思いつくまま(5)

            ☆野菜であり山菜でもあったフキ

 3月から4月にかけて、フキノトウ、フキ、ウド、ウルイ、タラの芽、コゴミが春の山菜として行きつけの生協ストアの棚の一角を占める。まさに春の到来を感じさせる。天ぷらにして食べたい、味噌をつけて生で食べたい、ついつい買ってしまう。
 しかし、これらの山菜のほとんどは栽培されたものである。私の子どものころは今述べたうちのコゴミとタラの芽以外は山菜だとは知らず、野菜だと思っていたくらいだ。私の家で栽培していたからである。
 たとえばフキは生家の裏の畑の一隅に植えてあり、必要に応じて採って食べ、売ってほしいと八百屋や近所の非農家の人に頼まれると売ってもいた。一坪くらい植えてあったろうか、基本的には自給用だった。
 だから、フキは私にとっては山菜ではなく野菜だった。かつて私の先輩同僚で作物の教授のHKさんに聞いたらフキは「数少ない日本原産の野菜」であり、かなり古くから栽培されてきたとのことだった。
 しかし、仙台に来て驚いた。近くの山(市内の西には低い山がたくさんある)に行くとフキが道端などに生えており、田畑のあぜ道にもフキがよく見受けられるのである。春先などは田んぼの畔の傾斜にフキノトウがあちこちで顔をのぞかせている。近所の人から近くの山で採ってきたフキをもらったと家内が夕食のおかずに出すこともある。どうも野生のフキがあるらしい、そんなことに改めて気が付いたのは20代後半ではなかったろうか。
 でも私の生家のある地域の田畑のあぜ道などで見かけた記憶は私にはない。生えないわけはないのだから、貧乏で雑草まで食べる山形人のこと、みんな採って食べつくしてしまったのかもしれない。だからといって山に採りに行くには遠すぎる。当時は徒歩の時代、生家から一番近い山でも3㌔はある。しかも山菜採りの時季は農繁期、農家の場合は採りになどいく暇はない。それで山から根を掘ってきて裏の畑に植えることになったのでなかろうか。あるいは誰かから株分けをしてもらったのかもしれない。私の生家ばかりでなく近所の農家も、わずかではあったが、みんな栽培していた。といっても特別な肥培管理をしているわけではなく、毎年生えてくるのを採るだけだったと記憶している(草取りはしただろうが)。
 この畑から春先になると祖母がフキノトウを採ってきて細かく刻んで油味噌に混ぜておかずに出す。30~40㌢くらい伸びると採ってきて葉っぱを取り、茎の皮をむき(これは子どもの仕事、下の方から上にスーッとむけるのは面白かった、指先が真っ黒になるのがいやだったが)、タケノコとシラス(ニシンの場合もある)といっしょに煮つけたり、砂糖醤油で煮込んで佃煮にしたりして食卓にのぼらせたものだった。しかし、私はフキがあまり好きではなかった。タケノコとニシンだけ食べてフキを残し、よく怒られたものだった。

 ここまで書いてきてふと思った、子どものころ読んだ「フキの下の神様・コロボックル」の話のなかのフキは野生のフキだったはずであると。しかし当時は何の疑問ももたず読んでいた。とくに誰かに聞いた覚えもない。ということは、私はフキを自生している菜(山菜)であることも認めていたということになる。まあ昔話だし、北海道の話でもあるからと何となく自分で納得していたのではないかと思うのだが。
 でもやはりフキは栽培するものとも考えていたに違いない。何かの雑誌で秋田のフキは傘の代わりになるくらい大きいと背丈よりも大きいフキを刈り取っているところを撮った写真(当然そのころは白黒だった)で紹介していたが、それはどう見ても畑で栽培しており、それを当然のこととして見ていたからである。この秋田のフキの話には驚いたと同時に、畑でにわか雨に遭ったときなど傘がわりに使えるとのことでうらやましく思ったものだった。

 ちょっとここでさきほど書いた『蕗の下の神様』の絵本について触れさせてもらいたい。
 この話はこんな内容だった。北海道にはコロボックルといういつもフキの葉の下にいる小さな神様がいて、アイヌの人たちが大事にしているのだが、人に姿を見られるのが嫌い、それで誰も見た人がいなかった、ところがある日クシベシ(なぜかこの名前が忘れられない)という欲張りの怠け者につかまってしまった、クシベシは自分が一生食えるだけの食料をもってくることを約束させて釈放してやった、コロボックルは約束通りもってきた、しかしそれは-----、ここから先は省略するが、私にとってはかなりショックな結末、いろいろと考えさせられたものだった。
 この話はアイヌ民族に古くから伝わる民話なのだろう、私はそう思ってこれまで過ごしてきた。でも本稿を書くにさいして改めて確かめてみようとネットで検索してみた。そしたら何と、違っていた。前に述べた大正期の「赤い鳥」運動(註)の中で生まれた創作童話で、宇野浩二が書いたものだった。私の記憶違いもあった、彼の書いた小さい神様の名前は『コロボックンクル』だった。アイヌ民族の伝承する神様の名前はコロボックル(「フキの下の人」という意味なのだそうである)なので、それと後で混同してしまったのだろう。なお、クシベシは間違いがなかった。
 もしもまだ読んでおられない方があったら、ぜひお読み願いたい。また子どもさんにも読ませてもらいたい。

 このコロボックルのいる北海道に私は60歳を過ぎてから住むようになったわけだが、まずフキの多さに驚いた。山間部はもちろん平地でも空き地となるとフキの林だ。それもでかい。秋田フキの仲間なのだろうか。北海道は何でもデッカイドウである。
 春の雪解けとなるとまず顔を出すのがフキノトウだ。四月半ばに能取湖畔の近くの湿地などに行くと、残雪の間にフクジュソウの花とフキノトウがたくさん顔を出している。東北から見るとフキノトウは大きすぎると家内は言いながら小さいのを選んで採り始める。夜は天ぷらだ。仙台で採って食べるものより大きいのでなかなかうまく揚がらず、味もきついし、苦みも強い。それでも春の味、季節感を味わうために私も二つ三つはつきあうが、それ以上は無理である。それでも、遅い春の日差しを浴びながら、残雪の白とフクジュソウの花の黄色とフキノトウの薄緑の群落を見て楽しみながら、食べられそうなフキノトウを家内といっしょに探すのは至高のひと時だった。
 初夏、ぐんぐん伸びたフキは大きすぎて何か固そうな感じがする。山菜採りの好きな同僚のKTさんに聞くと川端に生えるフキは柔らかい、採ったとき茎のまん中に開いている穴から水が流れ出るようなフキだとうまいのだという。また家内の友人は次のように教えてくれたという、フキには赤い茎のものと緑色の茎のものとの二種類あるのでそのうちの緑の方を採って食べろと。それにしたがって採って食べてみたが、ちょっと固いけれども十分に食べられる。
 そんなことでワラビ採りなどに行くときなどにときどき採って食べたが、フキといっしょにイラクサがたくさん生えていること(これについてはまた後で述べる)、うまいのとまずいのと選別が難しいこと、ちょっと固いこと、家内は好きだが私はそれほどではないことから、たまにしか採らなくなった。

 仙台に帰ってきてから、所用で春早く近郊の山の方にいく途中、田んぼのあぜなどにフキノトウを見つける。そうすると家内は帰り道にそこで車を止め、フキノトウを数個採る。その日の夕食にはその天ぷらが出る。あまり好きではないとしてもやはり春の到来を知らせるもの、晩酌のつまみに食べることにしている。
 このように山野にはフキノトウやフキがたくさん生えており、それを採って食べる人がいる。一方、デパートやスーパーにはまだ山野では生えていない時期にも栽培物のフキノトウやフキがきれいに並べそろえられており、多くの人はそれを買って食べているようである。その評価は別にして、結論としてフキは山菜であると同時に野菜であるということになろう。

(註) 14年7月28日掲載・本稿第七部「☆農村青年の同人誌―大正から昭和へ―」(2段落)参照
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コメント

[C65]

( =ω=)
山菜とりについていったとき
山の中にある水がきれいな沢で
そこらに生えていたフキの葉を
くるんとコップ状にしたものを渡され
それで水を汲み飲んだおもいでがありまする
  • 2016-07-20 11:58
  • あぷり
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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