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山菜でもあったウド、アサヅギ、ミツパ




               山菜・思いつくまま(6)(7)

              ☆軟白栽培と山採りのウド

 ウド、これもフキと同じく日本原産の野菜なのだそうである。私の生家の裏の畑にはフキの隣にこのウドが植えられていた。これも一坪くらいではなかったろうか。日本原産の野菜を、偶然ではあるが、二つ並べて栽培していたことになる。
 ただし、そこにウドが植えてあることが子どものころの私にはわからなかった。夏になると、子どもの自分より背が高い太い茎に大きな枝葉をつけた木なのか雑草なのかわからないようなものが2~3本伸びているのだが、それが春に食べるウドと結びつかず、またフキと同じようにとくに手入れもしないで放置してあるだけなので、何なのだろうと不思議に思っていたものの、とくにこれは何かと聞くでもなしで過ごしてきた。
 私が中学のころ(1950年ころ)ではなかったろうか、春先その畑にもみ殻を数十㌢くらいかぶせることに気が付いた (私が忘れただけあるいはそれまで気が付かなかっただけで前からやっていたことだったのかもしれないのだが)。それから何日かするとそのもみ殻をかきわけるように何かの芽がその上にちょっぴり顔を出すようになる。すると、もみ殻を手でていねいに取り除く。中から、まっすぐに伸びた太い茎が何本か現れる。ウドである。真っ白できれいなのは陽が当たらないためだろう。まだ枝も葉も出ていない。それを根元から切って家に持ち帰り、洗って皮をむき、味噌をつけて食べる。これは柔らかく、味もきつくなく、うまい。子どもでも食べられる。でも、そんなことを家族全員でやったら、何しろ人数が多いから、あっという間になくなってしまう。それでだろう、よく食べたのは味噌汁の実としてだった。あまりうまいとも思わなかったが、ささがきしたウドに卵をからめて澄まし汁あるいは味噌汁に入れて食べるのはうまかった。ウドの味よりも卵のうまさが魅力的だったのかもしれないのだが。このウドの何本かは野菜の仕入れのために生家に毎日通ってくる八百屋さんに売ったのかもしれないし、自家用としてだけ栽培していたのか、よくわからない。
 なお、このようにもみ殻で覆って日に当てないで育てる栽培のしかたを「軟白栽培」と呼ぶことを知ったのはさらに後だった。

 このように私にとってウドは野菜だった。「ウドの大木」も畑で見たわけだが、これは食べないので、まさしく「体はでかくて立派だが、何の役にも立たないもの」だった。ところが、高校のとき山岳部の顧問をしていたある先生がウドの大木も登山の時けっこう役に立つものだという話を授業中にした。登り下りするときにウドの根っこに足を掛けたり、茎を手でつかんだりして助けられることがあるというのである。ものも使いよう、時と場所によって役に立つもの、まったく無用のものは世の中にないということを言いたかったようだが。そのとき初めてウドは野山でも育つものである、山菜でもあることを知った。
 しかし、こうした山ウドは採るのはもちろん見ることも食べることもなく長い間過ごしてきた。それを初めて体験したのは網走に行ってから、還暦を過ぎてからだった。ワラビ採りに行ったときなどにたまに見かけ、それを採ってきて食べたのである。また山菜採りを趣味にしている同僚のKTさんが私の家にたくさん持ってきてくれたりもした。
 皮をむき、味噌をつけて食べる、栽培物からすると味はかなりきついし、固いが、その独特の香り、風味、口触りは酒のつまみとしてもご飯のおかずとしても最高である。もちろん和え物にしたり、味噌汁の具にもする。それで食べ切れないほどたくさんあるなら味噌に漬けて保存する。これは翌日から食べられ、時の経過とともに味が変わるのもまた応えられない。
 また、茎のてっぺんの葉先(幼葉と頂芽)、これは天ぷらにするとうまい。タラの芽の天ぷらに匹敵する。と思ったら何と、ウドは前に述べたウコギと同じウコギ科、それもタラノキ属ときたもんだ。タラの芽とウドの芽の味や香り、食感が似ているのは当たり前だったのである。
 なお、ウドの皮は固くて筋があるのでそれをむいて捨ててしまうのだが、その皮も食べられるとKTさんは言う。キンピラにして食べるとうまいというのである。早速やってみたが、ゴボウのきんぴらよりも癖がなくけっこううまかった。
 しかしこうした楽しみも網走を去ってからはなくなってしまった。仙台周辺の山野では素人ましてや年寄りではなかなか見つけられないからである。
 したがって、春先から初夏にかけて促成栽培したウドを生協ストアでたまに買って食べるだけになってしまった。それはそれでうまいのだが、やはり野生のウドとは違い味がうすい。食べやすいかもしれないが、やはり私には山ウドの方がおいしい。
 だけど、東京ウドはまた別の味、これはこれで本当にうまい。毎年正月になると、東京の西部に住むKさんが私どもが仲人をしたご縁からかこれを贈ってくれる。ごぞんじのようにこれは、地下に掘った穴蔵にウドの株を入れ、暗闇の中で生育させるという軟白栽培の方法でつくったもので、東京ウドというブランドで出荷されているものである。暖房のきいた部屋で、瑞々しい真っ白のウドに味噌をつけ、サクサクと音をたてながらその冷たく甘い歯触り舌触りを楽しんで食べる、こんなぜいたくなひと時はない。採りたての山菜としてのウドの楽しみはなくなったが、高級野菜としてのウドで今は楽しませてもらっている。

          ☆山菜とは知らなかったアサヅギ、ミツパ、ギンボ

 山菜だということを知らず、野菜だとばかり思って食べてきたものとしては他にアサツキがある。
 前に述べたように、山形ではアサツキ(私たちはアサヅギと呼んだ)が旧の正月十日に開かれる初市で「白髭(しらひげ)」という名で売られ、長寿を願うということから買って食べるという習慣がある(註1)のだが、生家では家の前の畑で栽培しており、雪を掘り起こし、土の中からちょっぴり顔をのぞかせている淡い黄色の小さな芽を根っこまで含めて掘り起こし、それをさっとゆでて酢味噌和えにして食べたものだった。雪が解けたら、先端が浅い緑、真ん中が黄色、下が白色の葉先を掘り起こし、やはり酢味噌和えにする。緑の葉が大きく伸びてからも同様にして食べた。
 このアサツキの酢味噌和えにツブ(タニシ)が入ると最高だった。前にも述べたが(註2)、ツブとりは子どもの仕事、田んぼに行ってバケツいっぱい取ってくる、金づちで殻をつぶして身を取る、そのむき身を祖母が洗って煮て酢味噌で和えるのだが、これにアサツキが入ると味が格別なのである。もう何年食べていないだろうか。
 それはそれとして、このアサツキが山野に自生しており、山菜として位置付けられているなどということはかなり長い間知らなかった。自生しているのを見たこともない。私にとってアサヅギはやはり野菜なのである。今は春先になると生協ストアでも売っているので、ときどき買って食べている。

 山野に自生しているといえばミツバもそうなのだという。実際にそれを採って食べている人もいるという。しかし私は野生のミツバを見たことも食べたこともない。やはり生家の裏の畑で栽培していたミツバ(私たちはミツパと呼んでいた)をお吸い物やお浸しにしたり、香りや彩りをつけるために生で刻んで食材の上に載せたりして食べただけだった(註3)。調べてみたら江戸時代から栽培されてきたとのことだが、宮城県北の稲作地帯には1980年ころから米単作から脱却するためにとミツバのハウス栽培を始め、今は産地化しているところもある。

 子どものころ、生家の庭の日陰のところにギンボと呼ぶ一株の植物が植えてあった。毎年春になると芽を出し、根元から幅広い葉が叢生し、その真ん中から花軸がつんつんと2~3本伸びてきてたくさんのつぼみをつけ、それが下から上へと開いていって小さな淡い紫色の花を咲かせる。これはそれなりにきれいであり、風情がある。それでこのギンボは庭園に栽植される観賞植物なのだろうと思って子ども時代を過ごしてきた。
 もう一方で、春遅く、大きな薄緑の葉を数枚ゆでてお浸しにしたり、煮物に入れたりしておかずに出されることがあった、たまにだったが。とくに味があるわけではないが、何かぬめぬめして私は好きではなかった。
 そのぬめりのある菜が実はわが家の庭のギンボの葉だったとわかったのは、そしてそれは共通語ではギボウシ(より正確にはオオバギボウシというのだそうだが)というものだということがわかったのはいつごろだったろうか。生家の庭のギンボは観賞用+食用だったのである。
 それがウルイという名前で山菜として売られていることを知ったのはさらに時間が過ぎてからだった。そういわれてみれば山でギボウシ=ウルイらしきものを見たことがある。でもそれは私の生家にあるギンボと同じものだとは思わなかった。またあんなものが売り物になるとも思わなかった。
 今は春になるとウドやフキ、タラの芽などといっしょに促成栽培のウルイが山菜として店頭に並ぶ。ということはそれだけ売れるということ、需要がある、食べられているということなのだろう。
 かつてのように山に採りに行くわけでなし、野生のものでもなし、それでもかつての山菜という日本人の食の伝統が引き継がれていること、それで食卓が豊かになること、これは喜ばしいことである、そう考えていいのだろう。

(註)
1.11年1月27日掲載・本稿第一部「☆二回あった正月―旧暦と新暦―」(4段落)参照
2.10年12月16日掲載・本稿第一部「☆遊びから始まる田畑の手伝い」(1段落)参照
3.13年5月27日掲載・本稿第五部「☆『ミツパ』、密吸い、ままごと」(1段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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