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ひでこ・そんでこ・しょんでこ・しょんねこい節考




                山菜・思いつくまま(11)

           ☆ひでこ・そんでこ・しょんでこ・しょんねこい節考

 秋田ではアイコを山菜の女王と呼ぶと言う。いやコシアブラこそそうだという人も多い。一方、山菜の王様としては、タラの芽だ、いやシドケだ、行者ニンニクだと、いろんな説がある。
 それぞれの人の好き好きだからそれでいいのだが、やはり私は山菜の王様はタラの芽、女王はシオデだと言いたい。後者に関して言えば、数ある山菜のなかで民謡の曲名として用いられているのはシオデだけということもそれを証明しているのではなかろうか。

 秋田ではシオデのことを「ひでこ」と呼ぶ。これは私が東北大の大学院に入ったころに覚えた。学生時代に入った合唱団でよく使っていた歌集のなかに「ひでこ節」の楽譜が載っており、それで知ったのである。
 しかし、その唄を一度も聞いたことがなかった。だからと言って簡単に聞けない。今のようにYouTubeのようなものがあるわけでもなし、レコードもろくになかった時代だからである。そこでやむを得ず楽譜を読んで歌えるようになろうとがんばった。当時は何とか楽譜が読めるようになっていたからである(註1)。そんなことで「ひでこ節」は忘れられない民謡の一つとなった。
 聞いたこともなくて楽譜だけでつまり自分の力だけで歌えるようにした民謡は岩手県民謡「外山節」が最初で、これが二度目だった。外山節はその歌詞が気に入って(註2)、ひでこ節は春先に山に上ってヒデコなどの山菜を採る時の仕事唄だと聞いて、歌ってみよう、いっしょに合唱をしている仲間に教えてあげようと思ったのである。ひでこ節は外山節より節回しなどが難しいので、歌えるようになるまでかなり大変だった。
 そんなことを思い出しながらたまたま山形で言う「しょんでこ」(=シオデ)をyahooで検索したら、その最初の方に「そんでこ節」という名前の出てくるブログ記事(註3)があった。何でそんな記事がここに出てくるのかと思ってそれを検索してみた。そしたらそのなかに岩手県の「『そんでこ節』は秋田県仙北地方の『ひでこ節』、山形県村山地方の『しょんでこ節』の元唄と言われている」とあった。知らなかった、私の故郷に「しょんでこ節」などというのがあり、その元唄といわれる「そんでこ節」というのが岩手にあるとは。
 そこで早速山形の「しょんでこ節」を検索してみた。いろいろな関連記事があったが、しょんでこ節の歌詞を書いたものが見つからない。
 たまたま『春の歌(春山で唄う民謡)平成11.2.3放送‐YouTube』(註4)という記事があったので開いてみた。そしたらそこにはNHK第一放送の『音楽アラカルト・日本の民謡』の番組で99年2月3日に放送された内容が録音されていた。そしてそのなかで秋田の「ひでこ節」、山形の「しょんでこ節」、さらには宮城県の「しょんねこい節」(この存在も知らなかった)が唄われており、竹内勉さんという方が解説していたが、そのなかで福島にも「しょんでこ節」がある(これも初耳だった)ことを紹介しているなど、非常に面白かった。そこでそれぞれの歌詞を書きとってみた。聴き取りなのでもしかすると間違いがあるかもしれないし、歌詞のすべてが歌われていないものもあるのだが、ここにそれを紹介させてもらいたい。なお、福島については曲がなく、1番の歌詞のみの紹介なので、囃子言葉や間投詞が省略されていると思われる。

 その前に、それと比較対照するために「ひでこ節」「しょんでこ節」の元唄となったと言われている「そんでこ節」の歌詞を書きたいのだが、「そんでこ節」については岩手県の北上山地にある下閉伊郡岩泉町(註5)の「正調そんでこ節」と一般に歌われている「そんでこ節」との二種類あるという。そして「正調そんでこ節」は南北朝時代岩泉に都落ちしてきた北畠一族を慰めるためにつくられた唄だという説があるとのことである。しかし、私はその説はとらない。平家の落ち武者とか義経北帰行とか坂上田村麻呂とかに結びつけたがるつまりかつての支配者や征服者あるいは悲劇の主人公と自分たちの地域を結びつけることで権威づけようとしたがる東北人いや日本人の性向からこういう説は「人為的につくられたもの」であることが多いと私は考えるからである。そしてこの歌はやはり山菜を採りに行く人たちが歌いあった歌と素直にとらえたいからでもある。それで私は正調と言われているものの一番の歌詞と通常歌われている歌詞とがいっしょになっている「そんでこ節」(註6)をとりあげることにする。
 そんなことを前提に岩手、秋田、山形、宮城、福島それぞれの歌詞を次に並べてみる。

◎そんでこ節(岩手)
  「牡(か)の鹿(しし)がナ 岩のはざまに 昼寝してナ このソンデコナ
   昼寝してナ 狩人(またぎ)来るのを 夢に見てナ このソンデコナ

   そんでこがナ どこで生まれて 声が良いナ このソンデコナ
   声が良いナ 向かい小山の セミの巣でナ このソンデコナ

   セミの巣でナ 親にかくして ハグロしたナ このソンデコナ
   ハグロしたナ 笠のしめ緒で 顔かくすナ このソンデコナ

   顔かくすナ 人に知られぬ 苦労するナ このソンデコナ
   苦労するナ 離れそうもない 二人づれ このソンデコナ」

◎ひでこ節(秋田)
  「十七、八ナ 今朝のナ 若草 どこで刈ったナ このひでこナ アラヒデコナ
   どこで刈ったナ 干ぼしナ 長根の その下でナ このひでこナ アラヒデコナ

   その下でナ 葛のナ 若萌え 葉広草(はびろぐさ)ナ このひでこナ アラヒデコナ
   葉広草ナ 馬にナ つければ ゆさゆさとナ このひでこナ アラヒデコナ」

◎しょんでこ節(山形)
  「大黒がナ 奥のヤレ座敷で 昼寝した このションデコナ
   昼寝したナ 白きヤレ鼠が 金運ぶ このションデコナ

   鮒・雑魚(ざこ)がナ 裏のヤレ小川で 昼寝した このションデコナ
   昼寝したナ 釣り師ヤレ来たとこ 夢を見た このションデコナ」

◎しょんねこい節(宮城)
  「白鼠 庭のヤレすまこに 昼寝した このションネコエ
   昼寝して 猫のヤレ来るとこ 夢を見た このションネコエ

   鳩ポッポ 裏のヤレ杉の木に 巣をかけた このションネコエ
   うぐいす どこでヤレ生まれて 声が良い このションネコエ

   十七は 親にヤレ隠れて 頬染めた このションネコエ
   頬染めて 笠のヤレ締め緒で 顔隠す このションネコエ」

◎しょんでこ節(福島)
   「蛙こが 畦(くろ)の寝床で 昼寝した このションデコナ
   昼寝した 蛇の来るのを 夢に見た このションデコナ」

 見てわかるように、その歌詞は地域によりかなり異なる。しかし共通する点も多々ある。
 まず感じたのは、これらの唄すべてが掛け合い形式の歌になっていることだ。岩手そんでこを例にとれば、最初に「昼寝してナ」と唄えば、それに応える如く次に「昼寝してナ」と受け、秋田ひでこの場合は「どこで刈ったナ」で締めると次は同じく「どこで刈ったナ」で始めて言葉を続ける、ちょっとぴったり受けていない歌詞もあるが、ほとんどがこうした掛け合いで歌詞を紡いでいく。つまり二人(それ以上かもしれないが)がかわるがわる唄い、応え合う形式の歌になっているとみられるのである。
 そしてこの掛け合いは、これらの唄すべてがそもそもは山唄、山菜を採りに行くときに歌われた唄であることを示しているのではなかろうか。
 山菜採りに行く人たちが春を迎えて山菜を採らせてもらう喜びと御礼を山の神様に捧げる唄を掛け合いで唄ったのだろう。
 また、そうやって掛け合いで大声で唄い合うことで、お互いに今いる位置を確認しながら迷子になったり遭難したりしないように、またクマなど恐ろしいものに注意を喚起して出会わないようにしたのだろう。
 さらに、一般に歌われている歌詞以外に、掛け合いの法則にのっとりながらそれぞれ自分で思い思いの歌詞をつくって歌い、それに相手もつくって返すということもあったのではなかろうか。それを考える時間をかせぐためにも相手の最後の歌詞を繰り返して歌い、その後に続けて自分のつくった歌詞で返す、それにまた相手が返す、こうして歌の掛け合いを楽しみながら、山菜を採ったのであろう。それらのうちのいくつかの歌詞が残って今も歌い継がれているのではなかろうか。

 次に共通しているのは、歌詞の終わりの囃子言葉である。ソンデコ、ヒデコ、ションデコ、ションネコとそれぞれの地域の言葉ではあるがすべてシオデを歌っている。ただし秋田のひでこ節は「このひでこナ」の後に「アラヒデコナ」という囃子言葉をつけているが、これは「ひでこ節」が後に山唄から座敷唄に転化したさいに付け加えられたものなのだろう。
 それから、はやし言葉の「ヤレ」は岩手・山形・宮城・秋田で共通して使われている。福島については歌詞のみの紹介で曲が流されなかったので、それがあったかどうかわからないのだが、山形の歌詞と福島の歌詞の内容は似ており、距離的にも近いことから福島の歌詞はそもそも「畦のヤレ寝床で」「蛇のヤレ来るのを」だったのではなかろうか。
 また、間投助詞の「ナ」は岩手・山形・秋田で使われており(これも福島にあると推測されるが)、いずれにせよきわめて類似していることがわかろう。
 さらに、「昼寝した」「夢を見た」という歌詞は岩手・山形・宮城・福島で共通し、「声が良い」「笠の締め緒」「顔隠す」「親に隠れて」が岩手・宮城、「十七」が秋田・宮城、「白鼠」が山形・宮城でつかわれている。
 福島が一番の歌詞しかわからないのだが、きっと他県との唄とのこうした共通点が二番三番の歌詞にあるのではなかろうか。

 それからもう一つ、これはさきほど紹介したNHK第一放送の「春の歌(春山で唄う民謡)」の竹内勉解説者が指摘していることだが、岩手・山形・宮城・福島の歌詞にはすべて「動物が天敵に襲われる夢を見た」という怖い歌詞がある。
 そう言われてみればそうである。これは怖い唄なのである。このことは、山は単に楽しいところではなく、怖ろしいところでもあるということを動物に託して感じさせ、山の神に対する祈りを忘れないようにさせる唄、山の神への祈りの唄でもあったことを示しているのではなかろうか。
 なお、秋田のひでこ節に動物・天敵の歌詞がないのは、お座敷唄に転化していく中でお座敷にふさわしくないということで唄われなくなり、やがて忘れ去られてしまったのであろう。

 このように、この東北の五つの唄には若干の違いはありながらも多くの共通点があり、そもそもは一つの唄が各地に波及していく中でまた時が経過する中でそれぞれ変化していったものと考えることができる。といってもそもそもはどこから始まったのか、元唄はどこなのかはわからない。岩手岩泉説が有力であり、そうも思われるのだが、私にはわからない。
 本来からいうと、歌詞からばかりでなく、旋律の共通点、相違点などからそれを探るということも考えるべきなのだが、残念ながらそれは私の能力の及ぶところではない。
 音楽・民謡、民俗学の専門家でもない私が勝手な民謡論を振り回し、さまざま間違ったことを言ってしまったかもしれないが、素人がこういう論議をしてみることもあっていいのではなかろうか。

 さて、この各地の民謡で唄われたシオデ=しょんでこ、あの小国での初めてのシオデ採り以来食べたことはなく、あのときの一回だけだった。もう二度と食べることはないだろうとあきらめていた。ところが、この草稿を考えていたころの今年の5月末、17年ぶりでお目にかかった。山形県の大蔵村(註7)・鮭川村・戸沢村(ともに最上地方で、県内で「村」を名乗るのは隣接するこの3村のみ)共催の山菜直売会を仙台の作並温泉でやるというので行ってみたところ、何とシオデがあったのである。ネマガリダケもあった。
 当然のことながら即座に購入決定、早速その夜、シオデはお浸しにして、またマヨネーズをつけて、ネマガリダケの一部は生のまま焼いて味噌をつけて食べ、残りはお浸しにしてごちそうになった。ともにうまかった。とくにシオデはなつかしかった。最近シオデやネマガリなど山菜のことをいろいろ考えていたので山の神様がこうしたチャンスをつくってくれたのだろうか。

(註)
1.私の小学校時代、楽譜が読める子どもなどほとんどいなかった。中学・高校時代には、音楽部に入った生徒たちつまりほんの一部のものしか楽譜が読めなかった。戦前のハニホヘトイロハ、戦後のドレミファソラシドを音楽の時間に教わってはいたが、音符を見て知らない歌のメロディを唄える人つまり楽譜が読める人は本当に少なかったのである。音楽的環境に恵まれない時代、楽器などに触れる機会すらない時代、歌を歌うなどというのは軟弱なもののすることと考えられていた時代(そのことについては下記の本稿掲載記事を参照されたい)だったからだ。私ももちろん読めなかった。歌は耳で聞いて覚えるものだった。しかし、大学の後半(50年代後半)になって偶然うたごえ運動に参加することになったのを契機に、何とか楽譜が読めまた書けるようになったものである。
  12年6月25日掲載・本稿第四部「☆無伴奏からカラオケへ」(1段落)
2.10年12月28日掲載・本稿第一部「☆身売り、だめ叔父、貧富格差」(5、7段落)参照
3.yahoo Japanで『「そんでこ節」・・・・そしてその他の入魂作業中』の記事を検索していただきたい。
4.「www.youtube.com/watch?v=IHAU7uFQpMM」、これはぜひ検索して聴いてもらいたい。
5.岩泉町については下記の本稿掲載記事で簡単に触れているが、本稿でこれまで何度か取り上げてきた葛巻町、川井村(現宮古市)に隣接しているのでいろいろな面で類似している町である。
  11年2月24日掲載・本稿第一部「☆農地改革と岩手の山村」(5段落)、
  16年3月7日掲載・本稿第八部「☆椎、栃、ハシバミの実」(5段落)
6.この歌詞は、「ameblo.jp/star525again/entry-11717848850.html 2011年07月09日」の記事、並びに前掲註3の記事に書いてあったものを引用させてもらったものである。
7.大蔵村についてはで下記の本稿掲載記事で触れているので参照していただきたいのだが、その縁もあってぜひ直売会に行ってみようと思ったのである。
  11年1月10日掲載・本稿第一部「☆むらの掟」(3段落)、
  11年6月27日掲載・本稿第二部「☆過疎化の相対的な未進展」(2段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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