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網走の山菜、知床のワラビ



               山菜・思いつくまま(13)

             ☆網走の山菜、知床のワラビ

 東北大を定年退職となり、東京農大オホーツクキャンパスに勤めて二年目の春(といっても網走の春は遅く、六月初旬のことだが)、山菜採りの好きな同僚教員のKTさんがタラの芽や山ウド、フキ、ワラビ等の採れる場所に連れて行ってくれた。市中心部から南に車で広大な畑の中を走って約20分(20㌔弱)のところにある廃校となったM小学校の近くだったが、畑のなかを流れる小さな川の両岸の藪や雑木林の中でいつも採れるのだというのである。行ったときは時季がちょっと早くてまだタラの芽しか出ていなかったのだが、それから半月くらいしてもう一度今度は家内の車で行ってみた。そしたら何と、ワラビが川岸にたくさん生えているではないか。藪の中だが、私のような素人でも簡単に採れる。30㌢以上も伸び伸びと、しかも太く柔らかく育っているのだから見つけやすいのである。家内の友人が網走では座ったままでつまりとくに探し回らなくとも採れると言っていたとのことだが、それはウソではなかった。採ってもうなくなったと思っても、もう一度後ろを振り返ってみるとまた見つかる。家内と二人、うれしくて夢中になって採った。あっという間に両手で持ちきれないくらいになった。
 これだけ採れたのだからもう帰ろうと思ったら、家内がコゴミがあるという。家内は仙台にいるときに採ったことがあるので知っていた。これまた伸び伸びと育ったソテツのような葉の真ん中に渦巻状に丸まった大きくやわらかな新芽がたくさん顔をのそかせており、もちろん採らせてもらった。
 家に帰って家内はワラビに早速重曹をふりかけ、熱湯を注いで落し蓋をし、一晩おいてあくを抜き、翌朝お浸しで食べた。うまかった。柔らかく太いワラビのうまさばかりでなく、自分で採ったうまさも加わったのかもしれない。もちろんその夜はお浸しを晩酌のつまみ、さらに翌朝は味噌汁でいただいた。なお、お浸しの場合、私は生姜醤油、家内は酢醤油で食べるのがわが家の習慣となっている。
 コゴミは採った日の夕食に天ぷらにして食べ、翌朝はゴマ和えにして食べた。この二日間で食べたコゴミの量は、それ以前の私の人生で食べた量以上になるのではなかろうか。年に一度も食べないときもあったし、食べたとしても本当にわずかな量でしかなかったからである。
 これで子どものころからの欲求不満は解消した。しかしそれでは収まらなかった。また採りに行きたくなる。それで翌週の土日にまた同じ場所に出かけてみた。一週間しか経っていないのに前回以上に採れた。最盛期に入っているためか、採り方が上手になったせいなのかわからないが。
 その途中の山野や防風林、畑の畦畔の斜面等にもうホダになっているワラビを発見するとそこに車を止め、降りてみる。まだホダになっていないワラビがある。当然それを採る。たくさんあるものだから前のようにどんなワラビでも採るのではなく、大きくて太いのしか採らないようになっていた。
 そのことを友人に話したら、網走の中心から10㌔くらい離れている能取岬にいく途中の山野やさらにそこから数㌔行ったところの能取湖の近くでもワラビはたくさん採れるとのことである。当然翌年はそこも私たちのワラビ採りの地となった。当たりはずれもあったが、けっこう採れた。
 コゴミ、これはさらに見つけやすかった。1㍍にもなる葉が何枚か束になって出て背が高く伸びている上に群生しているからである。あまりにも簡単に採れるのでこれはもう飽きてしまうほどだった。
 このほかにタラの芽や山ウド、フキもあちこちで発見して採った。
 こうして6月から7月にかけての毎週、土曜か日曜を山菜採りで過ごした。北海道は梅雨がなく、ましてや網走の地は日本で最も降雨量の少ない土地、公用で行けないときはもちろんあるが、本当に楽しませてもらった。とはいえ、そんなにたくさんワラビを採って食べ飽きないかと言われるかもしれない。それは塩漬けにして貯蔵した。昔から塩漬けにできるくらいワラビを採ってみたいと思っていたのだが、それが網走で実現したのである。
 しかもそれらは奥深い山まで行かなくとも、そんなに歩き回らなくとも、つまり苦労しなくとも採れる。広大な土地面積に対して人口が少なく、山菜を採りに行く人たちが相対的に少ないことからなのだろう。
 4月から5月にかけては前に述べたフキノトウ、セリ、ツクシ採りである。
 こんなことで網走の遅い春を楽しみ、翌年をまた楽しみにして待つことにして過ごしたのだが、たった一つ残念なのはゼンマイを採ったことがなかったことだ。採っている人がいるのにである。網走を去る前年の春遅く、そのゼンマイの群落を能取湖の近くで発見した。しかしもう大きくなっていて採るわけにはいかなくなっている。来年ここに採りに来るしかないが、そのころは二回目の定年退職で、すでに網走にはいない。
 このゼンマイ採りだけが心残りだった。もちろん、たとえ採っても、その後のゆでたり、揉んだり、乾燥したり等の作業にかなり大変な手間がかかるので、途中で音を上げてしまったかもしれないのだが。

 こうして、私の幼少時代に培われた山菜採りに対する欲求不満は網走でかなり解消された。「山」菜と言っても大半は平場の林野や畑の道端に生えているのを採ったもの、山に案内してもらって採ったのはタラの芽を一度だけだった。
 ところで、網走での山菜採りということでいえばもう一つ心残りがある。それはできなかった知床のワラビ採りである。

 私が網走にいるころの05年、知床半島が自然遺産として世界遺産に登録された。ここには公用私用で何度か行ったが、私のような素人が見てもここは自然遺産としての価値があると思う。もしもまだ行かれていない方があればぜひ行っていただきたい。
 そのときの観光のお勧めの一つはフレペの滝である。この滝はちょっと変わっている。滝というものは河川の水が断崖を流れ落ちるのだが、この滝の上流には川がない。断崖の途中の割れ目から水が湧き出てそれが海に流れ落ちるのである。当然流量は少なく、しかも百㍍もの高さから流れ落ちるものだから滝の水は涙の雫のようにも見える。そんなことから「乙女の涙」という愛称でも呼ばれているとのことである。
 ここには知床自然センター(知床の自然情報の発信施設)から歩いて行くのだが、この片道約1㌔の散策路がいい。自然林の中を数分歩くと、目の前に広い草原が広がり、後ろを見ると知床連山が一望できる。初めて行ったときのことだが、この景観を楽しみながら歩いていたらその草原が一面見事なワラビのほだの藪(林と言っていいかもしれない)になっていることに気が付いた。夏だからほだになっているのであり、一ヶ月くらい前にはきっと食べられるワラビが一面生えていたのだろう。それでもよく見ると食べられそうなワラビがまだある。伸び伸びとして本当においしそうである。ついつい採りたくなる。できれば6月末頃に来てワラビを思いっきり採りたいものだ。しかし、ここは自然保護区域、一本たりとも採ってはならない。我慢して滝の方に歩く。
 やがて足元真下に断崖が見えてくる。そのまた下にはオホーツクの海が広がる。怖いのを我慢して下をのぞくと、乙女の涙とはよくつけたものだと思うような滝がその海に向かって落ちている。風が海の方から吹くと滝のしぶきと冷気が舞い上がり、真っ白い霧となって滝の上の方にかかり、それが草原に向かって流れ、やがて消える。その上にはまた知床連山が遠くに並んでいるのが見える。
 この見事な景観を楽しんでいたら、草むらのなかに何十頭というエゾシカが群れているのが見えた。いっしょに行った幼い孫などは大喜びでエゾシカに近づく、他の観光客の方もすぐ近くに行って写真を撮っている。しかしエゾシカは逃げることもなく、平然と草を食んでいる。人間は何も悪さをしないということがわかっているからなのだろう。だからといってエゾシカに人間は触れられない。エゾシカもそこまで人間に安心感を持っていないし、草藪が深いので人間はなかなか中に入れず、近づけないからだろう。それでもみんな満足して知床連山を真正面に見ながらセンターに向かって散策路を歩いて帰って行く。

 あるとき、自然センターの関係者の方に、あの見事なワラビを思いっきり採って見たいものだと言ったら、笑って言う、実は採ってもらいたいのだ、あのワラビ林は自然の産物なのではなく、増えすぎたエゾシカの作り出したものだからだと。
 つまりこうなのである、エゾシカはワラビを食べない、そして自分の好きな草だけどんどん食べていく、だからそうした草はなくなってワラビが残り、多様だった自然の植生が単純化してワラビ林になる、あれは自然の姿ではないのだと。前に増え過ぎたエゾシカが樹皮を食べるなどして自然環境に悪影響を与えているという話をした(註)が、ワラビ林もその結果だったのである。
 それならみんなにワラビ採りをさせたらいいではないか。そしてワラビを減らし、もとの自然の姿に戻したらいいではないか。私も雄大な自然を眺めつつ思いっきりワラビ採りをして、そのお手伝いをしながら楽しみたい。しかしそうするとエゾシカの好む草だけが残るのでそれがすべて食い尽くされてしまう。一方、ワラビは採り尽くされている。そうなったら結局は丸裸になり、これまた自然を破壊することになるかもしれない。困ったものである。結論は増えすぎたエゾシカの制御ということになるのだろうが。
 それでもワラビの繁茂はまだいい、日本に自生する植物だからだ。あれが外来植物だったら大変だ。北海道にもその外来植物が自然の中に入りこんできている。その一つのクレソンに私たちはぶつかった。次回はそのことについて述べてみたい。

(註)
 13年5月1日掲載・本稿第五部「☆森に棲む野生哺乳動物と人間」(2~3段落)、
 16年4月25日掲載・本稿第八部「☆食えない木の皮・幹・花」(1段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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