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山菜でなかった自生クレソンと山ワサビ




                山菜・思いつくまま(14)

            ☆山菜でなかった自生クレソンと山ワサビ

 前に網走でのセリ摘みの話をした(註1)が、もう一度そこに話を戻らせてもらう。
 そのときに紹介した農大寒冷地農場の雑木林の中でのセリ摘みで夢中になっているとき、家内がある葉っぱを指さしながら言った、これクレソンじゃないのと。よくよく見てみると、きれいな雪解け水の中に生えているセリの間にセリとはちょっと違った葉っぱがのぞいている。家内は言う、網走で知り合ったご婦人から野生のクレソンを採って食べるという話を聞いたことがあり、その天ぷらを別の友人宅でご馳走になったこともあると。
 私もクレソンは知っていた。でもそれはそもそもは外国籍、山菜ではないはずであり、自生しているなどとは思ってもいなかった。また、西洋料理のつまとして出されるだけで食べておいしいものではないとも思っていた。
 それはともかく、やはりクレソンのようである。早速セリといっしょに摘み、家に持ち帰った。そしてクレソンをてんぷらにして食べてみた。まあまあ食べられた。
 それにしても何でクレソンが網走にあるのだろうと不思議だった。

 農大を退職して仙台に戻って2~3年過ぎたころの春、仙台西部の山の中にある定義(じようげ)如来(註2)にお詣りに行ったときのことである。参道のわきを流れている下水溝と思われるような汚い小川の中にクレソンが生えているのを見つけた。驚いた。これはクレソンが全国各地で生息していることを示すのではなかろうかと。
 そう思って調べてみたら、クレソンはオランダガラシとも呼ばれていることからわかるようにヨーロッパ原産で、明治の初めに在留外国人用として導入されたものであり、それを外国人宣教師が全国各地に持って歩いているうちに広く分布するようになったとのことである。つまりクレソンは山菜ではないのである。
 しかもその繁殖力の旺盛さから水域に生育する在来種植物を駆逐したり、水路をふさいだりする危険性が指摘されており、要注意外来生物にも指定されているとのことでもある。となると、水芭蕉の自生しているところにクレソンが繁殖しているということはクレソンに水芭蕉やセリが駆逐されてしまう危険性もあるということだ。私たちが網走でクレソンを採ったのは知らず知らずのうちにそうした事態を防ぎ、自然を保護するのに一役買っていたことになるが、もっと意識的に採って食べるべきだったということになる。
 といっても、食べ過ぎはだめなようである。家内が網走で友人にクレソン採りを教えたところ、たくさん採って食べ過ぎてしまい、お腹をこわしたとのことだった。
 こうした外来種の野菜の野生化と網走ということでもう一つ思い出すのはエゾ山ワサビである。

 東北大のときの同僚から紹介されてなじみとなった小料理屋が網走にあった。あるときそこのお女将さんが私たちの席に刺身を運んできた。そしてこう言う、ここについている薬味は「山ワサビ」をすり下ろしたものだよと。しかもそれは自分が近くの山野に行って掘り起こして採ってきたものだともいう。そう言われてみれば、いつも出てくる緑色のワサビとは違ってちょっと黄色い。どちらかというと生姜をおろした色に似ている。早速刺身につけて食べてみた。いつも使うワサビの味と似ている。たしかにワサビの仲間らしい。しかしやはり本物のワサビの方がいいような気がする。それでも刺身の薬味としては合格である。山菜であることもいい。そういったら、この山ワサビをすりおろして味噌に入れ、それをご飯などにかけて食べるとうまい、食欲のないときや二日酔いのときなどにいいよと、自家製の山ワサビ味噌の瓶詰を私にくれた。さらにお女将さんは言う、先生の勤めている農大の近くの畑の土手などにも生えているから採ってきなさいと。ただし、そのときには草藪の中にいるダニに気をつけるようにと、その対策まで教えてくれた。
 しかし私は結局採りにいかなかった。どんな姿をしているのか話を聞いただけではわからないし、その翌年ではなかったろうか、わが借家の庭に山ワサビが姿を現したからである。ダニがいやだったこともあったが。

 翌年の春早くだったと思う、同僚の女性研究者WMさん(これまで何度も本稿に登場してもらっている)がご主人といっしょにわが借家に現れ、山ワサビの根っこを持ってきたと庭の花壇のわきに植えてくれた。放っておいていい、2~3年後に掘って食べろとのことである。言われるままに何もしないで2年くらいしたら、ギシギシの葉を大きくしたような先の尖った緑の葉が族生し、その背丈は1㍍近くにもなったのではなかったろうか、他の草花やバラを圧倒し始めた。放っておいたらどうなるかわからない、花壇の形も悪くなると、3年目に根っこを掘ってしまうことにした。それはそれは大変な労働だった。根っこは大きく、縦横無尽に張り巡り、簡単には掘り起こせなかったのである。さすが「エゾ山ワサビ」と言われるだけのことはある、なんでもデッカイドウだなどと感心したのだが、こうなると山野に行って自生の山ワサビを掘るなどというのは大変、これで懲りてしまい、それも一因となって結局採りにいかなかったのである。
 と言うより、実はこの山ワサビは山菜ではないということがわかったからということもあるのだが。

 札幌から石北本線に乗って終点の網走駅に近づくと左側に網走湖が広がるのが見えるのだが、そのちょっと手前の呼人駅の近くにワサビの製造工場がある。工場の壁に名前が大きく書いてあるので列車内からもわかるが、原料のワサビはどこから持ってくるのだろうか、静岡の伊豆から運ぶわけにはいかないだろうし、網走で伊豆のようなワサビ栽培をしているなどとは聞いたことがないと不思議に思っていた。そのうち、近隣の農家に委託契約して畑にワサビを栽培しており、それを原料にするのだということがわかってきた。
 さらに、そのワサビは私たちのよく知っているものとは違い、ホースラディッシュ(和名はセイヨウワサビ、別名ワサビダイコン、ウマワサビ)という東欧原産のもので、明治時代に食用として北海道を中心に導入されたものだという。そして一般家庭でよく用いる家庭用練りワサビはこのセイヨウワサビと日本原産のワサビ(本ワサビと呼ばれている)を混ぜ合わせたもの(註3)なのだという。練りワサビはいわゆる本ワサビだけでできているのではないことは聞いてはいたが、それがここでつながった。
 また、ビート畑と似ているがちょっと違う畑がある、何だろうと思って見ていたのがワサビ畑だったことも、そのころわかった。
 このセイヨウワサビが農家の畑から逃げ出して野生化したのがいわゆる山ワサビ(野ワサビ、根ワサビ、アイヌワサビ、エゾワサビ、エゾ山ワサビとも呼ばれているらしい)であることを知ったのはそれからすぐ後だった。山ワサビは山菜ではなかったのである。また、日本原産のワサビと味がちょっと違うのもそれでわかった。
 WMさんによると、山ワサビ=セイヨウワサビはすりおろしてローストビーフに載せて食べるのが「由緒正しい食べ方」らしい。しかし、と彼女は続けて言う、「わが家では本ワサビと同様に刺身に使ったり、単純に醤油をかけて熱々ご飯に乗せて食べたりするのが精一杯ですが」と。

 なお、野生化したセイヨウワサビは形質が不安定になりやすく、地域ごとに変種が生じやすいとのことなので、もしかすると野ワサビとかアイヌワサビとかはそれぞれ形質が若干異なるセイヨウワサビの変種なのかもしれない。このような繁殖力の強さ、変種の生じやすさは環境破壊を引き起こしやすいのだろうが、その話はあまり聞かなかった。私の聞き落としだったのかもしれないが、いずれにせよ外来野菜の野生化、この問題もきちんと認識しておくことが必要なのではなかろうか(註4)。
 それはとりあえずおいて、ワサビの話が出たついでに本ワサビについて次に見てみることにする。

(註)
1.16年6月20日掲載・本稿第八部「☆山形・仙台・網走のセリ」(6段落)参照
2.古くから名刹として知られていて多くの参詣者を集めており、参詣者の泊まる門前宿もある。最近では名物「三角油揚げ」が有名になり、休日などには門前の店の前に行列ができるほどになっている。
3.それ以外に各種調味料・香辛料・着色料等々が入っている。なお、本ワサビ100%の練りワサビもあるとのことである。
4.11年5月18日掲載・本稿第二部「☆消えた麦畑、菜の花畑」(3、4段落)参照

(追記)
 この掲載日の午後、これを読んだ網走のWMさんからメールがあった。
 農大の寒冷地農場のクレソンは心ない人たちに根こそぎ採られたらしく数年前から見られなくなった、それだけでなくアイヌネギ=行者ニンニク(註)も乱採で減少してしまったというのである。
 驚いた、私のいた十年前まではあんなに豊富にあったのにである。それで、農場の方がその復活を図ろうとしたが追いつかない。しかもヒグマが出没するようになっている(ヒグマは水芭蕉の根が好きらしい)。そこで今農場は遊歩道への立ち入りを禁止しているとのことである。
 自生アイヌネギを絶滅などさせてはならないし、外来植物とはいえクレソンもそれなりの存在意義もあるので排除の必要性に迫られていない限り一定程度残しておく必要もあり、山菜採りのルール(このことについては後で述べるつもりでいるが)は守ってもらいたいものである。
(追記註)16年6月20日掲載・本稿第八部「☆平地に生えていた行者ニンニク」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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