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粉・練り・本ワサビ




                山菜・思いつくまま(15)

                ☆粉・練り・本ワサビ

 私が何歳ころからだったろうか、夕食の準備をしている祖母からワサビ練りの手伝いを命じられるようになったのは。
 厚い小さな紙袋(戦後何年かしてからだったような気がするが、その紙袋は缶詰缶を一回り小さくした蓋付きの小さな缶に変わった)に入った緑色のさらさらした粉を湯呑み茶碗(盃のときもあった)に少量入れて、祖母が私に手渡す。私はそれに水を少しずつ入れながら箸で練る。すると、何か辛い匂いが鼻の穴にツンときて、ひどいときには涙が出そうになる。それでそれは辛いものだということがわかるのだが、それを我慢しながら練り終わると、祖母が湯呑み茶碗をひっくり返して食卓におく。何でかと近くにいたまだ中学生だったM叔父に聞くと、辛みが逃げないようにするためだと言う。なるほどと納得して台所から離れ、ご飯まで遊んで待つ。全員食卓にそろうと、その茶碗をまたひっくり返して元に戻し、大人はそこから練ったワサビを少量とって何か他の食材につけて食べる。
 しかし、そのワサビを何にどういうときにつけて食べたのか覚えていない。そもそも子どもだから辛いものは食べなかったし、食べさせられもしなかったから関心を持たなかったのだろう。ワサビはもちろんカラシ、トウガラシなどもそうだった。それでも紅ショウガだけは禁止されず、それどころか私たち子どもはおやつとして八百屋から買ってしゃぶったものだった。これは前に述べた(註1)が、なせそれが子どもに許されていたのかその理由はわからない。刺激性や辛みが相対的に少なかったからなのか、買い食いできるような安価でまともなおやつが少なかったからなのか。その詮索はさておくが、私たち子どもは「辛いものを食べるとバカになる」と止められたものだった。
 それでは大人がどういうときに何にワサビをつけて食べていたのか、残念ながらこれも覚えていない(トウガラシや和ガラシの使い道はよく覚えているが)。私の子どものころは戦前戦中戦後の混乱期、しかも当時の交通輸送手段や貯蔵冷蔵手段の能力の低さ、ましてや私の生まれ育ったのは海のない地域、しかも貧乏百姓、刺身などめったに食べられず、寿司とは海苔巻きか稲荷であると思って育ったほどだからかもしれない。にもかかわらず、なぜか粉ワサビそしてワサビ練りだけは印象的に記憶に残っている。

 もちろん、粉になる前のワサビ、生育中のワサビは実際に見たことがなかった。何の本でいつごろだったのだろう、渓流につくった小石の敷き詰めてある小さな段々の田んぼで育っているワサビ、その成果物であるワサビのゴツゴツした形をした奇妙な緑色の根の写真を見たのは。非常に珍しかった。そしてワサビは静岡の伊豆などで採れる貴重なものだと言うことを知った。

 そんな知識しかなかったのだが、私の中学の終わりころ(一九五〇年代に入って)から刺身や寿司などが少しずつ出回ってきて、ワサビに触れる機会が増えてきた。
 でも握り寿司(私達は生寿司と言っていた)をいつごろまともに食べたか記憶にない。覚えているのは、高三のときに寿司屋の二階でやったコンパで校則違反の酒を飲んだときに食べた生寿司である。そのときに生寿司は初めてだと思わなかったのだから、すでにどこかで食べていたのだろう。なお、宮城県南の小さな町で生まれ育った家内は、高校を卒業して仙台に出てきて初めて生寿司を食べたのではなかったか、そのころ町には寿司屋などなかったような気がするという。

 ここでちょっと脱線させてもらう。
 今、「生寿司(なまずし)」と書いたが、このごろこの言葉を聞いたことがないのに気が付いた。私も使わなくなっている。どうしてなのだろうと不思議になった。そこでyahooで生寿司(なまずし)を検索してみたら、これは北海道の方言だとあった。そんなことはないはずだ、私はかつて使っていたと思ってまた探してみたら、山形、新潟でも使われている言葉であるとのこと、さらに北海道・東北全般と栃木、茨城で使われているという記事もあった。私は生寿司は全国共通語だと思って育ったのだが、違っていたようである。今は私も含めて「握り」とか「江戸前」とかみんな言うようになっているが、やがて生寿司という呼び名は消えていくのだろうか。
 話をもとに戻そう。

 高校に入ったころではなかったろうか、いつもいっしょに通学していた近所のHちゃん(物知りでいつもいろんなことを私が教わっていた)が歩きながらこんな話を教えてくれたことがある。
 われわれが食べているワサビは本当のワサビではない、本当のワサビというのはそんなに辛くなく、緑の色も薄いのだそうだ、われわれが食べているワサビが辛いのはカラシが入っているため、色がきれいなのは着色料が入っているためなのだと。この話の半分が本当で半分がうそだ(カラシではなくて前回述べたセイヨウワサビだった)というのはかなり後でわかるのだが、おかげさまで粉ワサビにはあまりいい感じを持たなくなった。といってもそれしかないのだからそれを使うより他なかったのだが。

 50年代後半、交通・物流手段がかなり復活、整備され、熱海や伊豆への新婚旅行ブームが始まるなどするなかで、静岡産のワサビ漬けなどをお土産品としてもらうようになってきた。また店でも売られるようになった。それには刻んだワサビの茎や葉が入っていたのでそれも食べられるのだということを知り、また土産品の包み紙に描かれているワサビ根を見て、いつかこの目で直接見てみたい、そのまともな純粋なワサビを食べてみたいと思ったものだった。

 さて、世の中落ち着き、私も齢を重ねていく中で、私のワサビに関する知識も徐々に広がっていった。ワサビが私の未知のしかも特殊な作物であり、さらに学問的に見てもおもしろかったりしたからましてやだった。
 たとえば、ワサビはそもそもは日本自生の植物で全国各地の谷間など日陰の涼しいところに自生し、葉、花、茎、根茎を食用にしている山菜であることを知るようになった。
 また、そもそもワサビは水生植物ではなく、したがって栽培は普通畑(できれば日陰になるような畑)でもなされていることも知った。
 それではなぜワサビ田や渓流で栽培するのか、それは畑では根茎が大きくならないからなのだそうである。これはこういうことだと記憶している。ワサビは根から周辺の土壌を殺菌するある物質を放出して他の植物が生えないようにしているが、その物質でワサビ自体も自家中毒を起こしてしまい、根茎が大きくならない。そこで、透水性の良い土壌でつくった田んぼでワサビを栽培し、そこに水を絶えず流して自家中毒を起こす物質を洗い流せるようにし、根茎が大きくなれるようにするのだというのである。もちろん昔の人はこんな原理は知らなかったわけであり、ともかく渓流で育てれば根茎が大きくなるという法則性を発見し、ワサビ田栽培を始めたのだろうが。そして、ワサビ田や渓流で栽培したものは「水ワサビ」、「沢ワサビ」と呼ばれ、畑で栽培されているのは「陸(おか)ワサビ」とか「畑ワサビ」と呼ばれるようになったことも知った。
 さらに、こんなニュースが流れた。ワサビの辛味成分には抗菌・抗かび作用、消臭作用、食欲増進作用があり、それを刺身や寿司に利用してきたのは合理性があり、まさにそれは日本人の知恵であると。これには驚いた。
 当然このニュースはワサビの需要を伸ばすことになったが、それはまたチューブ入りの練りワサビの普及で拍車をかけられたのではないかと思っている。今の若い人たちの多くは粉ワサビなどと言ってもわからないのではなかろうか。もちろん、ワサビ需要の拡大は漁獲・冷凍冷蔵・輸送技術の進展で生魚の流通が拡大したことにもよるのだが。
 さらに、70年代以降の回転寿司の普及、家庭での手巻き寿司の普及等もワサビの需要を殖やした。寿司があんなに安くまた簡単に食べられるようになるなんて、銀シャリと刺身を自分の手であの高価な海苔にくるんで食べられるようになるなんて、考えもしなかったのだが。
 もう一方での本物志向の動きは、本ワサビの根茎に対する需要も拡大させた。

 こうした動きに対応して、旧来の静岡の産地はもちろん、長野をはじめ全国各地で本ワサビの生産の拡大を図り、また新たな産地形成を進めた。そして本ワサビがちょっとした小料理屋でも使われるようになったり、店で売られるようになったりもしてきた。
 しかし、東北でワサビの栽培に乗り出した地域があるということは残念ながら聞いたことはなかった。山菜としてのワサビはあるはずなのに、その茎葉や根を食べている(註2)はずなのにどうしてなのだろうか、私が知らないだけなのか、雪国の東北では水ワサビ栽培はそもそも無理なのだろうか。
 こんなことを考えていた70年代後半、たまたま岩手県宮守村(現・遠野市)に招かれて講演に行った。そのとき、農協の職員の方がこんな話をしてくれた、ここの地域はかなり以前からワサビをつくっており、非常に良質のものが採れるので、今生産の拡大と販路の拡大に取り組んでいると。驚いた、まったく知らなかったからである。さらに驚いた、お土産にどうぞとワサビを二本いただいたのである。貴重で高価なものをと本当に恐縮したのだが、ワサビをまともに見、触るのは生まれて初めて、家に帰って早速おろして刺身につけてごちそうになった。
 その後、宮守地区の農家は寒冷地における安定生産にさらに取り組み、さまざまな技術的な努力を重ねて生産を拡大し、今は東北有数の産地となっている。その経験が県内の他地域にも普及し、岩手県は全国第7位、東北一の生産量を誇るにいたっている(なお、畑ワサビの生産量は岩手県が全国一となっている)。
 また最近では、宮城県の加美町小野田でわさび生産組合がつくられて新たに生産を始め、山から来る冷水の活用と新しい栽培技術の導入で大きな成果をおさめつつあり、その近くにある産地直売所「やくらい土産センター」ではそこの生産する葉ワサビや根ワサビを手に入れることができる。
 こうした産地形成の動きが東北にさらにひろがることを望みたい。世界的には寿司や刺身など日本食ブームであり、それに対応して粉ワサビ、練りワサビの輸出もなされるようになっているとのこと、これを東北の本ワサビが、また北海道のセイヨウワサビが生産の拡大で支え、北国・山国の振興を図る一つの手段としていく、こんなことは夢想なのだろうか。

 ちょっと脇道にそれるが、ワサビで気になったことがあるので触れさせてもらいたい。
 タイコンの細切りとシソの葉の上に載った刺身がトレイに入れられて売られるようになったのはいつごろからだったろうか。それからさらにもう少し過ぎてからではなかったろうか、そのトレイに醤油と練りワサビの小袋がつくようになったのは。ぞの小袋には手で切りやすいように小さな切れ目が入っている、何とサービス精神の旺盛なこと、何と便利な世の中になったことと感心したものだった。
 しかし、もう一方で少々疑問になった。この小袋のかなりの部分が捨てられているのではないかと。各家庭に醤油や練りワサビが大体おいてあるからだ。もちろんもったいないからと小袋を使う人もいるだろう。それなら無駄はないので問題ないかもしれない。しかし、使うのは中身だけ、袋自体は捨てられる。しかもそれはプラスチック製品である。資源問題、環境問題からすればここまでのサービスが必要なのだろうか疑問になる。もちろんこの小袋で助かる人もいるだろう。たとえば野外で食べる場合とか、炊事施設のないアパートの居住者とかがそうである。だからそうしたサービスはあってもいい。でも、全員にそうしたサービスをする必要はなく、必要な人だけがそのサービスを受けられるようにすることを考えてもいいのではなかろうか、ちょっと面倒かもしれないが。
 こんなことを考えていたら、私の行きつけの生協ストアで小袋をつけなくなってきた。いつ頃だったか正確に記憶していないのだが、数年前の原油価格の上昇による諸物価上昇のときではなかったろうか。これで刺身の売り上げが落ちたという話は聞いていないが、ほかの大型店ではどうなのだろうか。やはり無駄はなくすべきではなかろうか。
 そんなことを言うと、私のかつての教え子だったらこう反論したかもしれない。貧乏学生にとってはあの小袋の分だけでも醤油やワサビを買わなくともすみ、余ったものは残して貯めておいて他の料理に使えるので経済的に助かる、なくては困るのだと。
 私の若いころと違って授業料はかなり高くなり(註3)、大学に行きたくともいけない学生が増えている現在、ましてや私は彼らに反論できないだろう。いやな世の中になったものだ。

(註)
1.11年2月2日掲載・本稿第一部「☆一銭店屋」(1段落)参照
2.16年7月25日掲載・本稿第八部「☆アイコ、ミズ、シドケ、シオデ等々」(12段落)頁参照
3.11年4月5日掲載・本稿第一部「☆教育の機会均等の進展」(4段落)参照。
  ただしこれは今から10年前の話、今はもっと状況は悪くなっており、教育の機会均等は今いずことなっているようだ。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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