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淡水生の山菜




               山菜・思いつくまま(18)

                ☆淡水生の山菜

 前回参照させていただいた岩手県胆江地域の飢饉の歴史によると、ハスの茎葉も食べたとのことだが、ハスはインド原産の水生植物、しかも今はレンコンを食用にするために栽培されているもの、したがってこれは山菜とはいえない。しかし、水生の自生植物のなかには山菜として食べられているものがある。ジュンサイなどがその典型であり、私にはなじみの深いものだった。

 ガラスの二合瓶の水の中にすけて浮かんで見えるハスの芽のようなジュンサイ、私の子どものころ生家でたまに食べたものだったが、買うのかもらいものだったのかよく覚えていない。透明なゼリー状の粘膜に包まれている芽はぬるっとしてあまり気分のいいものではないが、酢の物やお吸い物にすると食べられた。
 子どものころは、山形市の北に位置する楯岡(現・村山市)の沼にしか自生しない珍しいものだなど言われると、食べなければもったいないなどと思って食べたものだった。
 もちろん、ジュンサイは他の地域でも採れる(これはかなり後で知ったのだが)。秋田県の山本町(現・三種町)では今から40年くらい前から沼で自生しているもの以外に転作田で栽培するなどしてジュンサイの産地形成に力を入れてきた。私たちもここの山本町農協の依頼でかつて何度かおじゃまし、そのお手伝いをさせていただいたことがあるが、最近では秋田県は全国一の生産量を誇るようになり、ジュンサイは「沼のエメラルド」としてその名をはせるようになっている。
 あのぬめりが何ともいえないという人がいるが、大人になって私もそう思うようになった。とくに醤油をかけ、生姜をおろして入れて食べるのは酒のつまみに好適である。

 ところで、このジュンサイのような淡水中に自生する食用植物を「山に生える菜」である山菜に入れるのはおかしいのではなかろうか。
 同じことはヒシについても言える。池や沼に生えるヒシの実、これも山菜と言われている。
 このヒシを私がまともに意識したのは、中学生のとき(1948~50年)だった。私の中学校のあった旧陸軍連隊兵舎=元・山形城=現・霞城公園(註1)のお濠の一部に夏になると水草がびっしりと生え、私たちは朝夕それを見ながら通ったものだったが、あるとき同級生の誰かが、あれはヒシというものでその実は食べられるのだと教えてくれた。さらに菱形というのはそのヒシの実の形からきたものだとも教わった。しかし濠の下まで降りて行って確かめたことはない。ゆでて食べると栗のような味がするそうだとも聞いていつか食べてみたいと思っていたが、結局いまだに食べたことがない。
 ところであのときお濠に生えていた水草は本当にヒシだったのかどうか、いまだにわからない。もしかすると別の水草だったのかもしれない(末尾の追記を参照されたい)。奥羽本線もしくは仙山線に乗り、山形駅を北に向かって1~2分すると左側にそのお濠が見えてくるが、今は水草が見えない。きっと除去しているのだろう。
 私のヒシについての認識はこの程度なのだが、宮城県南の湿地の多い町で育った家内はどうだったろうと聞いてみたら、家の田んぼのわきを流れる小川にヒシがびっしりと繁っており、子どもの頃はその実をとり、黒い皮をむいて中の白い実を取り出し、それをそのまま生で食べたものだ、生栗のような味がしたとのことである。

 栗のような味と言えばクワイもそのようである。食べられるのはヒシと違って実ではなく、塊茎なのであるが、その煮つけは栗とサツマイモの中間の味がすると家内は言う。家内の実家で使わなくなった苗代田を放置しておいたら自然に生えてきたクワイで田んぼが一面覆われるようになり、それで毎年おせち料理でクワイを食べるようになったのだそうである。私は、小さいころクワイを見たことはあるが、食べた記憶はない。はっきりと記憶しているのは家内が実家からもらってきたのを食べたときである。
 このクワイは千年以上も前に中国・朝鮮から日本に移入され、栽培されてきたが、それが自然に繁殖するようになり、それで山菜とも言われるようになったようである。

 古代から食べられていた水生植物としてもう一つ、マコモがある。
 このマコモ(真菰)という名前に初めてぶつかつたのがいつか、まったく覚えていない。もう忘れかけていたころ、90年代後半ではなかったろうか、ラムサール条約の湿地に指定されている宮城県の伊豆沼で、湖水の浄化と白鳥の餌や魚の産卵場所の供給のためにマコモの復活運動を始めたというテレビニュースで本当にしばらくぶりで耳にした。
 それで思い出した、たしかマコモというのは沼など湿地に生えるススキの一種ではなかったか。また稲わらを荒く編んで作るむしろを言う「菰(こも)」はそもそもマコモを荒く織ってつくった「菰むしろ」からきたものだと聞いたこともある。さらに、何でそんなことを記憶していのかわからないが、和歌の枕詞でつかわれているのではなかったか、こんなことまで頭に浮かんできた。
 それからまた何年かして、今度は新聞で、そのマコモの根元の肥大した茎はマコモダケと言って食べることができ、どこかの地域(覚えていない)でそれを地域特産として売り出そうとしているというような記事を読んだ。写真で見るとマコモダケは瑞々しくてきれいである。タケノコのような歯触りがあってうまいとのこと、わが国では古代万葉のころ食べられてきたがいつのころからかあまり食べられなくなったとのことである(註2)。そう聞くと一度ぜひ食べてみたいと思うのだが、まだ食べる機会に恵まれないでいる。

 ところで、さきほどクワイは山菜と言われていると言ったが、ジュンサイやヒシもそういわれているようである。マコモはよくわからないが、同様に淡水地に自生する野草であるかぎり、山菜と言っていいのだろう。
 しかしここで疑問となる、こうした淡水中に自生する食用植物を、山菜=「『山野』に自生する食用植物」と称していいのかと。
 それでいいのだろう。湖沼や河川は山野に存在するものであり、山野には湖沼や河川がその不可欠の一部として存在もしている、つまり山野には湖沼や河川が含まれると考えていいからである。淡水中に自生する食用植物はやはり山菜なのである(註3)。

 水生山菜はその他いろいろあるのだろうが、私の頭にあるのはこの程度なのでここまでにし、次回からは同じく山菜の一員であるキノコについて述べることにしたい。

(註)
1.なぜ中学がそこだったのか等については本稿の下記掲載記事に記載してあるので参照されたい。
  11年2月23日掲載・本稿第一部「☆新制中学への通学と叩き売り」(1段落)
2.マコモの種子もかつては食料となっていたようである。
3.16年5月30日掲載・本稿第八部「☆「山菜」とは?」(2~3段落)参照

(追記)
 私の中学は山形市立第三中学校だったが、旧兵舎だったその建物の隣に同じく旧兵舎に第二中学があった。戦後混乱時・学制変革期であったためにそうなったのだが、この二中卒で高校のときの同級生ST君にこのヒシの実のことを聞いてみた。
 そしたらお濠に生えていた水草はやはりヒシだったとのことである。実は小さくて黒かったそうだが、いわゆる菱形ではなく、トゲというか角というか突起があったという。
 この話をしていたら、同席していたNAさん(私と同じ三中卒でクラスは違ったがあのころは本当にかわいい女の子だった)も同じことを言い、そのころのことをなつかしがっていた。(16.10.15記)

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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