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70年代からのキノコの記憶



                山菜・思いつくまま(22)

              ☆70年代からのキノコの記憶

 私が生まれて初めてまともに採って食べたキノコはアミタケである。まだ幼かった私の子どもを連れて仙台近郊の海岸に遊びに行ったとき、砂防林として広がる松林のなかで家内が発見した。近所の奥さんに教わって家の近くの山で採ったことがある、赤みを帯びた黄褐色で、傘の裏のひだが、普通のキノコのように中心の柄から放射線状に延びているのではなく、細かい網の目のようになっているのが特徴で、松林の中に生えるのだという。まったくその通りなので早速採りはじめ、味噌汁に入れて食べられるほど採れた。夕食で食べたが、もちろん中毒など起こさなかった。ただしこの一度だけだった。また行って採ればいいのだろうが、かなりの距離があり、しかも交通機関が不便なので車がない私には無理だったからである。そんなことでこの一度きりになった。

 30歳代半ばを過ぎた1970年代に入ったころから、毎年マツタケが食べられるようになった。もちろん採って食べたわけではない。国鉄水郡線沿いにある公立病院に勤めた家内の妹が秋になると地元福島の阿武隈丘陵産のマツタケを贈ってくれるようになったのである。ヒバの葉にくるまれた見事なマツタケが3~4本竹籠に入れられており、きれいなばかりでなく、その匂いがまたいい。義妹は電話で言う、まずマツタケを縦に薄く切って焼いて食べてみろと。焼いたらその香りのいいこと、まさに『匂いマツタケ』であることを実感しながら、その歯触り、食感を楽しんだ。次に、当然マツタケご飯、マツタケのお吸い物だが、いうまでもなくこれもうまかった。
 食べながらふと思った、この味と匂い、覚えていると。ということは子どものころ一度くらい食べたことがあったのではなかろうか、前回述べたように生家の近くの千歳山はマツタケの採れることで有名だということもある、戦中戦後の混乱の中で脳裏から飛んでしまっていただけではなかろうか。もちろんそんなことを確かめようにももう何十年も前のこと、わかるわけもなく、そのままになってしまったが。
 こうした贅沢、これは輸送手段の発達と義妹の就職のおかげなのだが、数年続いた後、残念ながら(いやめでたくというべきなのだが)、義妹が結婚して東京に移住したために終わってしまった。
 でも、ちょうどそのころ(1980年代)はキノコが贅沢に食べられる時代になっていた。
 まず生のシイタケ、ほぼ一年中店で売られるようになり、食べようと思えばいつでも食べられるようになった。それからかなり経ってからだが、舞い踊るくらいにおいしいといわれるマイタケも四季を問わず店頭に並び、いつでも食べられるようになった。さらに生のままでビニール袋に入った大小のナメコがよりどりみどりで店の棚に一年中店頭に並べられるようになり、秋にだけ食べるものではなくなってきた。
 それだけではない、ブナシメジ、ヒラタケ、見たこともなかった白い音符のようなエノキダケ、さらに子どもの頃は名前を聞いたこともなかったマッシュルーム(註1)、エリンギなどの外国キノコも年中食べられるようになった。
 ただしそれらはすべて栽培キノコだった。榾木栽培、菌床栽培の開発・普及により年中大量生産できるようになったのである。
 しかし、マツタケの栽培技術はまだ確立しておらず、インスタントの「マツタケのお吸い物」でその匂いを味わうしかなかった。ホンシメジの場合などは、私はいまだに味わったことがない。匂いマツタケは前に堪能したが、味シメジはこの年齢になってもまだ食べていない。
 またあまり商品価値のない雑キノコの栽培技術は確立されていないので店頭には並んでいなかった。
 なお、私の生家に近くの山間部の人が雑キノコを売りに来なくなったのは70年頃からのようである。栽培キノコの出回る時代、兼業化の進展した時代、都市化の進んだ時代になったからなのだろう。

 90年代ころからではなかったろうか、秋になると店頭でマツタケが売られるようになり、がんばれば一般庶民も買えるようになった。また、料理屋や旅館でマツタケの土瓶蒸しが出されるようになった。ただしそれは中国や韓国、カナダなどからの輸入品だった。
 こうした輸入マツタケは香りが薄いとよく言われるが、それを実感したことがある。95年の秋、韓国に調査に行ったとき、東北大に留学生で来ていた方からお土産にとマツタケを一箱いただいた。こんな貴重なものをと恐縮したのだが、日本ほど高くはないからと笑いながら言う。仙台空港の税関でその検査のために時間がとられたのがちょっと困ったが、しばらくぶりで贅沢にマツタケを味合わせてもらった。しかし、前に食べた阿武隈産のマツタケと比べると香り、味がちょっと落ちた。気象・土壌条件や品種等で違う上に移動で時間が経過したために香りが抜け、味が落ちてしまったのかもしれない。それでも十分にうまかった。外国産とわかって食べるキノコはこれが初めてだった。
 また、こうした香りが落ちるのを防ぐために外国産の販売にさいしては人工香味料などを使っているらしいという話を聞いたのもそのころだった。
 こうして野生のマツタケが輸入される一方、栽培キノコも輸入されてくるようになり、シイタケ等々わが国のキノコ栽培が中国等の外国産品により深刻な打撃を受けていることが大きな問題となってきたのである(註2)。

 しかし、マツタケ以外の採取の必要な野生のキノコはあまり輸入されていない(ワラビ等の山菜は輸入されているが)。にもかかわらず国産の野生キノコはほとんど店頭には出ない。山間部の直売店などに行くとたまにオリミキだとかアミタケ、ハタケシメジなどが売られている場合もあるが、きわめて少ない。
 それでも私は野生のキノコを食べる機会に恵まれた。前に山菜料理のところで述べた小料理屋の女将(註3)が出身地の山形・寒河江の山中の野生のキノコをさまざま出してくれたからである。しかしその名前は覚えきれず、今でも覚えているのはブナカノカ(正式にはブナハリタケというらしい)、それを塩ゆでにしたものである。普通のキノコと違って歯ごたえがかなりあり、ちょっと辛みもあり、酒のつまみとしては応えられない。これはもう一度食べてみたいが、残念ながらもう店はなくなってしまった。
 もう一方で家内の実家から雑キノコが供給されるようになった。農作業や家事から解放された家内の母が秋になると周辺の小高い山々に行ってさまざまなキノコ(私には名前がわからない、わかるのはホウキモダシくらい)を採り、塩漬けにして持ってきたり送ってきたりするようになったのである。さらに家内の弟の仕事が暇になってからは義母が車に乗せてもらって採りに行くようになり、さらに大量に採るようになった。持ち帰ると弟嫁がそのままゆがいてキノコについている汚れやゴミ等を洗い流す(ご存知のようにキノコにはゴミや泥が付着しやすく、それを手で一々取るのは大変なのだが、お湯にくぐすことでごみや汚れが取れ、傘も壊れにくくなるのだそうである)。さらにまだゴミが残っていないかを確かめ、残っていればそれを除去し(これがけっこう大変なのだそうだ)、樽に入れて塩漬けにする。この一部をビニール袋に入れてわが家に届けてくれるのだが、これは楽しみだった。
 私は、ちょつと塩味が残るくらいのところまで水で戻して大根おろしの中に入れ、そのままあるいはちょっぴり醤油を入れて食べるのが大好きである。もちろんしっかり塩を抜いて味噌汁や炒め物に入れて食べるのもいいが。私の子どもの頃、近くの山村の農家の方が売りに来た生の雑キノコや山村に住む親戚がもってきてくれる塩漬けを思い出させ、本当になつかしく、おいしく食べたものだった。

 しかし、やがてこの野生のキノコを食べることはできなくなった。99年、私たちが網走に引っ越したからである。義母が年齢で採りに行けなくなったこともある。ところがこの網走で、しかも私の勤務先の農大の敷地のなかで、キノコ採りをして食べるという体験をすることとなった。
 網走を去る前の年のこと、食品学科の同僚Oさんと雑談しているときに研究室の裏にあるカラマツの木の下に「ラクヨウ」というキノコが生える、毎年採って食べている、ちょうど今が季節だと言う話になった。驚いた、こんなに近くにキノコ狩りができる場所があるとは。
 このラクヨウの話はいろんな人から聞いていた、カラマツ=落葉松の木の下に生えるキノコだから落葉(らくよう)キノコと言われ、カラマツ林に行けば大体生えている、見分けは簡単だし、素人でもたくさん採れる、しかもうまいと。それが私の勤務先に生えているというのである。
 早速裏庭に連れて行ってもらった。そしたら、ナメコと似た橙色から褐色で大きさはシイタケくらいのキノコがたくさん生えているではないか。もちろん採り始めた。そして夜は豆腐といっしょに味噌汁に入れて食べた。ナメコ汁と同じような味と歯触り、うまかった。
 その週の日曜日、今度は家内といっしょに農大に行ってみた。敷地の奥のカラマツ林の中に入ったら、たくさん生えているではないか。もちろんその夜はまた味噌汁に入れて食べ、大根おろしに入れても食べた。

 ところで、ラクヨウは俗称で正式にはハナイグチなのだそうだが、ふと疑問になった。実はカラマツは北海道には自生していない。明治以降の植林で殖やしたものである。となると、ラクヨウも明治以降北海道に生えるようになったということになる。ハナイグチはカラマツの樹の下に限って発生するものだそうだからである。とすると、ハナイグチは北海道にとっては外来種ということになる。でもこれが悪いことをしているとは聞かないし、道民の食を支えてきたもの、身内として位置付けてやっていいのではないかと私は思うのだが、生態学的にはどうなのだろうか。

 自力でのまともなキノコ採りはこれが二度目、そして最後になった。仙台に帰って以後行ったことはないし、もう寄る年波、行けるわけもないからである。
 たまに家内の車で山間部に行くと必ず直売所に寄るが、秋には野生のキノコを売っていないかと探す。売っていれば必ず買う。でも家内はあまりいい顔はしない。キノコについているごみを採るのが大変だからだ。これからはその役割は私がやろうと思っている。しかし、これも寄る年波、車での遠出による買い出しが難しくなっており、決心は決心で終わるだけになることだろう。そして自生のキノコを食べることはこれからないということになろう。ちょっぴり寂しい。

 ここまで草稿を書き上げた9月初旬、仙台市役所に用事があって出かけたついでにしばらくぶりで近くのデパートに行ってみた。地下の食品売り場に行ったら山形・秋田産の山菜コーナーがあり、何とそこで天然のホウキタケ=ホウキモダシを売っていた。本当にしばらくぶりで見た。ちょっと高価だったが早速買い、夜は大根おろしと醤油で食べた。うまかった、なつかしかった。
 天然の雑キノコは街の高級店舗で買うしかない、そんな時代になったのだろうか。それでもないよりはまし、これからも売り続けてもらいたいものである。

(註)
1.11年7月20日掲載・本稿第二部「☆きのこ栽培の普及」(2、4段落)参照
2.12年1月16日掲載・本稿第三部「☆つくるもののない苦しみ」(2段落)参照。
  同時に、菌床栽培の導入で栽培キノコは平場の企業経営に担われるようになり、山村の農林家の栽培からの撤退も見られるようになってきた。
3.16年7月25日掲載・本稿第八部「☆アイコ、ミズ、シドケ、シオデ等々」(5~6段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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