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山村の子ども三代とキノコ



               山菜・思いつくまま(23)

              ☆山村の子ども三代とキノコ

 私のキノコとのつきあいはこれまで述べた程度でしかなかったが、山村の人たちにとってキノコはすぐ身の回りにある食料としてまた現金収入源としてきわめて貴重なものだったであろう。当然キノコ採りなどもしたことだろう。
 それを確かめるために、これまで何度か本稿に登場いただいた岩手県葛巻町の古老NNさんから、その孫のNK君(これまた幾たびも登場してもらっている中堅の農経研究者)にいろいろと聞いてもらった。
 そしたら、子どものころ(昭和初頭)は次のようなキノコを採ったり食べたりしたものだとのことだった。

・ノベリ(=和名・アミタケ):松の木の下によく生えていた。小さいうちにとるのが良い。味噌汁などに入れて食べた。塩漬けにして瓶(かめ)に保存もしていた(註1)。
・カックイ(=和名・ナラタケ):切り株の根元と土との境目に生える。味噌汁などに入れて食べた。大根おろしと和えて食べても良い。塩漬けにして瓶(かめ)に保存もした。
・シメジ:味噌汁などに入れて食べた。
・クロキノコ(=和名・クロカワ):煮てから2〜3日水にさらし、味噌和えにして食べた。塩漬けにして瓶に保存した。
・カアダケ(=和名・コウタケ):乾燥させて保存する。くるみ味噌(くるみをすり鉢ですりつぶして味噌と和えたもの)で食べる。
・マツタケ:自分の家で食べたが、近所には近くの商店に行って売っている人もいた。
・シイタケ:菌を買ってきてナラの木に植菌して栽培し、自家用として食べた。
・ハアチモダシ(=ホウキモダシ):食べた。
・アズキモダシ:小さいキノコだったが、これも食べた。
・マイタケ:地域の人は採っていたが、自分の家では食べたことがない(註2)。

 ところで、こうしたキノコを始めとする山菜の生える林野は、ほとんどが少数の大地主の所有地だった。そして、前に述べたように、ほとんどの農家はこの山林地主から農地・林地を借り、それに対する地代を労働力の提供(賦役≒労働地代)で支払ってきた(註3)。
 ただし、山菜は無償で自由に採ることができた。高価なマツタケもである。
 これは賦役の一つである野焼き(註4)への出役と関係しているのではなかろうか。つまり、地主の所有する牧野と農家が共同もしくは個人で地主から借りている牧野・林野等で野焼きをするときには全員地主の指示のもとに労働を提供しなければならなかった(註3)のだが、こうした地域全員の労働で牧野がまた山林が維持され、その結果としてワラビやキノコなどの山菜が採れるようになるのだから、つまり農家の労働で作り出されたものでもあるから、それを自由に採取させるということになったのだろう。また労働力として小作人として利用するために、つまりその生命を維持させて働かせるために、山菜等を自由に採って糊口をしのぐことを許したということもあろう。
 それに加えて、大昔はみんなが山林を利用し、山菜等を採取する権利を持っており、またみんなで林野を管理しており、その慣行が地主の土地所有が成立した後も残り、これまで続いてきたということもあったのかもしれない。
 でもやはり林野は他人の所有物、だから「山菜採りの名人」は早い話が泥棒、それで地域内で大きな顔をして威張れないのだろうと現世代のNK君は笑う。

 話は飛ぶが、NNさんはそのときこんな話もしてくれたと言う。
 「この地域では『キノコが多い山には牛を放すな』と言われたものだ、食べるとくせになってしまい、キノコを探して遠くまで行ってしまうからだ」
 へえ、そうなのかと私はおもしろく聞いたのだが、でも、とひねくれている私などはついついこんなことを考えてしまう、実は牛に食われてしまったら人間がキノコを食べられなくなるからそこには牛を放すなということもあったのではなかろうかと。
 それは冗談話として、ちょっと疑問になったのは、牛が毒キノコを食べて具合を悪くするようなことがなかったかということである。NNさんによれば、具合悪くなったのは見たことないと言う。きっと直感的に食べられるかどうかを牛は判断できるのだろう。いや、人間にとって毒でも牛にとっては違うのかもしれない。よくわからない。
 もう一つ疑問になったのは、放牧した馬はどうだったのか、キノコが好きだったのかということである。NNさんは馬がキノコを食べるとは聞いたことがないという。ということは馬はキノコが好きではない、いやそもそも食べないということを意味するのだろうか。そこで馬・キノコでネット検索してみた。そしたら、馬はキノコを食べないとのことだった。
 それはまたなぜだろう、もしかするとこの牛と馬と違いは反芻動物かそうでないかによるのではなかろうか。そうだとすると、牛と同じ反芻動物の鹿もキノコが好きなはずである。そこでまた、鹿・キノコで検索してみた。何と鹿もキノコを食べるというではないか。私の推測は間違っていなかった。
 と思ったのだが、やはりこれは専門家に確かめる必要がある、そう思ってこれまで何度か本稿にご登場願っている畜産研究者のKT君にいつもの居酒屋(註3)で会ったときに聞いてみた。しかし、彼は家畜の遺伝育種の専門家、そんなことは考えたこともなかった、でももしかするとそうかもしれないと言う。やはり私の推理いや学説(?)は正しかったと喜んだ。
 ところが、この話を聞いていた居酒屋の亭主はこう言う、「クマもキノコを食べるよ、クマは反芻動物ではないよ」と。そういえばクマとキノコの話は聞いたことがある、残念ながら私の説は間違っていた。それでは本当のところはどうなのか、結局まだわからない。

 さて話を戻そう、NNさんたち、マツタケを採って食べたとは、さすが山村の子である。
 また、シイタケ栽培、つまり単に採るだけでなく栽培して食べるということが、この時期から山村で始まっていたことに驚いた。こうした山村の伝統が戦後のキノコ栽培の発展として開花したのであろう。
 なお、キノコを採って売るというのはマツタケ以外聞いたことがないそうだが、これはキノコの販売先となる町場は遠く、またその町場も山に囲まれているのでそこの人たちもキノコを採ることができ、買う人が少なかった(マツタケのような貴重なもの以外)ということもあるのではなかろうか。

 それではその次の戦後すぐの世代、1950年代に子どものころを過ごしたNNさんのお子さん、つまりNK君のお父さんのNIさんたちはどうだったろうか。
 ちょうど70歳になったNIさんによると、小学校の頃、友だちと2〜3人でカゴを背負ってシメジを採りに行った記憶があるという。
 しかし一人前になってからは行ったことがないとのことである。これは青年時代に酪農を導入したことが関係しているようである。いうまでもなく酪農は朝早くから夕方晩くまで、しかも休日なしで働かなければならない。キノコ採りなどしている暇はない。もちろんワラビなど山菜採りにも行けなくなった。それで隣近所や親戚の人が持ってきてくれるのをご馳走になるだけということになったようである。

 このように、キノコを採るというのは、住まいが山に近いかどうかによってだけでなく、家業の内容、農家の場合はどのような作目・部門を中心として営んでいるかによっても左右されるということができよう(これは山菜すべてに当てはまるだろうが)。私の場合、山から遠いということばかりでなく、生家が野菜作を中心としていてその繁忙期と山菜を採る時期が競合するということが山菜採りに山に行けなかった要因だろうと前に言った(註5)が、やはりそうだつたのである。もちろん、山菜採りの好き嫌いもあろうが。

 さて、さらに次の世代つまりNNさんの孫の世代だが、80年前後に小学校時代を過ごしたNK君に聞くとキノコ採りの経験は一切ないという。ワラビ採りなどもない。つまり山菜採りは一切したことがないのだそうである。
 これは前世代のご両親が始めた酪農と関連しているのかもしれない。酪農で忙しいご両親などからキノコ採りなどにつれて行ってもらえず、それで経験がないということになったのかもしれない。
 しかしそれだけではなかったのではなかろうか。酪農をしていない家の同級生や近隣の子どもたちからキノコ採りや山菜採りの話を聞いたことがない、アケビやグミの実を採って食べたという話を聞いたことがある程度だとNK君は言うからである。
 このことはキノコなど山菜が食料としてまた現金収入減として山村住民に必要不可欠だったという時代が過ぎたということを示すものではなかろうか。そしてこれは、農林業の発展、酪農の導入等によってだけではなく、出稼ぎや兼業による収入が入るようになったこと、それに縛られて自分の都合のいい時にまたキノコの時季に合わせて山に入ってキノコを採る時間がなくなったことからきているのではなかろうか。そのことが反映して子どもたちも山に行ってキノコなど山菜を採るということがなくなったのだろう。

 ここで一つ疑問になった。山形県の山村の小学校では学校行事として全校生徒総動員でワラビ採り、フキ採りをし、それを学校が販売業者や加工業者に売り、得た収益で学校の備品等を購入したりしたものだが、NK君の学校ではどうだったのだろうかと。そういう山菜採りをしたことはないのだろうか。
 NK君はしたことがないし、両親や祖父母がやったと聞いたこともないという。
 どうしてなのだろうか。ワラビなどどこにでも豊かに生えているので地域では買う人がおらず、また交通不便と消費人口の少なさで地域外に売りに行くこともできない、つまり採っても商品とはならなかったためなのだろうか。NK君は「山形県人の商売っ気は学校教育によって再生産されているのですね」と私を冷やかすのだが。
 なお、山形のワラビ・フキ採りの学校行事も90年代に入ってほとんどなくなったらしい。

 山村の子どもの山菜・キノコ採り離れはかなり進んでいるようだ。
 昔は生きるために採りに行ったのだが、今はそんなことがないからだ。遊びで行くことも考えられるが、遊び道具は豊富にあり、山菜・キノコ採りなどしなくともすむ。
 しかもキノコ採りは危険だ。ワラビ採りなどの時季と違ってキノコ採りの時季は日が短く、寒くもなっており、遭難の危険性も高い。クマとの遭遇の危険もある。だから、子どもたちだけでキノコ採りをするなどは親から禁止されているのかもしれない。
 その昔は子どもたちも食料を稼ぐために山に入り、採ってくればほめられたのだろうが、今は逆に何で危ないところに行ったのかと親から怒られるのではなかろうか。
 親も採らないし、過疎化・高齢化で近隣にキノコを採りに行く人が少なくなって、もらって食べることもなくなっている、そんなことから地域に自生しているキノコを見たことも食べたことがない子どもすらいるようになっているのではなかろうか。
 山村に生まれながらキノコ採りをしたことがない、地域に自生するキノコを食べたこともない、何かおかしく思うのだが。

 葛巻町の中心部にあるスーパーにはシイタケ、マイタケ、エノキダケ等々が並んでいたが、それらはすべて栽培もの、しかも町外産で、地元産の自生キノコ・山菜は見られなかった。私の行った時期が8月だったからかもしれないが、秋はどうなのだろうか。NK君に聞くと、道の駅や国道沿いの無人販売では町内栽培のシイタケや自生キノコ、山菜を販売しているとのことだが、将来はどうなるのだろうか。

 それでも子どもがいればまだいい。ところが今、過疎化×少子化で山村には子どもの数が激減している。やがて高齢者だけが住んでいる家に住む人がいなくなり、家はなくなり、田畑はなくなり、むらは消滅する。人のいなくなった山野はどうなるのだろうか。キノコ・山菜はどうなるのだろうか。

(註)
1.すぐこの後に登場いただく次世代のNIさんは、「ノベリとはナメコのことで家の近くにたくさんあり、採って食べた」と言っておられたとのことだが、どちらが正しいのかよくわからない。アミタケとナメコは色や形が似ているのでともに同じ名前で呼ばれていたか、あるいは混同されておられるのかもしれない。ただ、NNさんのいうノベリは松林に生えているということからしてアミタケだったと思われる。
2.ハアチモダシとアズキモダシ、マイタケについてはNIさんから聞いてもらったものである。なお、キクラゲ、カノカについては知らない、聞いたことがないとのことだった。別名で呼ばれていたのか、この地域では食べない、あるいは自生していないということだったのか、わからない。

3.13年3月7日掲載・本稿第五部「☆地頭・雇い・名子」参照
4.11年1月7日掲載・本稿第一部「☆むらぐるみでの共同」(1段落)、
  16年8月8日掲載・本稿第八部「☆山菜と東北民謡」(7、8段落)参照
5.16年7月11日掲載・本稿第八部「☆私にとっての山菜」(1段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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