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山菜の大産地・東北

 


              山菜・思いつくまま(25)

              ☆山菜の大産地・東北

 いうまでもなく東北地方はは米をはじめとする農産物の大産地である。同時に東北は山菜の大産地でもある。と前回の記事で言ったものの、後者については自信がない。山菜の生産についてまともに調査研究をしたことがないからだ。ましてや定年になってからは研究から遠ざかっている。当然、農林業にかかわる統計資料などほとんど見ていない。だからそれは私の希望的推測でしかないのかもしれない。そんなことがちょっと不安になったので、パソコンで「農林水産省特用林産物生産統計調査」を検索し、主な山菜の生産量(註1)を調べてみた(昔のように一々図書館等に行って調べる必要もない、世の中本当に便利になったものである)。
 やはり私の考えはまちがっていなかった。主な山菜の県別生産量を見ると、ベスト5に入っている東北の県は次のようになっており、それ以外の県もすべて上位を占めていた。
  ネマガリダケ    :①秋田・②福島・③青森・④山形
  タラの芽     :①秋田・②山形
  コシアブラ     :①山形・②福島・⑤宮城
  ワラビ      :①山形・②秋田・④青森
  乾しゼンマイ    :②秋田・④山形
  フキ       :②福島・④岩手
  フキノトウ    :①秋田・②山形・③福島・④岩手
  ミズ       :①青森・②秋田・③山形
  コゴミ      :①山形・②秋田・③福島
  シドケ      :①秋田・②岩手・③青森・④宮城
  マツタケ      :②岩手
  その他キノコ    :②福島
 代表的な山菜であるワラビは山形、秋田がダントツで全国1位・2位を争っており、福島、岩手はベストテンに入っている。また山菜の女王タラの芽も秋田・山形のトップ争いを筆頭に東北六県すべてがベストテン入り、別格のうまさで私の大好きなネマガリダケもそうだ。
 驚いたのは岩手のマツタケ生産量が全国第2位だったことだ。また、マツタケ以外の天然キノコの生産量は「その他きのこ」に一括されているようだが、その合計生産量は福島が2位となっている。
 このように天然の山菜採取では東北が大きな地位を占めているが、栽培ものの山菜でも東北が大産地となっている。

 山菜の栽培は前にも述べたようにかなり以前からなされている。そもそも野菜は山野に自生する植物を栽培植物化して生まれたものなのだが、とくに1970年代以降さらに多くの種類の山菜の栽培がなされるようになった(なお、キノコとそれ以外の山菜とではその質がちょっと違うので、まず最初はキノコを除く山菜について述べる)。その一例として前に山形県朝日村(現・鶴岡市)をあげた(註2)が、山野から山菜の根を掘り取ってきてもしくは種子を採ってきて住まいの近くの耕地に移植もしくは播種し、その生育過程を人為的に管理(施肥、除草、防除、用排水等々)をして必要部位を収穫し、またそれを増殖することを始めたのである。そして生産の不安定、品質の不揃い、探索・採集の難しさ、山野を跋渉する等の労働の厳しさを解決し、生産量の増大、品質や労働生産性の向上を図ってきた。
 こうした取り組みのなかで、東北の各県は栽培山菜の大産地となってきた。主な栽培山菜の県別生産量のベスト5に入っている県名をあげると次のようになっていることからもそれがわかろう。
  タラの芽       :①秋田・②山形・④福島
  コシアブラ      :①山形・①宮城
  ワラビ       :①山形・④福島
  乾しゼンマイ     :③山形・④福島
  フキノトウ     :②秋田・③山形・③福島
  ミズ        :①宮城・②山形
  コゴミ       :①秋田・②山形・⑤宮城
  シドケ       :①福島・②秋田・⑤山形・⑤岩手

 この栽培植物化の過程はキノコについても進んだ。
 この走りはシイタケの栽培だった。シイタケの栽培に適する木に穴を空けて種菌を植えつけ、その生育過程に必要な日照、水、温度等の生育環境を人為的に管理し、天然ものより容易により多くの子実体=シイタケを収穫するようになったのだが、これは江戸時代から始まったと言われており、前々回の記事で紹介した岩手県葛巻の例からもわかるように東北でもかなり以前から栽培がなされていた。
 この「原木栽培」の技術がナメコ等にも適用されるようになったが、1950年代の山形県西川町のナメコの「伐根(ばっこん)栽培」(註3)などがその一例だったと言えよう。
 戦後このシイタケ、ナメコの原木栽培は山村に急激に普及した。豊富な原木に恵まれた東北の山村はその導入に積極的に取り組んだ(註4)。

 このシイタケ、ナメコに次いで私の見た人工栽培はマッシュルームだった。山形県鮭川村で見たのは堆肥に植菌してハウスで栽培するというやり方だった(註5)が、この栽培を導入した和歌山出身の人が昭和初期にエノキダケの菌床栽培法を開発したことを知ったのはかなり後のことだつた。つまり、おがくずに米ぬかなどの栄養分をまぜて固めてつくった培地(=菌床)に種菌を接種して、その生育に適した環境を制御しつつ収穫するという「菌床栽培」の技術が開発されたのである。そして、1950年代ころからシイタケやナメコ、ヒラタケ、ブナシメジなどもこの方法で生産されるようになり、1990年代にはマイタケが大量に生産されるようになった。そして菌床栽培の生産量は原木栽培のそれを大きく上回るようになった。
 こうした栽培キノコが店頭に大量に出回るようになったころのことである。エリンギなるキノコもいっしょに並ぶようになった。家内がたまに買ってバターで炒め、醤油をかけておかずに出す。食感はいい(ちょっと固いがマツタケに近いと私には思える)けれども味にちょっと癖があり、とくに食べたいと思うようなものではない、しかし嫌いというほどでもない。後で知ったことだが、このエリンギはヨーロッパ原産の食用キノコで、90年代に日本で初めて人工栽培を可能にしたものなのだそうである。日本人は外国からさまざまな農作物を導入して栽培し、私たちの食を豊かにしてきたのだが、マッシュルームから始まってエリンギまで外国のキノコを栽培する、しかもその栽培方法を確立するなんて、日本人はまあ何とも面白い民族である。
 そして20世紀後半の30年間でキノコの生産量を8倍に激増させるなんてたいしたものである。
 もちろん、マツタケ、ホンシメジなど、まだその人工栽培技術は確立されていない。一時期ヒラタケやブナシメジがホンシメジとして売られていたことはあったが、やはり味は違うとのこと、今はそう呼んではならないことになっているようだ。
 この人工栽培はかなり難しいとのことだが、高等植物の山菜のなかにも栽培植物化、作物化が容易ではないものもある。作物と同様に連作障害に遭うなどの技術的な問題もある。でもいつかその栽培技術を開発してもらいたいものだ。

 もちろん、人工栽培の山菜(キノコも含む)は天然ものとは異なる。
 たとえば栽培山菜には山菜特有の香ばしさ、苦みやえぐみ、くせ、固さなどが少ない。その分、栽培ものには、食べやすい、なじみやすいという面がある。また、省力、安定多収、周年生産が可能で、食べたいときに食べられる、安全・安心であるという利点もある。
 栽培山菜と山採り山菜、栽培種と野生種、性格の違ったものとしてともに味わえるようにしてもらいたいものである。
 そしてそれを山村振興に、東北の農山村の発展につなげてもらいたい、70年代にはそう願ったものだった。

 ところがそれはきわめて難しかった。
 菌床栽培の導入や施設化・機械化・自動化が進み、資本力がものをいうようになるなかで、山村の農林家よりも平場の企業がその生産の担い手となり、菌茸栽培は農林家のものではなくなってきた。マイタケ、ヒラタケ、ブナシメジ、エノキダケ等がその典型で、それを栽培する企業の立地する県が生産量の大半を占めるようになり、東北の各県の地位はきわめて低いものとなってしまった。
 さらに問題なのは、キノコの栽培技術の輸出、発展途上国等へのいわゆる技術移転である。もちろんそれ自体は悪いことではない。外国でも日本の技術を活用して豊かにキノコが食べられるようにすることはきわめてけっこうなことである。
 しかし、自国民が食べるよりも日本に輸出させるための技術輸出、商社等が低賃金長時間労働、円高を利用して日本に安く輸入して利益を上げるための輸出であることに問題がある。
 マッシュルームなどはその走りだった。70年代には日本がアメリカの缶詰市場に輸出するまでになり、東北でも取り組み始めたのに、台湾や韓国にその栽培技術を輸出して日本の生産者の販路を奪い、その発展を阻害したのである。やがてそれはシイタケにまで及び、中国などから安く輸入されて生産者を苦しめた。
 こうしたなかでも東北は原木栽培から始まる伝統をもつシイタケ、なめこの生産で今でもがんばっている。
  乾しシイタケ    :⑤岩手・⑥福島
  生シイタケ     :③岩手・⑤秋田
  ナメコ      :②山形・④福島

 海外からの輸入圧力がありながらも、また山菜離れが進む中でも、さらに過疎化・高齢化の困難を抱えながらも、東北が山菜の宝庫としてこれだけがんばっていることは賞賛すべきことだと私は思っている。
 しかし、そのがんばりもいつまで続くかが問題となる。山村の過疎化・高齢化が進み、山菜を採り、育てる人が減っているからだ。それに拍車をかけているのが山菜の輸入の激増だ。たとえばワラビは消費量の4分の3が輸入、ゼンマイは3分の1、乾しシイタケは6割にもなっている。もう一方では都市化・食の洋風化等による山菜の需要の低迷、とくに若者の山菜離れである。
 それに追い打ちをかけたのが福島第一原発事故に伴う放射性物質の拡散だった。

(註)
1.この生産量には山村や村外の人たちが自家用として採ったものは含まれていないので、実際にはさらに多く採取されているものと思われる。なお、ここでは2010年度の数字を採用した。それ以後は原発事故による影響があるからである。このことについては次回改めて述べる。
2.11年7月22日掲載・本稿第二部「☆山菜の栽培植物化」参照
3.11年7月20日掲載・本稿第二部「☆きのこ栽培の普及」(1段落)参照
4.    同        上     「    同  上     」(2段落)参照
5.    同        上     「    同  上     」(4段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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