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原発と山菜、近所にクマ出没




               山菜・思いつくまま(26)

              ☆原発事故と山菜、山村

 実は、前回述べた山菜の県別生産量の順位は2010(平成22)年度のものである。この翌年の2011年、東北はあの大震災に襲われた。そして福島第一原子力発電所の事故が起きた。
 放射能は東北の山々に飛散した。とくに福島の山々は強く汚染され、宮城県南もほぼ同じ被害を受け、さらに宮城県北、山形県東部、岩手県にまで汚染はひろがった(関東もそうだったが、それについては省略する)。当然そこに生育している山菜も汚染された。とくにキノコ類に高い放射能の値が検出された。
 それで、採ってならない、売ってならないと行政から命令された。100㌔以上も離れているかなり遠い地域までもだった。禁止されていないところでも、風評被害で売ろうとしても売れず、採るのをやめざるを得なくなった。
 その年の春と秋、宮城県の山村の直売所に行っても山菜は並んでいなかった。新鮮な山菜を買い込んで食べる、毎年のわが家の楽しみはそれで半減された。
 私の楽しみなどどうでもいい、山菜の生産・採取・販売に、そして山村の振興に一所懸命に取り組んでいるのに、原発事故はそれを阻害し、山村の疲弊に拍車をかけたのである。

 山村の直売所に並んでいるさまざまな山菜のわきに、それを採ってきた人の名前や写真がついている。写真を見ると多くが中高年だ。それを見ると、山菜は東北の山村の中高年層に採る、食べる、収入を得る楽しみを与えていること、まさに生きがいであろうこと、さらにそれが直売所の大きな収入源となっていることがよくわかる。
 ところが原発はその生きがいを奪った。もちろん、山菜を大量に採取、栽培、出荷するなどして生計を維持してきた農林家の青壮年層の生活の道も絶った。福島県の場合、採取・販売の禁止と風評被害で2012年の天然ものの山菜の生産量は前年の10分のⅠ以下、たとえばマツタケや11年度全国2位の生産量を誇った天然キノコはほぼゼロとなり、栽培ものも激減している。
 とくにひどかったのが、まともに放射能汚染を受けた福島県浜通りの中部・北部の人たちだった。山菜の採取、栽培どころか、自分の家に地域に住むことすら許されなかった。

 福島県は会津、仲通り、浜通りと三つの地域に区分されている(註1)が、浜通りは太平洋岸に面する狭い平地と阿武隈高地とからなる地域である。東北ではもっとも温暖な気候に恵まれていることを利用した農林漁業てもってその生計を維持してきた。しかし、農林業を取り巻く厳しい状況のなかで生活が困難となり、出稼ぎで生計を維持せざるを得なくなってきた。さらに若者たちは東京などに行って働くよりほかなくなってきた。
 浜通りとくにその中部・北部の地方から集団就職をした若者たちは哀愁のこもった故郷の唄『新相馬節』を歌い、遥か故郷を思って涙したものだという。
   「ハァ 遥か彼方は 相馬の空かよ ナンダコラヨート
   相馬恋しや なつかしや ナンダコラヨート」
 出稼ぎに行った人たち、それを送り出した家族はそれに続けてこう歌ったという。
  「ハァ 秋の夜寒に 針の手止めてヨ ナンダコラヨート
   主の安否を 思い出す ナンダコラヨート」
 こうした状況から何とか脱却したい、そう思って農林家は養蚕の拡大、シイタケやイチゴ、野菜などの栽培の導入に力を入れた。しかしなかなかうまくいかない。過疎化が進むだけだった(註2)。
 そこに降ってわいたように出てきたのが原発の立地の話だった。これで地元に就業機会が増える、国は社会基盤整備に多額の金を出してくれる、過疎化から脱却できる、しかも原発は安全だというではないか、それで多くの人々が誘致に賛同した。
 その結果が放射能汚染だった。地震と津波だけならまだよかった。家がなくなってもその屋敷跡地に戻ることができた。しかし放射能汚染は家屋敷がそのままであっても住むことを許さなかった。
 そして一人残らずみんな立ち退かされた。帰りたくとも帰ってはならなかった。流浪の民にさせられた。故郷は無人の地となつた。
 かつての出稼ぎ者、他出者は、まだよかった。帰ろうと思えば故郷に帰ることができた。少なくとも盆正月には帰ることができた。しかし原発事故での流出者は帰ることができない。
 こうして故郷から遠く離された人たちはやはり「遥か彼方は 相馬の空かよ」の唄を聞くたびに涙し、歌っては泣いたという。

 当然山々にも人の姿はない。山菜採りばかりでなく、狩りをする人も来ない。獲っても汚染した肉は食えないし、売れないからだ。そうなると鳥獣の天下だ。人間に捕まえられることもなく、邪魔されることなく、山菜や木の実を食べられるようになった。さらに人々が姿を消した家々には、畜舎には、また田畑にはおいしいものがたくさんある。
 かくしてイノシシ、タヌキ、キツネ、サル、ネズミ、アライグマ、ハクビシン等々の頭数が増えてくる。
 なかには家々に住み着くするものすらいる。無人の町で人間の住居で生まれ育った世代、これを原発世代と呼ぶのだそうだが、彼らにとって町は自分のテリトリーであり、人も恐れない。
 町も山々も野生動物に乗っ取られてしまった。それどころかここで増えた野生動物の一部は温暖化ともからんで北部に移動しつつあり、生態系を変えていることも問題となりつつある。

 それでも今、浜通りには少しづつ人が戻りつつある。一定の除染が進み、避難指示が解除された地域がそうだ。しかし、現状ではすべてもと通りに人々が戻っていない。居住区域の一定部分は除染されても山々の除染は進んでいないからだ。除染廃棄物の搬入先となる中間貯蔵施設もある(最終的に貯蔵してやるという地域など出てくるわけもないので結局は「最終貯蔵施設」となる危険性もあるからなおのことだ)。農作物や山菜の安全性などもすべて保証されているわけでもない。野生動物の被害がなくなるという保証もない。雇用の場もない。医療機関はなく、買い物も不便だ。賠償もやがて打ち切られる。これではましてや人々は故郷に戻らない。
 原発の廃炉が終われば浜通りの人口は激減、極度の過疎地域ということになろう(廃炉の時期のめども立たない状況、はたしてどうなるかわからないが)。

 この浜通りは例外的なことかもしれない。しかし、東北の他の農山村もいつか浜通りの山村と同じ極度の過疎地になっていくのではなかろうか、時間の問題なのではなかろうかと不安になる。過疎化・高齢化が急速に進行しているからだ。政府もそのことを問題にせざるを得なくなっている。そして『地方創生』により人口減に歯止めをかけるなどと言っている。しかしそれはスローガンだけ、中身は何にもない。それどころか多国籍企業の利益本位のTPP(註2)秘密協定による農林水産物の輸入拡大、巨大企業の農地から生産、消費の末端までの支配拡大等々で農山村の疲弊をさらに進めようとしている。これではどうしようもない。

 原発事故は改めて教えてくれた、自然エルネギー、再生可能エネルギーへの転換の必要性を。
 そして山野は、食の宝庫、住の宝庫であるばかりでなく、エネルギーの宝庫でもあることも改めて教えてくれた。山野の環境浄化機能はよく言われていたが、薪炭、小水力等々の自然エネルギー供給機能に依拠して人間は生存してきたことがこれまで忘れられていた。その機能を現代の科学技術力をもってさらに大きく発揮させていくこと、まさに生命の宝庫である山野を見直すことが今こそ必要となっているのではなかろうか。

 私の家の物置には七輪と炭がいつもおいてある。それくらいは残しておきたいから、何かのときに必要となるかもしれないと思っているからである。
 実際に、大震災のときに役に立った。やがて電気、ガス、石油すべて使えるようになったが、その5月の連休に孫たちが震災の後片づけの手伝いに東京から仙台に来た時、七輪に炭を熾させ、さんまを焼かせた。火力が強くてこげたり、皮がむけたりであまりきれいに焼けなかったが、孫たちはうまいうまいと食べ、今度来たらまた七輪で焼いて食べようと言う。
 そのときふと考えた、日本中の子どもたちに、どんぐりを拾って遊ばせてやりたい、そのどんぐりを植え、雑木林で遊ばせ、その木を伐り、さらに炭をつくり、その炭を熾してさんまや肉を焼く、こんな体験を子供たちにさせてやりたいものだと。私たちの子どものころとは違って今は車社会、山のない大都市の子どもも簡単に山に行ける、そんなことは十分にできるはずだ。
 同時に、子どもたちに山菜採りをさせてやりたい。山菜採りなどしたこともない、野生の山菜を食べたこともない、食べ方を知らない、つまり日本の食の文化を忘れさせられている都市住民、とくに若者が増えているからなおのことだ。山菜を見つけて、採って、食べる、それを一度も体験したことがない、したいとも思わない、これは異常なのではなかろうか。
 野ウサギ捕り(私は体験できなかったが)、イナゴ捕りなどもさせてやりたい、釣りなど魚獲りももちろんいい。パソコンゲームでの殺戮を楽しんでいるよりはずっといい。
 採集・狩猟・漁労、先祖が何万年とやってきたこと、これを忘れさせたくない。

 いや、今の子どももバーベキューなどで炭を使ったりしているのでそんなことまでしなくともよいといわれるかもしれない。しかしそのときの炭の出自が問題だ。8割近くが中国や東南アジア産(ホームセンターなどで販売されている格安バーベキュー炭の大半はマングローブ炭とのこと)、こんなに山林の豊富な国が炭を買ってアジアの国の環境を破壊している。しかも肉は外国産の羊の肉とくる。こんなことでいいのかを消費者も考え、国産の炭、国産肉の消費拡大を考えていく必要があろう。

 かつて東北は岩手、福島を先頭に木炭の主産地として名声を馳せてきた。とくに岩手県は現在まで一貫して木炭生産量全国一を誇っている(といっても今は最盛期の3~4%に減ってしまったが)。山菜の生産量は、前にも述べたように、今でも全国に誇れる地位を占めている。森林蓄積量も多い(にもかかわらず、外材輸入でこの森林資源を循環利用していないことが問題なのだが)。
 この東北が先頭に立ち、林野の復権、活用、山村・農林業の振興を、そして山菜の採集・食の文化の存続・発展を図っていく必要があろう。そのためにもその課題に真剣に取り組む政治を確立していく必要があるのではなかろうか。

              ☆蛇足・近所にクマ出没!

 私の今住んでいる家は、小さな雑木山がいくつかまわりに残されているちょっと高台の静かな住宅地のなかにあり、すぐ近くをJR仙山線が通っている。そこからまた一山越すと、30年くらい前に林野や田畑を潰して造成された巨大な住宅団地、商業地域が広がる。そんなことで私の家は今や町の真ん中になってしまっている。
 その私の家から直線距離で南に300㍍、仙山線国見駅から市中心部の東南に向かって400㍍くらいのところにある住宅地にクマが突然現れ、お年を召したご婦人が自宅の前でけがをさせられたとのニュースが私たちを驚かせた。11月初旬のことである。市郊外の山間部にクマが出没した、人が襲われた、いつもの年よりも多い等々のニュースは何度も聞いてはいたが、まさかこんな市街地まで、しかもご近所まで、とただただ驚くだけだった。
 もしかして、キノコ好きのクマが私の書いてきた山菜のことで何か言いたくなって私を訪ねてきたが、所番地を間違えて迷子になり、別の住宅地に行ってしまったのかもしれない、などと冗談を言っている場合ではない。
 一昨年、かつて農大勤務時代に私の住んでいた網走の街の中にヒグマが現れたとのニュースが流れ、網走在住のWMさんを冷やかしたことがあったが(註3)、今度は私が冷やかされる番となってしまった。何にもせずに去った網走のヒグマ、人間に危害も加えた仙台のツキノワグマ、どっちが住みやすい地域なのでしょうなどとWMさんに言われたら、どう反論しようか。いや、このことはいかに自然豊かな地域にWMさんと私が住んでいるかという証拠、ということで他地域のみんなに威張りましょうなどとお互いに負け惜しみを言っているわけにもいかない。
 人の命にもかかわる問題である。
 ブナの木の実の不作が原因でのクマの出没とのことだが、それより何より都市部での林野の宅地化の急進展によるクマの従来の生息域の収奪と縮小、その裏返しである山間農山村の過疎化の急進展によるクマの生息域、行動範囲の拡大、この両者の相乗効果によるものと言えよう。こうしたことを契機に、山菜採りに行こうとする人口がまた減ってしまうのではないか、山間部の人口がまた減ってしまうのかと考えると、悲しくなる。何とかしたいものだ。

(註)
1.12年3月5日掲載・本稿第三部「☆県民性はある?」(3段落)参照
2.11年12月9日掲載・本稿第三部「☆農業継承に関する意識変革の必要性」(1段落)参照
3.15年6月1日掲載・本稿第七部「☆最近の野生動物と人間」(1段落)参照

(追記)
 この記事を掲載した翌日、網走のWMさんから早速冷やかしのメールがあった。仙台の熊は「人柄ならぬ熊柄」が悪く、凶暴なのでしょうかと。残念ながら反論できる根拠はない。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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