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山菜に関連しての私的近況



               山菜・思いつくまま(27)

              ☆山菜に関連しての私的近況

 前回の記事の末尾で私のご近所の最近の話を書いたが、ついでといっては何だけれども、山菜にかかわる私的な近況についてここで書かせていただいて、山菜に関する本章の終わりとさせていただきたい。

 ちょうど十年前に農大を定年になり仙台に戻ってきた。それで前に書いた網走でのような山菜採り(註1)はできなくなってしまった。何とも寂しく、春も半ばになると山菜採りに行きたくなって身体がうずうずしてくる。勤めがないから時間はたっぷりあるし、前と違って車があるので、 採りに行こうと思えば行ける。問題は山菜の採れる場所がわからないこと、身体能力が落ちてきていることだ。それでかつて行ったことのあるネマガリダケ採り(註2)にだけ行くことにした。時期は五月の連休のころ、ちょうどそのころはそこにツクシも生えている。そんなことで東京から遊びに来ている小学生の孫も連れて毎年行くようになった。そのうち、場所は別だが、ワラビの生えるところも発見した。もちろん網走ほどには採れないが、お浸しや味噌汁にして食べるくらいの量は採れる。やはり採りたてはうまい。
 こんなことで欲求不満は若干解消されたが、やはりワラビはたっぷり食べたい。といっても行きつけの生協ストアでは採りたてのワラビは売っていない。わらびの旬の時期になってもである。きっとあく抜きが大変なので、というより知らない(重曹を使えば簡単なのだが)ので、また保存のための塩漬けの仕方がわからないので、客が買わないからなのだろう。
 処理し終わって食べられるだけになったワラビの真空パック入りを売ってはいるが、よくよく裏を見ると中国産である。国産もないわけではないが、旬のものという感じはしないので買う気はしない。そこで、かつていろいろお世話になった農家の方たちがいとなむ宮城県小野田町(現・加美町)の直売所「やくらい土産センター」に一時間以上かけていき、新鮮なワラビをごっそり買い込み、いろいろな料理をして楽しみ、さらに塩蔵して楽しむことにしている。網走で初めて買った自家用車を持ち帰ってきたので、家内の運転で行くことができるようになったからだ。もちろんそのときにはワラビだけでなく山ウドやネマガリダケ等の山菜やさまざまな野菜も買い込んでくる。
 ただし、キノコ狩りに行かない。いや、行けないといった方が正しいのだろう。食べられるかどうかの判断ができないし、採れる場所もよくわからないからだ。その点は以前と変わりない。それでも秋に用事で郊外に出たときに直売所や道の駅があればそこに立ち寄り、雑キノコを買ってきてお汁の実や大根おろしな入れて食べたりもしている。
 しかし、寄る年波、家内が長距離運転はもう限界と言うので、とうとう今年は土産センターには行かなかったし、郊外の直売所にもいかなかった。ワラビ採りも体力からして無理になりつつある。ネマガリダケ、ツクシ採りは大震災以降していない。
 「定年後 金と力は なかりけり」、もちろん仕事をしていないので時間はある、しかしその時間ももうすぐなくなる、寂しい限りである。

 ここまで書いてふと気が付いたことがある。さきほど、知らず知らずのうちに「キノコ狩り」という言葉を使ったが、「山菜狩り」という言葉は一般に使われていないということである。「マツタケ狩り」という言葉はあっても「ワラビ狩り」という言葉は一般的には使わない。なぜキノコ類は「狩り」でキノコ以外の山菜は「採り」なのだろうか。
 狩りは一般に鳥や獣を捕まえることを意味するのだが、それをなぜキノコ類に使うのだろうか。キノコ類と鳥獣類に類似したところ、共通するところがあるからなのだろうか。しかしその類似点、共通点はわからない。
 そういえば昔から使われている言葉として「紅葉狩り」という言葉もある。この紅葉とキノコ、鳥獣に共通しているところは、山野にあり、探して取る・捕る・採るのが大変だということくらいしかないが、それはキノコ以外の山菜を採る場合も共通している。そうなれば、ワラビ狩りなどという言葉を使ってもいいはずなのだが、なぜその言葉を使わないのだろうか。
 さらにもう一つわからないことがある。「イチゴ狩り」とか「サクランボ狩り」とか言われてもいることだ。ただし、果実の所有者が収穫する場合は「狩り」という言葉が使われない。果実の非所有者つまり他人がその所有者の許可を得て収穫し、自らの所有物とする場合にのみこの言葉は使われる。とくに野性味があるわけでもないのに、なぜこういう言葉が使われるのだろうか。
 そんなことで悩んでいる今日このごろだが、さて、話を戻そう。

 山菜採りをしなくなり、農山村の直売所で山菜を買うことができなくなっても、幸いなことに行きつけの生協ストアで買って食べることができる。
 三月から四月にかけてタラの芽、フキノトウ、ウド、フキ、コゴミ、ウルイなどが棚にたくさん並んでいる。ただしそのほとんどが栽培ものだが。それでも、国産なので安心して食べられ、季節を感じられる。
 国産のワラビ、ゼンマイの水煮は年中生協の棚に並んでいる。でも、ワラビのそれはあまり買う気がしない。ゼンマイは正月の雑煮に不可欠なので必ず買う(直売所などで買ってきた乾しゼンマイが残っていれば別だが)。今年ももうすぐ暮れるのでそれを買う日も近い、などと思って先日生協の山菜の水煮の棚を見ていたら、ついつい食べたくなり、買って白和えをして食べた。うまかった。後は正月を楽しみに待とう。
 シイタケ、マイタケ、エノキダケ、ブナシメジ等のキノコ、家内は身体にいいからとよく買って食べる。生のシイタケを焼いて食べる、マイタケをふんだんに料理に使う等々のぜいたくを年中味わっているわけだが、もちろんこれは栽培もの、しかも工場生産、季節感がなくなったこと等が気になる。生協では雑キノコなどの天然物は売っていないし、直売所に行けなくなったのでめったに食べられない、それが残念である。

 ヒョウ=和名スベリヒユ(註3)、山形内陸では乾燥したものを直売所等で売っているが、仙台ではもちろん売っていない。仙台では自生しているのを見たこともない。だからめったに食べられなくなり、食べたことのない後輩研究者諸君にもご馳走できないでいる。そこで前にも書いたように山形庄内在住のST君に内陸の農協直売所等から買って来たら家内が料理してご馳走してやると言っていたら(註4)、その話を聞いた教え子が自家製の乾燥ヒョウを持ってきてくれた(ちょうど夏だったので採ったばかりのヒョウも持ってきてくれた、早速茹でてお浸しにして食べた、おいしかったとのことだった)とのことなので、秋田在住のNK君も呼んで今月半ばにわが家で「山形『貧乏食』の勉強会」を開いて食べることにしている。その感想が楽しみだが、それはまた「追記」として書かせてもらいたいと思っている。

 山菜のことを書きながら、山を持ちたいとかつて夢想したことがあったのを思い出した。五十㌃でも一㌶でもいい、山は平地で育った私にとってはあこがれだった。山菜が採れる、木の実も採れる、それがみんなただで自分のものとなる。耕したり、種播きをしたりする必要もない。自然の恵みを金を払うこともなくつくるための手間暇をかけずにそっくりいただくだけ、こんないいことはない。
 もしも何かあって燃料がなくなったら自分の山から落ち葉や枯葉を拾って燃料にすることができる。できればそこに地下水でも湧き出ていれば、きれいな川が流れていれば、南斜面で麓にちょっとした平地があればもっといい。そうすると何かあったら(たとえば地震で水道が止まった、燃料が途絶したら)テントと寝袋でも持って行ってそこに泊まれる。鍋釜と米を持っていけば炊事もでき、何日間かは過ごせる。車か入れるような道路があればもっといい、何かあれば通うこともできる。できたら見晴らしがいいところがいい。
 いい木があれば、家の建て替えのときなどに切って使える。庭木や鉢植えなどに使える姿かたちのいい草木もあろう。
もちろんそんなことは幻想でしかない。風雨に遭ったらどうするか、厳しい寒さの時季はどうなのか、病気やケガをしたらどうなるか、繁殖力の強い草木の管理労働も必要であり、金もかかる等々、大変である。
 それはわかっている、幻想でしかないことはわかっている。それでもそんなことを考えてしまう。山野で狩猟・採集をしていた大昔の先祖から伝わる血が騒ぐのかもしれない。戦中戦後の食糧難、燃料難などを経験しているからなおのことなのだろう。

 話は昨年の秋のことになるが、畜産研究者のKT君(家畜にかかわることで何度か本稿に登場してもらっている)と会ったとき、どんぐりの実のついている小枝を持ってきてくれた。彼の住む住宅街のメイン道路の街路樹がカシの木で、毎年どんぐりが生るのだそうである。カシの並木道、私は聞いたことがなかったが、どんぐりの拾える並木道があるのはきわめてけっこうなことである。ただ気になったのは、今の子どもたちはこの並木のどんぐりを拾ったり、それで遊んだりしているだろうかということだ。塾通い等々でとんぐり拾いどころではないだろうし、ゲーム等もっとおもしろい遊びがあるからだ。それでもこの街路樹周辺の子どもたちはどんぐりを見て知ってはいるだろう、それだけでもいい。町場ではどんぐりを直接見たことも触ったこともない、「どんぐりころころ どんぶりこ」の歌すら知らない子どもたちが増えているからだ。
 しかし、どんぐりを知らないようでは困る。いうまでもなく、「どんぐりの木」つまりコナラ、ミズナラ、クヌギ、アラカシ、シラカシ、カシワ等の木は里山=雑木林を構成する主要な樹種である。そしてこの里山は木の実ばかりでなく山菜、キノコ、野生動物などの食料を人間に供給するという役割も果たしてきた。同時に、というよりそれ以上に重要な役割、さまざまな生産・生活用具の供給源としての役割を果たしてきた。とくにこの里山の供給する薪と炭は熱エネルギーの供給源として日本人の暮らしを支えてきた。さらに地域のまた地球の環境を維持するという面でも大きな役割をはたしてきた。
 私の子ども時代はまさにどんぐりの木をはじめとする里山の木々とともにあった。
 これらのことについては前に何度も触れてきた(註5)が、今その里山は薪炭生産のための人手が入らなくなるなどして荒廃しつつある。どんぐりの木は減り、暗い林となってかつての豊かな生態系が失われ、環境破壊や野生動物との人間との摩擦等々の問題も引き起こされている。さらに薪炭等の再生可能エネルギーに代わる化石エネルギー、原子力が地球温暖化をはじめさまざまな問題を引き起こしている。
 多くの人々がそうした問題を提起しているので改めていうまでもないことなのだろうが、どんぐりの木をはじめとする日本の山林を見直していくこと、その林野と密接不可分の関係にある農林業と地域産業の発展を図っていくことが緊急の課題となっているといえよう。
 しかしその実現はきわめて難しい。

 先月の初め、博多駅前の道路が陥没して私たちを驚かせた。その後の復旧工事のスピードはすごかった。工事のための車を何十台も投入する等々24時間態勢で工事を進めた結果、わずか一週間で復旧してしまった。改めて日本の技術力と行動力、資金力に感心させられた。
 同時に悲しくなった。この力でなぜJR山田線の復旧に取り組んでくれないのかと。山田線は北上山地の中央部を横断する盛岡―釜石間の路線だが、昨年末に発生した一部区間での土砂流入による不通がいまだに解決されていないのである。いろいろ難しいことはあるのだろうが、わが国の技術力と資金力からすれば、博多の例に学べば、早急な復旧は十分に可能なはずである。ところがやろうとしない。一年も放置しておいたら大都市部ならば大騒ぎだろうが、山田線はそもそも赤字路線、山間部で人口も少ないから大騒ぎする人も少ないし、世間もあまり注目していない。こんなところに金を出して修理するのは惜しい、できればこれを機会に廃線に持ち込みたい、こう考えているのではないかとさえ思ってしまう。
 福島県の会津若松から新潟県の小出を結ぶJR只見線の場合などは、五年前の集中豪雨で受けた被害による不通の解決にいまだに取り組んでいない。景観の美しさから全国にその名を知られるローカル鉄道であるにもかかわらずだ(もちろん山田線の景観もすばらしい、この山田線についてはまた別途詳しく述べたいと思っている)。利用者数が少ないからだそうだ。
 こうして山間部は、費用対効果が低いということを理由にして切り捨てられ、ますます不便にさせられていくことになる。やがて町村道、農道、林道の整備もなされなくなっていくだろう。
 先々月の初旬、農大のときの教え子の結婚式で家内と大阪に行ってきた。仙台-伊丹間の飛行機の窓から外を見ると高低さまざまの山々が起伏しながら連なる山並みが延々と続く。その合間を大小無数の川が流れ、その両脇の狭い平場に小さな集落が並んでいる。これを見て日本は山国なのだということをいつも思うのだが、この山村地域をさらに不便にして住めなくする、何という国だろう。
 しかも山間部の主産業である農林業は貿易自由化の推進をはじめとする農林業切り捨て政策のもとで衰退の一途をたどらされている。TPPが締結されたりしたら山村は壊滅だろう。山菜、木の実を採る人もやがていなくなる。先祖が苦労してつくりまた維持してきた棚田や段々畑もなくなる。かわりに外国産の食料を日本人が食べる。
 こんな時代を見る前に、もう一つ、憲法が改悪された時代を見る前に、この世からおさらばしたいものだ。そんなことを思わざるを得なくさせられている今日この頃である。

(註)
1.16年8月22日掲載・本稿第八部「☆網走の山菜、知床のワラビ」(1段落)参照
2.16年5月23日掲載・本稿第八部「☆別格のネマガリダケ」(2段落)参照
3.16年6月13日掲載・本稿第八部「☆山形内陸のヒョウ、スズギ」(1、,2、4段落)参照
4.   同   上    「      同     上     」(3段落)参照
5.11年5月27 日掲載・本稿第二部「☆農村と山村の結合の解体」(1段落)、
  11年11月11日掲載・本稿第三部「☆地域住民の暮らしと自然保護運動」(2段落)、
  12年11月8日掲載・本稿第五部「☆山村における林地の利用方式」(2~4段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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