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野菜名の漢字表記




              外来野菜と私、そして日本人(3)

                ☆野菜名の漢字表記

  トマトなど野菜のことをいろいろと考えているうち、ふと思い出したことがある、トマトとカタカナで書くようになったのは戦後かなり経ってからではなかったろうかと。それ以前は漢字で書かれていたはずであり、たとえば農林省の統計書も漢字で表記してあった。
 それではどんな漢字だったのか。たしか「蕃茄」と書いてトマトと読ませたのではなかったか、それとも「赤茄子」だったか(かつてトマトは赤ナスとも呼ばれていたので、こう書いてトマトと読ませたのだったろうか)。
 自信がないので調べてみようと思ったが、手元に戦前の統計書はない。そこでパソコンで検索したら、国立国会図書館デジタルコレクションのなかに昭和4年度の「福島県主要物産統計」があった。早速それを開いて見た。
 そしたらやはり「蕃茄」だった、これをトマトと読んだのである。私が学生のころも野菜や果物の正式な名称としてこうした漢字を使っている本があった。そしてそれらを読みこなしていたのだが、戦後世代ははたして読めるだろうか。
 もちろん、今の若い方も西瓜、南瓜、胡瓜、玉蜀黍などは読めるだろう。苹果という漢字=かつての公用名称を使っていた果物を知っている方もいるかもしれない。
 しかし、たとえば次の漢字、かつての統計書で使っていたのだが、それがどんな作物のことを言っていたかわかるだろうか。
 「蘿蔔、蕪菁、胡蘿蔔、蠶豆、葱頭、甘藍」
 甘藍については前回の記事で述べたのでおわかりかと思うが、ちょっと考えてもらいたい。すべて野菜であり、今もみんなよく食べるものである。この答えは後で述べるが、私は一応わかる。書けはしないけれど読める。
 と言っても、もう忘れて読めなくなっている作物の漢字もあるのではなかろうか。そう思ってさきほどの福島県の統計書に出てくる作物名を読んでみた。何とか読めた。しかし、どうしても読めないものが一つあった。
 「菁芋」である。蔬菜の分類のところに書いてあったから、野菜であることは間違いないが、何の野菜なのかわからない。いくら考えても思い出せない。「芋」と書いてあるから根菜類だと思えるが。
 そこで一つ考えられるのがサトイモである。福島でも重要な作物であるのに福島県統計書に記載されていないのはおかしいし、サトイモ以上の重要な作物で統計から抜け落ちているものはないということもある。
 しかし、確証はない。そこで漢和辞典を引っ張り出してひいてみた。そしたら草冠に青の「菁」という字は出てくる(セイと読み、カブのことを言うとのこと)が、「菁芋」は出てこない。それではカブかと考えられるが、カブは別に漢字がある。
 そこで、中国農業研究の第一人者であるIA君(岩手県遠野の話に関連して何度か本稿に登場してもらっている)と今網走の農大で教鞭をとっている中国人のFL君なら漢字に強いのでわかるかもしれないと思い、メールして聞いてみることにした。
 すぐに返事が来た。まずIA君だが、わからない、そういう単語は正式な用語としては見つからないとのことだった。ただ「青芋」という単語はあり、それはサトイモのことのようだと、その写真を添付してくれた。
 FL君も「菁芋」は初めて見る言葉だという。それでネットで検索してみたら「Giant elephant's ear」=「クワズイモ」(有毒なので野菜ではない)とあったとのことだったが、その写真を見たらサトイモとそっくりである。
 このFL君の返答を見たIA君は、「elephant's ear」はタロイモのことをいう、サトイモは言うまでもなくタロイモの仲間、そうすると「菁芋」はサトイモの可能性があるのではないかとのことだった。
 さらにFL君から植物事典も調べて見たとのメールがあった。そこには「菁芋」はなく、「青芋」があった、それはエグイモと読み、サトイモの別称であると同時にヤマノイモの別称でもあると書いてあったという。
 しかしもうこれ以上はわからないようだし、やむを得ない、これは昭和初期の農水省や他の県の作物統計などを改めて見てみるより他ない。しかしさきほども言ったが手元にはない。そこで後輩研究者のNK君にお願いして大学の図書室の統計書を見てもらえないかと頼んだ。彼は早速調べてくれ、大学にはないのでと、パソコンで国立国会図書館のデジタルサービス統計書を検索してみたと、次のような返事をくれた。
 「昭和3年の兵庫県統計書に『菁芋』がありましたが、①統計の蔬菜部門の作目の序列、②単収の水準、③同じ時代の農水省の累年統計には記載されている『里芋』が兵庫県の統計には表章されていないことからすると、やはり『サトイモ』のことじゃないかと推測されます」
 この推測は正解であろうと私は考える。サトイモ以上に重要な作物として「菁芋」なる作物が別にあるとは考えられないことからして、またIA君・FL君の見つけてくれた写真がサトイモとそっくりであること、さきほどの福島のサトイモの項目の欠如等々を考えあわせると、これしか考えられないからである。
 そんな状況証拠を踏まえて、サトイモ=「菁芋」と結論づけることにした。IA君は次のようにいうが、あるいはそうなのかもしれない。
 「本来『青芋」とすべきところを,何らかの伝承上の誤解もしくは単純に誤字で『菁芋』としてしまったのではないかと思われます」

  ところで、さきほど出した問題、かつての統計書に出ていた作物はそもそも何という作物なのかであるが、中国語に堪能なIA君、FL君はさすがにすぐわかった。実は次の野菜のことなのである。
   蘿蔔=ダイコン
   蕪菁=カブ
   胡蘿蔔=ニンジン
   蠶豆=ソラマメ
   葱頭=タマネギ

 その返事を見て、IA君の一回り年下(70年前後生まれ)の農経研究者NK君、WMさん(二人とも何度も本稿に登場してもらっている)を試してみようとメールしてみた、これらの漢字(これに「甘藍」も加えた)は野菜の名前だが、何だかわかるかと。
 すぐにWMさんから次のような返事が来た、わかったのは「カンラン」=キャベツだけだとのことである。その後いろいろ考えたが、こうしかならなかったという。
   蘿蔔→分からず
   胡蘿蔔→分からず(字から思いつくのはキュウリ)
   蕪菁→かぶ
   蠶豆→空豆
   葱頭→玉ねぎ(絵として想像出来たのは葱坊主でしたが)笑
 これでは農学者としては恥ずかしい(でも甘藍一つわかっただけでもたいしたものだが)とすぐに調べ、翌日すべて正答してきた。
 続いてNK君からの返事である。当初、この漢字を見て直感的に頭に浮かんだのは次の読み方だった。
   蘿蔔→らどう
   胡蘿蔔→コリアンダー
   蕪菁→ぶせい
   蠶豆→ふうきまめ
   葱頭→ねぎぼうず
   甘藍→かんしょ」
 甘藍は「甘藷」と見間違えたようだし、「ふうきまめ」はいつも山形銘菓「富貴豆」(註1)を威張る私に対するあてつけで書いたものと思われるが、WMさんと共通したのは「葱頭→ねぎぼうず」、なるほどである。他のものもよく考えたとは感心はするが…………。もちろん調べてわかったとすぐに正解してよこした。

 中国農業研究者のIA君はこうしたメールのやりとりの後にこう言っていた。
 「かつて日本でも作物名にこうした中国語を用いていたというのは驚きでした。ある種の文語と口語の不一致があったということでしょうか」
 そうなのである、蘿蔔、蕪菁などの古い漢字を明治以前も以後も、戦後の国語改革まで公用語・正式の言葉として用いてきたのである。
 なぜなのだろうか。そもそもこうした野菜は原産地から中国を経由して日本に渡来したものである。だから当初は中国からの直輸入の難しい漢字を使う、これはよくわかる。しかし、何年もたつうちにダイコン、ニンジン等一般に通用している言葉と漢字(大根、人参)ができているのに、なぜ明治以降も昔の難しい漢字を公用語として使うことにしたのだろうか。
 専門家ではないのでわからないが、これはまず日本人のもつ外国崇拝性向から来ているのではなかろうか。

 日本人はユーラシア大陸の端の島国に住み、外国とめったに接触、交流することができない。こうしたことから外国へのあこがれがある。さらに、他民族との多くの交流から融合して生まれる外国のさまざまな文化に対する尊崇の念を持っている。とくに最も近くて大きな国でさまざまな文化を日本にもたらした中国に対する畏敬の念がそもそも日本人にはあった。
 そうしたことから、中国から渡ってきた漢字とそれを簡略化しただけのカタカナは優れたものとして公用語・男子用語として用いられ、漢字を崩したひらがなは一段低い女文字とされてきたのであろう。
 とくに明治以降はそれを明確化し、天皇の発する勅語をはじめとする公文書はすべてカタカナと漢字で書かれることになった。だから私たちが小学1年で最初に教わったのはカタカナだった(註2)のだが、まさにこれは大昔からのわが国の外国崇拝性向からきているものといえよう。
 もちろん、明治には中国崇拝・唐物崇拝から欧米崇拝・洋物崇拝へと移行するが、何しろ明治維新は天皇制の復活強化を始めとする「王政復古」でもあった。そうなると、天皇中心の時代の飛鳥・奈良・平安時代までさかのぼっての漢字中心の政治・文化にしないわけにいかない。こうしたいわゆる復古主義のなかでかつての支配階級の漢字崇拝の部分がそのまま残されることになる。
 そして、公的な文書は文語体=漢字+カタカナ+文語となる。もう一方で、普通の会話や文書は口語体=漢字+ひらがな+標準語(口語)である。こうした二重言語の併存に対して言文一致運動が起きたが、結局は文語文と口語文という二つの文章語が戦後まで並存することになった。ということで、戦前の農林省の公文書には当然のことながらダイコン=大根、ニンジン=人参等の通称語・漢字は使わず、蘿蔔、胡蘿蔔という古くいかめしい言葉を使うことになる。
 こういうことなのではなかったろうか。

 それにしても昔の漢字は難しかった。新聞、雑誌等の漢字にはルビ=振り仮名がつくから読むのに差支えないのだが、書くのはもちろん、覚えるのもきわめて大変だった。そんなことで以前からその簡略化が論議されてきたらしいが、戦後それが一気に実現した。1946(昭和21)年、当用漢字と現代仮名づかいが公布されることになったのである。それでもしばらくは新旧双方の漢字が入り乱れ、私たちはその混乱のなかで小中高時代を過ごした。だから新旧漢字ともに体験している上に、大学では漢字制限以前の書籍や戦前の作物統計書も読む必要があったので、旧漢字を私たちは大体読めたのである。
 まあいずれにせよ私たち世代は大改革期+大混乱期を体験してきた。そして空襲、防空訓練、疎開、教科書墨塗り、それどころか教科書なし、学校なし等々(註3)、ろくな勉強はできなかった。その上に、せっかく覚えた旧漢字・旧仮名遣いは忘れろ、新しい当用漢字・現代仮名遣いを覚えろと言われて苦労する(註4)。まあともかく大変な時代を生きてきたものだ。
 けれども、戦前・戦後の二つの教育・文化を体験したことだけは若干いばることができる。
 「こんな難しい漢字を当たり前にお使いになっていた先輩方を尊敬せざるを得ません」
 NK君がメールで私に伝えたこの誉め言葉は素直に受け取りたいと思う。これくらい誉めてもらわないと我々世代の立つ瀬がない。
 とは言ってもそれはもう昔々のこと、私も旧漢字などはもうほとんど忘れかけている。その例がさきほどの「菁芋」だった。もう読めなくなっており、完全な異国文字となってしまった。
 戦前の昭和は本当に遠くなってしまった。
(次回の掲載は1月9日とさせていただく)

(註)
1.11年2月2日掲載・本稿第一部「☆一銭店屋」(3段落)、
  11年9月28日掲載・本稿第三部「☆食の格差の変化」(3段落)参照
2.11年2月4日掲載・本稿第一部「☆のらくろ・活動写真・石盤」(2段落)、
  11年2月9日掲載・本稿第一部「☆国民学校、そして疎開」(1段落)参照
3.11年2月9日掲載・ 同 上「 同  上」、
  11年2月10日掲載・ 同 上「☆空襲に遭った日」(2段落)、
  11年2月11日掲載・ 同 上「☆暑く静かだった敗戦の日」(1~2段落)、
  11年2月17日掲載・ 同 上「☆小学校の接収と二部授業」(1段落)、
  11年2月18日掲載・ 同 上「☆ゲブミーチューインガム」(6段落)、
  11年2月21日掲載・ 同 上「☆まずかった学校給食」、
  11年2月23日掲載・ 同 上「☆新制中学への通学と叩き売り」(1段落)参照
4.16年12月26日掲載・本稿第四部「☆調査資料の集計整理と度量衡の変化」(4段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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