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真桑瓜とメロン



            外来野菜と私、そして日本人(5)

              ☆真桑瓜とメロン

 子どもの頃の夏休み、母の実家に行くと西瓜が食べられた。これは楽しみだった。私の生家では、真桑瓜(マクワウリ、以下「瓜」と省略して書く)はつくっていたが、西瓜はつくっていなかったからである (註1)。近所の農家もつくらなかった。自給できるものは何でもつくる農家として、ましてや都市近郊で西瓜の需要もあるところで、なぜつくらないのか、こう思われるかもしれないが、理由は簡単、住宅地がすぐ近いので盗まれてしまうからだった。それで私の生家ばかりでなく近隣の農家みんなつくらなかった。だから西瓜畑は地域で見たことがなかった。
 戦後5年くらい経ったころではなかったろうか、一度だけつくったことがあった。しかし収穫皆無だった。ある程度の大きさになり、もう少しで収穫かなと思う西瓜が翌朝畑に行くとなくなっているのである。まだ熟していないだろうと思うものまでも一定の大きさになるとなくなっている。食糧難も落ち着き始めたころだったのにである。結局全部盗まれて一個も食べずじまい、やっぱりかと家族みんなで大笑いしたものだった。
 しかし瓜は盗まれない。だからつくってきたのだが、西瓜と同じ甘味の果実なのにどうしてなのだろうか。子ども心に考えたのは実の大きさの差異によるものではないかということだった。
 瓜の実は西瓜とくらべて小さいので地べたを這う葉っぱのかげに隠れていて探すのが大変である。それを盗もうと昼日中に探していたら、畑で働いている人がたくさんいるので(当時は手作業、しかも手間のかかる野菜作中心だから畑にはたくさんの人がいた)、見知らぬものが畑の中に入ってうろうろしていたらすぐに泥棒と分かって捕まってしまうので夜しか盗りにいけない。ところが夜の暗さの中で小さい瓜をしかも熟したかどうかを見分けながら探すのはきわめて大変、それで盗まれない。
 これに対して西瓜の実は大きい。日中はあぜ道からでも見える。そのなかの熟したような実に目をつけておいて人のいない夜中に盗みに行く。西瓜は大きいから夜でも何とか探せる(熟しているかどうかの判断の間違いは避けられないだろうが)し、当時は街灯もろくにないので夜の人通りも少なく、自動車もなかったので、こっそり背負って持ち帰っても見つかる危険性は少ない。かくしてわが家で収穫適期だろうと思って採りに行くともう盗まれていてないということになる。
 これは住宅地のすぐ近くにある畑の運命、ましてや当時は甘いもの不足、盗られるのもしかたがない、つくっても丸損、それで翌年からまたつくらないことにしてしまった。こうしてつくるものがいなくなる、そこにわずかの面積つくられる、盗みはそこに集中する、それでまたやめる、こうした悪循環から近隣ではだれもつくらなかったのだろう。

 それから何年かしてである、『瓜盗人』という狂言があることを知った。これはこんな内容だった。
 畑の瓜が何者かに盗まれているのを見つけた畑の持ち主が予防のために案山子(かかし)を作って畑に立てた。その夜またやってきた瓜盗人はその案山子を人と見間違えて謝るが,よく見ると案山子、腹を立ててそれを壊し、畑を荒らして逃げていく。翌日それをみた持ち主は捕まえて懲らしめようと自分が案山子に化けて待ち伏せる。そこへまたやってきた盗人は,持ち主の化けた案山子とは知らずに悪戯をするが、最後には懲らしめられる。
 この狂言は昔から瓜も盗まれるということを示している。狂言になるくらいだから瓜盗人はけっこう多かったのではないか。西瓜泥棒が狂言にならないことは瓜盗人の方が多かったことを示すのではなかろうか。しかも狂言では夜盗んでいる。
 そうすると私の子どもの頃の体験と違うことになる。その理由として私は次のように考える。
 西瓜が室町時代以降に伝わったのに対して瓜は縄文時代から栽培されており、当然瓜畑の方が一般的だったこと、昔の西瓜は黒色の無地だった(日本で縦縞模様の品種が広まったのは昭和初期の頃とのことである)ので夜盗みに入っても見つけにくかったこと、また持ち運びも瓜より大変だったことなどから、かつては瓜泥棒の方が多く、それで狂言にもなったのではないかと。
 もちろんこれには根拠も何もなく、単なる推測でしかないのだが、いずれにせよ甘いものに餓えていた時代、庶民は腹をすかしていた時代、どちらも盗みの対象になったのだろう。
 だからといって盗まれてはつくった農家の方はたまったものではないのだが、昔の泥棒の方がまだ可愛かった。だから、こうした狂言も生まれたのだろうが、最近の農作物泥棒は笑い話にもならない。車で集団で来てごっそりとサクランボなどを盗んでいくまさにプロの泥棒集団できわめて悪質、頭に来る。車社会になったことの弊害、世に盗人の種は尽きまじなのでしかたがないとはいっても、何とか防いでもらいたいものである。

 メロンという言葉を最初に聞いたのは、また見たのは、いつ頃だったろうか。いずれにせよ最初は本などに載っている絵か写真、さらに映画などで見て知ったのだろうと思う。その実の形は真ん丸、しかも表皮には白い網目があり、果肉は橙色、私たちの慣れ親しんだ瓜とはまったく違う。その名前からして欧米からきたものらしい。
 そんな程度の認識だったのだが、そのうち(高度成長の最盛期のころだと思うのだが)果物専門店やデパートで現物が見られるようになった。かなりの高価であり、一般庶民の口に入るものではなかった。
 やがて、そもそもメロンは大正末期に日本に導入されたものだが日本の気象条件からして温室でしかできないこと、品質を高めるために一本の蔓から通常一個しか収穫しないこと、それで高価にならざるを得ないことなどを知るようになったが、味はどうなのか、食べたことがないから知る由はなかった。甘くていい香りがするのだそうだというどこからともなく聞こえてくる話を聞くだけだった。メロン(マスクメロンとも呼んでいた)は庶民にとっては高嶺の花、あこがれの高級果実だった。

 このメロンと瓜、そして西瓜、この三者が親戚同士であることはその果実、茎葉の形状からしてわかる(メロンの茎葉については写真等でしか見たことがなかったが)。ただし、人間の食べる部位が決定的に違った。果実を食べるということでは共通しているが、そのなかの食べる場所が違う。
 この三つの果実はその外側を覆っている固い外果皮、それに包まれていてそれよりはやや柔らかい中果皮、水分を多く含んだ柔らかい内果皮(その中に種子が包まれている)とからなる(註2)が、メロンと瓜は中果皮の甘く熟した部分を食べ、西瓜は主に内果皮を食べるのである(註3)。ここに大きな差異がある。
 そうすると三者のなかでメロンと瓜は非常に近い親戚、スイカはこの二つとはちょっと遠い親戚だということになる。そんなことをみんな無意識のうちに認識しているのだが、より正確にいうと次のようになる。
 三者はともにウリ科に属する、つまり近い親戚だが、瓜(=真桑瓜)はメロンともにキュウリ属メロン種できわめて近い親類であり、スイカはスイカ属スイカ種なので瓜・メロンとはちょっと離れた親戚であるということになる。
 そして、スイカ属スイカ種の原産地であるインドから西方に伝わったのが一般にメロンと呼ばれ、東方に伝わった品種群は瓜と呼ばれ、日本の真桑瓜などもそのなかの一つの変種なのだそうである。
 とするとメロンと瓜の間の交配は可能である。プリンスメロンはその可能性を現実化させたものだった。

 山形市の宅地開発が進んで生家の畑が少なくなり、瓜をつくるのもやめたころだったから1970年ころだったと思う、プリンスメロンなるものが店頭に出回るようになった。私たちのイメージするメロンとは違って表皮に網目はなく、瓜と同じでつるつるの緑色、果肉も緑色、ただ形の真ん丸なところがメロンと似ているだけだった。しかしその味はこれまでの瓜とはまったく違った。甘かった。その甘さがきつくて喉がいがらっぽく感じるほどだった。これがメロンというものか、しかも価格はわれわれ庶民でも買える程度のもの、ということで絶大な人気を博し、山形庄内の砂丘地帯などではこの栽培を積極的に導入してその産地形成に取り組んだ。
 このプリンスメロンの登場は長い歴史をもつ真桑瓜栽培の減少を引き起こしたが、そのプリンスメロンも80年代半ばころから店頭であまり見られなくなった。
 アンデスメロンが登場してきたからである。このメロンの表皮には白い網目が入っており、あこがれのマスクメロンとそっくりだった。もちろんちょっと小振りであり、果肉は緑色で味はプリンスと似ており、プリンスメロンの表皮に網目が入っていると言っていいものだったが、それでもやはり網目・マスクは魅力だった。アンデス山脈とも関係がありそうで名前もいい、しかも価格も手ごろである。それで人気は上昇した。もちろん、実際はアンデスとはまったく関係ないのだが、なぜそういう名前にしたかが面白かったこと等もあって人気が衰えることがなかった。それに応えて東北の各地でもアンデスの産地形成が進んだ。その恩恵を私も受けて、毎年夏になるとおいしいアンデスメロンをご馳走になっている。とくに私がかつてお世話になった秋田県若美町(現・男鹿市)の農家KSさん、MTさんご夫婦が贈ってくれるメロン、これは最高である。

 こうした大衆的なメロンの普及の一方で、高級な赤肉のマスクメロンの産地も形成されてきた。その代表的なものが夕張メロンで、果汁が多く食べやすい甘さで、香りがよく、大振りで表皮の見栄えもよい。しかしその栽培はきわめて難しく、しかも一本の蔓から一個のみの生産、当然かなりの高価となり、われわれ庶民にはなかなか手が出ない。今年の初競りでは二玉で300万円の史上最高値で落札されたとのニュースが流れたが、一体だれが食べるのだろうか。こんな話を聞くと夕張メロン栽培は食べ物というよりも金持ちの遊び道具づくりという感じ、あまり好きにはなれない。それでも、大市場からの遠隔地で自然条件も厳しい夕張が、そしてそこの農業、農産物が農業が有名になることはいいことであり、よくもここまでがんばったものと評価したい。ましてや夕張は国のエネルギー政策やリゾート開発政策の犠牲者としていろいろと問題を抱えさせられたところである。それがこうしてがんばってかつて石炭で有名だった夕張の名前をメロンで再び有名にし、破産の町夕張の汚名をすすいでいる。私としては褒めてあげたい。
 それはそうなのだが、やはりこの栽培のしかた、高価格は若干異常、一般庶民も楽しめるものにしてもらいたいものである、もちろんそれで生産者の生活が成り立たなくなっては困るが。

 もう一つ、メロン・瓜とのかかわりで気になることは、真桑瓜、瓜という言葉が姿を消したことだ。若い人たちの中には知らない、聞いたこともないなどという人もいるのではなかろうか。これもやむを得ないとは思う。食べ物というものは時代によって変化していくものだからだ。
 しかし、縄文時代から日本人に親しまれてきた瓜がなくなる、その言葉すら使われなくなる、これは寂しい、悲しい。しかし、真桑瓜の血筋はたとえばプリンスメロンに残っている。アンデスメロンも日本で苦労しながらつくられたものである。そうすればその新品種の名前をつけるときに瓜とか真桑とかいう名前も入れて、日本の伝統を残すと言うことを考えてもよかったのではなかろうか。たとえばプリンス瓜、真桑メロン、アンデス瓜などという名前をつけて、せめてそのことで真桑瓜の伝統を引き継いでいくということも考えてよかったのではなかろうか。
 とは言ってもそんな名前をつけては日本人には売れないかもしれない。メロンへのあこがれを持ち、カタカナ語が大好きな日本人に合わせて命名しないわけにはいかなかったのかもしれない。それはそれでわかるのだが、そうなると瓜は漬物用などで細々とその名を残していくしかなくなったということなのだろうか。そして、やがて「瓜二つ」は「メロン二つ」に、「瓜の蔓に茄子(なすび)はならぬ」は「メロンの蔓にトマトはならぬ」に変わってしまうのか、それとも死語になってしまうのだろうか。などと考えると寂しくなる。東方に伝わった瓜(甜瓜=マクワウリ)が西方に伝わった瓜(メロン)に負ける、これも何か口惜しい。それでも「西瓜」という名前は残っている、それだけでもいいとしようか。こんなことを考えるのも戦前生まれの懐古主義から、ほとんどの人はそんなことを気にしていないのだろうが。

(註)
1.11年10月3日掲載・本稿第三部「☆野菜・果実の形、色、味の変化」(4段落)参照
2.こうした果実を「ウリ状果」と呼んでおり、これがウリ科の果実の特徴なのだそうである。
3.ウリ・メロンの内果皮も甘くて果汁たっぷりでうまいのだが、西瓜よりも内果皮は小さくてそこに大量の種子が含まれていることから食べにくく、結局は食べずに捨てられている。甘さに餓えていた子どものころの私は、それがもったいないので、瓜の種子だけを箸か匙でていねいに取って内果皮もできるかぎり食べるようにしたものだった。その癖はいまだに残り、アンデスメロンなどは今もそうして食べている。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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