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「いつまで生きている」?



           続々・わびしい日々是好日(1)

            ☆「いつまで生きている」?

 ちょうど一年前、私は80歳になった。こんなに長生きするとは思わなかった。何しろ私の生まれた1936(昭和11)年の平均寿命は男46.92歳、女49.63歳であり、まさに「人生五十年」の時代だったからである。かつて60歳といえば本当に年寄りに見えたものだったし、80歳などといったら私のまわりにはいなかった(と記憶している)。
 ところがいまは「人生八十年」の時代となった。現在(2015年)の平均寿命は男80.79歳、女87.05歳なのだそうである。私もようやく平均寿命に到達したことになり、後はまさに文字通りの余生となるわけだが、それにしてもよくもまあ生きてきたものである。

 70年代、子どもが幼かった頃の私は何とか定年(東北大は63歳だった)までは生きたいと思ったものだった。当時の男の平均寿命は65歳前後だったし、退職のわずか1週間前に亡くなって退職金も満足に家族に残せなかった同僚を見ていたからである。
 それは何とかクリアした。そして現在の平均寿命まで生きてきた。孫とも出会うことができた。それならもう満足していいはずである。しかしまだ欲がある。曾孫をだっこできるまでは生きていたいと思うようになってきたのである。
 こんな贅沢が言えるようになったのも戦後の民主化のおかげである。戦争を放棄して戦死者をつくらなかった憲法、一定の所得や労働条件を保証した労働・農業政策、国民皆保険をはじめとする社会保障政策の展開、教育水準の向上を背景とする衣食住・医薬等にかかわる科学技術の発展、それをかちとるための人々の闘い、そして勤勉な労働(長時間低賃金等々の問題はあったが)等々がそれを可能にしたのである。
 私たち世代はその一翼を担ってきたと自負したい(私たちの前後の世代はもちろんのことだが)。そしてゆっくりと定年後の生活を、日々是好日を楽しみたい。と思うのだけど、私たちに長生きされるのは困ると思っている人もいるらしい。

 「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『おまえいつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」
 昨年、麻生という大金持ちの「大物」政治家がこんな発言をしたとのことである。
 私も80を過ぎてまだ生きているのだが、どうも私たちの世代は邪魔ものらしい。
 考えてみれば、私たちの世代は生まれて以来ずっと邪魔者扱いされてきた。戦前は人口が多すぎると満州移民として追いやられ、戦中は逆に産めよ増やせよでちやほやされたが、戦争に直接役に立たない子どもだったために町から疎開で追い出され、あるいは少年兵・勤労動員で殺され、戦後は人口が多すぎる、過剰人口=余分な人口だと邪魔者扱いされてきた。
 そういう扱いを受けながらも、大人になった私たち世代は、世界でも有名だった低賃金で長時間働かされつつ、出稼ぎで稼いだ金で子どもを教育して都市部に流出させて過疎化に悩まされつつ、さらに公害で悩まされながら、高度経済成長を、20世紀を支えてきた。
 にもかかわらず、その私たち世代が高齢化すると、働きもしないで、死にもしないで高い年金をもらって若い世代を苦しめると非難され、権力者からは『おまえいつまで生きているつもりだ』と早く死んでしまえと言わんばかりになじられる。たまったものではない。
 それなら働こうじゃないか、と思ってもまともに働かせてもらえる職場はなく、戦争をしたがる政府の言うことを聞いて南スーダンに行って戦える体力もない。私もまったくその通りで、もうお役に立たなくなったのに、まだ死ぬに死ねず、生きている、ごめんなさいと言うしかない。
 でも、と聞きたくなる、80歳近くになっている麻生氏はまだ生きているが、自分が生きているのはいいのかと。後十年もすると90歳近くになるが、そのときに「おまえいつまで生きているつもりだ」と聞かれたらどう答えるのだろうか。
 そのころにはいさぎよく死んでいるからいいのかもしれないが。といっても今は元気そう、病気をしても病院の特別室、特別待遇の医療で生き伸びることだろう。
 そして、もしかしてこう言うかもしれない。おれは財界の、アメリカのお役に立っている、しかも先祖のつくった会社で労働者から搾り取ってつくった財産や政治資金、議員報酬等々がたくさんあるので年金など社会保障のお世話にならなくとも生きていくことができる、若い世代に迷惑をかけたりしないので自分は生きていく権利はある。しかし、もはや権力者や大金持ちのために役に立たない、それどころか社会保障等々で予算を食いつぶして軍事費や公共事業に回す金を減らしているような年寄りは早く死んでもらいたい、もしもまだ生きたければ年金の削減や介護・健康保険料値上げに応じろ。こういうことなのかもしれない。
 日々是好日の老後を送るなどということはますます難しくなりそうだ。

 何年か前ならこのような発言をしたら国会内外で「失言」として問題になり、辞任せざるを得なかったはずである。ところが今はやめない。首相はやめさせようともしない。麻生失言ばかりでない、「強行採決をする」などと公然と言う等々、他にも許せないような失言があっても「失言などしないよう『緊張感』をもつように」という注意が首相からある(註1)だけ、だから言いたい放題、やりたい放題である。
 それは去年の参院選で改憲勢力が三分の二を占めて以降ますますひどくなっている。そして徹底した審議もせずTPPなどを平然と強行採決する、そうしながら「結党以来強行採決など考えたことがない」などと首相は言う、あれだけ何度もしていながらである。この無神経さがわからない。鉄面皮というのはこういうことを言うのだろうか。ちょっとでも心が痛まないのだろうか。
 こうした民主主義の何たるかをわきまえないような議員の多数の当選は小選挙区制によるところ大なのだが、やはり選んだのは国民である。もう少し考える必要があるのではなかろうか。

 この参院選の直前の世論調査を見て驚いたことがある。改憲に賛成しているのは青壮年世代に多く、反対しているのは高齢者世代に多かったということだ。また、若年層がいわゆる保守政党に投票している。
 かつてはその逆だった。私たちの若いころは、戦前の教育を受けた高齢者が、戦争の被害をもっとも厳しく受けたにもかかわらず、改憲に賛成し、戦争を直接間接に体験して戦後の民主教育を受けた若年層に反対が多く、いわゆる改憲反対の革新政党に投票したのである。ところがかつてのその若年層はいまや高齢者となった。そしてその後の世代、成人した今の若い人たち、戦争とその後の激動期をまったく知らない人たちが多数派となった。そしてその世代がお国のために戦争ができる国にしましょうという改憲に賛成する。変わったものだ。
 なぜこんな風になってしまったのか、それはここでは問わない。その結果を見て感じたことの一つだけをいえば、戦後はもう完全に終わってしまったということだ。戦争は多くの国民にとって完全に歴史上の事件となり(沖縄では、千島住民にとってはいまだに戦後は終わっていないのだが)、もう自分のまた現在の問題ではなくなってしまったのである。そして日本の戦後を支えてきた国民主権、平和主義、基本的人権の尊重は脳裏から消えさせられようとしている。こんな世の中を見るようになるとは思いもしなかった。戦後70年も経ったのだからしかたのないことかもしれないが、本当に悲しい。

 参院選の翌日の7月11日、永六輔氏とザピーナッツの妹さんが亡くなった。毎週土曜の夜放送されたNHKのバラエティ番組『夢で逢いましょう』(61~66年)、毎週日曜の夕方放送の日本テレビ系の音楽バラエティ番組『シャボン玉ホリディ』(61~72年)、戦後の民主主義と新しい文化の象徴の一つだった、そして私の大好きだったこの二つの番組(註2)を支えた柱の二人がいなくなる、あの時代はもう遠い遠い歴史になってしまった。寂しかった。
 私たち戦後焼け跡派世代を代表するこの二人の死、そして前日の選挙結果、これは戦後民主主義の終焉が近づきつつあることを示すものなのかもしれない。そんなことがふと頭に浮かび、何か暗い気持ちになってしまった。そんなことどうでもいいではないか、どうせ明日のない年齢の私のことだとも思う。憲法が改悪される世の中を見たくない、そうなる前に死にたいと前にも書いたではないか、麻生氏のご期待に応えて私の死期を早めればいいだけではないか。

 しかし、と思い直した。この選挙では北海道・東北・甲信越の選挙区で反TPP・戦争法反対の声が、沖縄では基地撤去の声が、同じ日に行われた鹿児島知事選では反原発が勝利したではないかと。かつては農村部は保守、都市部は革新と言われていたのに今は逆になったようだが、まだまだ希望はある(その三ヶ月後の新潟知事選では反原発の声が勝利している)。一昨年は若者たちが戦争法に反対して全国各地で立ち上がったではないか。
 ここに希望をもち、「いつまで生きているつもりだ」と言われても生きてやろうではないか。そして若い世代を、私の孫たちを戦場に向かわせて、『おれたちに明日はない』(註3)などと言わせなくともすむ世の中、明日に希望を持てる社会にしていくために老骨を鞭打ってやれることをやっていこう、その一つとしてこのブログの執筆も続けていこう、まだ書き残したこともある。
 麻生さんよ、ごめんよ、ご期待にそえず申し訳ないが、もう少し生き延びさせてもらうからね。

 そんなことを考えさせられている今日この頃、人生八十年の何ともわびしい日々是好日である。

(註)
1.このことに関しては本稿の下記記事で述べているので参照されたい。
  15.11.23日掲載・本稿第八部「☆最近の政治家用語」(3~5段落)
2.12年4月9日掲載・本稿第四部「☆『毎日が日曜日』≠『悠々自適』」(2段落)参照
3.1967年製作のアメリカ映画の題名。世界恐慌時代の職もない貧しい青年二人の絶望のなかでの犯罪と死に至るまでを描いた映画で、見ていて本当に苦しく、若者がこんな思いをしなくともすむような世の中にしたいと思ったものだった。そんなことで印象に残った映画の題名なので、ちょっと意味するところは違うが、ここで使わせてもらったものである。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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