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「草取り」に思うこと


 

            続々・わびしい日々是好日(4)

              ☆「草取り」に思うこと

 前回も述べたように、農家のお年寄りは、身体があまりいうことをきかなくなってくると、縄ない、草取り、屋敷畑の管理や庭仕事等々、本当に軽い手伝い仕事だけに従事するようになる。
 ただし、田んぼの草取りは別である。これは重労働であり、本当に高齢化した場合の年寄り仕事とはいえない。田んぼの場合は、ぬかるみに足をとられながら腰を曲げて這いずり回るきつい労働であり(註1)、高齢者には無理だからだ。
 これに対し、畑の草取りは重労働ではない。手で草をむしる場合が多く、だから腰を曲げなければならないが、耕した畑の土は柔らかいので草を取りやすい。畝間を鍬でおこして草を除去したり、鍬などで深く張った根を掘り起こしたり、畑のあぜ道の草を鎌で刈ったりしなければならないこともあるが、年寄りでも十分にできる。ただし、単品目・大面積の生産なら草取りの時期が集中して長時間の苦役的労働となる。しかし、多くの農家は多品目・小面積栽培だったので草取り時期が分散し、それぞれ短かい時間ですみ、最初の時つまり草が小さいうちにていねいに取れば次回の草取りは楽になるということもあり、年寄りでもやれる。
 このように畑の草取りはあまり体力を使わない軽い仕事、精神的にもあまり負担のかからないだれにでもできる簡単な仕事である。他の年寄り仕事も大体同じだ。こうしたことから、年寄り仕事はすべて大して重要でない仕事と考えられてしまう。
 しかし、畑の草取りは「大して重要でない仕事」ではない。田んぼの草取りと同じできわめて重要な仕事であり、家族全員が取り組まなければならない作業である。
 何しろわが国はアジアモンスーン地帯で雑草の発生、繁茂は激しく、ましてや耕した畑は土が柔らかくて肥えていて日光が当たっているので雑草の発芽、生長、繁殖の条件は最高である。しかも畑には水田のように水の雑草防除機能(註2)が働かない。だから、ちょっとでも手を抜いたら、ましてや放置などしておいたら、作物の生育が阻害されるどころか畑地として利用できなくなる危険性すらある(註3)。だから、それぞれの畑の作付け時期、収穫時期、何も作付けしていない休閑の時期等を考えて草取りの時期を考え、また実際の草の出方を見ながら、今日はこちらの畑、明日はあちらの畑と、生えたら取り、生えたら取りしていなければならず、家族全員で除草にあたらなければならないのである。しかし、青壮年には重労働の基幹的な仕事が多々あり、それにも従事しなければならない。それで畑の草取りは年寄りの重要な仕事となるのである。
 私の生家の場合は畑が大きな位置を占めていたので、ましてやそうだった。野菜など多種多様な畑作物をつくっており、それぞれの畑に雑草が生える時期が異なるので、春から秋にかけて草取りをしなければならない畑はいつでもあった。草取りをしなくともいいように耕したり、敷き藁をしたりいろいろ方策を講じるのだが、やはり限界があり、生えてきた草を取らなければならないのである。だから祖父などは暇さえあれば草取りをしており、それは脳卒中で倒れる前の年の秋まで続いた。年老いた父は、家の前に残ったわずかな畑で、したたり落ちる汗をぬぐいもせず、下を向いてあるかなしかの草を取っていた。ボケても、習性となって頭に残っていたのだろう、草取りだけは毎日の日課だった(註4)。

 私も年老い、十年前にあらゆる仕事から手をひいた。そしたら祖父や父の真似をして草取りをすればいい。しかし農地はない。家庭菜園などはやらない主義(註5)である。それで畑の草取りはできない。
 それでも、私の今住んでいる仙台の家に庭があるので、その草取りの仕事はある。小さい庭ではあるが、けっこう草が生え、初夏のころなど放っておけば一面草だらけの庭になってしまう。
 それで家内などは、ちょっと庭の草が生えるとすぐ庭に出て草取りを始める。私が二階でパソコンに向かって夢中になっていると知らないうちに終わらせていたりもする。
 草取りが好きなのだという。無心になれると言うのである。
 また、草がなくなって庭がきれいになっていくのを見ながら草を取るのが好きだとも言う。
 農家の長男の嫁としては適格・合格であり、喜ばしいことである(といっても私は家督の役割を果たさなかったのだが)。ところが、肝心の私は草取りが好きではない。無心どころかいろいろな雑念が浮かぶからである。
 それは昔からそうだった。

 何しろ草取りは草と作物を間違えたり、取り残したりさえしなければいいだけ、技術はとくに必要としない単純なそして単調な作業である。とくに考えなくともやれるのでいろいろな雑念が浮かんでくる。たとえばあれをしなければならなかった、これもしなければなどと考え始める。昔のこと、いやなことを思い出したり、後悔の念に駆られたりもする。これがいやなのである。
 そんなこんな考えているうちに腰が痛くなってくる。立ち上がると立ちくらみ、腰はピンと伸ばせず、腰を曲げてでないと最初は歩けない。
 そうすると、昔の家族の姿が目に浮かんでくる。炎天下背の高くなった稲に姿が見えなくなるようにして田んぼの中をはいずりまわって三番草取りをしていた母の背中、祖父そして父が、歳をとってから家の前の畑でもう習慣として身についてしまった草取りをしている姿、どんなに辛かったろうかと。

  「草取りは年寄りの仕事」と言ったが、正確にいえばこれは逆、「年寄りの仕事は草取り」ということで、草取りは家族全員の労働であり、その中心はやはり青壮年労働力だった。耕起で腰を曲げ、種まき、収穫で、そして草取りで腰を曲げて働く、だから五十歳も過ぎればみんな腰が曲がってしまった。私の祖母などはその典型だった。
 それでも生家の場合などはまだよかったと思っている、何しろ多品目の小面積栽培、草取りにも変化があり、また小区画つまり一枚の田畑が小さく、その上不整形だったからだ。前にも述べたが、ちょっと行っては畦にぶつかるので、そこで腰を伸ばして一息入れることができし、いろいろと変化があるのであきないのである。ところが小品目の大面積栽培となるとそうはいかない。前にそれを山形内陸と庄内を対比させて述べたが(註6)、北海道などはもっとすごい。小品目・大面積で除草の期間が長い上に大区画だからだ。
 一枚の畑の区画が1㌶とか2㌶、100㍍とか200㍍の延々と続く畝間の草を腰を曲げて取っていく。行けども行けども終わらない。何とか終わるとまたその繰り返しだ。何度も何度も繰り返す。なかなか終わらない、達成感がない。変化のないところでの単純作業の単調な繰り返しは労働の疲労度を高める。しかも面積が多いから、それが何日も続くことになる。これはつらい。

 こんなことを私が言うより、かの有名な倉本聰のテレビドラマ『北の国から』(註7)でのガッツ石松の台詞(せりふ)を聞いてもらえばもっとよくわかる。ボクシング事務所を開いている富良野出身の元ボクサーを演ずるガッツ石松が、ボクシングの苦しい稽古と減量に耐えられたのは畑の草取りの経験からだとこんなことを語るシーンがあった。
「抜け出したかったからね。百姓がやでやで、あの暮らしから」
「だから――苦しいとき考えたのは――、畠の畝ね。気の遠くなるような。
 あの畦の上はいつくばって朝から晩まで草むしってる。あの姿、おれの。兄きたちの。おふくろの。
 あれ思うとオレがまんできたンだ」(註8)
 よくもうまく表現してくれたもの、そして淡々としかも搾りだすような彼の語り、私の肺腑をえぐった、苦しかった。

 こうした苦役的ともいえる労働に対する正当な報酬はなかった。あれだけ働きながら農家は貧しかった。それも一因となってガッツ石松のようにみんな都市に流出していった。そこに除草剤の売り込みである、農家は喜んで導入した。ところが消費者の側から農薬・除草剤の使用への反対運動が起きた。これは正論ではあったが、もし反除草剤を言うなら厳しい除草労働に対する正当な報酬を支払うことを前提とすべきだった。ところがその逆に多くの消費者は農薬・除草剤漬けの安いアメリカ農産物を食べて国産農産物の価格を引き下げ、農業労働に対する正当な評価はますますなされなくなった。かくしてさらに農業労働力は流出し、過疎化、高齢化、耕作放棄が進み、農業は衰退の道をたどることになった(註9)。

  『北の国から』は、先ほど書いたシーンの少し後で、富良野から札幌に出たつららちゃん(熊谷美由紀好演、辛い悲しい役だったが)に次の言葉を言わせている(註10)。
「都会って――あっさりお金がかせげて、ファッショナブルに毎日送って――何でもお金で人に頼むと、すぐに誰か来てやってくれちゃって」「………」(註11)
「自分でやることないンですからァ」
   …………中略…………
「私のアパートの隣の部屋に、ベランダでカボチャ作っている人いてね」「………」
「鉢に三つばかカボチャの苗植えて毎日毎日水やってンの」「………」
「お金出せばカボチャなンてゴロゴロあるのに」「………」
「なぜああいうことしたくなるンでしょうね」「………」
「本能かしらね。もともと人間の」「………」
「私思いますよ、ときどきフッと。それにくらべると本当にダサイけど――農家の暮らしって本当かもしれない」「………」
「お金にもならないのに、汗水流して、お天気の心配して、地べたはいまわって」「………」
「札幌に来て私、はじめて思いました」「………」
「でもあの暮らしってもしかしたら本当は、とってもすてきなことなのかもしれないって」「………」
 農村と大都市とでの対照的な暮らしと辛い辛い思いをしたからこそのつららちゃんのぽつりぽつりと語るこの言葉、これを聞いたとき、なぜか涙が私の目からあふれた。
 このつららちゃんの話を黙って聞いていた竹下景子扮する雪子おばさんの目にも涙がにじんでいた。

 家内は毎年春になるとホームセンターに行って、ミニトマト、シシトウ、青シソ、パセリ、ゴーヤなどの苗を一本ずつ買って庭に植えようとする。生協ストアに行けばいつでも買って食べられるのにである。
 でも私は何にも言わない。そうしたくなる気持ちはよくわかるし、それはいいことだとも思うからだ。そして私は家内の買ってきた野菜の苗を植えたり、収穫期の終わった後の片付けをしたりなど手伝いをする。しかし、収穫だけは家内から言われない限りしない。家内の楽しみにとっておきたいからだ。
 また、家内の言うことにしたがって花壇や鉢植えに花の苗や種を植えたりもする。真夏の庭木、鉢植え、野菜等々への水かけは私の日課だ。たまには植木の剪定、落ち葉片付けもする。
 家内が庭の草取りをしているのに気が付くと私も外に出て草取りをする。暑いなか家内だけにやらせておくわけにはいかないからだ。すると家内は言う、「手伝わなくともいいよ、私は好きでやっているんだから」と。しかしどうしても放っておけない。昔の草取りのことを思い出してしまうからだ。それで庭に出る。
 当然いつものように雑念が浮かぶ。もうあきらめるしかなく、素直に雑念とつきあうしかない。昔のことをいろいろと思い出す。無性に書き残したくなることもある。そのとき不便なのはメモできないことだ。忘れないようにと思うのだが、やはり忘れてしまう。それが悔しい。さらには思い出したくもないこと、いやなこと、最近の農業のこと、それをおかしくしている政治のこと、社会経済のこと等々も頭に浮かび、いらいらしてくる、腹が立ってくる。
 どうも私には座禅の言う無念無想・無我の境地などには到達できなさそう、悟りの境地に達することもなく一生を終わりそうである。
 (次回は3月27日掲載とする)

(註)
1.10年12月11日掲載・本稿第一部「☆足踏み脱穀機止まりの機械化」(4、6段落)参照
2.13年4月5日掲載・本稿第五部「☆水稲連作」(5段落)参照
3.13年4月1日掲載・本稿第五部「☆農業と土地、地力」(3段落)参照
4.12年9月26日掲載・本稿第四部「☆『帰らんちゃよか』」(3段落)参照
5.その理由については本稿の下記掲載記事で簡単にだが触れているので参照されたい。
  14年5月12日掲載・本稿第六部「☆濡れ落ち葉、庭仕事、買い物」(3段落)
6.11年6月22日掲載・本稿第二部「☆零細分散耕地制と耕地整理」(2段落)参照
7.フジテレビ系テレビドラマ『北の国から』、倉本聰原作、1981~82年放送
8.倉本聰『北の国から』後編(理論社、1982年)、236頁
9.もちろん今は中耕除草の機械化、マルチング等でかつてのような辛い人力除草はなくなっている。それでもたまたま取り残した草を人力で取る必要が出てくる場合があるが、腰を曲げることはあまりない。しかし、何しろ大面積・大区画であり、草取りのために畑の畝間を歩く距離は大変なものである。
10.倉本聰・前掲書、241~242頁
11.「………」のところは竹下景子扮する雪子おばさんが黙って聞いているシーン。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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