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憂鬱な日々是好日




            続々・わびしい日々是好日(6)

              ☆憂鬱な日々是好日

 町に行ったときのことである。時間帯のせいか人通りは少なかった。遠くの方から、灰色の髪の毛が薄くなった人が腰を曲げてがにまたでよったらよったらと歩いてきた。まさに年寄り、ああいう姿にはなりたくないものだと思いながら近づいていくと、何とそれは今日の待ち合わせの相手のKT君(これまで何度も本稿に登場してもらった畜産研究者)ではないか。驚いた、いつも会っておしゃべりしているのに気がつかなかった。昔の若いときと同じ気持ちでお互いにつきあっているからなのだろう、歩く姿など特に注意して見たことがなかった。近づいたとき彼に言った。何という年寄りとおれはつきあっているのだろう、腰は曲がり、よぼよぼではないか、私より九歳も若いくせにと。そしたら彼は笑いながら言う、腰を悪くしたからしかたがないのだと。続いて彼が私に自分と大して変わらないじゃないかと反撃するかと思ったら言わない。そうなのである、私の歩き方だけは、姿勢だけは昔とそう変わっていないはずなのである。しかし脚力はかなり落ちている。

 歩けなくなった、と家内が言う。80歳になったとたんにである。本当にその通り、歩くのは急に遅くなった。疲れたと言ってはすぐ休み、もうだめだ、歩けないという。あれだけ速足だったのにである。今でも近所に出歩き、家事でも立ち働きする等々、私以上に運動しているはずなのにである。
 という私はどうか。家内よりはずっと速く遠くまで歩ける。体力が少しあるからだろう。
 しかし、運動していない、散歩もしていない罰かもしれないが、最近は走れなくなった。10㍍も走ったらもう息が切れてだめである。長い距離を歩いていないのでわからないが、きっとそれほど歩けなくなっているだろう。
 それ以上に問題なのは足が上がらなくなっていることだ。地球の重力に抵抗できなくなってきたのである。前から気にはなっていたのだが、最近とくにである。だからしょっちゅうつまずく。意識して気をつけて歩いているつもりなのだがついついつまずいてしまうのである。一番危ないのが階段だ。自分ではちゃんと足を上げたつもりでも上がっていなくてちょっとした段差でつまずいたり、階段を踏み外してしまったりしてしまう。降りるときもそうだ。足を滑らせそうになったり、ふらついたりして転げ落ちそうになる。それでも何とか体勢を立て直して踏みとどまり、怪我したり骨折したりしないで済んではいるが、いつどうなるかわからない。平衡感覚が弱くなっているからなおのことだ。それで最近は手すりのあるところでは必ずそれにつかまって歩くようにしているのだが、そのとき自分も齢をとったものだとしみじみ感じる。

 力もなくなった。「金と力はなかりけり」で昔から力がないのだが、それにしても弱くなった。昔お世話になった秋田の農家ONさんや家内の実家から秋になると贈ってくれる30㌔入りの米袋、これを持ち上げるのが本当に大変になった。下手すると腰がやられる。
 未開封のビンの蓋、これを回すのも大変になってきた。手指の力もなくなってきている。皮膚がしっとりしなくなり、乾きすぎて(干からびてしまって)滑ってしまうようになったからかもしれないが。

 目は年なりにだめ、しかも相変わらず机に座って物書きをしているからだろう、乱視はひどくなり、目の奥の筋肉が衰えているとかで両眼の視覚のバランスがおかしくなっており(眼鏡で何とか調節しているが)、目は赤くしょぼしょぼ、よく見えなくなっている。
 ところが、おかしなもので嗅覚、聴覚だけはかえって鋭くなっている。他方、家内はその逆に耳は聞こえなくなり(老人性難聴は家内の生家の遺伝のようである)、嗅覚も弱まっているようで、私の嗅覚、聴覚が役に立っている。何か焦げたりしたときや玄関のチャイムがなったとき、私が気が付いて家内に注意する。
 味覚は二人とも大丈夫のようだが、私は何か食べるとむせるようになった。落花生など食べるとてきめん、喉にひっかかってむせる。年寄りが餅を喉にひっかけて大騒ぎになる話はよく聞くが、自分もとうとうそういう年齢になったらしい。
 体力が衰えたぐらいならまだいい。病院通いが多くなった。

 定年、そして70歳を過ぎても、成人病・生活習慣病で病院にかかったことはない、毎日薬を飲まなければならないこともない。風邪か目まい、腰痛でたまに医者に行く程度、支払った健康保険料からすると医者や薬局に払っている金額はずっと少ない。てなことを私は自慢してきた。
 ところが2年前、胃腸の病気でとうとう2ヶ月も入院してしまった。役にも立たない年寄りを金をかけて長期入院させてもらうなど申し訳ないとは思うし、もう齢なのだからどうでもいいとも思うのだが、やはり痛いのはいや、苦しいのはいや、治してもらいたいと思ってしまう。
 苦しい日が何日も続く。このままずっと痛みが続くのだろうか。こんな風にして生きていてもしかたがない。安楽死させてもらった方がいいのではなかろうか。生きていても世の中の役に立たなくなっており、かえって迷惑をかけるだけ、自分ももういやだ。しかし、この程度の苦痛で安楽死などさせてくれるわけもない。耐えられない苦痛でもない。もしかすると治るかもしれない。おかしなもので心のどこかでそう思っている。
 そんなことを考えているうち、おかげさまで助けてもらった。しかも私の病気は希少例だったらしくて、学会での症例報告の対象にもなったとのこと、若干はお役に立った。
 これですぐ死ぬのは申し訳ない、せっかく助けていただいた命、もう少し生かさしてもらおう、お世話になった病院の方々や医療福祉制度に恩返しなどできるわけはないが、これから元気に生きることが恩返し、そんなことを思いながら退院させてもらった。

 しかし、その病気の再発をふせぐために、毎日薬を飲まなければならなくなった。
 さらに下々がだらしなくなってきている。夜中何度も小便に起きる。催すと我慢できない。前立腺肥大なのだそうだ。大の方は薬をもらうようになってから少しはよくなったが、完治はしていない。これも回数が増えている。
 子どものころに戻ったようだ。そのうちおむつをしなければならなくなるのだろうか。まさに赤ん坊時代に帰ることになる。
 そんなことを考えていたら、今年に入って、子どもがかかりやすくて実際に私も子どもの頃悩んだ病気が何と70年ぶりに再発、そして手術、さらにそれを実感することになった。まさに小児化、いやはや参ってしまった。
 身体能力は少しずつ子どもに帰りつつあるようだ。完全に赤子化する前にあの世に旅立ちたいのだが。

 身体はガタが来ている、あちこちさび付いてきている。でも頭だけはガタが来ていない、さび付いていない、と思いたいのだが、これも年齢に応じて(?)衰えつつあるようだ。
 追い求めかつ追われてもきた大学生活から、緊張感のない、神経を使わない、頭を使わない、刺激のない家での暮らしになったからなおのことだ。
 最初のころは年に一回東北七県持ち回りで開かれる東北農経学会に出席することにしていた(お世話になった各県の学会員の方々に最後の御礼のご挨拶をしようと思ったからでもある)が、それもちょうど一回りしたし、これ以上年寄りが先輩面して出て行って邪魔することはない。前にいた東北大学の研究室にはもちろん定年後一度も顔を出していない。先輩面して、師弟関係をかさに着て現役の邪魔をしてはならないからだ。そして家の中にひきこもってあまり他人とつきあわない、しゃべらない暮らしをしている。
 家内は隣近所や友人、昔から続くサークルや婦人団体の仲間(ともかく付き合いは広い)と時々集まったり、道端で会っておしゃべりしたり、回り持ちで町内会の役員をしたりしているが、何しろ私はそういうつきあいはまったくない。大学関係、農業関係のつきあいだけでたくさんだったし、今もあまりつきあいたくない。めんどうだし、気を遣うのはいやだからだ。近所の人と言えば、月一回散髪に行ったとき床屋さんと、薬をもらいに行く時に医者とおしゃべりするだけである。
 後は、月一回昔の同僚で畜産研究者のKT君と新規開拓して行きつけとなった汚い居酒屋で飲み、たまに教え子で研究者として活躍している秋田のNK君と山形のST君などが私のパソコンと酒飲みの介護に来てくれるときにわが家でまた夜の街に出て飲むだけである。もちろん、たまには昔の学者仲間や東北大・農大時代の教え子(といってももう立派な中高年なのだが)が仙台に来たのでと寄ってくれて夜いっしょに昔の思い出や今の世の中への悲憤慷慨等を酒のつまみに飲んだりもする。しかし、昔からの行きつけの飲み屋もほとんどなくなったので自分から進んで誰かを誘ったりして行きたいとも思わない。
 前からのものぐさがもっとひどくなっており、静かにひっそりと生きているといった方がいいのだろう。よくいえばきわめて平穏な暮らしを送っているといえよう。
 しかしこれでは頭の方が衰えるのは当たり前である。
 とくに記憶力の低下だ。物忘れが本格化しつつある。前にも書いたように子どもの頃物忘れがひどかったのだが、あれは不注意、集中力の問題、しかし最近の物忘れはそれとは質が違う。老人性ボケが始まったのではないかとさえ思う。
 家内もそのようである。物忘れが急に多くなってきた。予定した買い物を買い忘れたり、自分の言ったことを忘れたりする。しかも耳が聞こえなくなっている。とくに低音の波長がだめのようである。たとえば携帯のマナーモードの着信音や私の声がよく聞き取れない。だから私との会話がちぐはぐになり、言った言わない、忘れたのではないか、そうではないで喧嘩になったりする。
 以前はボケたんじゃないかと家内に悪口を言っていたが、今は言わないようにしている。なじるとボケがますますひどくなると聞いているからだ。
 たまにだが、家内が自分で「ボケたのかしら」と認めることがある。そのときにはこういうことにしている、「そんなことはない、ボケは昔からではないか、持って生まれたボケ・天然ボケだろう」と。そういうとちょっと安心するようである。などと家内のことを言うが、自分も知力体力は衰えており、私の方がもっと物忘れがひどくなっているのかもしれないし、ボケらしきものも始まっているようである。そして家内にもいろいろと迷惑をかけている。
 まあ、いずれにせよ家内が先にボケてもらっては困る。
 こんなことを考えて落ち込んでいるのだが、定年直後の「わびしい日々是好日」は今や「憂鬱な日々是好日」に変わりつつある。
 この憂鬱を倍加させているのが新聞テレビで見る最近のニュースだ。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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