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細かいことが気になる年齢?



            続々・わびしい日々是好日(7)

            ☆細かいことが気になる年齢?

  「細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖でしてねえ」、テレビドラマ『相棒』の主人公杉下右京がよくこう言う。
 最近の私も細かいことがよく気になるようになった。これも年齢のせいなのだろうか。

 たとえば「なでしこジャパン」という言葉が気になる。いうまでもなくこれは女子サッカーの日本代表チームの愛称である。いつごろからだれが使い始めたのか知らないが、公式には日本サッカー協会が日本女子代表の愛称を公募して決めたのだという。
 なでしこ、私の好きな花である。とくに母の実家の近くを流れる川の河原にぽつりぽつりと咲いていたカワラナデシコが大好きだった。よく言われる「清楚な美しさ、優しさ」を感じさせた。
 だから、「なでしこジャパン」という命名はいいなと思う。
 しかし、これは「大和撫子(やまとなでしこ)」から来たものではないか、などと気になってしまう。若い方はご存知ないかと思うが、戦時中この言葉は日本女性の美称、理想の姿としてしょっちゅう用いられたものだった。清楚で凛として、慎ましやかで、一歩引いて男性を立て、男性に尽くす甲斐甲斐しい女性、戦いの最前線で戦う「日本男児」を支える強くて従順な女性=「大和撫子」、これこそ日本古来の伝統をひいた女性像である、日本の女性はそうあるべきだと当時の軍部・政府が強要したのである。まさか今の時代にそういう意味で「なでしこ」を使っているわけではないと思うのだが、ついついあのいやな時代を思い出してしまい、どうしても気になってしまうのである。
 でもそれはまだいい。もっと気になるのは「サムライブルー」だ。これは日本のサッカーチームのイメージカラーの青を言うのだそうだ。私はあの青が好きだ。だからあれを使うのは賛成である。しかしなぜあれを「サムライブルー」と言うのか。しかもそれを、そもそもサムライではない、サムライには絶対なれない女子にも使わせる。どうしてもっと別の言葉を使わないのか。
 また、サッカーの日本男子代表チームを「SAMURAI BLUE」と言うらしいが、なぜ「サムライ」で、しかも英語なのか。「監督名+ジャパン」という呼称もあまり気に入らないが、これはもっと気にいらない。

 野球の日本代表チームを「サムライジャパン」という。これも気になる。
 野球は戦いであり、サムライは戦うことを商売にしている、だからサムライでいいではないかと言われるかもしれない。しかし、同じ戦いでも片やスポーツであり、片や人殺しだ。「切り取り強盗は武士の習い」、そのサムライを日本の代名詞にしていいのか。
 しかもその武士は人口のわずか5%しか占めていなかった。それを日本の代表としていいのか。
 いや武士は国を治めてきた優れた階級だからそれでいいのだというかもしれない。しかし、能力の有無にかかわらず、サムライの家に生まれたことだけを理由に国を支配してきただけのこと、とくに優れた人々だったからではない。
 武士は儒学を学び、きわめて礼儀正しかった、武士道精神をもっていた、だからそれを日本の代名詞としていいというかもしれない。しかしそういう武士がなぜ「お家騒動」を起こし、商人から賄賂をもらい、年貢や切り捨て御免等々で百姓町人をいじめたのか。礼儀正しさなら百姓町人ももっていたし、識字率も高かった。武士だけがとくにすぐれていたわけではない。にもかかわらず、侍に服従させられ、軽んじられてきた百姓町人の子孫、しかも国民の圧倒的多数を占める人たちが、なぜサムライを持ち上げ、その名を日本人全体の代表者の愛称として使おうとするのか。よくわからない。
 平和を希求してきた日本、戦争を放棄した日本が、なぜ武力を誇示するようなサムライという言葉をスポーツに持ち込むのだろうか。これはもっとわからない。
 そんなことに目くじらを立てる必要もないではないか、笑い話ですませればいいではないかとも思うが、これも老人のいじけ、ひがみなのだろう、やはりぼやきたくなってしまう。

 復興五輪とは名ばかりの東京五輪、これも頭に来るが、それより何より気になるのはオリンピック精神がどこに行ってしまったのかということだ。
 中学校のころではなかったろうか、私たちはこんなことを習った、「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」、これがオリンピック精神だと。
 ところが、わが国では最近この言葉が忘れられ、メダルをいくつ取るかを大きな課題とする。政府は政府で、金メダル獲得数世界三位以内などという目標をかかげてお金をつぎこみ、発破をかける。
 しかし、オリンピックは勝つためだけにあるのではない。日の丸をいくつかかげ、君が代を歌うかにあるのではない。オリンピックは「国威発揚の場」、「愛国心高揚の場」ではないのだ。
 だからといって選手には勝つためにがんばってもらわなければ困る。ところが最近の選手のなかに「がんばってきます」と言わず、「試合を楽しんできます」などという人がいる。緊張をほぐすために、固くならないように、こういうことを自分に言い聞かせているのかもしれない。それならいいのだが、みんなの前でそういうことをしれっと言われるとちょっと待てよと言いたくなる。あなたの楽しみのために私たちの税金を使わせてんじゃないよと。やはり勝つためにがんばってほしい。私も含めてみんな勝つことを願っている。そして勝てば本当にうれしい。
 でも勝つことだけに意義があるのではない。近代オリンピック創始者のクーベルタンが言ったように「勝つために正しく努力すること、よく戦うことに意義がある」(うろ覚えだが)のである。そしてオリンピックの目的は「スポーツを通じて,青少年に相互のよりよき理解と友好の精神を教育し,それによって,よりよき,より平和な世界の建設に寄与する」(註1) ことにある。
 戦前のような「お国のために身も心も捧げさせる」ための熱狂的な愛国心を復活させるためにオリンピックを、スポーツを利用させてはならないのではなかろうか。

 サッカーや野球の国際大会での韓国との試合となると、新聞やテレビは韓国を「宿敵」とか「永遠のライバル」とか呼ぶ。これも気になる。
 辞書をひくと宿敵とは「かねてからの敵、年来の敵」とのことだが、いつかは倒さなければならない恨みのこもった憎らしい昔からの敵というようにも受け止められている。
 しかし日本と韓国は昔からの敵ではない。敵味方に分かれることはあったし、日本がひどいことをしたこともあったが、仲良く付き合ってきた期間の方が長かったはずであり、これから永遠に敵対を続けていく関係でもない。
 しかも日本ともっとも近い特別な国である。こうした国だからこそスポーツでいえばお互いに切磋琢磨して高め合い、楽しみ合う関係でもなければならない。隣近所同士での「縁台将棋」で勝った負けた、待ったさせろさせないでけんかしあい、だけど次の日になればまた仲良く将棋をしたくなる、通りすがりの人もそれを見て楽しむ、よその地域の人との勝負となればお互いに応援しあう、こんな関係であるべきなのだろう。
 「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるが、日本には遠くにも親戚はいない。そうなるとましてや近くの他人の韓国と仲良くしていかなければならない。
 敵対関係をあおるような「宿敵」とか「永遠のライバル」などという言葉はやめようではないか。ヘイトスピーチなどが問題になっているときだからましてやだ。お互いに尊敬し合うような言葉を使おう。といっても、私には「好敵手」とか「強敵」くらいしか頭に浮かばない。これには相手を評価し、尊敬している意味が含まれているが、これだけでは近隣の良好な関係という側面がうまく表現できない。いい名前を考えてもらいたいものである。

 話はスボーツから離れるが、韓国と言えば先年「軍艦島」などの施設を明治日本の産業革命遺産として世界遺産にするのに疑義をさしはさんだというニュースがあった。推薦された施設の中には植民地支配をしていたころに韓国人を強制徴用して働かせたところがある、それを評価するのはどうかと。
 たしかにそうした負の歴史はあった。中国人捕虜の強制労働もあった。日本人にしても「タコ部屋」的労働(註2)のもとで搾取され、戦時中には強制的に徴用されて働かされたりもした。そうした事実はきちんと認識しなければならない。
 そもそも産業革命から始まる初期資本主義は、工業を革命的に発展させたという側面だけでなく、長時間低賃金労働、児童労働、都市の農村労働力の吸収、植民地収奪等々の側面ももっていたのであり、こうしたことも含めて「世界遺産」として遺し、これからの教訓としていくべきなのである。そのように位置づけないから韓国から不満がでたりするのだろう。
 富岡製糸場についても同じようなことがいえる。プラスの一面しか見ないというのでは、歴史の教訓から学ぼうとしないようでは、困るのである。

 中学のときか高校のときかどっちだか忘れてしまったが、歴史の教科書に富岡製糸場が出てきた。日本で初めてつくられた器械製糸工場であり、最初は武士の子女がこの官営の工場で働き、技術を覚えた、これが世界に冠たる日本の製糸業の始まりであり、日本の産業革命の始まりであったと書いてあったように思うが、この富岡製糸場が世界文化遺産に指定された。これは当然のことであり、うれしいことである。
 しかしもう一つ、富岡製糸場には遺産として記憶しておいてもらいたいこと、忘れてもらっては困ることがある。それは『女工哀史』(註3)の始まりを告げた遺産でもあることだ。
 富岡製糸場から始まる全国各地の製糸工場を支えた女工は農家をはじめとする庶民の子女であったが、彼女らは身売りとほぼ同然で集められ、蒸し暑さや悪臭などの劣悪な環境で一日14~5時間も働かされ、耐えきれずに逃亡するのを防ぐために宿舎に鉄格子が付けられるなど監獄に近いところに閉じ込められて生活させられた(註4)。こうした人たちの犠牲の上に、まさに「女工哀史」の上に日本の世界に冠たる繊維産業が成立したのである(註5)。そのそもそもの始まりがこの富岡製糸場だった。
 輝ける光だけではなかったのである。その陰に暗黒が、負の側面があったのである。そしてその歴史に学んで二度とこうしたことが起きないようにしていくことが必要なのである。そうしたことを考える素材とする、教訓とする、そのための世界遺産指定であると考えるべきなのではなかろうか。
 ところが、それを教訓とするどころか働く人をカローシするまで働かせる社会、ブラック企業の支配する社会がいまだに続けられている。こうしたことこそ過去のものに、「遺産」にしなければならないものなのだが。
 さらにもう一つ、この遺産指定を契機に思い起こしてもらいたいことがある。世界に冠たる日本の養蚕、世界を席巻した生糸輸出が今壊滅状態にあることだ。できればこれを契機に養蚕、繊維産業の復活を考えてもらいたい。もちろん日本がもう一度輸出国になろうなどというつもりはとくにない。せめて日本人の需要(世界一)に応えられる程度の養蚕の復活、繊維産業の復活を図ってもらいたい(註6)。
 遺産の見学にくる人たちに少なくともこの二つのことを考えてもらえればと思うのだが、現状ではまあ無理というものだろう。

 こんな細かいことが気になる最近なのだが、これはどうも年齢のせいだけではなさそうだ。そもそも細かいことでもなさそうだ。それを問題にせざるを得ない世の中になっている。この細かいことの裏にある政治経済等の諸問題、それが私をいらいらさせ、最近の私の「わびしい日々是好日」を「憂鬱な日々」に変えている要因ともなっているようだ。

 開幕したばかりのプロ野球、予想に反して東北楽天が絶好調、家内は大喜び、私も気分がいい。しかしこの日々もいつまで続くことやら。

(註)
1.「kotobank.jp/word/クーベルタン-55887」参照
2.戦前の炭坑などでよく見られたもので、監禁同様に長期間拘束されて非人間的な環境の下でさせられた重い肉体労働のことを言う。
3.製糸紡績工場で働く女性労働者の過酷な生活を克明に記録した細井和喜蔵のルポルタージュの著書。1925(大正14)年に刊行されたものだが、現在は岩波文庫から刊行されているとのことである。
4.その実態については映画『あゝ野麦峠』(監督:山本薩夫 脚本:服部佳 原作:山本茂実 製作:新日本映画 1979年)をぜひ見ていただきたい。
5.女工哀史的な労働は戦後も存続した。このことについては本稿の下記掲載記事で触れているが、戦後の民主化のなかでまた労働者の闘いによって解決された。しかし現在の働く人たちの状況は、と続けなければならないことが辛い、悲しい。
  10年12月4日掲載・本稿第一部「☆戦後東北農業の原点」(2段落)、
  11年3月3日掲載・本稿第一部「☆集団就職列車」(1~2段落)
  11年4月1日掲載・本稿第二部「☆駅裏―さなぎ女学校―」(4~7段落)
6.12年2月29 日掲載・本稿第三部「☆小かごに摘んだはまぼろしか」(1~4段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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