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戦前への逆戻り?


             続々・わびしい日々是好日(8)

              ☆戦前への逆戻り?

 小泉元首相、かつて郵政改革と称して日本全国に張り巡らされた郵便局の事業を日米の巨大企業の餌食とすべく差し出す先頭に立ったが、今度はその息子が農協改革と称して戦前の産業組合時代から日本の農業を農家の暮らしを支えてきた協同組合の諸事業を日米の巨大企業のもうけの対象として差し出すべく狂奔している。さらに政府は、種子法を廃止してこれまで公的に行ってきた種子生産を多国籍種子企業の儲けの種子に提供しようとしている。
 一方、こうした「改革」の推進を「指示」した安倍現首相はTPPの国会批准に狂奔し、強行採決でそれを実現した。
 ところが、そのもくろみの一つが狂ってしまった。現在のグローバリズムの矛盾を反映したアメリカ大統領選挙でTPP反対派が当選してしまったのである。
 慌てた安倍首相、早速トランプに当選祝いの電話をして会談を申し入れた。そしたら何とそれは受け入れられ、しかも世界の首脳のなかでは最初、それどころかゴルフをいっしょにしよう、遊んであげるよとまで言われたと喜ぶ。そして満面の笑みを浮かべて勇んでアメリカに出かけ、これまで以上に軍事経済両面で一所懸命アメリカに尽くしますのでよろしくと言って喜ばせた。にもかかわらず結局TPPはだめ、かわってTPP以上に日本農業に厳しいであろう二国間協定の交渉をせざるを得なくさせられる始末だ。
 しかも世界的にも大きな批判を受けている移民規制問題ではコメントする立場にないと何にも言わない。
 しかしこの問題はメキシコやイスラム諸国の問題だけではない。かつて私たちより上の世代の日本人がアメリカやカナダに移民したとき、日本人排斥運動でひどい目に遭わされ、アメリカでは「排日移民法」と言われる法律まで出されたことを忘れてはならない。低賃金でも勤勉に働く日本人のおかげで白人は仕事が奪われ、生活が苦しくさせられているのだとして、黒人に対する差別に近い差別を日本人が受け、暴力まで受け、さらに第二次大戦中は日系人だけが強制収容されてきたのである。人種差別問題は日本人の問題でもあるのだ。ところが、安倍首相は今回の移民問題に一切口を閉ざす。アメリカに言うべきことも言わない。そしてアメリカと強い同盟関係にあるのだといばる。目下の同盟者、主従関係のもとにしかおかれていないにもかかわらずである。

 今の政府はこうしたことを始めとしてアメリカと大企業のために懸命に働く一方、教育や研究には力を入れようとしない。
 日本の教育費の公的負担がOECD諸国の中で最低水準、家計に占める教育費負担が大きい社会になってしまったなどというのはその典型例だ。もう一方でわが国の子どもの貧困の状況は先進国の中でも厳しいという。当然進学したくともできない子どもが出てくる。教育を受ける権利は貧しい家の子どもには保障されなくなってきているのである。
 これは戦前への逆戻りだ。私たちの世代以前は貧しい家庭の子どもはどんなに意欲があり、能力があっても進学などできなかった。高等教育を享受できるのは所得水準の高い家の子どもだけだった。農家の子どもに関して言えばそのほとんどは小学校止まり、それ以上の教育など受けることはできなかった。そしてそれは代々引き継がれた。貧困は世代を超えて連鎖した。
 しかし、戦後制定された新しい憲法は教育の機会均等を保障した。それを現実のものとすべく「十五の春は泣かせない」というスローガンのもとに高校増設運動を展開するなどさまざまな闘いを展開した。私たちの世代から下はその成果を享受した。私のころからみんな高校に行くようになり、貧しい農家の子どもも大学に入れるようになったのである。
 ところが90年代以降、国民の所得格差が激しくなり、他方で文教予算が削減され、貧しい家の子どもは進学することが難しくなり(註1)、十五の春、十八の春を泣いて過ごさざるを得なくなってきた。
 戦後の民主化は一体どこにいってしまったのだろうか。

 文教予算の削減と言えば、私のかつて勤めていた国立大学に対する削減もひどい。私のいるころから少なくて困っていた大学の経常予算がこの10年間で1千億円、約1割減らされたという。とてもじゃないけれどこれでは研究などまともに続けられない。
 何とか経費を節減しようとすればまず考えられるのが人件費の節減だ。しかし、拡充こそ必要なのに人を減らしたら教育研究などやっていけない。そこで考えるのは正規職員を減らして非正規職員を増やすことだ。
 まず有期契約の常勤職員である。5年契約とか2年契約とかで雇用して、期限が来ると首を切る(註2)。こうすれば昇給で人件費がかさむことはない。それから時間給のフルタイムの非常勤職員、パートタイムの非常勤職員である(註3)。当然賃金は低い。私の勤めていた東北大学ではこうした非正規職員が何と職員数の半分以上を占めているという(註4)。
 これには私も驚いた。私のいたころも非常勤職員がいたが、こんなにはいなかった。まさにいま大学はブラック企業化、「ブラック大学」になっている。これで十分な学生教育ができるのか、まともな研究ができるのか、次代を担う研究者の育成ができるのだろうか。これは東北大学だけではない、全国の大学に共通している。それでも非常勤職員を雇えればまだいい、それを雇う金もなくて困っている、という大学すらある。
 こういう努力(?)をしてお金を節約しても、毎年の予算削減で教員の個人研究費は減少せざるを得ない。自分のやりたい研究、長期間にわたって蓄積してきた継続的な研究はできない。
 そういうと、良い研究に対してお金を配分するという文部省の制度(通称・競争的資金制度)があるではないか、それに応募して研究費を手に入れたらいいではないかという。しかし、お金の出る期間が限られているので、それが終わったら研究は継続できなくなる。そうすると短期間に成果が出るような研究しか応募できないことになる。さらに問題なのは応募しても採択されない研究はどうなるのかだ。今はあまり問題となっていない研究、いつ成果が表れるかわからない研究、長期間にわたる可能性のある研究などはできなくなる。何十年か後になって成果の出る研究、また評価される研究もあるのだが。ところがそれはきわめて難しい。それどころか日常の教育研究の継続も難しくなっている。
 すると政府は言う、産学共同で企業から研究費をもらえばいいではないか、企業もそれを望んでいると。しかし企業は今すぐ企業の役に立つ研究にしか金を出さない。となるとそういう研究分野は栄えるが、基礎的な研究、長期間を要する研究、直接企業の役に立たない研究は衰退していくことになる。
 でも、企業・財界にとってはそんなことはどうでもいい。企業に奉仕するような大学でさえあればいい。
 そんな企業の要求に応えて政府はいう、文科系の分野を縮小して企業に直接役立つ理科系を拡張しようと。私の専門とする農業経済学分野も文科系、まっさきに縮小されることになろうが、その是非はここでは論じないことにしよう、ただその話を聞いたときに真っ先に私が思い出したのは戦時中の学徒動員だった。兵力不足を補うため学生を在学途中で徴兵して出征させたのだが、その対象は文系学生だけだった。文系などは戦争の役にたたない、戦場でもってお役に立てということで召集されたのである。今言われている文系縮小論はまさにそれと同じ、戦争が企業に変わっただけだ。企業に財界にもっと役立つ大学にしようとしているのである。
 ところで、今「戦争が企業に変わっただけ」と言ったが、これは不正確である。今政財界は企業にはもちろんだが、戦争に役立つ大学にもしようとしている。軍事利用を目的とした基礎研究への助成金を今年度の6億円から来年度18倍の110億円に増額したなどというのはその典型例だ。大学での軍事研究を推進し、軍産学協同を進めようとしているのである。予算がないと言って大学の経常費を減らしながらである。それどころか米軍による軍事研究費の提供も始まり、日本の大学はアメリカの軍事研究にまでかり出されようともしている。
 私たちの先輩の研究者は、第二次世界大戦のさいとった科学者の態度に対する反省から日本学術会議を通じて『戦争のための科学に従わない声明』(1950年)を出し、さらに米軍の軍事研究に協力させられようとしたときに私たち世代を含めて『軍事目的のための科学研究を行わない声明』(1967年)を出して軍事研究を拒否してきたのだが、それをお金で釣って戦争のための研究をさせようとしているのである(註5)。
 そして戦前の治安維持法を思わせる共謀法の国会提案ときたもんだ。
 まさに戦前への逆戻りである。何で私たち世代はあの戦前を、そして戦中をもう一度体験しなければならなくなるのだろうか。

 昨年の夏、戦争法への反対運動に参加している若者たちに対して、自民党の若手代議士がツィッターでこんな発言をしたと話題になった。
「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」
 私も非常に残念である。戦前の教育を受けてそれがいまだにしみ込んでいる老人がこういうことを言うのならまだわかるが、戦後教育を受けた若い政治家(政治屋?)がこんなことを言うとは何たることか、このことは戦後教育が、民主・平和教育がまだまだ不十分だったことを示すものではなかろうかと。

 つい最近のことでいえば森友学園問題がある。
 戦争反対と教員が言うと偏向教育をしていると非難する人が自らは「安保法制通ってよかった」「安倍首相頑張れ」と子どもたちそれも幼稚園児に言わせるなどして偏向教育をする、戦前でさえ小学5年になってから暗記させた「教育勅語」を幼稚園の子どもに暗記させるなど、戦前以上に子どものことを考えない教育をする。教育勅語をほめあげ(註6)、昔のように学校教育にそれを取り入れようとしている人たち自身が教育勅語の言う徳目を守らずにウソをつき、政治家の口利きで国有地を安く手に入れようとする。
 そういうことをやる人を首相たちはその教育理念に共鳴すると誉めあげ、協力し、さらには極右思想教育、反韓反中教育をする小学校の建設のために政治力を使って便宜を図ってやろうとする。
 もう言葉もでない。

 逆戻りした世の中を見たくない。毎日の新聞テレビを見て憂鬱な思いをしたくない。わびしくともいいから『日々是好日』を過ごして人生の終末を迎えられるようにしてもらいたいものだ。そんなことを考えながらいま終末の準備に入ろうと思っているところである。

(註)
1.国立大学の授業料が今いかに高くなっており、所得の低い家庭の子どもたちの進学が難しくなっていることについては本稿の下記掲載記事でも述べている。
  11年4月5日掲載・本稿第一部「☆教育の機会均等の進展」(1、3、4段落)
2.若手の研究職に多く、任期付きポストで2年とか5年とかの期間雇用されて研究に従事するものだが、これでまともな研究成果が得られるか、落ち着いて研究ができるか、きわめて疑問であり、こんな不安定な職しか若手にないようでは研究者になろうとするものが減るということになりかねない。
3.事務とか研究補助職員に多いが、本来からいうとこれもベテランが必要な職種であり、臨時では研究もうまく進まず、学生対応もうまくできない危険性がある。
4.それ以外に再雇用職員がいる。定年となった教員を何年間か非常勤として再雇用して教育に当たらせ、人件費を減らすというものであるが、この数は少なく、全体の一%程度である。
5.先日、日本学術会議は軍事研究を禁止した過去の二つの声明を継承するという声明を出したが、ぜひともそれを支援し、同時に大学の教育研究費や教育の機会均等のための予算の増額を応援してもらいたいものである。
6.教育勅語については下記の本稿掲載記事でも触れているので参照していただきたい。
  14年9月28日掲載・本稿第七部「☆『暗かった敗戦前の昭和』への回帰」(1~3段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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