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人生の終末に向けて



            続々・わびしい日々是好日(9)

             ☆人生の終末に向けて

 正月一日朝、私は朝起きるとすぐに家中の前年のカレンダーを新しいカレンダーと取り換える。そして改めて新しい年を迎えたという感覚になる。
 しかし、また一年過ぎてしまった、また齢を重ねてしまったなどという感慨はない。孫たちがきていて、正月行事などでにぎやかだからかもしれない。昔のように数えではなく満年齢で数えるようになったからもあろう。
 ところがおかしなものである、正月以外の毎月一日の日、カレンダーめくりのときにはしみじみ自分も年齢をとったものだと考えてしまう。

 月初め、壁などにかけてあるカレンダーの前月分をめくり、新しい月のカレンダーを表に出す。これは私の昔からの仕事だった。そのとき、また新しい月が始まるという気分が改まる思い、同時にまた忙しい厳しい日常が始まるのかという何か胸の詰まる思いもかつてはしたものだった。
 ところが今はそうではない。カレンダーをめくりながら、また一ヶ月生き延びたのかと溜息交じりに心の中でつぶやいてしまう。新しい未来に心をときめかせるのでなく、過去がまた増えてしまったのかと考えてしまうのである。そして新しい月日を見ながら考える、この日にちを、この一ヶ月を無事に過ごせるのだろうかと。

 人生の終末までのカウントダウンは始まっている、秒読みの状態に来ている。しかしボクシングのように10秒と決まっているわけではない。人生の終末までの秒数や日数は決まっていない。これから何秒で、何年で人生の試合が終わるのだろうか。
 昔ならとっくに終わりが来ているはず、だからいつ来てもおかしくはない。そう自覚はしており、覚悟はできているはずなのだが、あまり考えると鬱になる可能性もある。そんなことで他人様にご迷惑をかけるのもどうかと思い、なるべく考えないようにしている。
 おかしなもので、二年前に長期入院した時、ここで死ぬかもしれないなどと一切考えなかった。かなり苦しんだが、死の苦しみとまではいかなかった。そしてまた「わびしい日々是好日の日常」に戻った。
  しかしもうそろそろ考えなければならないだろう。後始末もしておかなければならない。

 家内はよく言う、「あなたをおいて先に死ぬわけにはいかない」と。生活無能力者の私のこと、一人残されたら生きていけないし、子どもたちにあるいは他人に迷惑をかけることになるだろうからだという。
 まさにその通り、最低限の炊事は何とか一人でもできるが、どう料理をしたらいいかなどさっぱりわからない。洗濯機をどう回し、夏冬の衣服がどこにあるか等々、一々家内に聞かないとさっぱりわからない。覚えようという気はあるのだが、すぐに忘れてしまうのである。
 わが家のどこに何がおいてあるのか、たとえば現金、預金通帳や実印がどこにあるのかわからない(この頃は国民健康保険証、診察券がどこにあるかはわかるようになったが、これは最近の病院通いからである)。全財産を管理しているのは家内、まかせっ放しだからである。家内が持ち逃げしてもどれだけ持ち逃げされたか私はわからないだろうと、二人で笑うほどである。
 だから家内は心配するのだが、まったくその通りで私が先に死ぬべきだと私も思っているし、願ってもいる。
 ところが家内はそう言った一方でこうも言う、「一人置いて行かれるのはやっぱり寂しくていやだ、年金も減って暮らしが大変にもなる、毎日けんかの生活でも二人がいい」と。
 そこで結論はこうなる、「二人いっしょに死ぬことにしよう」と。そんなにうまくいくわけはないことは言うまでもないが、いずれにせよ長いこと寝たきりになってあるいは認知症になって家族に迷惑をかけながら、あるいは介護施設に入って多くの人に迷惑をかけながら死んでいく、これだけはしたくない。しかしその希望通りになればいいが、その保証はない。自分で死に方を選択することはできない。いや、選ぶことはできる、自分で死ぬことはできる。しかし「自殺(最近は自死と言うようだが)」では遺された家族がたまらない。
 こんなことを悶々と考えていてもどうしようもない。いずれにせよいつかは死ぬのである。まずは病気や認知症、寝たきりなどにならないよう、自分が苦痛にあえがなくともすむよう、ぽっくり逝けるように祈りながら、食事や健康に気をつけて生き、終了ゴングを待つより他ない。
 その待つ間に、私たちが意思を十分に伝えられなくなったとき、死んだときにどうするか、子どもたちが困らないように、きちんと整理して伝えておこう。早くしておかないと間に合わなくなる危険性がある。
 まずは家の中のどこに何があるか、これをきちんと記録して、子どもや孫に伝えておくことにしよう。たとえば保険証など、私たちが緊急入院したときなどどこにあるかわからなかったりしたら困る。 それから生前遺言で延命措置などしないように、苦痛なく人間らしい尊厳をもって死なせてもらえるように意思を表明する文書も残しておこう。残された家族があわてないように葬儀社は頼んで置き、他の人に迷惑をかけないように家族葬にするようにと遺言しておこう。そうだ、今はやりのエンディングノートを書いて残しておくことにしよう。
 ということで、いよいよこれから終活に入ろうと思っている。

 同時に、まだ残っている調査研究・大学関連の資料や書籍の整理も再開しなければならない。前に述べたように定年退職時にほとんど処分したのだが、まだ段ボールに入ったままのものもある。まずはこの整理だ。ところがなかなか取りかかれない。途中で中止している。気分が乗らないのだ。理由は簡単である。何を捨て、何を残すか決められない、要するに捨てられないのである。何でもそうなのだが、そもそも捨てられない性格なのである。
 もちろん、これまでも捨ててはきた。といっても自分で捨てたと言うより家族が捨ててきた。私の小さいころは家事をとりしきっている祖母が私の片付けの悪さを怒りながら捨てた。また私が仙台に来てからは私の子どの頃のものは生家の建て替えや整理の時に弟妹たちのものといっしょに捨てられているはずである(いまだにもったいないと思っているのだが)。
 今は家内が捨ててくれる。家内は割に平然とものを捨てる。思いっきりがいい。もちろん私の書籍、資料、書類等々には一切手を触れない。したがって溜まっていく。その大半はかつては研究室においてあったのだが、前にも述べたように、退職するときにそのほとんどを処分した。といっても書籍に関しては後輩研究者の一人がもらってくれたのたが、調査研究資料はすべて廃棄してきた(註1)。この資料についてはちょっと後悔している、これがあったら本稿にもっと東北のことをいろいろと書けたのにと。とは言ってもおくところがないのでどうしようもなく廃棄してきたのだが。それでもほんの一部は持って帰ってきた。また仙台の家においてあった資料の一部は段ボールに詰めたまま物置に入っている。それを整理しなければならない。
 先日、その一つを開けてみた。なかには学生時代の教科書やノートがあった。こんなのを残していたのかと見てみた。なつかしい、そういえばそうだった、教科書はこんなのを使っていた、当時の本やノートの紙質のなんとまあ悪いことなどと思いながら捨てるものを決めて捨てようとする。ところが、それがなかなか決められない。もう一度これを読んでみようか、これは残しておきたいとか、当時の自分はこんな字を書いていたのか等々考えてしまって捨てられなくなるのである。残しておいても読めるかどうかわからないし、役に立つかどうかもわからないのにである。
 たとえば大学一年のときにノートに書いた小遣いの収支帳だ。何月何日いくら生家から小遣いをもらい、何にどれだけ使ったかが書いてある。何しろ生まれて初めてもらった小遣い、朝暗いうちに起きて夕方暗くなるまで額に汗して働いて送ってくれた両親や祖父母を考えると無駄には使っていられない。そんなことから自分でノートに線をひいて作ったのである。見るとおもしろい。そうだった、そんなことがあったと思い出すことがあるし、そんなものを買ったっけかと思い出す。またそれを見ると当時の物価がよくわかる。何か非常に貴重な資料に思えてくるし、私の青春の一時期の思い出、捨てるのもかわいそうである。
 まあそれは個人的な思い出でしかないが、もしかして整理しているうちにこれは書き残しておいた方がいいのではないかと思うものが出て来るかもしれない。こうした整理を進めながら、もう少し本稿の執筆、ブログでの公表を続けようか、書き残していることも多々ある。
 しかし身体が動かなくなっているのはたしか、病気がちにもなっている、整理を急がなければ、せめて遺される子どもや孫に迷惑をかけないようにしておこう。

 私の好きな藤沢周平の小説『三屋清左衛門残日録』に次のような言葉が出てくる。
 「日残リテ 昏ルルニ未だ遠シ」(註2)
 三屋清左衛門の頃の隠居=退職は50歳前後が普通だったとのことだが、私の場合はその年齢をとっくに過ぎている。するとこうなるのだろうか。
 「日残リ少ナクシテ 昏ルルハスグ近シ」
 やはり少し急がなければ。
 そんなことを考えている今日このごろである。

(註)
1.12年4月2日掲載・本稿第四部「☆定年前後」(2段落)、
  12年4月9日掲載・本稿第四部「『☆毎日が日曜日』≠『悠々自適』」(2段落)参照
2.藤沢周平『三屋清左衛門残日録』、文春文庫、1992年、16頁

(次回は5月8日掲載とする)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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